【8話完結】あなたの瞳に映るのは、僕じゃなくていい。〜死に戻り薬師は、元旦那様の恋を応援する〜

キノア9g

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第2話 共鳴する拒絶

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 二度目の人生、最初の朝。
 僕は鏡の前で、入念に身なりを確認した。
 いつもなら丁寧に整える蜂蜜色の髪を、あえて無造作に散らして目元を隠す。アカデミーの制服の襟紐も、少し緩めに結んだ。

「よし。これなら、先輩の視界に入らないはず」

 僕の作戦は単純だ。
 『クライヴ・オルステッド先輩との接点を、徹底的に消すこと』。

 僕と彼は、アカデミーの先輩と後輩だ。
 前の人生では、薬草園の管理委員として一緒になったのをきっかけに、僕は彼の後ろをついて回るようになった。
 無口で愛想のない彼だったけれど、僕の淹れるコーヒーを「悪くない」と言って飲んでくれたり、図書室で勉強を教えてくれたりもした。
 そうやって少しずつ距離が縮まり、卒業後の「助手契約」、そして彼を救うための「かりそめの結婚」へと繋がっていったのだ。

 でも、今になって思えば、それは僕の独りよがりだったのかもしれない。
 彼は優しかったけれど、どこか一線引いていた。
 僕が「役に立つ後輩」だったから側に置いてくれただけで、そこに僕が望むような『親愛』はなかったんじゃないか。
 ……なんて、今さら考えても仕方ないけれど。
 今回はその「きっかけ」も潰しておかなければならない。
 薬草園の当番は、無理を言って他の生徒に代わってもらった。
 彼がよく利用する第三図書室には行かない。
 彼が好んで休憩する裏庭のベンチにも近づかない。
 そうすれば、ただの「顔見知りの後輩」のままで終わる。

 彼はそのまま運命通りエレナ様と愛し合い、僕の持つ薬の情報を元に彼が薬を作成し、死ぬ運命だったエレナ様を救い、二人は幸せに暮らす。

 それが、僕が彼に贈れる最高の結末だ。

「……おはよう、僕の愛しい旦那様。さようなら」

 鏡の中の自分に向かって小さく呟き、僕は下宿のドアを開けた。
 『月の雫の秘薬』の完成形――未来で彼が喉から手が出るほど欲しがるはずの知識を、今は誰にも悟られないよう、深く心の奥底に沈めて。


 ◇◇◇

 ――しかし、運命の引力というのは、皮肉なほど強力らしい。
 昼休み。僕は人目を避けるようにして、旧校舎の裏手にある資材置き場の陰にいた。
 ここなら、潔癖で完璧主義なクライヴ先輩が来るはずがない。
 埃っぽい木箱に腰掛け、冷たくなった具を挟んだパンをかじる。

「……会いたいなぁ」

 気が緩むと、つい本音がこぼれた。
 十年間、ずっとあの背中を追いかけてきたのだ。急に「他人になれ」と言われても、心が追いつかない。
 今頃、彼は研究室で眉間に皺を寄せているだろうか。ちゃんと食事は摂っているだろうか。

 ガサリ、と近くの茂みが揺れた。

「……チッ」

 不機嫌極まりない舌打ちが聞こえた。
 心臓が跳ね上がる。その声の主を、僕は骨の髄まで知っているからだ。
 恐る恐る顔を上げると、そこには黒いローブを纏った長身の影があった。

 漆黒の髪に、凍てつくような黄金の瞳。
 クライヴ・オルステッド。
 まだ二十二歳という若さの、僕の最愛の人。

(嘘だ、なんで……!?)

 僕は息を呑んだ。
 彼は今頃、中央塔の研究室にいるはずだ。こんな廃材だらけの薄汚い場所に来るなんて、記憶の中の彼にはありえない行動だった。

 クライヴ先輩の視線が、僕を捕らえた。
 その瞬間、彼の黄金の瞳が、驚愕に見開かれた――ように見えた。
 けれど、それは瞬きの間のこと。
 次の瞬間には、彼の表情は能面のように冷徹なものへと変わっていた。

「……ノア・ベルベットか」

 名前を呼ばれただけで、全身が震えた。
 覚えていてくれた。それが嬉しいなんて思ってしまう自分が浅ましい。

「あ……ク、クライヴ先輩。お疲れ様です」

 慌てて立ち上がり、反射的に挨拶をする。
 いつもなら、ここで「コーヒーでも飲みますか?」と聞くところだ。でも、今の僕はそれを言ってはいけない。
 僕は逃げるように視線を逸らした。

「す、すみません。ここが先輩の休憩場所だとは知らなくて。すぐ失礼します」
「……待ちたまえ」

 低い声が、僕の足を縫い止めた。
 振り返ると、クライヴ先輩は苦虫を噛み潰したような顔で僕を見ていた。
 その瞳には、僕が知っている「信頼」や「友情」の色は微塵もない。あるのは、明らかな不快感と、苛立ちだけだ。

「ここで何をしている」
「え、あ、その……一人になりたくて」
「一人に?」

 彼は鼻で笑った。その笑みが、ひどく冷たく、嘲るようだったから、僕はぎくりとした。

「お前が一人を好むとは初耳だな。いつも金魚の糞のように、俺の後ろをついて回っていたくせに」

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
 金魚の糞。
 そんなふうに、思われていたのか?
 僕が必死についていったあの時間を?

「……っ」
「今日は薬草園に来なかったな。当番をサボるとは感心しない」

 言葉の端々に棘がある。
 前の人生の彼は、無愛想ではあっても、こんな露骨な悪意を向ける人ではなかったはずだ。
 どうして? 何か僕、怒らせるようなことをしただろうか。
 いや、そうじゃない。これが「本来の彼」なのかもしれない。
 僕が勝手に「仲が良い」と思っていただけで、本当はずっと鬱陶しかったんだ。
 僕が役に立つから、我慢してそばに置いてくれていただけなんだ。

「も、申し訳ありません……当番は代わってもらいました。これからは、もう先輩のお邪魔はしませんので……」

 涙がこぼれそうになるのを必死で堪えて、僕は頭を下げた。
 そうだ、これでいい。接触を断つなら、嫌われるのが一番手っ取り早い。
 顔を見られたくなくて、俯いたまま後ずさる。

「では、失礼しま――あっ」

 焦った足が、放置されていた古い木材に引っかかった。
 バランスを崩し、背中から瓦礫の山へ倒れ込む。
 尖った木片が見えた。痛みを覚悟して、目を閉じた。
 
 ――しかし。

 いつまで経っても、痛みは訪れなかった。
 代わりに感じたのは、ふわりと体が宙に浮くような浮遊感。

「……相変わらず、不注意すぎる」

 すぐ近くで、声がした。
 目を開けると、僕は地面スレスレのところで静止していた。
 見えない力――『重力魔法』だ。
 クライヴ先輩が指先一つ動かさず、僕の転倒を防いでくれたのだ。

 懐かしい魔力の感覚。
 実験中、僕が薬品をこぼしそうになると、いつもこうして魔法で助けてくれた。
 その優しさに触れてしまえば、僕の決意なんて簡単に揺らいでしまう。
 やっぱり、先輩は優しい。口ではきついことを言っても、本当は――。

「あ、ありがとうございま……」

 淡い期待を込めて顔を上げた、その時だった。

 ドサッ!!

 唐突に魔法が解かれ、僕は無様に尻餅をついた。

「いっ……!?」
「勘違いするな」

 見上げると、クライヴ先輩は僕から視線を逸らし、氷点下の声で言い放った。

「怪我でもされて、教師に騒がれても迷惑だ。……さっさと行け」
「は、はい……!」
「それと」

 立ち上がって逃げようとした僕の背中に、彼はとどめを刺すように告げた。

「二度と俺の視界に入るな。……お前のような、他力本願でうろちょろしているだけの奴を見ると、虫唾が走る」

 ガン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
 虫唾が走る。
 はっきりと、そう言われた。
 そこには、一欠片の情けも、迷いも感じられなかった。

(ああ……そうか。僕、嫌われてたんだ)

 ズキズキと痛む心とは裏腹に、妙に冷めた納得があった。
 
 そうだよね。
 優秀な先輩にとって、僕みたいな凡才の後輩なんて、ただの邪魔者でしかなかったんだ。
 前の人生で結婚してくれたのも、ただの「便利な盾」だったから。
 僕が死んで、彼は清々したのかもしれない。

 僕の十年間の片想いは、最初から最後まで、ただの迷惑行為だったのだ。

「……承知いたしました」

 僕は震える声で答えた。喉の奥が熱くて、言葉がうまく出てこない。

「今までご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。……お元気で、クライヴ先輩」

 僕は逃げるようにその場を去った。
 背中に突き刺さる彼の視線が、まるで汚いものを見るような冷たさを帯びている気がして、僕は一度も振り返ることができなかった。


 ◇◇◇

 下宿に戻った僕は、ベッドに突っ伏していた。
 クライヴ先輩の冷たい言葉が、呪いのように頭の中で反響している。

『金魚の糞』
『虫唾が走る』

「……はは、ひどいなぁ」

 乾いた笑いが漏れる。
 涙で枕が濡れていく。
 接触を断つ作戦は大成功だ。これでもう、彼が僕に関わることは二度とないだろう。
 彼は僕の自己満足から解放されて、喜んでいるはず。よかったのだ。これで全てが。

 でも。
 心に空いた穴があまりにも大きすぎて、呼吸をするのさえ苦しい。
 僕が愛していたあの優しい旦那様は、僕の記憶の中にしかいない幻想だったのだろうか。

 ふと、懐のポケットに入っている羊皮紙のメモに手が触れた。
 そこには、いつか彼に渡すつもりで断片的に書き留めた、薬の思考録が走り書きしてある。
 完成形のレシピではない。ただのメモだ。

「……こんなの、渡せないよ」

 こんなに嫌われている僕が渡しても、彼はきっと見向きもしないだろう。
 「他力本願な奴の戯言」だと、捨てられるのがオチだ。
 
 僕にできることは、もう何もないのかもしれない。
 ただ遠くから、彼が幸せになるのを祈り、見守るだけ。
 たとえ彼が、僕のことを「大嫌いな後輩」として記憶していたとしても。
 それでも僕は、幸せな時間をくれた彼に幸せになってもらいたい。

 メモを机の引き出しの奥深くにしまい込んだ。
 窓の外では、冷たい雨が降り始めていた。
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