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第2話 共鳴する拒絶
しおりを挟む二度目の人生、最初の朝。
僕は鏡の前で、入念に身なりを確認した。
いつもなら丁寧に整える蜂蜜色の髪を、あえて無造作に散らして目元を隠す。アカデミーの制服の襟紐も、少し緩めに結んだ。
「よし。これなら、先輩の視界に入らないはず」
僕の作戦は単純だ。
『クライヴ・オルステッド先輩との接点を、徹底的に消すこと』。
僕と彼は、アカデミーの先輩と後輩だ。
前の人生では、薬草園の管理委員として一緒になったのをきっかけに、僕は彼の後ろをついて回るようになった。
無口で愛想のない彼だったけれど、僕の淹れるコーヒーを「悪くない」と言って飲んでくれたり、図書室で勉強を教えてくれたりもした。
そうやって少しずつ距離が縮まり、卒業後の「助手契約」、そして彼を救うための「かりそめの結婚」へと繋がっていったのだ。
でも、今になって思えば、それは僕の独りよがりだったのかもしれない。
彼は優しかったけれど、どこか一線引いていた。
僕が「役に立つ後輩」だったから側に置いてくれただけで、そこに僕が望むような『親愛』はなかったんじゃないか。
……なんて、今さら考えても仕方ないけれど。
今回はその「きっかけ」も潰しておかなければならない。
薬草園の当番は、無理を言って他の生徒に代わってもらった。
彼がよく利用する第三図書室には行かない。
彼が好んで休憩する裏庭のベンチにも近づかない。
そうすれば、ただの「顔見知りの後輩」のままで終わる。
彼はそのまま運命通りエレナ様と愛し合い、僕の持つ薬の情報を元に彼が薬を作成し、死ぬ運命だったエレナ様を救い、二人は幸せに暮らす。
それが、僕が彼に贈れる最高の結末だ。
「……おはよう、僕の愛しい旦那様。さようなら」
鏡の中の自分に向かって小さく呟き、僕は下宿のドアを開けた。
『月の雫の秘薬』の完成形――未来で彼が喉から手が出るほど欲しがるはずの知識を、今は誰にも悟られないよう、深く心の奥底に沈めて。
◇◇◇
――しかし、運命の引力というのは、皮肉なほど強力らしい。
昼休み。僕は人目を避けるようにして、旧校舎の裏手にある資材置き場の陰にいた。
ここなら、潔癖で完璧主義なクライヴ先輩が来るはずがない。
埃っぽい木箱に腰掛け、冷たくなった具を挟んだパンをかじる。
「……会いたいなぁ」
気が緩むと、つい本音がこぼれた。
十年間、ずっとあの背中を追いかけてきたのだ。急に「他人になれ」と言われても、心が追いつかない。
今頃、彼は研究室で眉間に皺を寄せているだろうか。ちゃんと食事は摂っているだろうか。
ガサリ、と近くの茂みが揺れた。
「……チッ」
不機嫌極まりない舌打ちが聞こえた。
心臓が跳ね上がる。その声の主を、僕は骨の髄まで知っているからだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには黒いローブを纏った長身の影があった。
漆黒の髪に、凍てつくような黄金の瞳。
クライヴ・オルステッド。
まだ二十二歳という若さの、僕の最愛の人。
(嘘だ、なんで……!?)
僕は息を呑んだ。
彼は今頃、中央塔の研究室にいるはずだ。こんな廃材だらけの薄汚い場所に来るなんて、記憶の中の彼にはありえない行動だった。
クライヴ先輩の視線が、僕を捕らえた。
その瞬間、彼の黄金の瞳が、驚愕に見開かれた――ように見えた。
けれど、それは瞬きの間のこと。
次の瞬間には、彼の表情は能面のように冷徹なものへと変わっていた。
「……ノア・ベルベットか」
名前を呼ばれただけで、全身が震えた。
覚えていてくれた。それが嬉しいなんて思ってしまう自分が浅ましい。
「あ……ク、クライヴ先輩。お疲れ様です」
慌てて立ち上がり、反射的に挨拶をする。
いつもなら、ここで「コーヒーでも飲みますか?」と聞くところだ。でも、今の僕はそれを言ってはいけない。
僕は逃げるように視線を逸らした。
「す、すみません。ここが先輩の休憩場所だとは知らなくて。すぐ失礼します」
「……待ちたまえ」
低い声が、僕の足を縫い止めた。
振り返ると、クライヴ先輩は苦虫を噛み潰したような顔で僕を見ていた。
その瞳には、僕が知っている「信頼」や「友情」の色は微塵もない。あるのは、明らかな不快感と、苛立ちだけだ。
「ここで何をしている」
「え、あ、その……一人になりたくて」
「一人に?」
彼は鼻で笑った。その笑みが、ひどく冷たく、嘲るようだったから、僕はぎくりとした。
「お前が一人を好むとは初耳だな。いつも金魚の糞のように、俺の後ろをついて回っていたくせに」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
金魚の糞。
そんなふうに、思われていたのか?
僕が必死についていったあの時間を?
「……っ」
「今日は薬草園に来なかったな。当番をサボるとは感心しない」
言葉の端々に棘がある。
前の人生の彼は、無愛想ではあっても、こんな露骨な悪意を向ける人ではなかったはずだ。
どうして? 何か僕、怒らせるようなことをしただろうか。
いや、そうじゃない。これが「本来の彼」なのかもしれない。
僕が勝手に「仲が良い」と思っていただけで、本当はずっと鬱陶しかったんだ。
僕が役に立つから、我慢してそばに置いてくれていただけなんだ。
「も、申し訳ありません……当番は代わってもらいました。これからは、もう先輩のお邪魔はしませんので……」
涙がこぼれそうになるのを必死で堪えて、僕は頭を下げた。
そうだ、これでいい。接触を断つなら、嫌われるのが一番手っ取り早い。
顔を見られたくなくて、俯いたまま後ずさる。
「では、失礼しま――あっ」
焦った足が、放置されていた古い木材に引っかかった。
バランスを崩し、背中から瓦礫の山へ倒れ込む。
尖った木片が見えた。痛みを覚悟して、目を閉じた。
――しかし。
いつまで経っても、痛みは訪れなかった。
代わりに感じたのは、ふわりと体が宙に浮くような浮遊感。
「……相変わらず、不注意すぎる」
すぐ近くで、声がした。
目を開けると、僕は地面スレスレのところで静止していた。
見えない力――『重力魔法』だ。
クライヴ先輩が指先一つ動かさず、僕の転倒を防いでくれたのだ。
懐かしい魔力の感覚。
実験中、僕が薬品をこぼしそうになると、いつもこうして魔法で助けてくれた。
その優しさに触れてしまえば、僕の決意なんて簡単に揺らいでしまう。
やっぱり、先輩は優しい。口ではきついことを言っても、本当は――。
「あ、ありがとうございま……」
淡い期待を込めて顔を上げた、その時だった。
ドサッ!!
唐突に魔法が解かれ、僕は無様に尻餅をついた。
「いっ……!?」
「勘違いするな」
見上げると、クライヴ先輩は僕から視線を逸らし、氷点下の声で言い放った。
「怪我でもされて、教師に騒がれても迷惑だ。……さっさと行け」
「は、はい……!」
「それと」
立ち上がって逃げようとした僕の背中に、彼はとどめを刺すように告げた。
「二度と俺の視界に入るな。……お前のような、他力本願でうろちょろしているだけの奴を見ると、虫唾が走る」
ガン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
虫唾が走る。
はっきりと、そう言われた。
そこには、一欠片の情けも、迷いも感じられなかった。
(ああ……そうか。僕、嫌われてたんだ)
ズキズキと痛む心とは裏腹に、妙に冷めた納得があった。
そうだよね。
優秀な先輩にとって、僕みたいな凡才の後輩なんて、ただの邪魔者でしかなかったんだ。
前の人生で結婚してくれたのも、ただの「便利な盾」だったから。
僕が死んで、彼は清々したのかもしれない。
僕の十年間の片想いは、最初から最後まで、ただの迷惑行為だったのだ。
「……承知いたしました」
僕は震える声で答えた。喉の奥が熱くて、言葉がうまく出てこない。
「今までご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。……お元気で、クライヴ先輩」
僕は逃げるようにその場を去った。
背中に突き刺さる彼の視線が、まるで汚いものを見るような冷たさを帯びている気がして、僕は一度も振り返ることができなかった。
◇◇◇
下宿に戻った僕は、ベッドに突っ伏していた。
クライヴ先輩の冷たい言葉が、呪いのように頭の中で反響している。
『金魚の糞』
『虫唾が走る』
「……はは、ひどいなぁ」
乾いた笑いが漏れる。
涙で枕が濡れていく。
接触を断つ作戦は大成功だ。これでもう、彼が僕に関わることは二度とないだろう。
彼は僕の自己満足から解放されて、喜んでいるはず。よかったのだ。これで全てが。
でも。
心に空いた穴があまりにも大きすぎて、呼吸をするのさえ苦しい。
僕が愛していたあの優しい旦那様は、僕の記憶の中にしかいない幻想だったのだろうか。
ふと、懐のポケットに入っている羊皮紙のメモに手が触れた。
そこには、いつか彼に渡すつもりで断片的に書き留めた、薬の思考録が走り書きしてある。
完成形のレシピではない。ただのメモだ。
「……こんなの、渡せないよ」
こんなに嫌われている僕が渡しても、彼はきっと見向きもしないだろう。
「他力本願な奴の戯言」だと、捨てられるのがオチだ。
僕にできることは、もう何もないのかもしれない。
ただ遠くから、彼が幸せになるのを祈り、見守るだけ。
たとえ彼が、僕のことを「大嫌いな後輩」として記憶していたとしても。
それでも僕は、幸せな時間をくれた彼に幸せになってもらいたい。
メモを机の引き出しの奥深くにしまい込んだ。
窓の外では、冷たい雨が降り始めていた。
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