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第1章
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しかしそう簡単にはうまくいくことはなかった。
最初に処方された抑制剤は弱かったせいか全く効かず、次に処方されたものは体質に合わずに高熱が出てしまい、結局三つ目に処方された薬と付き合っていくことになった。
『オメリド』と呼ばれるこの薬は、抑制剤の中でも最も強いもので、対アルファに対する効果は覿面。これを服用している限り、未紘は再び平穏な日々を送ることが叶う。
ただ一つ問題点があるとすれば、オメリドは副作用がとんでもなく強かった。
「未紘~大丈夫かよ。移動するぞ~」
大教室で机に突っ伏して寝ていたところ、身体を揺さぶられてゆっくりと顔を上げた。
いつのまにか講義は終わっていたらしい。頭が鈍器で殴られているみたいにガンガンと痛んで、目の前がモヤがかかったみたいに白く霞んでいるせいで、前方のスクリーンに何が映っているのかが全く見えない。
「う……なんか目の前が点滅してんだけど……」
「こりゃ重症だ」
「てかなんで抑制剤なんか飲んでるの? 番持ちなのに」
「俺も知らん」
「無理吐く……っ!」
友人達が話すのを横目に、口元を抑えながらトイレに向かって勢いよく駆け出す。
なんとか間に合って胃の中のものを全部吐き出した後に、便器に顔を突っ込んだまま意識を失いかけた。
(……こんなの飲み続けたら、じわじわ弱ってそのうち死んじまう)
狭い個室トイレの中で、最後の望みが潰える音が聞こえた。それと同時に今この瞬間に、未紘はとある決意を胸に固めた。
*
夜になると未紘は、神妙な面持ちで|藤城の部屋の前に立っていた。コンコン、と扉をノックすると、中からどーぞ、と間延びした声が返ってきた。
この部屋の扉を開くのは初めてだ。開けると、室内が思っていたよりも殺風景なことに驚いた。
未紘の部屋よりも広々としている割には、ベッドと本棚、ソファーにチェストと、必要最低限のものしか置かれていない。
「珍し。なんか用?」
藤城はソファーに寝転んで本を読んでいるようだった。未紘が入ってきても起き上がる素振りすら見せない。
「そういえば今日のシチュー美味かったよ。でも野菜はもっと細かい方が好きかも。ごろごろしてんの食いにくいじゃん」
「……あのさ」
「うん、なに?」
彼がぱらぱらとページを捲る音だけが静かな空間に響く。覚悟を決めてやってきたはずなのに、続く言葉を口にするのはやっぱり気が引ける。
それでももう、これ以外に選択肢が残されていない。
未紘はすうっと息を吸い込んでから、蚊の鳴くような声で言った。
「………………抱いてくれないすか」
人生で一番屈辱的かつ恥辱的な瞬間かもしれない。
知らず知らずのうちに視線が下がっていく。室内はあっという間に重苦しい沈黙に包まれた。
「やば、耳悪くなったかも。変な風に聞こえた。ごめんもう一回言ってくんない?」
「抱いてほしい」
「うわマジか、間違ってねえじゃん…………はあ」
とてつもなく大きなため息が聞こえたと思ったら、ようやく藤城は本を閉じてくれた。
のっそりと身体を起こして、長い足をソファーに投げ出したまま、不機嫌そうに未紘を見る。
「俺らのルール、三つ挙げてみ」
「一緒に生活すること、発情期が来たらすぐに知らせること、互いに必要以上に干渉しないこと」
「その"必要"におまえを抱くことは入ると思う?」
「……入らねー、けど、抱いてくれなきゃ困る」
じゃないと抑制剤の副作用で散々苦しんだ挙句死ぬか、道端でどこぞのアルファに強姦されて社会的に死ぬ。
その二つに比べたら、たった一度この男に抱かれるのに耐える方がまだマシだと、未紘は理性的に判断した。
「おまえさ、そんな顔すれば俺が首を縦に振ると思った?」
自分は一体どんな顔をしていたのだろう。ばつが悪い気持ちになりながら彼を見ると、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「絶対無理。最初に言ったけど俺は反吐が出るほどオメガが嫌いなの。オメガを抱くぐらいならネズミと交尾した方がマシ」
「じゃあ俺のことネズミだと思えばいいだろ」
「どう見ても人間だろうが」
「ってかオメガオメガって、人のことバース性で見てんじゃねーよ。失礼だろ」
この二年半、オメガとしての役割を要求されたことは一度もなかったから、てっきり自分のことを対等に見てくれているのだと思い上がっていた。
だけどそれは必要最低限の関わり方しかしてこなかったからなのだろう。
この男の価値観は出会った頃から何一つアップデートされていない。
未紘が相も変わらず、オメガとしての自分を受け入れられないのと同じように。
最初に処方された抑制剤は弱かったせいか全く効かず、次に処方されたものは体質に合わずに高熱が出てしまい、結局三つ目に処方された薬と付き合っていくことになった。
『オメリド』と呼ばれるこの薬は、抑制剤の中でも最も強いもので、対アルファに対する効果は覿面。これを服用している限り、未紘は再び平穏な日々を送ることが叶う。
ただ一つ問題点があるとすれば、オメリドは副作用がとんでもなく強かった。
「未紘~大丈夫かよ。移動するぞ~」
大教室で机に突っ伏して寝ていたところ、身体を揺さぶられてゆっくりと顔を上げた。
いつのまにか講義は終わっていたらしい。頭が鈍器で殴られているみたいにガンガンと痛んで、目の前がモヤがかかったみたいに白く霞んでいるせいで、前方のスクリーンに何が映っているのかが全く見えない。
「う……なんか目の前が点滅してんだけど……」
「こりゃ重症だ」
「てかなんで抑制剤なんか飲んでるの? 番持ちなのに」
「俺も知らん」
「無理吐く……っ!」
友人達が話すのを横目に、口元を抑えながらトイレに向かって勢いよく駆け出す。
なんとか間に合って胃の中のものを全部吐き出した後に、便器に顔を突っ込んだまま意識を失いかけた。
(……こんなの飲み続けたら、じわじわ弱ってそのうち死んじまう)
狭い個室トイレの中で、最後の望みが潰える音が聞こえた。それと同時に今この瞬間に、未紘はとある決意を胸に固めた。
*
夜になると未紘は、神妙な面持ちで|藤城の部屋の前に立っていた。コンコン、と扉をノックすると、中からどーぞ、と間延びした声が返ってきた。
この部屋の扉を開くのは初めてだ。開けると、室内が思っていたよりも殺風景なことに驚いた。
未紘の部屋よりも広々としている割には、ベッドと本棚、ソファーにチェストと、必要最低限のものしか置かれていない。
「珍し。なんか用?」
藤城はソファーに寝転んで本を読んでいるようだった。未紘が入ってきても起き上がる素振りすら見せない。
「そういえば今日のシチュー美味かったよ。でも野菜はもっと細かい方が好きかも。ごろごろしてんの食いにくいじゃん」
「……あのさ」
「うん、なに?」
彼がぱらぱらとページを捲る音だけが静かな空間に響く。覚悟を決めてやってきたはずなのに、続く言葉を口にするのはやっぱり気が引ける。
それでももう、これ以外に選択肢が残されていない。
未紘はすうっと息を吸い込んでから、蚊の鳴くような声で言った。
「………………抱いてくれないすか」
人生で一番屈辱的かつ恥辱的な瞬間かもしれない。
知らず知らずのうちに視線が下がっていく。室内はあっという間に重苦しい沈黙に包まれた。
「やば、耳悪くなったかも。変な風に聞こえた。ごめんもう一回言ってくんない?」
「抱いてほしい」
「うわマジか、間違ってねえじゃん…………はあ」
とてつもなく大きなため息が聞こえたと思ったら、ようやく藤城は本を閉じてくれた。
のっそりと身体を起こして、長い足をソファーに投げ出したまま、不機嫌そうに未紘を見る。
「俺らのルール、三つ挙げてみ」
「一緒に生活すること、発情期が来たらすぐに知らせること、互いに必要以上に干渉しないこと」
「その"必要"におまえを抱くことは入ると思う?」
「……入らねー、けど、抱いてくれなきゃ困る」
じゃないと抑制剤の副作用で散々苦しんだ挙句死ぬか、道端でどこぞのアルファに強姦されて社会的に死ぬ。
その二つに比べたら、たった一度この男に抱かれるのに耐える方がまだマシだと、未紘は理性的に判断した。
「おまえさ、そんな顔すれば俺が首を縦に振ると思った?」
自分は一体どんな顔をしていたのだろう。ばつが悪い気持ちになりながら彼を見ると、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「絶対無理。最初に言ったけど俺は反吐が出るほどオメガが嫌いなの。オメガを抱くぐらいならネズミと交尾した方がマシ」
「じゃあ俺のことネズミだと思えばいいだろ」
「どう見ても人間だろうが」
「ってかオメガオメガって、人のことバース性で見てんじゃねーよ。失礼だろ」
この二年半、オメガとしての役割を要求されたことは一度もなかったから、てっきり自分のことを対等に見てくれているのだと思い上がっていた。
だけどそれは必要最低限の関わり方しかしてこなかったからなのだろう。
この男の価値観は出会った頃から何一つアップデートされていない。
未紘が相も変わらず、オメガとしての自分を受け入れられないのと同じように。
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