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エピソード3:遠眼鏡 1

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「君がブライアン・グラハムかね?」
 声をかけられたグラハムは、気が立った。
 決定的瞬間を収めるため、カメラをかまえ、植え込みの影で一晩中でも頑張るつもりだ。それには集中力の持続が不可欠。それを、いきなり邪魔されたのだから、苛立つのも無理なかったかもしれない。
「ああ、そうだよ。誰だか知らんが、邪魔しないでくれ」
 声のした背中の方を振り返りもせず、ぶっきらぼうに答えると、カメラのレンズ越しにターゲット――とある建物の出入り口――をにらむ。
「カメラマンだな。腕は確かだと聞いている」
 背後の男の声は、威圧的なところがあった。
 今はまだ珍しいカメラマンという職業柄、権力を振りかざす連中をうんざりするほど見てきたグラハムにとって、未知の男の声は嫌いなタイプだ。まず間違いなく、顔かたちの方も気に入らないことだろう。
「私に協力してくれないかね」
 無視を決め込んだグラハムを、男はまるで気にしていないようだ。
「力を貸してくれるのであれば、素晴らしい礼をする」
「……素晴らしい礼?」
 男のちょっと妙な言い種に、グラハムは再び口を開いた。
「金のことか? よほどの大金じゃない限り、あんたみたいな人間にこき使われるのはごめんだね」
「ふふ。大金ならばいいのか。なかなか正直だな。気に入ったぞ」
「そりゃどうも」
「しかし、礼は金ではない。特別な力をくれてやろう」
「何だって?」
 怪訝に思ったグラハムが腰を浮かし、振り返ると――。
 むぐっ?
 突然、息がしにくくなる。鼻と口を男の左手に覆われてしまった。熊か何かを思わせる怪力だった。
 両手で相手の左手首を掴み、抵抗するも、どうにもならない。そこへ、相手の右手が突き出される。その手の五つの爪は、異様に長い。
「動くな。狙いがずれると、試せなくなる……」
 低くつぶやきながら、相手の男は爬虫類のように見開いた目で、一点を見つめている。グラハムは、その視線が自分の左胸、心臓の辺りを狙っていることを悟った。
 やめろっ! 叫ぼうとしたが、声にならない。植え込みの少し向こうを行き交う人の数は少なくないのだが、誰もグラハムの身に降りかかった変事に気付かない。
 そして、男の中指の爪が、グラハムの左胸、やや真ん中寄りに当てられた。かと思うと、力を込められた爪の先が、グラハムの着込んだ服を突き破り、さらにはグラハムの皮膚をも突き破った。
 痛いと感じている間もなく、今度は胸全体が熱くなる。男が、爪を一気に振り上げたのだ。ために、傷口は大きく縦に広がる。
 服の生地など無視するかのように吹き出した血が、男の腕やグラハム自身の顔に飛散する。グラハムは痛みよりも、事態の異様さに恐怖した。しかし、声は出せない。
「もうすぐだ」
 男は、親指で小指の爪を、新たに突き立ててきた。先刻、できたばかりの傷口に差し込まれた二つの爪が、すぐに横に開かれる。当然、傷口は横にも大きく広がった。
 男は続けて、右手の平を傷口へ押しつけてきた。どうやら、何らかの丸い物体が、あらかじめ握り込まれていたらしい。
「これが、私からの礼だ」
 丸い宝石のような物を、グラハムの傷口へ押し込みながら、男はにやりと笑う。
「この魔玉によって、どんな力が引き出されるか。その力によって、君の運命は決まるのだよ、グラハム」

「こいつは、どう考えても、カインの仕業に違いない」
 勢い込んでやって来た警部のコナン・ヒュークレイは、興奮口調のまま、資料を広げた。資料は、検案書がほとんどであるようだ。
「よく持ち出せましたね」
 巨躯を縮めるようにして丸机に着いてから、フランクは書類の一つを取り上げる。
「なに、たまたま、ルクソールの奴が担当だったから、簡単だった。ところで、アベルはどうしている?」
「天文学の専門家のところへ。無論、魔玉の研究の一環として」
「ははあ……。一人で大丈夫かね? カインの奴が襲ってくるかもしれん」
「それについては、アベル自身がこういう見方をしています」
 フランクは書類から目を上げた。
「――今まで何度か機会がありながら、カインはアベルを襲っていない。その理由として、カインは魔玉に関する研究の成果を、アベルから得たいと考えているのではないか。あるいはもう一つ、大胆な仮説……太陽が高い間は、カインは外を出歩けないのではないか。他の光源ならともかく、太陽からの光に奴らは弱いのではないか、と」
「昼間はだめってことかい? 本当にそうなら、凄い発見だが……」
 警部の視線が、フランク自身へと注がれる。
「おまえさんはどうなるんだ? こう言っては何だが、カインと同類のはずだろう? その、魔玉の者っていう……。おまえさんは昼間、外に出ても平気じゃないか」
「これもアベルの推察ですが、僕は生身の人間から魔玉の者へ転生したのではありません。対して、カインは生きている内に、己の心臓部に魔玉を埋め込むことで魔玉の者になった。その差の発現ではないか、と言っていましたよ」
「……なら、この間のウィレム・オーディはどうなる? あいつは魔玉の者になってから、真昼は外出してなかったみたいだが、夕暮れ時には出歩いていたはずだぞ」
 コナン警部が質問を重ねたところへ、当のエフ・アベルが帰って来た。
「警部、いい質問だ」
 挨拶がてらか、そう言うと、アベルはコートと帽子を壁のフックに掛けた。
「何か新たな発見は?」
 フランクが聞いたが、腰を下ろしたアベルは首を横に振った。
「天文学そのものは、いい着眼だと信じている。だが、学者連中と来たら……。面識がないと、門前払いされるのがほとんどでね。次に、よしんば中に通してもらえても、私の専門が生物学と知ると、怪訝そうな顔つきをしてくれる。さらに決定的なのは、私が学界を追放された身という事実だ。畑違いではあっても、変わり者に関わりたくないという態度に出られて、どうにもならない」
「そうですか……」
「いっそ、カインのことをぶちまけてやればどうです?」
 警部が、いらいらした調子で提案した。彼の右手の人差し指は、速いテンポでテーブルを叩き続ける。
「そんな話、誰も信じないさ」
「……なあ、アベルよ。前にも言ったことですがね、カインを殺人犯として、手配するのはどうしてもだめかね?」
「感心できない意見だ、警部」
 首を振るアベル。
「カインの人相を多くの人が知ること自体は、大変、有効だと思う。あいつの次の犯罪を防ぐ効果が期待できる。だが、逆に、カインを捕らえようとする動きも出てくるだろう。そうなった際に、カインが開き直るのが、私には恐ろしい。これまでは犯罪をなすにしても、一見、常人の犯罪と区別が着かないような手口でやってきたカインだが、追いつめられると魔玉の者という正体を露にして、無差別に殺戮を行うかもしれない」
「……しょうがねえ」
 口ではそう言いながらも、納得しきれない風のコナン警部。しばしの間のあと、彼は頭を切り替えるように、言葉を持ち出した。
「そうだ、さっきの質問の答、聞いていなかったっけ。オーディの奴は、夕方でも出歩いていたんだから、生身の人間から魔玉の者に転生した連中が太陽に弱いという仮説は、ぐらつくんじゃないですかね」
「ああ、それか。推測に推測を重ねるしかないのだが……そして、希望的観測も加えると――ある程度の太陽光はしのげる。が、昼日中の強烈な光の下では、生きられない。そういう解釈が浮かぶね」
「ふむ。それが当たっているのか、確かめてみないと」
「それには、適切な方法を考えないとね。それよりも警部、この書類の束はいったい……」
 机上の書類を取り上げ、軽く振るアベル。
「見たところ、変死体の検死報告のようだ」
「ああ、すっかり忘れちまってた。ここのところ、カインの仕業と思われる殺しが、立て続けに起こっている」
「……聞こう」
「犠牲者は、昨日までに五人。いずれも左胸は心臓の辺りを、何らかの鋭い刃で十字に切り裂かれて殺されていた」
「新聞にはなかったようですが、警部?」
 フランクが、思い出すようにしながら聞く。コナン警部の方は、一つ、大きくうなずいた。
「事件そのものは報道されている。ただし、傷口の同一性は、伏せられた。ちょいと異常な死に様だったこともあってね」
「異常な死に様」
「専門じゃないから、よく分からんが……その報告書には、胸を切り裂かれたあとも、しばらくは生きていたように見受けられる、とある。一言に、しばらくと言ってもそれぞれで、胸を裂かれてから長くて数日、短くて数時間で死んだらしい」
「これ……何らかの円盤状ないしは球状の物を心臓に密着させた痕跡が認められる、とあるが、まさか……」
 アベルの話しぶりは、暗くなっている。
「魔玉を埋め込もうとしたのだろうか……」
「そう思いますね、私は。そう判断したからこそ、こうして来た訳だが」
「カインの奴、動物実験でもしているつもりなのか……。適当に選んだ人間に魔玉を埋め込み、何らかの能力が現れない限り、魔玉を回収しているらしい」
「本当に、適当でしょうか?」
 フランクが疑問を呈した。それに対し、アベルは首を傾げ、コナン警部が口で問い質す。
「どういうことだ、フランク?」
「被害者の職業を見てみると、一人目のブライアン・グラハムはカメラマン。二人目のヒルビリー・クラーク、競馬記者。三人目のマイク・サッグスは、職業はともかく、趣味としてバードウォッチングをしています。四人目、リック・トンプソンは新聞記者。最後の五人目、ジミー・ライマン、私立探偵」
「それが何だ? 全員が男というぐらいで、他に共通点はないだろう」

 続く
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