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第二部 旅
97、お気をつけて
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夕方になり、ヴェインが書斎にリーリヤとジェードを呼んだ。アルトが盛られたと考えられる毒物について説明するためである。
効果と症状を照らし合わせ、絞られたのは三種類の植物。容易に手に入るものではなく、国外から取り寄せたのではないかと思われた。そうであるなら入手経路を特定するのも簡単そうであったが、未だ証拠をつかむに至っていない。
ヴェインとしてはもう犯人探しなどどうでもよく、とにかく父を回復させる方法を求めているようだ。アルト本人はもう諦めているという。
アルトも名のある魔術師であり、毒物に関しては素人ではない。治す方法などないと知っているからだろう。
リーリヤは書物に描かれた植物の絵を眺め、顎に手をあてて黙っていた。ヴェインは薬についてもう少し相談に乗ってもらいたいらしく、いくつかのものを取りに部屋を出て行った。
二人残された書斎で、リーリヤは言った。
「アルト殿を回復させられるかもしれません」
「本当か」
「ええ。あてがはずれて落胆させたくはないので、ヴェインにはまだ言うべきではないでしょうが……」
この毒によってもたらされた不調を消し去る効能をもつものがあり、それを薬にすれば一口でとは言わないが、一ヶ月ほどで症状が良くなる可能性があるのだ。
「人の国の万年茸と呼ばれるものによく似た茸です。万年茸はかつて不老長寿の妙薬と期待されていましたが、現在では鎮静作用などがあると知られていて薬のように使われているはずです。似たものの方は手に入りにくいのですが、この手の不調にかなり効くと聞きました」
花の貴人の中で最も毒物や薬物に詳しいのは鳥兜公である。彼と話している時に話題に出たのだ。鳥兜公の知識は一度たりとも誤っていたことがなく、信頼できる。
「それはどこにある?」
「虫の国です」
ジェードが眉をひそめた。人の子だけではなく、花の子も容易に踏み入ることが出来ない土地である。
だが、リーリヤは一度訪れている。そこで見たのものが万年茸に似ているがどうも同じものではないようだった、と思い出して鳥兜公に話してみたところ、昔人の国に現れた巨大虫の外郭に生えていて、少量だが採取されたのだという。
その茸は太古の昔、幻獣の時代より生き延びている菌類だそうだ。
試してみる価値はある、とリーリヤは思う。茸の生息地はちょうど、今回の二人の目的地でもあるのだ。
「彼の地に行く理由が、もう一つ増えましたね」
「そうだな」
などと話をしていると、ヴェインが戻ってくる。リーリヤとジェードは今の話を彼には漏らさなかったが、ジェードがこんなことを尋ねた。
「もしお前の父アルトが全快し、宰相職に戻ると言い出したとしたら、お前は止めるか?」
いつもの通り、気の弱い者が聞けば怯んでしまいそうな、感情のこもらない声音である。ヴェインは恐れたりしなかったが、唇を噛んでいた。
一度挫けたアルトだが、責任感の強い彼のことだから、体が動くようになれば気持ちもまた変わるかもしれない。王子達の多くは、弟のノインより、兄のアルトを望んでいる。
だが表舞台に出てくれば、領地に引っ込んでいるよりは遙かに危険な目に遭いやすい。命拾いをしたアルトではあるが、次も助かるとは限らなかった。
父を大切にしているヴェインなら、反対するかもしれない。
「私は……父の気持ちを尊重いたします」
「お前の率直な意見を聞いている」
冷たく言葉が放たれると、途端にヴェインは挑むような視線をジェードへと向けた。
「我が父以外に、宰相の職が務まる者などいないと私は考えております、殿下。私欲のために混乱を招き、悪しき術に溺れる叔父はソルム家の恥にございます。なれど、私を含めたアルトの息子四人は若輩ゆえに、叔父を討つには力が不足しております。父上が再起した暁には、我ら一族はソルムの義を取り戻すためにそろって城へ参じるつもりです!」
噛みつくような言い方であった。目にはかすかに涙の膜が張っている。
女々しく父の身を案じて閉じこめておこうとする気弱な奴だと見られたと、屈辱を感じたのかもしれない。そして、彼は今も悔しがっているのだ。
父を守れなかったこと。叔父に父がいた場所を奪われたこと。父の体を治してやれないこと。
己に力がなく、領地で父の側に控えているしかないのがもどかしいのだろう。
代々宝玉王の側に仕えて、全力で国を守ってきたソルム家の矜持は自分にもある。怒りに満ちた両の眼がそう訴えていた。
「そうか」
ジェードは静かに返事をする。
「私もアルトしかいないと考えている。彼が全快するように祈ろう」
優しさがこもっているとは言い難いが、それでも、ジェードの声は柔らかかった。
「アルトだけではなく、ヴェインやお前の兄にも苦労をかけた。臣下を守れなかった責任は我々にあるだろう。私が兄弟を代表して、建国からの忠臣であるソルムの者達に深謝する」
人斬り王子がこんな発言をするとは予想外だったのか、ヴェインは沸き上がった怒りに水を差されたようで、困惑が顔によぎる。
多弁ではないジェードは言うことを言うと用事は済んだとばかりに出て行こうとしたが、途中で振り向いた。
「兄とはよく話し、いつまでも良好な関係を保てるよう努力をしろ。そして父を敬い、大切にするのを忘れるな。何があっても、どんな時も」
助言の形をした悔恨の吐露であった。
不親切な王子は、戸惑う青年をそのままにして部屋を出て行った。
* * *
第二王子オニキスからは、アルトの元に非常に堅苦しい書面が届いた。内容は、例の件にジェード及び白百合公は無関係だと調べがついた、というものだった。詳細については未だ調査中。早まった動きをした者達へは一週間の謹慎処分を下したという。
王子に斬りかかっておきながら数日の謹慎で済むとは、とリーリヤは呆れた。恐らく副団長の背後に有力者がついているからで、城内の力関係の結果であろうが、これではやりたい放題である。
「お前に無礼すぎるな。やはり剣を交えた時、腕の一本くらいは落としてわからせておくべきだった」
「いえ、私はいいのですが、あなたに対して無礼です。腕は可哀想ですが……せめて私が頭突きをしていればよかった」
などとジェードとリーリヤは話していた。
そういうわけで、晴れて誤解がとけた二人は追っ手も気にせず出発できる運びとなった。馬はソルム家が用意してくれている。
リーリヤはヴェインに頼み、弓も調達してもらった。素材は一般的なイチイの木ではなく、リーリヤのような非力な者でも扱えるよう、魔術がこめられていて軽かった。最低限足手まといにならないよう、武器は携えていった方がいいだろう。
馬に荷を積んでいると、見送りにルカも出て来た。彼は何やらヴェインに絡んでいる。
「俺、もう一泊させてもらおうかな。ここの食事はすごく美味い! ソルム家って金持ちだもんな。いいもん食ってるよ。なあ、ヴェイン。いいだろ」
「殿下が出立するのにどうしてお前が残るんだ。さっさと帰れ」
「昼餉だけご馳走になってもいい?」
「図々しい奴だな!」
ヴェインは断じて仲良くなったなどと言わないだろうが、かなり打ち解けたようである。ルカは人懐っこい犬に似ているし、尻尾を振って付きまとわれ、ヴェインも降参したのだろう。
けれど結局ルカもすぐに戻ることとなり、挨拶のために馬のそばに立つジェード達の方へ近寄ってきた。
「では殿下、ここでお別れですね。俺は城に帰りますから。道中のご無事を祈ってます」
リーリヤは横目でジェードを見てみたが、どうにも浮かない顔をしていた。ほぼ無表情なのだが、眉間と口の端に、いつも以上に力がこもっている。
昨夜ジェードにあてがわれた部屋でリーリヤは数刻話をしていたのだが、その時のことが思い出された。ジェードはルカをかなり心配しているのだ。
ルカが恋人も作らず童貞を貫いているのは、親しい間柄の者ができた場合、人質に取られるのではという懸念があるからだろうとジェードは考えている。自分の存在がルカの行動を縛っているのが心苦しいのだろう。
ルカは今回の騒動で、ジェードに手を貸した。城に戻ればジェードを敵視する者に睨まれるかもしれない。
そんな思いが本人にも伝わったようだ。ルカはわざとらしく息を吸って、吐いた。
「ジェード殿下。俺、もう子供じゃないんですよ」
両腕を組んで、面倒くさそうにジェードを見つめる。
「じゃあね、こうしましょう。俺は戻ったら、ジェード殿下に無理矢理協力させられたって言いますよ。前から俺を気に入ってるみたいだから取り入って、甘い汁吸おうとしてたって。でも、殿下は吝嗇家だから俺に大して小遣いもくれないし、半ば脅すように命令されて最悪だったって吹聴します。子分も卒業だってね! そうしたら、大抵の奴らは信じますよ。俺みたいな若造は軽薄だって思われてますから」
早口で言って、息継ぎをするとさらに続ける。
「それでももし、嘘だと見抜かれて、命を狙われるようなことになれば、恩知らずなようであなたには申し訳ないですけど、国を出てとんずらしますよ。それだけの蓄えはありますからね。どうぞ心配しないでください。俺ってあなたが思っている以上に狡賢いし、たくましいし、自分の面倒はちゃんと自分で見れます」
そしてルカは、笑みをこぼした。
「だから、そんな顔をしないでください、殿下」
まくしたてるような言い方にジェードはまばたきを繰り返していたが、ルカに微笑まれてにわかに顔をしかめた。鏡がないので、どんな表情をしているのかと思ったのだろう。
「俺はうまくやりますから、そうはならないでしょうけど、もし国外に脱出するようなことになったら居場所を知らせますからね。そうして、俺に悪いと思っているなら、是非たくさん金を送ってください。その金で俺は豪遊します」
「調子に乗るな」
やっとジェードらしい一言が飛び出ると、ルカは嬉しそうに笑い声をあげて手を振りながら離れて行った。
馬上に上がりながらジェードが呟く。
「子供だとばかり思っていたが」
「いつの間にか成長していくものなんですよ。いやはやしかし、ジェード様はあの子に負けっぱなしですね」
悪いとは思いつつリーリヤは笑ってしまった。
ルカはああ見えて慧敏な若者だ。ジェードの懸念を先回りして払拭するような話をした。自分はちゃんと考えているから、と伝えたのだ。そして事実、彼であればうまく困難を切り抜けられるだろう。何せ口が達者であり、頭も回る方である。
ジェードの表情の変化は微々たるものであったが、憂慮の度合いを示す眉間の皺が浅くなっていた。
ジェードが振り返ると、玄関口に立つアルトと目が合う。頷くと、あちらも頷き返した。
「お気をつけて!」
ルカが大声をあげ、馬が歩き出す。
「皆さん、ありがとうございました!」
リーリヤも声を出して手を振ると、ジェードと共に出発した。
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