2 / 8
第2話 共鳴する拒絶
しおりを挟む二度目の人生、最初の朝。
僕は鏡の前で、入念に身なりを確認した。
いつもなら丁寧に整える蜂蜜色の髪を、あえて無造作に散らして目元を隠す。アカデミーの制服の襟紐も、少し緩めに結んだ。
「よし。これなら、先輩の視界に入らないはず」
僕の作戦は単純だ。
『クライヴ・オルステッド先輩との接点を、徹底的に消すこと』。
僕と彼は、アカデミーの先輩と後輩だ。
前の人生では、薬草園の管理委員として一緒になったのをきっかけに、僕は彼の後ろをついて回るようになった。
無口で愛想のない彼だったけれど、僕の淹れるコーヒーを「悪くない」と言って飲んでくれたり、図書室で勉強を教えてくれたりもした。
そうやって少しずつ距離が縮まり、卒業後の「助手契約」、そして彼を救うための「かりそめの結婚」へと繋がっていったのだ。
でも、今になって思えば、それは僕の独りよがりだったのかもしれない。
彼は優しかったけれど、どこか一線引いていた。
僕が「役に立つ後輩」だったから側に置いてくれただけで、そこに僕が望むような『親愛』はなかったんじゃないか。
……なんて、今さら考えても仕方ないけれど。
今回はその「きっかけ」も潰しておかなければならない。
薬草園の当番は、無理を言って他の生徒に代わってもらった。
彼がよく利用する第三図書室には行かない。
彼が好んで休憩する裏庭のベンチにも近づかない。
そうすれば、ただの「顔見知りの後輩」のままで終わる。
彼はそのまま運命通りエレナ様と愛し合い、僕の持つ薬の情報を元に彼が薬を作成し、死ぬ運命だったエレナ様を救い、二人は幸せに暮らす。
それが、僕が彼に贈れる最高の結末だ。
「……おはよう、僕の愛しい旦那様。さようなら」
鏡の中の自分に向かって小さく呟き、僕は下宿のドアを開けた。
『月の雫の秘薬』の完成形――未来で彼が喉から手が出るほど欲しがるはずの知識を、今は誰にも悟られないよう、深く心の奥底に沈めて。
◇◇◇
――しかし、運命の引力というのは、皮肉なほど強力らしい。
昼休み。僕は人目を避けるようにして、旧校舎の裏手にある資材置き場の陰にいた。
ここなら、潔癖で完璧主義なクライヴ先輩が来るはずがない。
埃っぽい木箱に腰掛け、冷たくなった具を挟んだパンをかじる。
「……会いたいなぁ」
気が緩むと、つい本音がこぼれた。
十年間、ずっとあの背中を追いかけてきたのだ。急に「他人になれ」と言われても、心が追いつかない。
今頃、彼は研究室で眉間に皺を寄せているだろうか。ちゃんと食事は摂っているだろうか。
ガサリ、と近くの茂みが揺れた。
「……チッ」
不機嫌極まりない舌打ちが聞こえた。
心臓が跳ね上がる。その声の主を、僕は骨の髄まで知っているからだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには黒いローブを纏った長身の影があった。
漆黒の髪に、凍てつくような黄金の瞳。
クライヴ・オルステッド。
まだ二十二歳という若さの、僕の最愛の人。
(嘘だ、なんで……!?)
僕は息を呑んだ。
彼は今頃、中央塔の研究室にいるはずだ。こんな廃材だらけの薄汚い場所に来るなんて、記憶の中の彼にはありえない行動だった。
クライヴ先輩の視線が、僕を捕らえた。
その瞬間、彼の黄金の瞳が、驚愕に見開かれた――ように見えた。
けれど、それは瞬きの間のこと。
次の瞬間には、彼の表情は能面のように冷徹なものへと変わっていた。
「……ノア・ベルベットか」
名前を呼ばれただけで、全身が震えた。
覚えていてくれた。それが嬉しいなんて思ってしまう自分が浅ましい。
「あ……ク、クライヴ先輩。お疲れ様です」
慌てて立ち上がり、反射的に挨拶をする。
いつもなら、ここで「コーヒーでも飲みますか?」と聞くところだ。でも、今の僕はそれを言ってはいけない。
僕は逃げるように視線を逸らした。
「す、すみません。ここが先輩の休憩場所だとは知らなくて。すぐ失礼します」
「……待ちたまえ」
低い声が、僕の足を縫い止めた。
振り返ると、クライヴ先輩は苦虫を噛み潰したような顔で僕を見ていた。
その瞳には、僕が知っている「信頼」や「友情」の色は微塵もない。あるのは、明らかな不快感と、苛立ちだけだ。
「ここで何をしている」
「え、あ、その……一人になりたくて」
「一人に?」
彼は鼻で笑った。その笑みが、ひどく冷たく、嘲るようだったから、僕はぎくりとした。
「お前が一人を好むとは初耳だな。いつも金魚の糞のように、俺の後ろをついて回っていたくせに」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
金魚の糞。
そんなふうに、思われていたのか?
僕が必死についていったあの時間を?
「……っ」
「今日は薬草園に来なかったな。当番をサボるとは感心しない」
言葉の端々に棘がある。
前の人生の彼は、無愛想ではあっても、こんな露骨な悪意を向ける人ではなかったはずだ。
どうして? 何か僕、怒らせるようなことをしただろうか。
いや、そうじゃない。これが「本来の彼」なのかもしれない。
僕が勝手に「仲が良い」と思っていただけで、本当はずっと鬱陶しかったんだ。
僕が役に立つから、我慢してそばに置いてくれていただけなんだ。
「も、申し訳ありません……当番は代わってもらいました。これからは、もう先輩のお邪魔はしませんので……」
涙がこぼれそうになるのを必死で堪えて、僕は頭を下げた。
そうだ、これでいい。接触を断つなら、嫌われるのが一番手っ取り早い。
顔を見られたくなくて、俯いたまま後ずさる。
「では、失礼しま――あっ」
焦った足が、放置されていた古い木材に引っかかった。
バランスを崩し、背中から瓦礫の山へ倒れ込む。
尖った木片が見えた。痛みを覚悟して、目を閉じた。
――しかし。
いつまで経っても、痛みは訪れなかった。
代わりに感じたのは、ふわりと体が宙に浮くような浮遊感。
「……相変わらず、不注意すぎる」
すぐ近くで、声がした。
目を開けると、僕は地面スレスレのところで静止していた。
見えない力――『重力魔法』だ。
クライヴ先輩が指先一つ動かさず、僕の転倒を防いでくれたのだ。
懐かしい魔力の感覚。
実験中、僕が薬品をこぼしそうになると、いつもこうして魔法で助けてくれた。
その優しさに触れてしまえば、僕の決意なんて簡単に揺らいでしまう。
やっぱり、先輩は優しい。口ではきついことを言っても、本当は――。
「あ、ありがとうございま……」
淡い期待を込めて顔を上げた、その時だった。
ドサッ!!
唐突に魔法が解かれ、僕は無様に尻餅をついた。
「いっ……!?」
「勘違いするな」
見上げると、クライヴ先輩は僕から視線を逸らし、氷点下の声で言い放った。
「怪我でもされて、教師に騒がれても迷惑だ。……さっさと行け」
「は、はい……!」
「それと」
立ち上がって逃げようとした僕の背中に、彼はとどめを刺すように告げた。
「二度と俺の視界に入るな。……お前のような、他力本願でうろちょろしているだけの奴を見ると、虫唾が走る」
ガン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
虫唾が走る。
はっきりと、そう言われた。
そこには、一欠片の情けも、迷いも感じられなかった。
(ああ……そうか。僕、嫌われてたんだ)
ズキズキと痛む心とは裏腹に、妙に冷めた納得があった。
そうだよね。
優秀な先輩にとって、僕みたいな凡才の後輩なんて、ただの邪魔者でしかなかったんだ。
前の人生で結婚してくれたのも、ただの「便利な盾」だったから。
僕が死んで、彼は清々したのかもしれない。
僕の十年間の片想いは、最初から最後まで、ただの迷惑行為だったのだ。
「……承知いたしました」
僕は震える声で答えた。喉の奥が熱くて、言葉がうまく出てこない。
「今までご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。……お元気で、クライヴ先輩」
僕は逃げるようにその場を去った。
背中に突き刺さる彼の視線が、まるで汚いものを見るような冷たさを帯びている気がして、僕は一度も振り返ることができなかった。
◇◇◇
下宿に戻った僕は、ベッドに突っ伏していた。
クライヴ先輩の冷たい言葉が、呪いのように頭の中で反響している。
『金魚の糞』
『虫唾が走る』
「……はは、ひどいなぁ」
乾いた笑いが漏れる。
涙で枕が濡れていく。
接触を断つ作戦は大成功だ。これでもう、彼が僕に関わることは二度とないだろう。
彼は僕の自己満足から解放されて、喜んでいるはず。よかったのだ。これで全てが。
でも。
心に空いた穴があまりにも大きすぎて、呼吸をするのさえ苦しい。
僕が愛していたあの優しい旦那様は、僕の記憶の中にしかいない幻想だったのだろうか。
ふと、懐のポケットに入っている羊皮紙のメモに手が触れた。
そこには、いつか彼に渡すつもりで断片的に書き留めた、薬の思考録が走り書きしてある。
完成形のレシピではない。ただのメモだ。
「……こんなの、渡せないよ」
こんなに嫌われている僕が渡しても、彼はきっと見向きもしないだろう。
「他力本願な奴の戯言」だと、捨てられるのがオチだ。
僕にできることは、もう何もないのかもしれない。
ただ遠くから、彼が幸せになるのを祈り、見守るだけ。
たとえ彼が、僕のことを「大嫌いな後輩」として記憶していたとしても。
それでも僕は、幸せな時間をくれた彼に幸せになってもらいたい。
メモを机の引き出しの奥深くにしまい込んだ。
窓の外では、冷たい雨が降り始めていた。
82
あなたにおすすめの小説
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
僕は今日、謳う
ゆい
BL
紅葉と海を観に行きたいと、僕は彼に我儘を言った。
彼はこのクリスマスに彼女と結婚する。
彼との最後の思い出が欲しかったから。
彼は少し困り顔をしながらも、付き合ってくれた。
本当にありがとう。親友として、男として、一人の人間として、本当に愛しているよ。
終始セリフばかりです。
話中の曲は、globe 『Wanderin' Destiny』です。
名前が出てこない短編part4です。
誤字脱字がないか確認はしておりますが、ありましたら報告をいただけたら嬉しいです。
途中手直しついでに加筆もするかもです。
感想もお待ちしています。
片付けしていたら、昔懐かしの3.5㌅FDが出てきまして。内容を確認したら、若かりし頃の黒歴史が!
あらすじ自体は悪くはないと思ったので、大幅に修正して投稿しました。
私の黒歴史供養のために、お付き合いくださいませ。
【8話完結】勇者召喚の魔法使いに選ばれた俺は、勇者が嫌い。
キノア9g
BL
勇者召喚の犠牲となった家族——
魔法使いだった両親を失い、憎しみに染まった少年は、人を疑いながら生きてきた。
そんな彼が、魔法使いとして勇者召喚の儀に参加させられることになる。
召喚の儀——それは、多くの魔法使いの命を消費する狂気の儀式。
瀕死になりながら迎えた召喚の瞬間、現れたのは——スーツ姿の日本人だった。
勇者を嫌わなければならない。
それなのに、彼の孤独に共感し、手を差し伸べてしまう。
許されない関係。揺れる想い。
憎しみと運命の狭間で、二人は何を選ぶのか——。
「だけど俺は勇者が嫌いだ。嫌いでなければならない。」
運命に翻弄される勇者と魔法使いの、切ない恋の物語。
全8話。2025/07/28加筆修正済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる