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子どもが好きだった私が、子どもを見るだけで吐き気がするようになった
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もう何度目の通院になるだろう。
受付で診察券を出すと、慣れた手つきで看護師が番号札を渡してきた。「○○さん、今日もお疲れさまです」と笑顔を添えて。けれど、その優しさは今の私にはどこか、遠い国の言葉みたいに響く。
私は32歳。会社員。子供が好きだった。ずっと、当たり前のように、自然に授かるものだと思っていた。でも、気がつけば2年が過ぎ、ホルモン注射、タイミング法、人工授精、体外受精――気づけばもう、「普通の妊活」なんて呼べる段階じゃなくなっていた。
帰り道、公園の横を通る。ベビーカーを押す母親、すべり台で笑う子供たち。前はあんな風景が好きだった。微笑ましくて、やさしくて、眩しくて。
でも今は、違う。
「うるさいな……」
ぽつりと声が出た。自分でも驚くくらい、冷たい声だった。私の中にこんな感情があるなんて、数年前の自分には想像もできなかった。
夜、テレビをつけるとニュースが流れる。交通事故で小さな子供が亡くなったらしい。母親が泣いていた。「なぜ、あの子が」と、何度も何度も繰り返していた。
私はその顔を見ながら、無表情で口元だけが動いていた。
「ざまぁみろ」
そう思った。そう思ってしまった。私の中のどこかが、黒く腐っている。そう気づいているのに、止められない。
なぜ、子供ができる人たちがみんな幸せそうなの?
なぜ、望まない人のところに子供が来て、私のところには来ないの?
夫はやさしい人だ。責めたりはしない。「焦らなくていいよ」と言ってくれる。でもその言葉が時々、私を突き放すように感じる。焦らないでいられるのは、あなたの体じゃないからでしょ、と。
ある日、久しぶりに昔の友人と会った。高校の同級生で、今は二児の母親だ。
「最近、何してるの?」
「仕事、あと、ちょっと病院通ってて」
言葉を濁した私に、彼女はすぐに気づいたようだった。
「不妊治療とか……してるの?」
「うん」
「そっか……大変だよね。でも、きっと授かるよ!ポジティブが一番だよ!」
その「ポジティブが一番」が、今の私には最も聞きたくない言葉だった。
私は笑ってうなずいたけれど、心の中では叫んでいた。
「ポジティブでどうにかなるなら、とっくに妊娠してるよ!」
その帰り道、近所の花壇に目が留まった。チューリップが咲いている。赤、黄、白――子供が描くような色合いで。風に揺れているそれが、妙に憎たらしく見えた。
家に戻ると、またSNSで妊娠報告を見つけた。アイコンは友人の笑顔、投稿には「予定日は〇月です♡」の文字と、エコー写真。
私はスマホをそっと裏返し、テーブルの上に置いた。画面が下を向いていると、不思議と現実も伏せられたような気がする。
しばらくして、カーテンを開けた。夕暮れだった。オレンジの空が、今日一日をやさしく包もうとしている。
私はもう一度、窓の外の花壇を見た。
そこに、小さな子供がいた。2、3歳くらいの男の子。よたよた歩きながら、花に手を伸ばしている。そばには母親が立ち、「ダメよ、つんじゃ」と微笑んでいる。
私の胸が、きゅっと締めつけられた。
――あの子が、私の子だったら。
ふいに涙がこぼれた。理由もなく、次から次へと。
こんなに憎んで、妬んで、それでも、まだ私の中には「子供が欲しい」と願う私が、確かに生きている。
汚れた感情と、綺麗な願いと、両方が混ざっている。私は、そういう人間になってしまった。
でも、だからと言って、何かをやめようとは思わなかった。嫌な感情を感じるたびに、自分を嫌いになるけれど、それでも私は、それでもまだ、母になりたいと思っていた。
明日も病院に行こう。花壇の向こう側にいるあの子に、いつか手が届く日を夢見て。
受付で診察券を出すと、慣れた手つきで看護師が番号札を渡してきた。「○○さん、今日もお疲れさまです」と笑顔を添えて。けれど、その優しさは今の私にはどこか、遠い国の言葉みたいに響く。
私は32歳。会社員。子供が好きだった。ずっと、当たり前のように、自然に授かるものだと思っていた。でも、気がつけば2年が過ぎ、ホルモン注射、タイミング法、人工授精、体外受精――気づけばもう、「普通の妊活」なんて呼べる段階じゃなくなっていた。
帰り道、公園の横を通る。ベビーカーを押す母親、すべり台で笑う子供たち。前はあんな風景が好きだった。微笑ましくて、やさしくて、眩しくて。
でも今は、違う。
「うるさいな……」
ぽつりと声が出た。自分でも驚くくらい、冷たい声だった。私の中にこんな感情があるなんて、数年前の自分には想像もできなかった。
夜、テレビをつけるとニュースが流れる。交通事故で小さな子供が亡くなったらしい。母親が泣いていた。「なぜ、あの子が」と、何度も何度も繰り返していた。
私はその顔を見ながら、無表情で口元だけが動いていた。
「ざまぁみろ」
そう思った。そう思ってしまった。私の中のどこかが、黒く腐っている。そう気づいているのに、止められない。
なぜ、子供ができる人たちがみんな幸せそうなの?
なぜ、望まない人のところに子供が来て、私のところには来ないの?
夫はやさしい人だ。責めたりはしない。「焦らなくていいよ」と言ってくれる。でもその言葉が時々、私を突き放すように感じる。焦らないでいられるのは、あなたの体じゃないからでしょ、と。
ある日、久しぶりに昔の友人と会った。高校の同級生で、今は二児の母親だ。
「最近、何してるの?」
「仕事、あと、ちょっと病院通ってて」
言葉を濁した私に、彼女はすぐに気づいたようだった。
「不妊治療とか……してるの?」
「うん」
「そっか……大変だよね。でも、きっと授かるよ!ポジティブが一番だよ!」
その「ポジティブが一番」が、今の私には最も聞きたくない言葉だった。
私は笑ってうなずいたけれど、心の中では叫んでいた。
「ポジティブでどうにかなるなら、とっくに妊娠してるよ!」
その帰り道、近所の花壇に目が留まった。チューリップが咲いている。赤、黄、白――子供が描くような色合いで。風に揺れているそれが、妙に憎たらしく見えた。
家に戻ると、またSNSで妊娠報告を見つけた。アイコンは友人の笑顔、投稿には「予定日は〇月です♡」の文字と、エコー写真。
私はスマホをそっと裏返し、テーブルの上に置いた。画面が下を向いていると、不思議と現実も伏せられたような気がする。
しばらくして、カーテンを開けた。夕暮れだった。オレンジの空が、今日一日をやさしく包もうとしている。
私はもう一度、窓の外の花壇を見た。
そこに、小さな子供がいた。2、3歳くらいの男の子。よたよた歩きながら、花に手を伸ばしている。そばには母親が立ち、「ダメよ、つんじゃ」と微笑んでいる。
私の胸が、きゅっと締めつけられた。
――あの子が、私の子だったら。
ふいに涙がこぼれた。理由もなく、次から次へと。
こんなに憎んで、妬んで、それでも、まだ私の中には「子供が欲しい」と願う私が、確かに生きている。
汚れた感情と、綺麗な願いと、両方が混ざっている。私は、そういう人間になってしまった。
でも、だからと言って、何かをやめようとは思わなかった。嫌な感情を感じるたびに、自分を嫌いになるけれど、それでも私は、それでもまだ、母になりたいと思っていた。
明日も病院に行こう。花壇の向こう側にいるあの子に、いつか手が届く日を夢見て。
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