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2章
12話
薄暗い鑑定室の空気が、瞬時に凍りついたようだった。
エリオットが握りしめた紙片――ステータスが記された紙――は、彼の手の中でくしゃくしゃに歪んでいる。
彼から放たれる殺気は、僕がこれまでに感じたことのないほど冷たく、鋭利だった。まるで、この部屋にいる全員を敵とみなし、いつでも喉笛を食い破らんと構える猛獣のようだ。
「(……エリオット?)」
僕が怯えて念話を送っても、彼は答えない。ただ、青ざめた顔で僕を抱きしめ、周囲を威嚇している。
受付のお姉さんが、エリオットの異様な様子に気づき、困惑したように声をかけた。
「――、――……?」
彼女はエリオットの手にある紙片と、まだ青白く光っている水晶を交互に見ている。
通常なら、ステータスを確認した後に登録手続きを進めるはずだ。だが、エリオットは決してその紙を見せようとはしなかった。
「(……帰るぞ、陽貴)」
エリオットから、低く押し殺した念話が届く。
「(えっ? でも、登録は? カードは?)」
「(そんなものはいらない。ここに来るべきじゃなかったんだ。今すぐにここを出る)」
有無を言わせぬ迫力だ。エリオットは僕の肩を強く抱き、出口へと踵を返そうとした。
しかし、その時だった。
ヴィィィィィ――ン……!!
テーブルの上に置かれた鑑定水晶が、突然不快な低周波音を響かせ始めた。
青白かった光が、毒々しい赤色へと変貌していく。明滅を繰り返し、部屋全体を赤く染め上げる。
「(な、なに!? 爆発とかするの!?)」
僕が身をすくめると、受付のお姉さんが顔色を変えて立ち上がった。
「――!! ―――!!」
彼女が何事かを叫び、壁際のベルを乱暴に鳴らす。
エリオットが舌打ちをした。
「(チッ……警報か! 陽貴、走るぞ!)」
エリオットが僕を横抱きに抱え上げようとした瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「――、――!!」
怒号と共に現れたのは、部屋の入り口を完全に塞ぐほどの巨漢だった。
全身に歴戦の傷跡が刻まれた筋肉の塊のような男。背中には身の丈ほどの大剣を背負っている。
その後ろには、武装したギルド職員たちが数人控えていた。
男は赤い光を放つ水晶を一瞥し、そしてエリオットと、その腕の中にいる僕をじろりと睨みつけた。
眼光鋭いその瞳は、獲物を値踏みするような野生の光を宿している。
「(……ギルドマスターだ)」
エリオットが忌々しげに呟く。
この巨漢が、この支部のトップらしい。
ギルドマスターはゆっくりと歩み寄り、野太い声で何事かを問いかけてきた。言葉はわからないが、その圧力だけで膝が震えそうになる。
しかし、エリオットは一歩も引かなかった。僕を背中に隠し、毅然とした態度で対峙する。
「――、――。―――」
エリオットが冷徹な声で何かを告げた。おそらく「通せ」と言っているのだろう。
だが、ギルドマスターはニヤリと笑い、首を横に振った。そして、エリオットの手にある、くしゃくしゃになった紙片を指差した。
「(……見せろと言っている)」
エリオットが僕に解説してくれる。
「(これ……見せたらどうなるの?)」
「(わからない。だが、ただでは済まないだろう。……強行突破する)」
エリオットの体に、バチバチとした魔力が収束していくのがわかる。
本気だ。彼はここで暴れてでも僕を連れ出すつもりだ。
でも、そんなことをしたらエリオットが犯罪者になってしまうかもしれない。騎士団への復帰どころか、追われる身になってしまう。
「(待って、エリオット! 戦っちゃだめだ!)」
僕が必死に念話で止めようとした、その時。
ギルドマスターがふと、鼻をひくつかせた。
そして、僕の方を凝視し、驚いたように目を見開いた。
「――? ……『――』?」
彼が口にした単語。
それは、先ほどエリオットが読み上げた紙片の中にあった言葉と同じ響きがした気がした。
ギルドマスターは戦意を収め、両手を上げて「敵意はない」というジェスチャーを見せた。そして、穏やかな(といっても顔が怖いので迫力はあるが)声で、奥の部屋を指差した。
「(……話を聞きたいと言っている。別室で、内密に、と)」
エリオットは迷ったが、周囲を職員に囲まれている状況と、僕を抱えての戦闘のリスクを天秤にかけたのだろう。
悔しげに唇を噛み締めながらも、わずかに頷いた。
通されたのは、最奥にある応接室だった。
ふかふかのソファと、上質そうな調度品。先ほどまでの喧騒が嘘のように静かだ。
ギルドマスターの巨漢――名前は『ガガン』と言うらしい――が対面のソファに座り、エリオットと僕にも座るように勧めた。
エリオットは僕を膝の上に乗せ、片腕でしっかりとガードしたまま座った。まるで僕を誰にも触れさせまいとする鉄壁の守りだ。
ガガンはそんなエリオットの様子を見て、面白そうに鼻を鳴らした。
彼はテーブルの上に置かれた紅茶を一口飲むと、単刀直入に話を切り出した。
ここからの会話は、全てエリオットの念話による通訳を介して行われた。
「『騎士団の“鉄仮面騎士”エリオット殿が、随分と可愛らしい“お荷物”を抱えていると思ったら……まさか、とんでもない爆弾を持ち込んでくるとはな』」
ガガンの視線が、エリオットの手にある紙片に向けられる。
エリオットは観念したように、その紙片をテーブルの上に広げた。
くしゃくしゃになった紙には、僕には読めない文字が並んでいる。
ガガンはそれを覗き込み、深く、重いため息をついた。
「『種族名:妖精(神の愛し子)……。伝説やおとぎ話の類だと思っていたが、実在していたとは』」
神の愛し子。
その響きに、僕は改めて首を傾げる。
「(エリオット、神の愛し子って、そんなにすごいの?)」
僕が念話で聞くと、エリオットは沈痛な面持ちで答えた。
「(……ああ。文献でしか読んだことがない。神に最も愛され、膨大な魔力と生命力を与えられた存在。その肉体そのものが、万病に効く秘薬であり、不老不死の鍵だとも言われている)」
「(えっ)」
何それ、食材扱い?
この体、食べたら美味しいってことか?
「『そりゃあ鑑定水晶も赤く光るわな。測定不能のエラーだ。こんな存在が公になれば、国中……いや、大陸中の権力者が血眼になって奪い合いを始めるぞ』」
ガガンの言葉に、背筋が寒くなる。
僕がこれまで「異世界ファンタジー!」と浮かれていた裏で、そんな危険な設定が付与されていたなんて。
エリオットが僕を隠したがる理由が、ようやくわかった。僕は歩く国家予算……いや、歩く不老不死薬だったのだ。
しかし、ガガンの指摘はそれだけでは終わらなかった。
彼は鋭い眼光で、今度はエリオットを見据えた。
「『だが、問題はそれだけじゃねぇ。……おい騎士様。あんた、自分が何をしてるかわかってんのか?』」
「(……何のことだ)」
エリオットが低く返す。
ガガンは紙片の『スキル』の欄を指で叩いた。
「『固有スキル:生命譲渡。……こいつは、治癒魔法とかじゃねぇな。自分の命を削って、相手に分け与える能力だろう』」
エリオットの肩がビクリと跳ねた。
「『そしてあんた、今、異常な魔力を帯びてるな? 全盛期の倍……いや、人間離れした生命力を感じるぞ』」
ガガンの目が細められる。
「『あんた、この子と繋いだだろう。それも、最上位の契約……“騎士の誓い”ってやつを』」
図星だったのだろう。エリオットは何も言い返せず、ただ唇を噛み締めた。
ガガンは呆れたように天井を仰いだ。
「『馬鹿野郎が。人間同士ならいざ知らず、こんな膨大な生命力の塊である“神の愛し子”と繋いだらどうなるか、想像がつくだろうが』」
ガガンはテーブルに身を乗り出し、残酷な事実を突きつけた。
「『お前は今、この子の命を吸い上げ続けてる状態なんだよ』」
――え?
僕の思考が停止する。
命を、吸い上げてる?
「(……っ!)」
エリオットの顔から、完全に血の気が引いた。
彼は震える手で自分の胸元を押さえた。
「『強すぎる生命力は、繋がった器へと勝手に流れ込む。お前が今、若返ったように元気なのは、この子の寿命を食らっているからだろうな』」
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
エリオットの呼吸が荒くなる。彼は自分の手を見つめ、そして恐る恐る僕を見た。
その瞳には、絶望と自己嫌悪が渦巻いていた。
「(……俺は……陽貴を……食らい続けているのか……?)」
震える念話が聞こえる。
「(助けるつもりで……誓いを立てて……結果、俺は君の命を奪って、自分の糧にしているというのか……?)」
エリオットの腕から力が抜けていく。
彼は僕を抱きしめる資格などないと言わんばかりに、僕を膝から降ろそうとした。
その顔は、今にも泣き出しそうだった。
――違う。
僕は直感的にそう思った。
僕の命がエリオットに流れているのかもしれない。
でも、僕は助けてもらったのだ。今はもう、どこも苦しくない。むしろ、森にいた頃よりもずっと元気だ。
お母さんを治した時のように、体が黒くなったり、透けたりもしていない。
僕はとっさにエリオットの服を掴み、彼にしがみついた。
「(違うよ、エリオット! 君が助けてくれたから、僕は元気だし!)」
「(だが、事実は……! 俺が君を殺しているも同然だ!)」
「(殺してない! 見て、ピンピンしてるから!)」
僕は立ち上がり、その場でくるりと回って見せた。
そして、ガガンに向かって拙い言葉で問いかけた。
「……ぼく、じゅみょ、……いくつ?」
ガガンは僕の言葉に目を丸くしたが、すぐに紙片に視線を落とし、肩をすくめた。
「『測定不能だろうな。……人間とは桁が違う。千年か、あるいは万年か』」
千年!
やっぱり、妖精は長寿設定だったんだ!
僕は満面の笑みでエリオットに向き直った。
「(聞いた? エリオット。僕、たぶん何千年も生きるんだって!)」
「(……え?)」
エリオットが涙目のままキョトンとしている。
「(人間の寿命は、今の僕からしたら瞬きみたいなものなんだよ? だったら、僕の余りある命をエリオットに分けたら、ちょうどいいじゃないか)」
僕はエリオットの頬を両手で挟み、まっすぐに彼を見つめた。
「(むしろ好都合なんだよ。エリオットが先にお爺さんになって死んだら嫌だ。僕の命で長生きしてくれたら、ずっと一緒にいられるでしょ?)」
僕のポジティブすぎる解釈に、エリオットは言葉を失っている。
ガガンが「ぶっ」と吹き出した。
「『はっはっは! こいつは傑作だ! “命を吸われてる”って聞いて、“ちょうどいい”なんて言う奴は初めて見たぞ』」
ガガンは腹を抱えて笑い、そしてニヤリと笑った。
「『ま、理屈としては合ってるな。“神の愛し子”の生命力は無尽蔵に近い。人間一人が吸い取ったところで、湖からコップ一杯の水を汲むようなもんか。枯渇することはねぇよな』」
その言葉に、エリオットの顔にようやく生気が戻ってきた。
彼は僕の手を握りしめ、額を押し当てた。
「(……陽貴。君は……本当に……)」
「(だから気にしないでほしい。僕の命、いくらでも持っていっていいよ! あ、でも痛いのは嫌だから、優しくね?)」
僕が冗談めかして言うと、エリオットは泣き笑いのような顔をして、僕を強く抱きしめた。
「(……ありがとう。この命に代えても、君を幸せにする)」
「(もう命は共有してるんだから、代えたらダメだ)」
僕たちは抱き合って笑った。
ひとまず、命の共有についての誤解(?)は解けたようだ。
だが、ガガンはまだ紙片を締まったわけではなかった。彼の視線は、まだ説明していないもう一つのスキルに向けられていた。
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