「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第5話:すれ違いの答え合わせ

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「よし、完治!」

 医師の診断を受け、足首の包帯が外された瞬間、俺は歓喜の声を上げた。
 長かった。本当に長かった。
 一ヶ月に及ぶ軟禁……もとい、至れり尽くせりの療養生活。
 旦那様による過剰なまでのお世話と、美味しい食事、そして無限に出てくるおやつのおかげで、俺の体重は少し増え、肌はツヤツヤになり、完全に「愛されボディ(運動不足)」が完成してしまった。

「今日からリハビリを兼ねて、少し歩いてもいいそうですよ」
「ありがとうございます先生! いやー、やっとシャバの空気が吸える!」

 俺がベッドから飛び降りて屈伸運動をしていると、傍らで腕を組んで立っていたオルドリン様が、どこか複雑そうな顔をしていた。

「……そうか。治ったか」
「はい! 旦那様のおかげです。看病、ありがとうございました」
「……いや。私はただ、座っていただけだ」

 彼はふい、と視線を逸らした。
 その背中が、なんだか少し寂しそうに見えるのは気のせいだろうか?
 いや、気のせいだ。
 この一ヶ月、彼は仕事をセーブしてまで俺の部屋に張り付いていたのだ。
 毎晩、俺が作った枕のバリケードの向こう側で、窮屈そうに寝ていた彼にとっても、これは解放のはずだ。

「じゃあ俺、さっそく着替えてきますね!」
「……どこへ行くつもりだ?」

 部屋を出ようとした俺の背中に、低く、硬い声が投げかけられた。
 振り返ると、オルドリン様が眉間に深い皺を寄せてこちらを睨んで……いや、見つめていた。

「え? どこって、ギルドに顔を出そうかと。一ヶ月も休んじゃいましたし、ルークが死んだと思われてたら困るんで」
「……また、行くのか」
「へ?」
「足が治った途端、また君は……外へ行ってしまうのか」

 その声のトーンが、あまりにも暗く、そして沈んでいたので、俺はギョッとした。
 怒っているのではない。
 まるで、せっかく懐いたと思った野良猫に逃げられそうになった飼い主のような、悲壮感が漂っているのだ。

「あの、旦那様?」
「……分かっている。君をこの部屋に閉じ込めておく権利など、私にはないことは」

 オルドリン様は溜息をつき、デスクの上の書類に視線を落とした。けれど、その目は文字を追っていないようだ。

「退屈だっただろう。私のような面白味のない男と、一日中顔を突き合わせて……。君が外の世界に惹かれるのも無理はない」
「はあ?」

 俺は間の抜けた声を出した。
 え、何この超絶ネガティブ。
 何言ってるんだ、このハイスペックイケメンは。

「いやいや、退屈なんてしてませんよ? お菓子美味しかったですし、本も面白かったし。あーん、も……まあ、楽でしたし」
「だが、君はすぐに出て行こうとする」

 彼は顔を上げ、眼鏡の奥の瞳で、切なげに俺を射抜いた。

「君にとって、この家は……私の隣は、そんなに居心地が悪いのか?」

 ズキン、と胸が痛んだ。

 旦那様はそんなふうに考えていたのか。
 俺が冒険者をしているのは、この家が嫌いだからだと思っていたのか。

「違いますよ! それは誤解です!」

 俺は慌てて彼に歩み寄った。

「俺が外に出たいのは、旦那様が嫌いだからじゃありません! ただ俺が……じっとしてられない貧乏性なだけです!」
「貧乏性?」
「そう! 俺、中身は根っからの庶民(前世含む)なんで、何もしないで養われてるとか、自分がダメ人間になった気がして落ち着かなかったんですよ!」

 俺は身振り手振りを交えて力説した。

「旦那様は完璧じゃないですか。仕事もできるし、魔法も凄いし、顔もいいし。そんな人の隣で、ただ飯食って寝てるだけの自分が情けなくて……だから外で働いて、『俺も誰かの役に立ってるぞ』って実感したかっただけなんです!」

 一気にまくし立てると、オルドリン様はポカンと口を開けた。
 キョトンとしている。いつもの冷静さはどこへやら、鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。

「……私が、完璧?」
「そうですよ! 欠点とかなさそうじゃないですか」
「欠点だらけだ」

 彼は即答した。そして、苦笑いしながら首を振る。

「私は口下手で、愛想もない。君に『好きにしていい』と言ったのも……本当は、嫌われるのが怖くて突き放しただけなんだ」
「えっ」

 今、なんて?
 嫌われるのが怖くて?

「結婚が決まった時、君は嫌そうな顔をしていただろう? だから、無理に妻の役割を押し付ければ、君は私を軽蔑すると思った。だから自由を与えたんだ。……君が私のことなど忘れて、どこかへ消えてしまわないか、毎日胃を痛くしながらな」

 衝撃の事実だった。
 あの日、あの冷たい「自由にしろ」という言葉の裏に、そんなヘタレ……いや、繊細な乙女心が隠されていたなんて。

「……じゃあ、俺に興味がなくて放置してたわけじゃなかったんですか?」
「興味がないわけがないだろう!」

 オルドリン様が声を荒らげ(珍しい!)、そしてハッとして口元を手で覆った。
 耳まで真っ赤だ。

「……学生時代から、見ていた」
「えっ?」
「君が中庭の芝生で昼寝をしているところや、図書室の隅で隠れて菓子を食べているところを……ずっと、見ていたんだ」
「うわ、見られてた!?」

 恥ずかしい!
 俺のサボり現場、全部バレてたのかよ! 
 というか、接点がないと思っていたのは俺だけで、彼は俺のことを認識していたのか。
 ……待てよ? 学生時代から見ていたって、それ普通にストーカー一歩手前じゃ……いや、今はそのツッコミは飲み込もう。

「君の、周りに流されず、自分のペースで楽しそうに生きている姿が……私には、とても眩しく見えた。だから、この結婚が決まった時は、正直……とても嬉しかったんだ」

 彼は、まるで懺悔するかのように、ぽつりぽつりと語った。

「だが、どう接していいか分からなかった。近づきすぎて、その笑顔を曇らせたくなかった。……結果として、君が不満を抱えていたのなら、私は夫失格だ」

 沈黙が降りた。
 俺は呆然としていた。
 なんだそれ。
 なんだよ、それ。

(……不器用すぎだろ、この人)

 俺はずっと、自分が「金で買われた飾り物の妻」だと思っていた。
 でも違った。
 この不器用で、言葉足らずで、心配性な旦那様は、俺のことを大切にしすぎて、空回りしていただけだったのだ。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。
 そして同時に、くすぐったいような気持ちが込み上げてくる。

「……旦那様」
「なんだ。……笑いたければ笑うといい」
「笑いませんよ。ただ……」

 俺は彼のデスクに手をつき、顔を近づけた。
 オルドリン様がビクリと肩を震わせる。

「俺、旦那様といるの、嫌いじゃないです」
「……え?」
「いや、むしろ好きになりました。この一ヶ月、過保護に世話焼かれて、果物食べさせてもらって……結構幸せだったんです」

 勢いに任せて言うと、顔がカッと熱くなった。
 うわ、これ告白っぽくないか。
 恥ずかしすぎて落ち着かない。でも、言わなきゃたぶん、この人には伝わらない。ちゃんと言葉にしないと、ネガティブな方向に全力疾走する気がする。

「だから、俺が出て行くのは、旦那様から逃げるためじゃありません。……ただの散歩です。夕方には帰ってきます」

 オルドリン様は、瞬きも忘れて俺を見つめていた。
 アイスブルーの瞳が揺れている。
 やがて、彼は震える手で眼鏡の位置を直すと、噛み締めるように言った。

「……好き、なのか? 私との生活が」
「はい」
「そうか……」

 彼は深く椅子に背を預け、天井を見上げた。
 そして、長い長い溜息をつくと、手で顔を覆った。

「……心臓が、もたない」
「え、大丈夫ですか!?」
「嬉しすぎて、おかしくなりそうだ」

 指の隙間から見える彼の頬は、熟れたリンゴみたいに赤かった。
 あの「氷の伯爵」が、俺の一言でこんなになるなんて。

「……コホン」

 しばらくして、どうにか平静を取り戻したオルドリン様が、咳払いをして向き直った。

「君の気持ちは分かった。……疑ってすまなかった」
「いえ、俺も説明不足でしたし」
「だが、冒険者としての活動は……やはり心配だ」

 そこは譲れないらしい。
 まあ、怪我した前科があるからな。反論しづらい。

「じゃあ、どうすればいいですか? 辞めろって言われても、俺、じっとしてるのは難しいですよ?」
「分かっている。君の自由を奪うつもりはない。だが、私の精神衛生も守ってほしい」
「精神衛生?」
「君が怪我をするたびに、私の寿命が縮む」

 真顔で言われた。
 確かに、この人の寿命を削るのは忍びない。

「だから……妥協案がある」
「妥協案?」

 オルドリン様は、少し言い淀んでから、視線を泳がせつつ提案した。

「……私が、同行するというのはどうだ」
「は?」
「君が冒険に出る日を、週に一度……私の休日に合わせるんだ。そうすれば、私が君の護衛ができる。君は外に出られるし、私は君の安全を確認できる。……どうだろうか」

 俺は目を丸くした。
 旦那様同伴の冒険?
 この国一番の魔法使いである伯爵様を連れて、Fランククエストに行くのか?

「え、でも旦那様、かなり忙しいんじゃ……」
「調整する。君のためなら、徹夜してでも終わらせる」
「いや無理はしないでください!」
「それに……」

 彼は少し照れくさそうに頬を掻いた。

「君と一緒に、外を歩いてみたい。……デート、のようなものを」

 最後の一言は、蚊の鳴くような声だった。
 デート。
 その響きに、俺の顔も再び沸騰した。
 そうか。これは監視であり、護衛であり、そしてデートの誘いなのか。

「……分かりました」

 俺は降参したように両手を上げた。

「一緒に行きましょう、冒険」
「本当か!」
「でも! 過保護すぎるのはナシですからね? あと、そちらの仕事に支障が出ない範囲でお願いします!」
「善処する」

 オルドリン様の表情が、パァァッと輝いた。
 まるで散歩の約束を取り付けた犬みたいだ。
 尻尾が見える。ブンブン振られている幻覚が見える。
 可愛い。悔しいけど可愛い。

「じゃあ、次の休日にさっそく行きましょうか。まずは近場の森から」
「ああ。……装備を整えなくてはな」
「あ、俺の装備なら大丈夫ですよ?」
「いや、私の装備だ。君を守るために、万全を期さねば」

 彼は立ち上がり、何やらブツブツと呟き始めた。
『結界魔法のスクロールは何本必要か』『ポーションは最高級のものを』『もしもの時の転移石も』……。
 なんだか嫌な予感がする。
 「万全」のレベルが、俺の想定している「万全」と桁違いな気がする。

「あの、旦那様? ただの薬草採取ですよ?」
「君にとっては命懸けのミッションだろう(足を滑らせたから)」
「うっ……」

 痛いところを突かれた。
 まあいいか。
 この人が一緒なら、少なくとも崖から落ちて一人で痛い思いをすることはないだろう。

 俺たちは、初めてお互いの目を見て、笑い合った。
 冷たくすれ違っていた日々が嘘のようだ。

 こうして、俺と旦那様の「誤解」は解け、新たな関係――「週末冒険者夫婦(旦那が重い)」としての第一歩が踏み出されたのだった。
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