「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第5章 俺たちは『英雄』じゃなくて、『愛の逃避行』がしたい

第35話:初日の出と三番勝負

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 チュン、チュン……。

 どこか南国の鳥の、のんびりとしたさえずりが聞こえる。
 波の音が、ザザーッ、ザザーッと、心地よいリズムで鼓膜を揺らす。

「……んぅ……」

 俺、ルシアンは、ふかふかのベッドの上で目を覚ました。
 目を開けると、そこにあるのはいつもの重厚な天蓋ではなく、木漏れ日が差し込む木造の天井と、シーリングファンのゆっくりとした回転だった。

(……そっか。俺たち、本当に来たんだ)

 昨夜のドタバタ劇を思い出す。
 書類の山との死闘。
 間に合わなかった船。
 そして、オルドリンによる規格外の『長距離転移(テレポート)』。

 俺は身じろぎをして、思わず「いっ……」と顔をしかめた。
 腰のあたりに、甘く重たい鈍痛が走る。
 そうだ。昨夜は転移の後、興奮した旦那様に一晩中たっぷりと可愛がられたんだった……。

 俺は隣を見た。
 そこには、愛する旦那様――オルドリンが、お揃いのガウンを着て、俺にしがみつくようにして眠っていた。
 長い睫毛が頬に影を落としている。
 昨夜の転移魔法は相当な負担だったはずだ。それに加えて夜の運動まで行ったのだから、彼はまだ深い夢の中にいるようだった。

「……無茶しすぎだからな、オルドリン」

 俺は彼の頬を指でつん、とつついた。
 反応はない。ただ、寝息に合わせて胸元の『氷巨人の心核』のペンダントが、俺のそれと共鳴して微かに光っている。

 俺はそっと、彼を起こさないように慎重にベッドを抜け出した。
 窓の外が明るくなり始めている。
 初日の出だ。


 ◇◇◇

 テラスに出ると、湿り気を帯びた生暖かい風が頬を撫でた。
 王都の刺すような寒風とは正反対の、南国の朝。
 空と海の境目が、徐々に茜色にグラデーションを描いていく。

「……おはようございます、ルシアン様」

 いつの間にか、アロハシャツの上にタブリエ(エプロン)をつけたセバスチャンが立っていた。
 手には湯気の立つコーヒーのポットを持っている。

「おはよう、セバスチャン。……早いな」
「執事たるもの、初日の出のコーヒーを用意できずに何ができましょう」

 彼は優雅にカップに注ぎ、俺に手渡してくれた。
 一口飲むと、酸味の少ない豆の香りが鼻腔をくすぐる。美味い。

「……旦那様は、まだお休みですか?」
「ああ。昨日は無茶させたからな。……もう少し寝かせておいてやりたい」

 俺はコーヒーを飲みながら、水平線から顔を出し始めた太陽を見つめた。
 海面が黄金色に輝き始める。
 新しい年。新しい一日。

 去年一年間、本当にいろいろなことがあった。
 家出して、冒険者になって、連れ戻されて。
 でも、その全てが、今のこの幸せな瞬間に繋がっている。

「……セバスチャン」
「はい」
「俺さ、今年の抱負を決めたよ」

 俺はカップを強く握りしめた。

「俺は、もっと強くなる」

 セバスチャンが片眉を上げる。

「強くなる、でございますか? ……すでに奥様は、旦那様の手綱を握るという意味で最強かと思われますが」
「そういう精神的な話じゃなくてさ! 物理的に、男としてだよ!」

 俺は力こぶを作るポーズをした(悲しいかな、袖から覗く腕はまだ細い)。

「昨日の転移魔法もそうだし、白銀領での戦いもそうだった。……結局、ここぞという時はオルドリンの『力』に守られてばっかりだ」
「ふむ」
「あいつは『守るのが夫の務め』って言うけどさ。……俺だって男だ。いざという時は、あいつを物理的にお姫様抱っこして逃げられるくらいの腕力と、頼り甲斐が欲しいんだよ!」

 そう。俺の今年のテーマは『脱・守られヒロイン』だ。
 魔法の才能じゃ彼には勝てない。
 でも、筋力やガッツ、サバイバル能力なら、元ソロ冒険者として負けるわけにはいかないのだ。

「なるほど……。その心意気、素晴らしいと存じます」
「だろ? だから、今年はビシバシ鍛えて……」
「――何を鍛えるんだ、ルシアン?」

 不意に、背後から低い声がした。
 振り返ると、眠気眼をこすりながらオルドリンがテラスに出てきていた。
 寝癖がついた銀髪が、朝日を浴びてキラキラと光っている。無防備で可愛い。

「あ、起きたかオルドリン。おはよう」
「ああ……おはよう、私の光」

 彼はふらふらと歩み寄ってくると、当然のように俺の背中に覆いかぶさり、首筋に顔を埋めた。
 大型犬の朝の挨拶だ。

「……それで? 何を鍛える話だ?」
「ん? ああ、今年の抱負だよ」

 俺は背中の重み(幸せの重量)を感じながら、海を指差した。

「俺は今年、アンタを守れる男になる! ……だから、新年から甘やかされるだけじゃなくて、アンタと対等だってことを証明したいんだ」
「証明?」

 オルドリンが顔を上げ、不思議そうに首を傾げた。

「君はすでに私の対等なパートナーだが……。具体的に何をするつもりだ?」
「勝負だ、オルドリン!」

 俺は彼の腕から抜け出し、ビシッと指を突きつけた。

「このバカンス中、俺と『三番勝負』をしてくれ! ルールは簡単、魔法は禁止! 純粋な肉体と知恵だけの勝負だ!」
「……魔法禁止の、勝負?」
「そうだ。俺が勝ったら、俺のことを見直して、もうちょっと過保護を控えること。……どうだ、受けて立つか?」

 オルドリンは少し考え込み、それからニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 その瞳に、狩人のような光が宿る。

「……面白い。受けて立とう」

 彼は眼鏡の位置を直した。

「ただし、私が勝ち越した場合は……私の『過保護』は愛の証として、今後も甘んじて受け入れてもらう。あと、私の言うことを一つ、何でも聞いてもらおうか」
「げっ、なんか俺のリスクでかくないか?」
「自信がないのか?」
「あるに決まってるだろ! やってやるよ!」

 こうして、新年の爽やかな朝の光の中で、俺たち夫婦の仁義なき戦いの幕が切って落とされた。


 ◇◇◇

「では、第1回戦を行います」

 朝食後のビーチ。
 審判役のセバスチャンがバスケットの蓋を開けると、そこからカサカサと音を立てて何かが飛び出した。
 太陽の光を浴びてキラキラと虹色に輝く、拳大の小さな生き物だ。

「あれは……『ジュエル・クラブ』か?」
「ご名答です。このエメラルド諸島の砂浜にしか生息しない、生きた宝石と呼ばれるカニでございます」

 ジュエル・クラブは、俺たちを警戒するようにハサミを振り上げると、驚くべき速さで砂浜を横切り、波打ち際の手前でピタリと止まった。

「ルールは、うつ伏せの姿勢からスタートし、あそこで警戒しているジュエル・クラブを先に素手で捕まえた方の勝利とします」

 なるほど、動く標的か。
 俺はニヤリと笑った。これは俺に有利だ。
 ジュエル・クラブは直線的な逃げ足は速いが、動きの予測はしやすい。魔物の生態を知り尽くした冒険者の経験が活きる。

「望むところだ。オルドリン、悪いけど勝たせてもらうぞ」
「ふふ、お手柔らかに頼むよ」

 俺たちは砂浜に並んでうつ伏せになった。
 太陽に焼かれた砂が温かい。
 隣でオルドリンが、獲物を狙う豹のようにしなやかな筋肉を収縮させる気配がした。……やっぱり、純粋な身体能力じゃたぶん勝ち目はない。だからこそ、頭を使うんだ。

「――位置について」

 セバスチャンが高らかに手を上げる。
 波の音が、一瞬だけ遠のいた気がした。

「――始めッ!」

 ドンッ!!

 号砲のような砂を蹴る音と共に、オルドリンが弾丸のように飛び出した。
 速い!
 魔法を使っていないのに、まるで風魔法を纏っているかのような加速だ。

「くっ……!」

 俺も遅れて飛び出す。
 だが、俺の狙いはカニへの最短距離じゃない。
 オルドリンの猛スピードに驚いたジュエル・クラブは、必ずパニックを起こして『右』に逃げる習性がある!

 案の定、オルドリンの接近を察知したカニは、目にも止まらぬ速さで右方向――つまり、俺が走っているルートへと進路を変えた。

(読み通りだッ!)

 俺は減速し、カニの逃走ルートを塞ぐように低い姿勢で構えた。
 オルドリンは速すぎて急には止まれない。オーバーランしている間に、俺が横からカニをさらう!

 勝利を確信して、俺が手を伸ばした瞬間だった。

「――ルシアンッ!」

 背後から、切羽詰まったような、それでいて熱っぽい声が聞こえた。
 え? と思う間もなかった。

 ドサァァッ!!

 カニに触れようとした俺の体に、背後から巨大な質量が覆いかぶさってきた。
 視界が砂浜と共に回転する。

「うわっぷ!?」

 俺はそのまま砂の上に押し倒され、ゴロゴロと二人で転がった。
 カニ?
 カニは驚いて、遥か彼方の海中へとポチャンと逃げていった。

「はぁ、はぁ……捕まえた……」

 砂まみれになりながら、俺の上に馬乗りになったオルドリンが、恍惚とした表情で俺を見下ろしている。
 その腕は、逃がさないとばかりに俺の腰をガッチリとホールドしていた。

「……オルドリン?」
「あ、ああ、すまない。君が私の前を走っていて、さらに急に姿勢を低くして待ち構えるようなポーズをとるものだから……」

 彼はハッと我に返り、少し顔を赤らめた。

「狩猟本能というか……その、あまりに無防備で可愛らしかったので、カニのことなどどうでもよくなって、つい君を押し倒してしまった」
「アンタなぁぁぁ!!」

 俺は砂を叩いて抗議した。

「勝負だぞ!? 何やってんだよ!」
「面目ない。だが、目の前に最高の獲物がいたら、小石(ジュエル・クラブ)になど目がいかないのは道理だろう?」

 彼は悪びれもなく言い放ち、砂がついた俺の頬にチュッとキスをした。

「……判定」

 セバスチャンが呆れたような声で告げる。

「ジュエル・クラブは海へ帰りました。よって捕獲失敗ですが……勝負を放棄し、対戦相手への妨害行為に及んだ旦那様の反則負け。勝者、ルシアン様」
「よっしゃあ! 勝った!」

 俺はオルドリンの下から這い出し、ガッツポーズをした。
 形はどうあれ勝利は勝利だ。

「……ふむ。負けたか」

 オルドリンは砂を払いながら起き上がり、しかし満足げに俺を見つめている。

「だが、私はカニよりも素晴らしい『宝石』を腕の中に捕らえたからな。……実質、私の勝ちのようなものでは?」
「負け惜しみ言うな! ……ほら、砂払ってやるからじっとしてろ」

 俺は苦笑しながら、彼の銀髪についた砂を払ってやった。
 まったく、この旦那様はどこまで俺に甘いんだか。


 ◇◇◇

 その後。
 俺たちはテラスに戻り、セバスチャンが用意してくれた冷たいフルーツウォーターを飲んでいた。

「……美味い」
「ああ……喉に染みるな」

 二人してグラスを傾ける。
 南国の風が、火照った体に心地よい。

「とりあえず一勝だな。……ま、相手の反則負けだけど」

 俺はグラスの水滴を指でなぞりながら、わざと意地悪く言った。

「勝ちは勝ちだ。おめでとう、ルシアン」

 オルドリンは悪びれる様子もなく、むしろ愛しげに俺の頭を撫でた。

「しかし、君の予測は見事だった。魔物の習性を熟知していなければ、あそこで待ち構えることはできなかっただろう」
「へへっ、だろ? 伊達にソロで体張ってたわけじゃないからな」

 素直に褒められて、俺は鼻高々だ。
 力じゃ勝てなくても、経験と知識なら対等に渡り合える。それが証明できただけで十分に嬉しい。

「だが、次はこうはいかないぞ」

 オルドリンが眼鏡の奥の瞳を光らせた。
 その顔は、負けた悔しさよりも、これから始まる「愛の追いかけっこ」を楽しんでいる捕食者のそれだ。

「望むところだ! 明日も絶対勝つからな! ……覚悟しとけよ、旦那様」
「ふふ。……楽しみにしているよ、私の愛しい冒険者」

 カチャン、と俺たちはグラスを軽く合わせた。
 水平線の向こう、入道雲がモクモクと湧き上がっている。

 『脱・守られヒロイン』への道は前途多難だが、この人の愛に包まれながら挑む勝負も、そう悪くない。
 俺たちの賑やかで甘いバカンスは、まだ始まったばかりだ。
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