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第二部 旅
95、褒めるぞ
しおりを挟む部屋を出て行こうとしたところで、「殿下、あと少しよろしいですか」と声をかけられ、リーリヤは「私はちょっとルカの様子を見てきますね」と一人出て行った。余所者のリーリヤがいない方が、話しやすいこともあるとの配慮である。
アルトの館では危険もないだろうと、ジェードもすんなりリーリヤが離れるのを許してくれた。
ジェードから「一番まとも」とお墨付きをもらっているのも頷けるほど、アルト・ソルムは人格者であるらしかった。あれは利己心のために他人へ媚びへつらえる人間ではない。これまで、さぞ多くの者から怒りと恨みを買いながら物事を正してきたのだろう。
アルトが戻れば、多少は城の秩序も回復しそうなのだから惜しかった。けれど無理はさせられないし、気の強そうなあの老人が首を横に振るのだから、よほど状態は悪いのだ。
リーリヤは執事に案内されて、ルカが待機している部屋へと向かった。
「おい! ふざけんなよ! もう一度言ってみろ!」
威勢の良い怒鳴り声が聞こえてきて、リーリヤはおやおやと目を丸くする。声の主は当然ながらルカである。
室内の不穏な空気に執事は顔を強ばらせたが、リーリヤは大丈夫だと手で合図をして中を確認する。
向かい合っているのはルカと、ソルム家の四男ヴェインであった。歳が近そうな彼らは、今にもつかみかかりそうな雰囲気で互いを睨んでいる。
「どうかしたのですか、ルカ」
声をかけると二人ははっとしたが、すぐに顔をしかめた。ルカはヴェイン・ソルムを指さしながら声をあげる。
「こいつが、ジェード殿下を侮辱したんです!」
「ほう」
するとヴェインは、ふんと鼻を鳴らして目をそらした。
「私は殿下に良い噂を聞かないから信用ならないと正直に言っただけだ」
「噂で判断するのは馬鹿のやることなんだよ!」
「父上は気苦労が耐えなかった。その苦労の原因は殿下にもあると私は思っている」
「殿下だって大変だったんだ」
「私の父の方が大変だった」
「何を根拠に言ってんだよ! お前本当、いけ好かない奴だな。魔術師って偉そうな奴ばっかりだ!」
ヴェインも父と同じく魔術師のようだ。ソルム家は魔術師の家系なのかもしれない。一方ルカは双剣使いの叩き上げの剣士である。
「騎士というのはもう少し品があるかと思ったがな。剣を振り回すだけの輩はやはり粗野だ」
「それ以上悪口言ってみろ、俺はお前に正式に決闘を申し込むからな!」
「あんまり幼稚な振る舞いをすると、主の品格まで疑われるから気をつけた方がいいぞ」
「このっ……! リーリヤ様! こいつ酷いでしょう! さっきからずっとこんな調子なんですよ! リーリヤ様もなんとか言ってやってください! ……あの、リーリヤ様?」
息巻いていたルカだったが、リーリヤを見て顔に困惑を浮かべている。リーリヤはにこにこと微笑みながら二人を見守っていたのだ。ルカはリーリヤも怒って加勢してくれるか、もしくは悲しむくらいはするかと思ったのだろう。笑っているのは予想外だという表情である。
「若者の喧嘩というのは微笑ましいものです」
元気良く言い争う姿は生命力に溢れていて、愛らしい。揉め事は宮殿でもしょっちゅう見かけるが、あれは年季が入っている。仲裁に入るべきなのだろうが、まだ取っ組み合ってもおらず、若々しい熱量はかえってリーリヤを和やかな気持ちにさせたのだった。
笑うリーリヤに毒気を抜かれた青年達は、顔を見合わせている。
「リーリヤ様……まるで五つか六つくらいの子供を見るみたいな目つきですよ」
「私からすれば、あなた達は幼子同然ですからねぇ」
ルカは「いや……」と何か言いかけたが軽く両手を上げると、力なく応接用の椅子に座り込んだ。
「やめだ、やめ。阿呆らしくなってきた……」
子供扱いされるのを嫌がる彼は怒りが一気に萎んだらしく、椅子の上でうなだれている。ヴェインの方もなんとも言えない顔つきであった。
素直な気持ちを口にしただけであったのだが、言い争いは止められたようだった。まあ、どちらも譲れないもののために腹を立てていたらしいから理解はできる。
「あなたは花の国からいらした、白百合公ですね」
ヴェインに言われて、リーリヤは「ええ」と返事をした。目つきからすると、彼はジェード王子同様、リーリヤも警戒しているようだ。本当に花の子だろうかと疑っているのかもしれない。
それを敏感に感じ取ったルカが怒りを再燃させそうになったのでリーリヤは制し、花瓶に飾られていた花の方に近寄った。赤い薔薇だが、幾分か萎れてきている。リーリヤはその花にふうっと息を吹きかけた。すると、花は見る間に生き生きとする。
「これは、人の子にはできないでしょう。私が花の子だと、信じていただけますか?」
リーリヤは保有魔力が少ないが、この程度であれば難なくこなせる。術のうちにも入らず、貴人ではない花の子であっても、人の国の切り花を回復させられるのである。
魔術師というのならこれくらいの知識はあるはずだ。ヴェインは目を見開き、気まずそうに視線を落とした。
「お前、馬鹿だな! 顔を見ればわかるだろうが。リーリヤ様みたいな浮き世離れした美しい方が、人間なわけがない」
憤慨するルカにリーリヤは苦笑した。
「さほど特別な容姿というわけではないですから、見ただけでわかりませんよ」
私はジェード様の美しい花、と思うことに決めたので、リーリヤは自分を「美しくない」と言うのはやめにしている。けれど他の貴人に比べるとやはり地味であるという自覚はあった。
何故だかルカとヴェインはぎょっとしている。
「特別ですよ、リーリヤ様。毎日ご自分の顔を鏡で見て、見惚れるでしょう?」
鏡に映った顔にうっとりして頬に手をあてる自分。想像するだけでも噴飯ものの光景である。リーリヤは自分の顔になど興味がなかった。
そんなわけないですよ、と笑い出すリーリヤに、ルカは怪訝そうにしている。
「なんだか、殿下とリーリヤ様が話しているのを横で聞いていて、たまに話が噛み合ってないなと思ってたんですが、もしかしてそういうことですか? 自覚がないんですか?」
ルカはリーリヤの肩をつかんで、ヴェインの方へと突き出した。
「なあ、リーリヤ様は美人だよな?」
顔を近づけられたヴェインはちょっと赤面して小声で答える。
「あなたはお美しいです、白百合公」
「ルカ。この子に気をつかわせたではないですか」
こんな風に詰め寄られたら、ヴェインだってそう言うしかないではないか。
「ジェード殿下はリーリヤ様を美しいって褒めたりしないんですか?」
「殿下は褒めてくださいますけど……」
惚れた欲目というのもあるし、との言葉は出さないでおいたが伝わってしまったらしい。ルカはため息をついていた。
「いけませんよ、リーリヤ様。その美貌に自覚を持っていただかないと、危ないじゃないですか。おい、お前ヴェインとか言ったな。リーリヤ様を褒めるぞ。殿下の賛辞じゃまだ足りないらしい」
するとそこからルカとヴェインはリーリヤの外見を絶賛し始めた。
「いいですか、リーリヤ様はお顔の造りが繊細で、美人でありながら可愛らしいんです。大人びて見えることもありますが、乙女のように見えたりもします。こんな方はそういらっしゃいません!」
「白百合公は御髪も見事でいらっしゃいます。雪より真白で、尊く艶やかです」
「どの角度から見ても素敵なお顔立ちなんですよ。染み一つない肌は誰の目だって釘付けにしてしまいます!」
「あなたは体の輪郭一つとっても美しくていらっしゃる」
先ほどまで一触即発という空気であったのに、二人は結託したようにリーリヤの前に立って褒めちぎってくる。そんな青年達に気圧されて、リーリヤは後ずさりしていた。
そもそもリーリヤは褒められるのが得意ではない。大体のことは笑って受け流せるものの、子供達に真剣な顔で、必死にこんな言葉を浴びせられ続ければどう反応していいか困ってしまう。
――どうしてこうなったんだろう。
勘弁してください、とリーリヤが顔を赤らめても二人は口を閉じようとしなかった。ようやくジェードがやってきたのでこれ幸いとそちらに逃げる。事情を聞いたジェードはしかし、二人にやめるよう注意はしなかった。
「事実だからな」
そう言って彼は取り合ってくれなかったのだった。
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