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第二部.天衣無法 その1
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ステージ上では、大がかりなイリュージョンが繰り広げられていた。マジシャンが演じるのはスパイ。いかにも悪そうな黒尽くめの男に捕らわれ、ビル内の一室に監禁された挙げ句、建物に火を着けられたという設定だ。男は猛獣を入れておくような檻の中、手足をチェーンで縛られ、壁際に立ち姿勢のまま固定されている。
やがて舞台の様子が半分方見えなくなるほど煙がもうもうと立ちこめ、いよいよ危ないというときに、消防車のサイレンが響き渡る。舞台袖から現れたのは、防火服に防炎マスクで完全装備し、ホースを小脇に抱えた男達(女かもしれないが)四人。彼らは激しさを増す“火元”へ踏み込み、消火活動を始める。程なくして、煙が引いていく。
すると、そこに現れたのは、檻の中で虜になった黒尽くめの男。
観客がどっと沸く。
すると、スパイはどこに行った?
そんな観客の疑問を察したかのように、ある人物が行動を起こした。
消防士の一人が、おもむろにマスクを取ると、そこにはスパイを演じていたマジシャンの顔が。割れんばかりの拍手の中、防火服も脱ぎ去り、スーツ姿で決めポーズを取る。
「何が起きたの?」
隣に座る七尾弥生の声に、横路玲二は拍手の手を止めた。小学六年生になる姪にどう答えようか思案しつつ、口を開く。
「見ての通りだよ。マジシャンと悪者が一瞬にして入れ替わった。不思議だろう。これがマジック、イリュージョンというものさ」
「いや、そうじゃなくって、叔父さん」
面倒臭そうに首を振り、七尾は少し声を大きくした。
「どうしてみんな、拍手するのかと思って」
「どうして? だって、凄いじゃないか。素晴らしいマジックに感動して……」
「そうかなあ。黒尽くめの男が消防士の一人だったんでしょ。ドライアイスの煙に紛れて、スパイのマジシャンと入れ替わっただけ。みんな気付いてると思うんだけど」
「……」
呆気に取られ、絶句してしまった。拍手を再開しようと構えていた両腕が、自然にすっと下がった。
なるほど。そういう種か。横路は全く考え付かなかった。元々、種を見破ってやろうなんていう目で手品を見ることのない彼だが、あまりにも単純明快な解答例を示され、唸らずにいられない。
「叔父さん?」
「ま、まあ、これはオープニングだから、小手調べさ。段々と凄くなって行くから」
一応、そんな風に答えておく。その場凌ぎのつもりはなく、実際、このあとの演技の数々を目撃すれば、こましゃくれた姪っ子も口をあんぐりさせて、驚くに違いないと踏んだのだ。勿論、種を見破った(可能性の一つではあるが)ことには、大した観察力だと感心させられたが、まぐれだろう。
ところが、横路の思惑はひっくり返される。七尾は続いて行われた数々の演目に、悉く答を与えた。それも、ほとんどの場合、即座に。
「右手でトランプを出している間に、左手が身体の陰に入っている。あそこで何か仕込むんじゃないかしら」
云われてみれば、マジシャンの仕種は怪しく映った。
「待って。考えたら、どんな数字を思い浮かべても、この計算をすると必ず九になる」
横路は頭の中で、Xを当てはめてやってみた。その通りになった。
「すれ違った瞬間、赤の看板の裏に隠れた。右に行ったと見せかけて、左から出て来るわ、きっと」
まるで予言だった。七尾は奇術の段取りを読み切っていた。
近くの客達に不快感を与えていないか横路が心配したほど、七尾の推測は鋭かった。幸い、他の観客は皆、マジックに夢中のようだった。
「つまらなかっただろうな」
ホールを出るなり、横路はため息混じりに、姪に聞いた。
これまで姪を遊びに連れていってやったことは数知れず、回を重ねる内に動物園や水族館に飽き、科学館やプラネタリウムの類は学校行事で何度も見ているし、今回、映画も子供向けのものが見当たらずと来たから、思い切って当日券を買ったのだが……。姪の様子からすると、人気マジシャンのショーのチケットを大枚はたいて購入した甲斐がなかった。そう考えていた。
「ううん、面白かった」
予想外の返事に、目を白黒させた横路。次いで、子供なりに気を遣っているのだなと解釈した。
だが、七尾の続いての台詞は、横路の解釈を否定するものだった。
「クイズやなぞなぞを連続して出されてるみたいで、考えるのが楽しかった!」
「そうなのか。それはよかったけど」
「僕、クイズ好きだもの」
七尾は叔父を見上げ、目をくりくりとさせた。前髪の掛かった広いおでこは、なるほど、利発そうに見える。
横路は彼女の頭に手を置いて云った。肩口まで伸ばしたストレートの髪は、いつ見ても手入れが行き届いており、艶やかだ。母親の努力の賜物に違いない。
「見破ったのはクイズ好きのおかげか。何にしても、手品の種を見破るのには感心した。けれども、女の子が『僕』なんて使うのは、感心しないな」
「いいじゃない。これが僕のアイデンティティよ」
七尾はさらりと云った。
苦笑を禁じ得ないのは横路。覚えたての言葉を使いたがる年頃なのかと想像したら、おかしかった。やはり小学生だ。
次に横路が口を開くよりも一瞬早く、斜め後ろ方向から穏やかな声に呼び止められた。
「すみません。よろしいですかな」
「――私ですか?」
振り返り、少し間を取ってから確かめる横路。七尾も足を止め、自然と振り返っていた。
二人の視線の先には、一見、紳士然としたダークスーツの男が立っていた。顔はふくよかだが、皮膚に染みが目立つから結構年を食っていよう。鼻の下に生やした髭は黒々とし、左右にぴんと跳ねて固めてある。背は高く見えるが、よくよく観察すれば靴が上げ底になっている節が窺えた。左手に短いステッキを握り、右手には早々と脱いだらしいソフト帽があった。
所々にいかがわしさを漂わせた人物だった。少なくとも、こんなサラリーマンはいまい。いたとしても、ビジネス街にそぐわない。
「はい。正確には、あなたのお連れになっているお嬢さんに関心があるのですがね」
「この子に?」
頭に浮かんだのは、「誘拐」や「幼女趣味」といった言葉だが、まさか保護者付きの子供に声を掛けるはずもない。一瞬にして上がっていた警戒レベルを、ゆるゆると下げた。
「どのようなご用件でしょう。その前に、あなたが何者なのかを伺いたいのですが」
姪には喋らせず、横路は聞いた。相手の男は名刺を差し出し、答えた。
「申し遅れました。私、テンドー=ケシンと名乗らせていただいております。手品師と云いますか、奇術師と云いますか、マジシャンとして食い扶持を得る者ですよ」
やがて舞台の様子が半分方見えなくなるほど煙がもうもうと立ちこめ、いよいよ危ないというときに、消防車のサイレンが響き渡る。舞台袖から現れたのは、防火服に防炎マスクで完全装備し、ホースを小脇に抱えた男達(女かもしれないが)四人。彼らは激しさを増す“火元”へ踏み込み、消火活動を始める。程なくして、煙が引いていく。
すると、そこに現れたのは、檻の中で虜になった黒尽くめの男。
観客がどっと沸く。
すると、スパイはどこに行った?
そんな観客の疑問を察したかのように、ある人物が行動を起こした。
消防士の一人が、おもむろにマスクを取ると、そこにはスパイを演じていたマジシャンの顔が。割れんばかりの拍手の中、防火服も脱ぎ去り、スーツ姿で決めポーズを取る。
「何が起きたの?」
隣に座る七尾弥生の声に、横路玲二は拍手の手を止めた。小学六年生になる姪にどう答えようか思案しつつ、口を開く。
「見ての通りだよ。マジシャンと悪者が一瞬にして入れ替わった。不思議だろう。これがマジック、イリュージョンというものさ」
「いや、そうじゃなくって、叔父さん」
面倒臭そうに首を振り、七尾は少し声を大きくした。
「どうしてみんな、拍手するのかと思って」
「どうして? だって、凄いじゃないか。素晴らしいマジックに感動して……」
「そうかなあ。黒尽くめの男が消防士の一人だったんでしょ。ドライアイスの煙に紛れて、スパイのマジシャンと入れ替わっただけ。みんな気付いてると思うんだけど」
「……」
呆気に取られ、絶句してしまった。拍手を再開しようと構えていた両腕が、自然にすっと下がった。
なるほど。そういう種か。横路は全く考え付かなかった。元々、種を見破ってやろうなんていう目で手品を見ることのない彼だが、あまりにも単純明快な解答例を示され、唸らずにいられない。
「叔父さん?」
「ま、まあ、これはオープニングだから、小手調べさ。段々と凄くなって行くから」
一応、そんな風に答えておく。その場凌ぎのつもりはなく、実際、このあとの演技の数々を目撃すれば、こましゃくれた姪っ子も口をあんぐりさせて、驚くに違いないと踏んだのだ。勿論、種を見破った(可能性の一つではあるが)ことには、大した観察力だと感心させられたが、まぐれだろう。
ところが、横路の思惑はひっくり返される。七尾は続いて行われた数々の演目に、悉く答を与えた。それも、ほとんどの場合、即座に。
「右手でトランプを出している間に、左手が身体の陰に入っている。あそこで何か仕込むんじゃないかしら」
云われてみれば、マジシャンの仕種は怪しく映った。
「待って。考えたら、どんな数字を思い浮かべても、この計算をすると必ず九になる」
横路は頭の中で、Xを当てはめてやってみた。その通りになった。
「すれ違った瞬間、赤の看板の裏に隠れた。右に行ったと見せかけて、左から出て来るわ、きっと」
まるで予言だった。七尾は奇術の段取りを読み切っていた。
近くの客達に不快感を与えていないか横路が心配したほど、七尾の推測は鋭かった。幸い、他の観客は皆、マジックに夢中のようだった。
「つまらなかっただろうな」
ホールを出るなり、横路はため息混じりに、姪に聞いた。
これまで姪を遊びに連れていってやったことは数知れず、回を重ねる内に動物園や水族館に飽き、科学館やプラネタリウムの類は学校行事で何度も見ているし、今回、映画も子供向けのものが見当たらずと来たから、思い切って当日券を買ったのだが……。姪の様子からすると、人気マジシャンのショーのチケットを大枚はたいて購入した甲斐がなかった。そう考えていた。
「ううん、面白かった」
予想外の返事に、目を白黒させた横路。次いで、子供なりに気を遣っているのだなと解釈した。
だが、七尾の続いての台詞は、横路の解釈を否定するものだった。
「クイズやなぞなぞを連続して出されてるみたいで、考えるのが楽しかった!」
「そうなのか。それはよかったけど」
「僕、クイズ好きだもの」
七尾は叔父を見上げ、目をくりくりとさせた。前髪の掛かった広いおでこは、なるほど、利発そうに見える。
横路は彼女の頭に手を置いて云った。肩口まで伸ばしたストレートの髪は、いつ見ても手入れが行き届いており、艶やかだ。母親の努力の賜物に違いない。
「見破ったのはクイズ好きのおかげか。何にしても、手品の種を見破るのには感心した。けれども、女の子が『僕』なんて使うのは、感心しないな」
「いいじゃない。これが僕のアイデンティティよ」
七尾はさらりと云った。
苦笑を禁じ得ないのは横路。覚えたての言葉を使いたがる年頃なのかと想像したら、おかしかった。やはり小学生だ。
次に横路が口を開くよりも一瞬早く、斜め後ろ方向から穏やかな声に呼び止められた。
「すみません。よろしいですかな」
「――私ですか?」
振り返り、少し間を取ってから確かめる横路。七尾も足を止め、自然と振り返っていた。
二人の視線の先には、一見、紳士然としたダークスーツの男が立っていた。顔はふくよかだが、皮膚に染みが目立つから結構年を食っていよう。鼻の下に生やした髭は黒々とし、左右にぴんと跳ねて固めてある。背は高く見えるが、よくよく観察すれば靴が上げ底になっている節が窺えた。左手に短いステッキを握り、右手には早々と脱いだらしいソフト帽があった。
所々にいかがわしさを漂わせた人物だった。少なくとも、こんなサラリーマンはいまい。いたとしても、ビジネス街にそぐわない。
「はい。正確には、あなたのお連れになっているお嬢さんに関心があるのですがね」
「この子に?」
頭に浮かんだのは、「誘拐」や「幼女趣味」といった言葉だが、まさか保護者付きの子供に声を掛けるはずもない。一瞬にして上がっていた警戒レベルを、ゆるゆると下げた。
「どのようなご用件でしょう。その前に、あなたが何者なのかを伺いたいのですが」
姪には喋らせず、横路は聞いた。相手の男は名刺を差し出し、答えた。
「申し遅れました。私、テンドー=ケシンと名乗らせていただいております。手品師と云いますか、奇術師と云いますか、マジシャンとして食い扶持を得る者ですよ」
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