「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第2章 俺たちは『伯爵と夫人』じゃなくて、『相棒』になりたい

第12話:慣れないタメ口と、副作用

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「おーい、オルドリン!」

 屋敷の廊下。俺が何気なく声をかけると、数メートル先を歩いていた背中がピタリと止まった。
 次の瞬間。
 バッ! と風を切るような勢いで、オルドリンが振り返った。
 その顔は、驚きではなく――「待ってました!」と言わんばかりの、満面の笑みで輝いていた。

「ルシアン! どうした、私を呼んだか?」
「うおっ、勢いすご……。いや、ハンカチ落ちたぞ」
「あ、ああ……そうか。すまない」

 彼は大股で戻ってくると、ハンカチを受け取り、それを聖遺物か何かのように胸ポケットにしまった。
 そして、熱っぽい瞳で俺を見つめ、一歩距離を詰めてきた。

「……もっと呼んでくれないか」
「は?」
「君に名前を呼ばれると、背筋がゾクゾクして……癖になりそうだ」
「……アンタ、順応するの早すぎないか?」

 俺は呆れて苦笑した。
 「敬語禁止令」が発令されてから、まだ三日しか経っていない。
 俺の方は意識して「タメ口」を使うようにしているのだが、旦那様の方は、俺が「ねえ」とか「オルドリン」と呼ぶたびに、いちいち過剰に反応し、喜びを隠そうともしないのだ。
 昨晩の「あれ」を経たせいか、以前よりも甘えのブレーキが壊れている気がする。

(……まあ、幸せそうだからいいけどさ)

 俺は彼の肩をポンと叩いた。

「仕事だろ? 遅れるぞ」
「……ああ。行ってくる」
「無理すんなよ」

 そう声をかけると、彼は名残惜しそうに何度も振り返りながら、執務室へと向かっていった。
 その足取りは、完全にスキップを踏んでいた。
 ……あんな浮かれた様子で仕事になるんだろうか。
 俺は少し心配になりながらも、その愛おしい背中を見送った。


 ◇◇◇

 執務室。
 オルドリンは、重厚な革張りの椅子に沈み込み、両手で顔を覆っていた。

「……セバスチャン」
「はい、旦那様」

 傍らに控える老執事が、慣れた手つきで紅茶を淹れながら応じる。

「私は今、夢を見ているのだろうか」
「いいえ。現実でございます。書類の山も現実ですので、どうぞペンをお持ちください」
「厳しいな……。だが聞いてくれ。さっき廊下で、ルシアンが私の名を呼んだんだ」

 オルドリンは夢見心地で天井を仰いだ。

「『おーい、オルドリン』と。……あの無防備な声。飾らない響き。かつて彼が、あの冒険者風情に向けていた親愛の情が、今は私に向けられている……!」
「はいはい、左様でございますか」
「心臓が早鐘を打って止まらない。……もしかして不整脈か? 医者を呼んだ方がいいだろうか」
「それは『恋の病』というやつですので、つける薬はございません」

 セバスチャンは表情一つ変えず、カップをコトリと置いた。
 主人が優秀な魔法使いでありながら、恋愛に関してはポンコツ(乙女)であることに、彼は誰よりも慣れている。

「しかし旦那様。今、書類に判を押す手が完全にリズムを刻んでおられましたよ。愛の歌でも脳内再生されていますか?」
「……なぜ分かった」
「長年の付き合いですので。……ですが、手はしっかり動かしていただかないと、奥様との夕食に間に合いませんよ」
「ッ、それは困る!」

 オルドリンは慌てて羽ペンを手に取った。
 だが、インクをつける手が震えている。

「ダメだ……。文字を見ると、ルシアンのさっきの笑顔が浮かんでくる……」
「重症ですね」
「セバスチャン、どうすればいい。私は幸せすぎて仕事が手につかない」
「深呼吸をしてください。……ああ、ちょうど良い特効薬がいらっしゃったようです」

 コンコン。

 軽快なノックの音が響いた。

「オルドリン、入るぞー」

 返事をする間もなく、扉が開く。
 「失礼します」という堅苦しい挨拶はない。
 ルシアンが、銀のお盆を持って入ってきた。

「……ル、ルシアン!?」
「休憩するだろ? クッキー焼いてみたから持ってきた」

 彼はデスクの端にお盆を置いた。
 甘いバターの香りが漂う。
 使用人に任せればいい雑用を、彼が自らやってくれたのだ。

「根詰めすぎると効率落ちるぜ。休憩しよ」

 ルシアンは自分の口にクッキーを一つ放り込み、サクサクと噛み砕きながら、もう一つをつまんでオルドリンの口元にひょいと差し出した。

「ほら、食えよ」
「……ッ!」

 オルドリンは硬直した。
 セバスチャンと目が合う。執事は「どうぞ」と無言で促している。
 オルドリンは震える口を開け、クッキーを受け入れた。
 サクサクとした食感。そして、ルシアンの指先が唇にかすめた感触。

「……美味いか?」
「……ああ。奇跡の味だ」
「大袈裟だなー。ただのクッキーだぞ」

 ルシアンは笑い、自分も向かいのソファに腰掛けた。
 足を組み、リラックスした様子で紅茶を啜る。
 その姿に、オルドリンは強烈な充足感を覚えた。

 ここは、領主の戦場である執務室だ。
 誰もが緊張し、畏まる場所。
 そこに、彼だけが「日常」を持ち込んでくれる。
 「伯爵」ではない、ただの「オルドリン」に戻れる時間をくれる。

「……ルシアン」
「ん?」
「ありがとう。……君が来てくれると、部屋が明るくなる」
「日当たりがいいだけだろ」

 彼は茶化したが、その耳は少し赤かった。
 可愛い。
 どうしようもなく愛おしい。

 オルドリンはセバスチャンに目配せをした。
 『下がっていい』という合図だ。
 セバスチャンは「やれやれ」と肩をすくめ、恭しく一礼して退室した。空気を読むスキルは超一流だ。

 二人きりになった瞬間、オルドリンは立ち上がり、ルシアンの隣に座った。
 そして、衝動のままに彼を抱きしめた。

「うおっ!? 急になんだよ」
「……ルシアン補給だ」

 彼の首筋に顔を埋める。
 日向のような、温かい匂いがする。

「君のその言葉使いを聞くたびに、私は……君に選ばれたのだと実感する。嬉しくて、どうにかなりそうだ」
「……重いって」

 ルシアンは呆れたような声を出しながらも、拒絶はしなかった。
 それどころか、遠慮がちにオルドリンの背中に腕を回し、ポンポンと叩いてくれた。

「よしよし。……甘えん坊だな、最強の魔法使い様は」
「君の前でだけだ」

 オルドリンは目を閉じた。
 この温もりがあれば、どんな激務も、どんな困難も乗り越えられる。
 いや、むしろ一瞬で片付けて、夜はずっと彼を離さないでいよう。
 そう決意し、彼は名残惜しく体を離した。

「……よし。やる気が出た」
「そりゃよかった。早く終わらせて、夜はのんびりしようぜ」
「ああ。約束だ」

 ルシアンが部屋を出ていく。
 その背中を見送りながら、オルドリンは万年筆を手に取った。
 先ほどまでとは打って変わり、その瞳には鋭い光が宿っていた。
 今の彼にとって、書類の山など敵ではない。
 愛しい妻との夜を勝ち取るための、ただの障害物に過ぎないのだから。


 ◇◇◇

 その日の夜。
 夕食後のリラックスタイムを終え、俺たちは寝室にいた。

 宣言通り、オルドリンは驚異的なスピードで仕事を片付け、定時きっかりに「ただいま!」と帰ってきた。
 あの執念は凄い。魔法より怖いくらいだ。

「……なあ、オルドリン」
「なんだ」

 ベッドの上。
 俺たちは一つの毛布に包まり、肩を寄せ合っていた。
 枕のバリケードは、もうない。

「俺の言葉使い、どう? 変じゃなかったか?」
「最高だった。……毎日が記念日だ」
「だから大袈裟なんだって」

 俺は苦笑し、彼を見上げた。
 至近距離にある端正な顔。
 アイスブルーの瞳が、トロリと甘く俺を捕らえている。

「俺さ、最初迷ってたんだ。貴族としてのけじめとか、旦那様への敬意とか。……でも、やめてみてよかったよ」
「そうか?」
「ああ。……なんか、やっと本当の『夫婦』になれた気がする」

 俺が素直な気持ちを伝えると、オルドリンは息を呑み、愛おしそうに俺の頬を撫でた。

「私もだ。……君との間にあった壁が、完全に消え去った気分だ」

 彼は俺の額に自分の額を押し当てた。
 温かい体温が伝わってくる。

「だが、一つだけ問題がある」
「問題?」
「……敬語禁止令の、副作用だ」

 彼の声が、低く、優しく響いた。

「壁がなくなったせいで……君との距離感を保つ理性が、機能しなくなっている」
「え?」
「もっと近づきたい。もっと触れていたい。……君の声を聞くたびに、そればかり考えてしまうんだ」

 彼は困ったように微笑み、俺をぎゅっと抱きしめた。
 強い力ではない。
 ただ、離したくないという想いが伝わってくるような、包み込むような抱擁。

「……今夜は、ずっとこうしていてもいいか?」
「……いいけど」
「朝まで離さないかもしれないが、許してくれ」

 俺は少し顔を赤くしながら、彼の背中に腕を回した。
 心臓がうるさいくらいに鳴っているけれど、不思議と落ち着く。

「……俺、オルドリンに抱きしめられるの、好きだよ」

 そう言って甘えると、彼の腕の力が、ぎゅぅ、と強まった。

「……たまらないな。君は本当に、私を操る天才だ」

 彼は嬉しそうに喉を鳴らし、俺の髪に、祈るような優しいキスを落とした。

 言葉の壁を取り払った俺たちには、もう遠慮はいらない。
 俺たちは互いの体温を感じながら、穏やかな眠りに落ちていった。
 甘くて、温かくて、そして少しだけくすぐったい。
 そんな「タメ口生活」の夜は、更けていくのだった。
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