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4話:世話を焼くだけだったはずなのに
しおりを挟むレオンの誤解は、一向に解ける気配がなかった。
むしろ、日を追うごとに確信を強めているようにすら見える。
今日も俺の横を当然のように歩き、些細なことまで気にかけてくる。
まるで”婚約者”としての責任を果たすかのように。
教室の廊下を歩きながら、俺は隣を歩くレオンの横顔を盗み見た。相変わらず整った顔立ちだが、どこか責任感に満ちた表情を浮かべている。まるで大切な任務を遂行しているかのように。
(……責任ってなんだよ)
はっきり言おう。俺は困惑している。
昨日の昼休み、桐谷から事情を聞いたときは「レオンにちゃんと説明して誤解を解くしかない」と思った。
だが、その肝心の機会が、全く訪れない。
理由は簡単だった。
レオンが、俺に一切の隙を与えないからだ。
◇◇◇
「直哉、そろそろ昼にするか」
昼休み。
レオンは、当然のように俺の机の前に立ち、俺の隣の席を引いた。
周りの生徒たちがざわめく中、俺は苦笑いを浮かべながら教科書を片付けた。レオンの行動は既に日常の一部になりつつあり、クラスメイトたちも慣れた様子で見守っている。
「お前の分も用意してきたぞ」
そう言って取り出されたのは、やたら手の込んだ弁当だった。
どうやら朝から作ってきたらしい。
三段重ねの弁当箱は、まるで料亭の仕出し弁当のように美しく盛り付けられていた。彩り豊かな野菜の煮物から、きれいに切り分けられた卵焼きまで、明らかに相当な時間をかけて作られたものだ。
「いや、なんで俺の分まであるんだよ……」
「婚約者の食事を用意するのは当然のことだろう」
「だから、それが誤解――」
そう言いかけた瞬間、レオンが俺の弁当をじっと見た。
俺の弁当は、母親が適当に詰めてくれた冷凍食品中心の簡素なものだった。レオンの手作り弁当と並べると、その差は歴然としている。
「……その揚げ物、昨日も食べていたな」
「え?」
「栄養が偏る。明日からは、俺が全て作る」
「いや、待て!?」
どうしてそうなる!!?
思わず叫びそうになる俺をよそに、レオンは「それが良いな」と勝手に結論を出していた。
レオンは俺の弁当箱の蓋を閉めると、自分の弁当を俺の前に押し出した。その動作は実に自然で、まるで長年連れ添った夫婦のようだった。
「お前は何も心配しなくていい。俺が毎朝準備するから」
「心配しかしないわ!!」
訂正する間もなく、話がどんどん進んでいく。
もうすでに「婚約者として食事を用意する」のが既定事項になっている。
周りの生徒たちは、俺たちのやり取りを興味深そうに見つめていた。特に女子生徒たちは、レオンの献身的な態度に感嘆のため息を漏らしている。
(ダメだ、話が通じねえ……!!)
◇◇◇
放課後。
俺はぐったりと机に突っ伏していた。
夕日が教室の窓から差し込み、静かになった教室に長い影を落としている。他の生徒たちは既に帰宅の準備を済ませ、部活動に向かったり、友達と連れ立って帰路についていた。
「……桐谷」
「おう……」
桐谷は自分の席で、俺と同じように机に突っ伏していた。どうやら俺の苦悩を我が事のように感じているらしい。
「……どうしてこうなった」
「……ほんとにな……」
桐谷も、もはや同情の目を向けてくる。
お前のせいだと言いたい気持ちは山ほどあるが、俺の心はもう疲れ切っていた。
机の上には、レオンが用意してくれた弁当の空き箱が置かれている。結局、全部食べてしまった。味は確かに美味しかったが、それがまた複雑な気持ちにさせる。
(……どうしたら誤解が解けるんだ?)
思わずため息をついて、俺は立ち上がった。
「帰るわ……」
「あ、待て、レオンは?」
「今日は先に帰ったみたいだし」
珍しいこともあるもんだ、と思いながら廊下を歩く。
考え事をしながら歩いていたせいで、足元の段差に気づくのが遅れた。
校舎の古い階段は、長年の使用で段差が微妙に削れている。普段なら何気なく通り過ぎる場所だが、今日は心ここにあらずの状態だった。
「あっ……」
バランスを崩す。
次の瞬間、強い腕が俺の体を支えた。
「……!!?」
ふわりと体が浮く。
気づいた時には、俺は誰かの腕の中に抱き上げられていた。
制服の胸元が目の前にあり、彼の体温と石鹸の香りが鼻先をくすぐった。彼の腕は思っていたよりも筋肉質で、俺の体重を軽々と支えている。
「……大丈夫か?」
耳元で、落ち着いた低い声が響く。
目の前にいたのは――レオンだった。
間近で見るレオンの顔は、いつもの冷静さの中に安堵の表情を浮かべていた。長い睫毛が夕日に照らされて、思わず見とれてしまいそうになる。
「俺の伴侶に怪我をさせるわけにはいかないからな」
あまりに自然に言われて、思考が一瞬止まる。
「お、おまっ……」
「危なかったな」
レオンは、俺の体をしっかり支えたまま、ふっと息を吐く。
その顔は、心の底から安堵しているように見えた。
俺を抱きかかえたまま、レオンは階段の上り口まで歩いた。彼の足取りは安定しており、俺の体重など全く気にしていない様子だった。
(……なんだ、これ)
心臓が、やけにうるさい。
「……お、おろせ!!」
慌てて言うと、レオンは少し驚いたような顔をしてから、すぐに俺を下ろした。
足が地面に着くと、急に冷たい空気が体を包んだ。さっきまでのレオンの体温が恋しくなるような、不思議な感覚だった。
「すまない。驚かせたか?」
「そ、そういう問題じゃなくて!!!」
俺は顔を逸らして、無駄に早足でその場を離れた。
背後からレオンが「気をつけろよ」と言う声が聞こえたが、今は振り返れなかった。
夕暮れの校舎を急ぎ足で歩きながら、俺の心は混乱していた。レオンの腕の中で感じた安心感、彼の真剣な表情、そして自分の心臓の異常な鼓動。
(……なんだ、あの腕の中の安心感)
胸の奥が、ざわつく。
確かに、これまで家族からもそんなに気にかけられたことはなかった。
怪我をしても「気をつけなさいよ」と言われるくらいで、特別甘やかされた記憶もない。
だからかもしれない。
レオンの言葉が、妙に心に引っかかった。
「お前に何かあれば、すぐに助ける」
その誠実さが、俺を守ろうとする強い意志が、頭から離れなくなる。
家に帰る道すがら、俺は何度も振り返った。レオンの姿はもう見えなかったが、彼の温もりはまだ体に残っているような気がした。
◇◇◇
翌日から、俺はレオンの行動が妙に気になるようになった。
朝のホームルーム前、レオンは約束通り手作りの弁当を持参していた。今日は和風の弁当らしく、出汁の良い香りが教室に漂っている。クラスメイトたちも、その香りに気づいて振り返った。
「おはよう、直哉」
「あ、ああ……おはよう」
レオンは俺の机に弁当を置くと、いつものように隣の席に腰掛けた。その一連の動作は、もう完全に日常の一部として定着している。
俺は、昨日の出来事を思い出しながら、レオンの横顔を見つめた。
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