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第8章 俺たちは『悲しい話』じゃなくて、『いつもの冒険』がしたい
第64話 食卓の誓いと、増える書類
しおりを挟む夜の帳が下りた頃、俺とオルドリンはクライス伯爵邸へと降り立った。
「……着いたぞ、ルシアン」
「ん……ああ、帰ってきたか……」
目の前には、明かりの灯った懐かしい我が家。
さっきまで「永遠」だの「100年」だのと壮大な愛を語り合っていたけれど、家に着くと急に現実的な安堵感が押し寄せてきた。
俺は泥のように疲れていた。
肉体的な疲労ではない。オルドリンの無限魔力が繋がっているおかげで、体は驚くほど軽い。
疲れているのは、主にメンタルだ。
『森を更地にする竜巻』やら『魔獣を圧殺する氷壁』やら、自分の手から繰り出される災害級の魔法を制御するのに、神経をすり減らしたのだ。
「ふふ。今日は素晴らしい冒険だったな。君との合体魔法……あの瞬間の高揚感は、一生忘れられそうにない」
対照的に、オルドリンは輝くばかりの笑顔だった。
肌艶も良く、全身から「幸せオーラ」が可視化できそうなほど溢れ出ている。
まあ、あんなに密着してイチャイチャしながらボスを倒せば、そりゃ満足だろう。
「お帰りなさいませ、旦那様。奥様」
玄関の扉が開くと、いつものようにセバスチャンが出迎えてくれた。
その顔を見て、俺はホッと息をついた。
ダンジョンの殺伐とした空気から、日常に戻ってきた感覚だ。
「ただいま、セバスチャン。……今日の夕飯、何?」
「本日は、疲労回復に効く薬膳煮込みと、奥様がお好きな濃厚なポタージュをご用意しております」
それを聞いて、オルドリンが思い出したように手を打った。
「セバスチャン、これを使ってくれ」
オルドリンが何もない空間に手を差し入れると、ズドォン! という重い音と共に、巨大な氷の塊――キメラ肉――が玄関ホールに出現した。
「……ほう。これはまた、見事な霜降りですな」
「ダンジョンの土産だ。ルシアンが今夜食べたいそうだ」
「かしこまりました。では、お二人がお風呂と着替えを済ませる間に、メインディッシュに追加いたしましょう」
セバスチャンは眉一つ動かさず、巨大な肉塊を軽々と持ち上げた。
急なリクエストにも完璧に応える。さすがは我が家のスーパー執事だ。
「今からだけど間に合いそう? ステーキが食べたいんだけど……」
「ふむ……」
セバスチャンは肉質を素早く確認すると、不敵に微笑んだ。
「なるほど、この肉質なら問題ございません。雷属性を帯びた筋肉は、調理の熱伝導が異常に早いですからな。……最高の一皿をご用意いたしましょう」
彼は肉塊を小脇に抱えて厨房の方へと消えていった。
頼もしすぎる。
◇◇◇
湯浴みで汗を流し、ゆったりとした部屋着に着替えてダイニングルームへ。
シャンデリアの灯りが、並べられた銀食器を照らしている。
湯気を立てるスープの香りと、肉が焼ける暴力的なまでに香ばしい匂いが、空腹の胃袋を刺激した。
セバスチャンが給仕のために、ワインボトルを持って近づいてくる。
いつもの光景だ。
俺が座り、オルドリンが座り、セバスチャンが立ったまま世話を焼く。
それがクライス家の当たり前だった。
――でも、今日は違う。
「……セバスチャン」
「はい、奥様。ワインでよろしいですか?」
「いや、そうじゃなくて」
俺は立ち上がった。
そして、いつもなら空席になっている、俺とオルドリンの間の席――上座に近い位置にある椅子の背に手をかけた。
ガタッ。
俺は椅子を引き、ポンポンと座面を叩いた。
「今日は、セバスチャンもここに座ってほしい」
その場の空気が止まった。
セバスチャンが、珍しくきょとんとした顔をしている。
「……は?」
「聞こえなかったか? 一緒に食べようって言ってるんだけど」
「い、いえ、滅相もございません。使用人が主人の食卓に同席するなど、あってはならないことです。執事の矜持に関わります」
セバスチャンは慌てて首を横に振り、一歩下がった。
頑固だ。予想はしていたけれど、この鉄壁の執事を崩すのは骨が折れる。
「今日だけでいいんだ。特別ってことで」
「いけません。私の仕事は、お二人が快適に食事をされるよう奉仕することであり――」
「これが『命令』だとしても?」
俺が強い口調で言うと、彼は口ごもった。
俺は視線をオルドリンに向けた。
彼はナプキンを膝に広げながら、涼しい顔でスープの香りを嗅いでいる。
「……なぁ、オルドリン。アンタからも伝えてくれよ」
「ふむ」
オルドリンはゆっくりと顔を上げ、困惑する老執事を見た。
「セバスチャン。妻の言うことは絶対だ。……それとも、私たちの命令よりも執事の矜持とやらが大事か?」
「そ、それは……しかし、旦那様……」
「座れ。……たまには、家族水入らずで食事をするのも悪くないだろう」
『家族』。
その言葉が出た瞬間、セバスチャンの肩がビクリと震えた。
彼は迷うように視線を彷徨わせ、それから観念したように息を吐いた。
「……承知いたしました。……本日だけ、無礼を働かせていただきます」
彼は恭しく一礼すると、恐る恐る、引き出された椅子に腰を下ろした。
背筋をピンと伸ばし、膝を揃えて座る姿は、リラックスとは程遠いが、それでも彼は「席」に着いた。
俺は満足して自分の席に戻り、グラスを掲げた。
「よし。じゃあ、俺たちの『勝利』と、家族の絆に乾杯!」
「……乾杯」
カチン、とグラスが触れ合う音が響いた。
「うん、美味い! なんだこれ、口の中で解けるぞ!?」
俺が早速、目の前に置かれたキメラ肉の厚切りステーキを頬張ると、肉汁と共に濃厚な旨味が口の中で爆発した。
普通の羊肉よりも味が濃く、それでいて舌の上で消えるほど柔らかい。
雷の電気刺激で熟成された筋肉繊維と、オルドリンの瞬間冷凍技術が生んだ奇跡の食感だ。
「……素晴らしい。噛む必要すらないほど柔らかく、それでいて野性味あふれる香り……。まさか伝説の魔獣をこうして食卓で味わう日が来ようとは」
同席したセバスチャンも、一口食べて満足げに頷いている。
どうやらお気に召したようだ。
「へへっ、だろ? 俺の目は節穴じゃないって」
◇◇◇
食事は和やかに進んだ。
最初は緊張していたセバスチャンも、俺がダンジョンでの失敗談(くしゃみで更地未遂)を話すと、いつものように「やれやれ」と苦笑し始めた。
「まさか、魔力制御の訓練と称して、そのような破廉恥な行為をダンジョンで行うとは……」
「破廉恥ではない! 『愛の密着指導』だ!」
「旦那様、それを世間ではバカップルと呼びます」
セバスチャンの鋭いツッコミに、俺たちは笑った。
温かいスープが胃に染み渡る。
こうして三人で囲む食卓は、いつもよりずっと美味しく感じられた。
メインディッシュを食べ終えた頃、俺は改まってセバスチャンに向き直った。
「セバスチャン」
「はい」
「こないだの話……覚えてる?」
先日の朝、彼が俺に明かしてくれたこと。
『私情で俺を選んだ』という、あの告白だ。
「……はい。忘れるはずもございません」
「あの時はちゃんと言えなかったけど、改めてお礼を言いたくてさ」
俺は真っ直ぐに彼の目を見た。
年輪を重ねた、優しくも厳しい瞳だ。
「セバスチャンがいなきゃ、俺たちは出会えなかった。俺は貧乏貴族の次男として燻ってただけだったし、オルドリンは……きっと、一人で凍えてた」
「…………」
「アンタが『私情』を挟んでくれたおかげで、俺たちは今、こうして笑っていられる。……アンタは、俺たちの恩人だよ」
俺の言葉に、セバスチャンは口を真一文字に結び、膝の上の拳を握りしめた。
「……私は、出過ぎた真似をした老骨にすぎません。本来ならば、お家の存続を第一に考えるべき立場でありながら……」
「結果オーライだろ。それに」
俺はニッと笑った。
「血が繋がってるとか、いないとか。そんなの関係ないよ。……俺のことを信じて、味方でいてくれた。俺たちが幸せになるように、ずっと見守ってくれた。……それが『家族』じゃなくて何なんだよ」
俺はテーブル越しに身を乗り出した。
「セバスチャン。アンタも、俺たちの大事な家族だ」
セバスチャンが息を呑んだ。
鉄仮面のような彼の表情が、音を立てて崩れそうになる。
彼は助けを求めるように、主人の方を見た。
「……旦那様」
「うむ」
オルドリンはそっぽを向き、グラスを傾けていた。
だが、その耳がほんのりと赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
「……ルシアンの言う通りだ」
オルドリンはボソリと呟いた。
「……私が魔力に振り回され、周囲から化け物と恐れられていた時、そばにいてくれたのはお前だけだ」
「旦那様……」
「お前が私に剣を教え、魔法を教え、帝王学を叩き込んだ。……そして、最高の伴侶を見つけてきてくれた」
彼は照れ臭そうに鼻を鳴らし、ようやくセバスチャンの方を見た。
パスを通じて、オルドリンの感情が直接流れ込んでくる。
『感謝』。『信頼』。そして『安堵』。
口下手な彼が伝えきれない想いが、奔流となって俺の胸を叩く。
「私にとって、親代わりであり、師であったのはお前だ。……まあ、小言が多すぎるのが玉に瑕だが」
「……!」
「育ての親としての功績は、認めてやらんこともない」
それは、不器用な彼なりの、精一杯の感謝と愛情表現だった。
セバスチャンの目元が、ぐしゃりと歪んだ。
「……う、うぅ……」
彼の手が震え、ナプキンを目元に押し当てる。
いつも完璧で、冷静沈着な執事が、子供のように肩を震わせていた。
「……もったいない……お言葉でございます……」
涙声が漏れる。
俺は何も言わず、ただ微笑んで見守った。
オルドリンも、優しい目で彼を見つめている。
「……長生きは、するものですな……」
しばらくして、セバスチャンは眼鏡を外し、涙を拭った。
再び顔を上げた時、その瞳は潤んでいたが、どこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「旦那様、奥様。……この老骨、命ある限り、お二人の幸せにお仕えさせていただきます」
「ああ、頼むよ。俺たち、まだまだ未熟だからさ」
「ふっ。私の教育係がいなくなったら、ルシアン不足で暴走した時に誰が止めるんだ? 死ぬまで働いてもらうぞ」
「人使いが荒い旦那様ですね……ふふふ」
セバスチャンが笑った。
いつもの含みのある笑いではなく、心からの柔らかな笑い声だった。
◇◇◇
食事が終わり、デザートの時間がやってきた。
セバスチャンは一度目元を拭ってから眼鏡をかけ直すと、テキパキと皿を片付けていく。
その所作はいつも通り完璧だが、背中は以前よりも少しだけ軽やかに見えた。
そして――眼鏡の奥の瞳が、キラリと怪しく光った。
「そういえば、旦那様」
「なんだ?」
「『魔力共有』が成功したということは、魔力の問題は全て解決したということですね? つまり、体調不良による休息はもう不要と」
「ああ。ルシアンという最強のパートナーがいる限り、私はかつてないほど健康だ」
セバスチャンは眼鏡をクイッと押し上げ、不敵に微笑んだ。
それは先ほどまでの涙も乾くような、鬼軍曹の笑みだった。
「では、溜まりに溜まっている領地の開拓計画や、魔導具開発の遅れ、王宮からの依頼案件も……これからは倍速で処理できますな?」
「……は?」
「奥様にも手伝っていただければ、効率は三倍、いや四倍。……明日の朝から、執務室に山脈のような書類をご用意しておきます」
オルドリンの顔が引きつった。
「ま、待てセバスチャン! 私たちはまだ新婚だぞ!? 愛を育む時間が必要だ!」
「愛は仕事の合間に育んでください。……さあ、夜はこれからでございますよ」
セバスチャンは楽しそうにワゴンを押し、キッチンへと消えていった。
残された俺とオルドリンは、呆然と顔を見合わせた。
「……セバスチャン、元気になったな」
「元気になりすぎだ……。これでは私たちの甘い新婚生活が……」
「いいじゃん。一緒に仕事するのも、悪くないだろ?」
俺は彼の肩をポンと叩いた。
「俺たちには、時間はたっぷりあるんだからさ」
そう。
100年。
俺たちは一緒にいられる。
書類仕事に追われる日も、冒険で大暴れする日も、喧嘩する日も。
その全てが、俺たちの未来だ。
窓の外には、満天の星空が広がっていた。
かつて俺が一人で見上げていた空は、今は隣に愛する人と、信頼できる家族がいる景色に変わっていた。
「……愛してるよ、オルドリン」
「ああ。私もだ、ルシアン」
俺たちは静かにキスをした。
温かいスープの香りと、新しい家族の絆に包まれて。
クライス家の夜は、まだまだ賑やかに更けていきそうだ。
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