花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

96、前より美しい

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 * * *

 リーリヤとジェードがアルト・ソルム邸に到着した数時間後、別のジェードの部下がジェードの私室から持ち出し損ねた二人の荷物を持って届けてくれた。
 太陽の花に力を送る幻獣の角と黒薔薇の蕾はいつも肌身離さないようにしているし、蜂もちゃんとついてきているのだが、荷物はあった方が都合が良いので助かった。その辺もジェードがぬかりなくあらかじめ手配しておいたらしい。

 リーリヤ、ジェード、ルカは屋敷の客室に泊めてもらい、何事もなく夜は明けた。書簡が届くのは明日になりそうだから、もう一日はゆっくりと滞在するようアルトから伝えられる。リーリヤとジェードは別室だったが、さすがにジェードもここではごねなかった。
 翌日の朝。食事の必要がないリーリヤは茶を用意してもらって、ジェードと顔を合わせた。気がかりだったのはルカとヴェインだ。また揉めていなければいいがと心配していると、ちょうど二人に廊下で出くわした。

「昨日はご迷惑おかけしました、リーリヤ様。俺達仲良くなりましたから、安心してください!」

 元気にルカは説明する。なんでも昨夜、ルカはヴェインの部屋におしかけて一晩中、ジェード王子の人柄について熱く語っていたそうだ。そして、わかってくれたと嬉しそうに頷いている。
 隣に立っているヴェインは寝不足なのか顔色が悪い。このやかましい騎士団の青年を追い返せず、根負けしたのだろう。
 リーリヤは苦笑しつつ「よいことです」と二人の肩を叩いた。

「そうだ、ヴェイン。こちらのお庭を見せていただいてもよろしいですか? 昨夜到着した時にも見事だと思いましたが、明るくなって窓から見ても実に素晴らしい」

 庭師のリーリヤは植物が好きで、整えられた庭というのに興味がある。見てみたくてうずうずしていた。
 警戒を解いてくれたらしいヴェインも快く許可してくれたので、庭へと出てみる。
 花がたくさん植えられている庭もあるが、香草や薬草を育てている畑もあった。魔術師というのは大抵、魔術の他、薬学も学ぶので手ずから薬を調合する機会が多いのだそうだ。
 リーリヤは連れてきていた蜂を放し、花を見て回った。

 花の国と人の国の花は、一見種類が同じように見えても別物である。
 人の国の花は送粉、受粉し、種などが作られて次代へと繋いでいくが、花の国の方はそうした増え方はしない。

「人の国の花は面白いです。増えるため――虫や獣などの送粉者を呼び寄せるために香りを放ったり花弁が鮮やかになる」
「私は、花の国の花の方が不思議に思えますね。美しくあるためだけに咲くとは……」

 案内役としてリーリヤと並んで歩くヴェインは首を傾げている。
 花の国に咲く花は、枯れずに消えることがほとんどで、術によって操作をすれば結実も可能だが基本的には実をつけず、最も美しい形で咲き続けている。
 花の国にはほとんど、花しかいない。けれど人の国は、花の他にも人や獣、虫がいて、なんとも賑やかだ。花の子は虫を嫌うが、人の国の虫と花は共生関係にあるのがリーリヤには興味深かった。

 薬草園には貴重な種類の植物が揃っている。一年の間に季節が移ろい、寒暖差がある土地がほとんどの人の国で、こうしてたくさんの薬草を育てるのは骨が折れることだろう。

「ここは私が管理しているのです。父の具合を少しでも良くして差し上げたくて……」

 彼の表情は、その努力が報われていないのを示していた。父親想いの息子である。だからこそ昨晩、また厄介ごとを持ち込みに来たのかもしれない王子一行を追い返そうとしていたのだ。
 リーリヤはアルトの詳しい状態と、現在調合している薬についてヴェインから聞き出し、調合について助言を与えた。

 人の子の体について深く知っているわけではないが、花の子と人の子の肉体は似ている。以前旅した時にリーリヤは薬を人々に与えていたし、植物の知識はあるので薬を作るのは得意な方であった。
 ヴェインはリーリヤの説明に真剣に聞き入って、早速用意してみると去って行った。

 だが所詮は苦痛を和らげる効果しかなく、根本的に治すものではない。毒物が特定されているのかどうか、後で聞いてみるべきだろう、と思いながらリーリヤはヴェインの背中を見送った。
 そしてヴェインと入れ替わるようにしてやって来たのはジェードだった。リーリヤはジェードと二人で花咲く庭を散歩する。

 薬草園などは実用を目的としているが、こちらの庭は観賞用のようだ。手入れも行き届いており、家人が花を好いているのが伝わってくる。
 花宮殿に存在している庭とは比べものにならないくらいこじんまりとしているものの、リーリヤはこの庭が気に入った。良い庭の条件は、広いことではないのだ。

「自分の庭が欲しいと思ったことは?」

 ジェードが唐突にそんな問いかけをしてきた。リーリヤは少し考えてから口を開く。

「そうですね。自分の庭を持てたら、楽しいでしょうね」

 リーリヤは宮殿の庭の世話をしているが、そこにあるものは共有物であり、リーリヤのものではない。管理しているのだからある程度は好きにしているが、口を出されればそれに従うのだ。

「もしもお前が人の子だったら、小さな庭を持ち、毎日世話に明け暮れていたかもしれないな」
「そうかもしれません。喧噪から離れた森の奥にささやかな家を立て、黙々と花を愛でていたのかも」

 そんな生活をしてみたいと思った。今まで考えてもみなかったが、花と緑に囲まれた静謐な暮らしというのはリーリヤが欲しているものだったのかもしれない。
 ごく普通の人の子に生まれてきて、惨めな族長だったという後悔も背負わず、あらゆる怒りや悲しみから離れて過ごす日々。無垢なまま草花と語り合い生きていく。

 それはとても――魅力的だった。
 いる必要もないのに頑固に宮殿に住み続け、お節介に他人に口を出し、厄介ごとに巻き込まれるよりは、余程いいのかもしれない。どんな生き物に変わったところで自分は力に恵まれない気がするし、そうであるならひっそりと世界の片隅で生きていた方がいい。
 ふっと笑ってリーリヤはジェードを見上げた。

「そんな空想をしても実現するはずがないですから、夢を見るのもほどほどにしておかないといけないですけどね」

 ジェードは目を細めただけだった。想像するくらいはいいのではないかと言いたいのかもしれない。その空想の光景には、お前が一人で住むんじゃない、私も共に住まわせろ、と。
 それも悪くないかも。そう戯れに考えていたリーリヤは、昨日のことを思い出した。

「あなたは偉かったですね。お兄様を責めなかった」

 アルトも一番辛く当たられたのはジェードだったと言っていたし、彼は許さない権利があるだろう。「とはいえ馴れ合うつもりもない」と憮然とジェードは強調するが、そのまま続けた。

「これまでは全く思いもしなかったのだ。兄弟に情など湧かないし、誰がどうなっても構わなかった。しかし、お前が私を気にかけてくれたから変わったのだろうな」

 ジェードは愛などという温かい感情を知らなかったと打ち明ける。父母の愛も、兄弟の愛も受けていない。与えられなかったものを、誰かに与えるのは困難だ。

「お前を見て、思いやりというものを学んだ。それが、生きていく上で非常に重要な意味を持つものだと気づかされた。お前の笑顔は陽の光のようで、私の心の中にある、固く結んだままの何かを綻ばせる。兄弟に対する猜疑心が薄らいで、彼らに同情を寄せ、健やかであるように祈れるのは、お前のおかげだ。感謝している」

 そうだ。だから人は、我々は、互いを思いやらなければならないのだ。
 小さな温もりは世界を変えないし、腹の足しにもなりはしないが、心が氷漬けになるのを防いでくれるかもしれない。凍えなかった人はその温もりをまた誰かに分けて、いずれは皆で暖まることができるかもしれない。

「あなたがそう思われたのは、あなたが優しいからですよ。ジェード様」
「お前がいなければ私は凍えたまま、氷の刃で人を斬っていただけだ」

 リーリヤはジェードと見つめ合った。彼の翡翠色の瞳が、前とはどこか違うような気がしてリーリヤは凝視する。

(前にも増して、この方の瞳が美しく見える)

 何が変わったわけでもないというのに。そもそもジェードは出会った当初から、文句のつけどころもないほど優れた容貌をしており、瞳も貴石と見紛うばかりであった。
 内面に変化があったと本人は言うが、その本質は同じであるし、それが表面化したに過ぎないのだからリーリヤの目に変わったこととして映るはずもないのだが。

(でも確かに、ジェード様の目は、お顔は、前より美しい。どうしてだろう?)

 胸の奥で光の粒がきらきらと弾けて少しずつ噴き上がってくるような、不思議で心地良い感覚があった。
 戸惑いながらジェードの顔に見入っていると、誰かの視線を感じてリーリヤはそちらを向いた。

 離れたところにルカが立っている。ルカは景色に同化したように微動だにせずそこにいた。おそらく彼も庭を散策しているところで自分達に出くわしたのだろう。

「ルカ。私達は口づけなどしていませんよ。余所様のお屋敷で、まさかそんなことはしません」

 本当である。するつもりもなかった。しかし何か言われる前から弁解したのは、どこか後ろめたい気持ちがあったからだろう。

「いやぁ、俺からしてみれば、してるも同然でしたけどね……」

 雰囲気で言えばそうなのかもしれない。唇が触れているか触れていないかの違いしかなく、心では触れ合っており、接吻に近いのだろう。

(気をつけているつもりだけど、ジェード様と話していると、時々社会的に適正な距離というものを失念してしまうな)

 リーリヤはジェードから半歩ほど身を引いた。ジェードはルカに、研いだ刃物のような鋭い視線を向け、危機を感じたらしいルカは身を縮めて立ち去っていった。
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