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その2
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「じゃあ、プロのマジシャン?」
七尾は云うと、辛抱たまらなくなった風に一歩前に出る。横路は姪っ子の腕を掴み、相手に近付きすぎないようにした。本名を口にしないことが、横路に再び警戒心を強めさせた。そもそも、そんな名前のマジシャンなんて、見たことも聞いたこともなかった。
「最前、Fホール内であなた方を見掛けました。近くの席だったもので、お話の面白さに、つい、聞き耳を立ててしまいましてね。聡明なお嬢ちゃんだ」
更に近付いた七尾の頭を撫でるケシン。六年生といっても小柄な方であるだけに、過大評価ではと思わないでもない。確かに、種を悉く見破ったらしいのには横路も驚かされたが。
「マジックについて、何か専門に習っているのかな」
「ううん。別に」
直接問われ、即答する七尾。ケシンはますます信じられないという風に口を丸くし、目を大きく見開いた。動作一つ一つがオーバーアクションなのは、マジックを演じる関係で、身に染み着いたのかもしれない。
「本当だとしたら、凄いことだ。――お時間がおありでしたら、どうでしょう、喫茶店でお話でも?」
「時間はありますが……」
腕時計をちらっと見て、横路がまだ迷ったのは、会ったばかりの相手にそこまで付き合うのもどうかというブレーキが掛かったため。姪に対して示しがつかない気がしないでもない。
「手持ちのマジックのいくつかを、見せて差し上げますよ」
自信ありげにケシンが云った。いや、プロなのだから、自信があるのは当たり前だ。リクエストすれば、この場ですぐにでも一つ始めそうな雰囲気を醸す。
横路が返事をする前に、七尾が両手を挙げた。「見たい!」
そしてくるっときびすを返して、横路のズボンを引っ張り、ねだる。
「見たい。新しいなぞなぞだよ、きっと面白いわ」
横路は髪に右手を突っ込み、ぽり、と掻いた。ケシンに改めて身体を向け、「姪もこう云ってますし、お付き合いしますよ。見終わったあとになって見物料を、なんてことにはならないでしょうね?」
と、洒落っぽく云って応じた。
四人掛けのテーブルに、横路と七尾は並んで座り、その反対側にケシンが一人で収まった。
注文を終えてしばらく挨拶や詳しい自己紹介等で時間を潰したあと、ケシンがトランプを取り出し、そろそろ始めましょうという姿勢を見せる。七尾は大きなパフェの容器を、自分の前から横にずらした。窓際の席に座っており、小さな女の子がパフェを美味しそうに食べる様は、さぞかし往来を行く親子連れへのよい宣伝になったろう。そして今度は、テンドー=ケシンのマジックが、客寄せになるかもしれない。
「ここに一組のトランプがありますね。ま、正式にはカードと呼ぶべきでして、本来『トランプ』とは切り札のことです。これから私は両方の呼び方を使います。ややこしいでしょうが、トランプもカードも同じ意味と思ってくださいね」
紙のケースからカード一組をするりと抜いたケシンは、口上を続けながらカードをスライドさせて扇を作り、表側を横路達に示した。
「ご覧の通り、全てばらばらのカードです。ジョーカーは二枚ありますが、一枚は使わない」
ケシンは、端っこに二枚重なるジョーカーの内、一枚を抜き取ると、紙のケースの中に戻した。
五十三枚のカードの扇を閉じ、再び一つの山にしたケシンは、全体をひっくり返し、裏向きの状態で左手の平に載せた。そして七尾の方を見つめながら続ける。
「これからトランプをシャッフルします。好きなときに『ストップ』と云って、ストップを掛けてください」
「うん。分かった」
七尾が頷くと同時に、トランプを切り始めた演者。リフルシャッフルが五回ほど行われた段階で、七尾は叫んだ。「ストップ!」
「早いですねぇ。ほんとに、ここでいいのですか?」
手の動きを止めたまま、ケシンは薄く笑った。七尾は目をくりくりさせながら、
「全然、問題なしよ。僕は僕の好きなところでストップした」
と、こちらは満面の笑みをこぼす。
ケシンはトランプから右手を離すと、人差し指をぴんと伸ばし、トップのカードを押さえた。
「それでは、お嬢ちゃん。一番上のカードをめくって、数字を見えるようにして、この上に置いてください」
「みんなに見せていいんだよね?」
「はい」
それから七尾は云われた通りにした。現れたのは、ハートの3。
ケシンは「何のカードかな?」と、七尾と横路に確認をさせた。
「確かにハートの3ですよね。じゃあ、お嬢ちゃん。このカードをまたひっくり返して、元のようにしてください」
「見えないようにってこと?」
「はい」
今度も云われた通りにする。裏向きになったハートの3がカードの山の頂上に伏せられた。ケシンはもう一度、そのカードを指差した。勿体ぶった調子で尋ねてくる。
「ではお聞きします。このカードは何?」
「はぁ」
姪の隣で第三者的に見ていた横路だが、思わず声を漏らしてしまう。分かり易い道案内だったのが、突如として暗闇の狭い部屋に閉じ込められたみたいな感じだ。
「ハートの3」
七尾がとりあえずという風に答える。目つきが少し鋭くなったようだ。怪訝さを感じ取りつつ、分析を始めた様子が窺える。
「本当に、ハートの3? 変えるのなら今の内だよ」
ケシンが云った。決まり文句だ。
「変えたいけれど、残り五十二枚の何に変えたらいいのか分からないから、このままでいい」
七尾は妙な理屈を口走り、一人で頷いた。
ケシンはほんの一瞬、やりにくそうに苦笑を浮かべてから、カードを押さえていた人差し指を滑らせ、そのまま摘む形に持って行く。
「めくって、確かめてみることにしましょう」
云うや否や、えいとばかりにカードを裏返す。現れたのは、クラブのキングだった。
「あ」
横路はまたも声を漏らし、呆気に取られていた。コーヒーカップを引き寄せ、口元まで運んでから、空だと気付いた。カップを戻して、「分からないな。見事です」を連発する。
「どうもありがとう」
礼を述べ、軽く会釈したケシンは、七尾へと視線を転じた。
「……」
横路とは対照的に、彼女は黙りこくっている。問題のカードを見つめ、じっと考える横顔が見て取れた。
ケシンは嬉しげに頬を緩め、演目を続けた。
「ハートの3はどこに行ったのかというと、こうして」
云いつつ、クラブのキングを裏返し、山に重ねる。そして間を置かずに、再びめくって見せた。
次の刹那、横路はまたもや間の抜けた声を上げてしまった。
「あれっ?」
クラブのキングだったはずのカードが、ハートの3に戻っていたのだ。
「おやおや。まだここにありましたよ」
ケシンの口上を聞き流し、横路はしきりに首を捻った。
「変だな。すり替えられるはずないし、見間違いでもないし」
七尾は云うと、辛抱たまらなくなった風に一歩前に出る。横路は姪っ子の腕を掴み、相手に近付きすぎないようにした。本名を口にしないことが、横路に再び警戒心を強めさせた。そもそも、そんな名前のマジシャンなんて、見たことも聞いたこともなかった。
「最前、Fホール内であなた方を見掛けました。近くの席だったもので、お話の面白さに、つい、聞き耳を立ててしまいましてね。聡明なお嬢ちゃんだ」
更に近付いた七尾の頭を撫でるケシン。六年生といっても小柄な方であるだけに、過大評価ではと思わないでもない。確かに、種を悉く見破ったらしいのには横路も驚かされたが。
「マジックについて、何か専門に習っているのかな」
「ううん。別に」
直接問われ、即答する七尾。ケシンはますます信じられないという風に口を丸くし、目を大きく見開いた。動作一つ一つがオーバーアクションなのは、マジックを演じる関係で、身に染み着いたのかもしれない。
「本当だとしたら、凄いことだ。――お時間がおありでしたら、どうでしょう、喫茶店でお話でも?」
「時間はありますが……」
腕時計をちらっと見て、横路がまだ迷ったのは、会ったばかりの相手にそこまで付き合うのもどうかというブレーキが掛かったため。姪に対して示しがつかない気がしないでもない。
「手持ちのマジックのいくつかを、見せて差し上げますよ」
自信ありげにケシンが云った。いや、プロなのだから、自信があるのは当たり前だ。リクエストすれば、この場ですぐにでも一つ始めそうな雰囲気を醸す。
横路が返事をする前に、七尾が両手を挙げた。「見たい!」
そしてくるっときびすを返して、横路のズボンを引っ張り、ねだる。
「見たい。新しいなぞなぞだよ、きっと面白いわ」
横路は髪に右手を突っ込み、ぽり、と掻いた。ケシンに改めて身体を向け、「姪もこう云ってますし、お付き合いしますよ。見終わったあとになって見物料を、なんてことにはならないでしょうね?」
と、洒落っぽく云って応じた。
四人掛けのテーブルに、横路と七尾は並んで座り、その反対側にケシンが一人で収まった。
注文を終えてしばらく挨拶や詳しい自己紹介等で時間を潰したあと、ケシンがトランプを取り出し、そろそろ始めましょうという姿勢を見せる。七尾は大きなパフェの容器を、自分の前から横にずらした。窓際の席に座っており、小さな女の子がパフェを美味しそうに食べる様は、さぞかし往来を行く親子連れへのよい宣伝になったろう。そして今度は、テンドー=ケシンのマジックが、客寄せになるかもしれない。
「ここに一組のトランプがありますね。ま、正式にはカードと呼ぶべきでして、本来『トランプ』とは切り札のことです。これから私は両方の呼び方を使います。ややこしいでしょうが、トランプもカードも同じ意味と思ってくださいね」
紙のケースからカード一組をするりと抜いたケシンは、口上を続けながらカードをスライドさせて扇を作り、表側を横路達に示した。
「ご覧の通り、全てばらばらのカードです。ジョーカーは二枚ありますが、一枚は使わない」
ケシンは、端っこに二枚重なるジョーカーの内、一枚を抜き取ると、紙のケースの中に戻した。
五十三枚のカードの扇を閉じ、再び一つの山にしたケシンは、全体をひっくり返し、裏向きの状態で左手の平に載せた。そして七尾の方を見つめながら続ける。
「これからトランプをシャッフルします。好きなときに『ストップ』と云って、ストップを掛けてください」
「うん。分かった」
七尾が頷くと同時に、トランプを切り始めた演者。リフルシャッフルが五回ほど行われた段階で、七尾は叫んだ。「ストップ!」
「早いですねぇ。ほんとに、ここでいいのですか?」
手の動きを止めたまま、ケシンは薄く笑った。七尾は目をくりくりさせながら、
「全然、問題なしよ。僕は僕の好きなところでストップした」
と、こちらは満面の笑みをこぼす。
ケシンはトランプから右手を離すと、人差し指をぴんと伸ばし、トップのカードを押さえた。
「それでは、お嬢ちゃん。一番上のカードをめくって、数字を見えるようにして、この上に置いてください」
「みんなに見せていいんだよね?」
「はい」
それから七尾は云われた通りにした。現れたのは、ハートの3。
ケシンは「何のカードかな?」と、七尾と横路に確認をさせた。
「確かにハートの3ですよね。じゃあ、お嬢ちゃん。このカードをまたひっくり返して、元のようにしてください」
「見えないようにってこと?」
「はい」
今度も云われた通りにする。裏向きになったハートの3がカードの山の頂上に伏せられた。ケシンはもう一度、そのカードを指差した。勿体ぶった調子で尋ねてくる。
「ではお聞きします。このカードは何?」
「はぁ」
姪の隣で第三者的に見ていた横路だが、思わず声を漏らしてしまう。分かり易い道案内だったのが、突如として暗闇の狭い部屋に閉じ込められたみたいな感じだ。
「ハートの3」
七尾がとりあえずという風に答える。目つきが少し鋭くなったようだ。怪訝さを感じ取りつつ、分析を始めた様子が窺える。
「本当に、ハートの3? 変えるのなら今の内だよ」
ケシンが云った。決まり文句だ。
「変えたいけれど、残り五十二枚の何に変えたらいいのか分からないから、このままでいい」
七尾は妙な理屈を口走り、一人で頷いた。
ケシンはほんの一瞬、やりにくそうに苦笑を浮かべてから、カードを押さえていた人差し指を滑らせ、そのまま摘む形に持って行く。
「めくって、確かめてみることにしましょう」
云うや否や、えいとばかりにカードを裏返す。現れたのは、クラブのキングだった。
「あ」
横路はまたも声を漏らし、呆気に取られていた。コーヒーカップを引き寄せ、口元まで運んでから、空だと気付いた。カップを戻して、「分からないな。見事です」を連発する。
「どうもありがとう」
礼を述べ、軽く会釈したケシンは、七尾へと視線を転じた。
「……」
横路とは対照的に、彼女は黙りこくっている。問題のカードを見つめ、じっと考える横顔が見て取れた。
ケシンは嬉しげに頬を緩め、演目を続けた。
「ハートの3はどこに行ったのかというと、こうして」
云いつつ、クラブのキングを裏返し、山に重ねる。そして間を置かずに、再びめくって見せた。
次の刹那、横路はまたもや間の抜けた声を上げてしまった。
「あれっ?」
クラブのキングだったはずのカードが、ハートの3に戻っていたのだ。
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