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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第66話 決戦前Ⅶーー@旧ネルグリア帝国領、@北方防衛線

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【ネルグリア旧帝国領】

 聖アルマイトより北東に位置するネルグリア帝国は、一昨年の大戦で勝利を収めた聖アルマイト王国の占領下にあった。今では旧帝国領と呼ばれている。

 終戦直後は現地民の聖アルマイトに対する反感情が苛烈だったため治安が非常に悪かった。そしてその当時は、聖アルマイトも狂暴さで知られる紅血騎士団が統括していた。

 聖アルマイトの支配を良しとしない帝国民(主に兵士のような軍人や元幹部といった面々だったが)と、容赦なく反勢力を虐待する聖アルマイト第1王女ラミア=リ=アルマイトの衝突ーー

 結局はラミアの徹底した冷酷さと非常さに、反勢力は身体も心も完全に挫かれた。

 その後、紅血騎士団の役目を引き継いだのが、帝国との大戦でも第一線で活躍したマグナ=ダイグロフ侯爵だった。

 聖アルマイト内有力諸侯の中でもトップクラスの勢力を保持し、親カリオス派筆頭として知られるマグナは、聖アルマイト東方のダイグロフ領を治めている領主である。

 ラミアによってすっかり牙を抜かれた旧帝国民に対して、マグナはカリオスの意思に沿うように穏和に接することで、帝国民の聖アルマイトへの恐怖を信頼へと上塗りしていった。

 マグナがやってきて、もう少しで1年が経とうとしている。まだ手放しに出来る状況ではないが、それでも去年と比べると情勢はかなり安定してきているというのが、ここ旧帝国領の現状だった。

 その日マグナは、視察という名目で旧帝国領内のとある大都市の中を歩いていた。

 まだそこかしこに戦争の爪痕は残っており、損壊したままになっている建物も少なくない。しかし、復旧作業にあたる現地民やそれを助けるダイグロフ部隊の兵士も王都から派遣されている龍牙騎士達ーーかつては外国人同士で戦争をしていたにも関わらず、こうして手を取り合って協力出来ていることは、良いことだとマグナは思う。

 マグナは50に差し掛かろうかという程の年齢である。スキンヘッドに、顔には黒々とした髭を豊かに蓄えており、体格も180cmを超える大柄で恰幅も良く、一目で見ていかつい容貌だ。とはいえ同じ「恰幅が良い」アイドラド=クラベール侯爵とは違って、戦士であるマグナの場合は、その身体のほとんどが筋肉である。

「去年に比べて、ここいらもようやく穏やかになってきたなぁ。グラーヴュ?」

 マグナは帯同している側近のグラーヴュ=リュズガルド伯爵へと、笑みを浮かべながら声を掛けた。

 リュズガルド家当主のグラーヴュは、マグナとは対照的で細身な体躯の壮年だ。年齢はマグナよりもやや下だが、マグナに負けずとも劣らない貴族の風格が顔つきに出ており、全体として精悍な雰囲気を放っている。

「ダイグロフ侯の努力の賜物でしょう。ここに来てから、貴方は働きすぎですよ」

「がははは。西の方ではもっと大変なことになってるからな。俺だけがサボるわけにもいかんだろうよ」

 腕を組みながら豪快に笑うマグナだったが、グラーヴュは特に表情の変化を見せずに無言でうなずくだけだった。

 そんな様子のグラーヴュを見ていると、マグナは何かを思い出したような顔をする。

「そういや、お前のところの次男坊は王都で無事士官出来たらしいな」

「――ええ。どうも、新しい元帥様の補佐官に抜擢されたようで……こちらも大変な状況なのに、具足の我儘を認めて下さり、ありがとうございました」

「いやまあ、正直スタインが抜けるのは痛かったが……」

 スタイン=リュズガルド。リュズガルド家の次男であり、ダイグロフ部隊の後方支援を一手に担っていた彼が抜けた穴は、正直痛い。

「でもまあ、仕方ねぇ。あいつ自身が望んだことだからな」

「まだ、兄シュレツィアのことを引き摺っているようで。当家の私的な事情で申し訳ありません」

「……まあ、シュレツィアのことは残念だったが仕方ねぇ。病気だったんだからな」

 スタインの大出世を祝福しようとしたのだが、どうも話が暗い方向に進んでしまいそうだった。マグナは腕組みをそのままに、その話題を出したことに若干後悔しながら瞑目する。

 すると――

「誰か……誰か捕まえて!」

 遠くで女性の悲鳴が聞こえてきて、マグナもグラーヴュもハッと顔を上げる。

 程なくして2人の方へ走ってきたのは、旧ネルグリア帝国の甲冑を着こなした騎士風の男である。

 両手で袋を抱えるようにしながら走ってくるその男は、マグナ達に気が付くと顔を引きつらせる。

「げええっ! ダイグロフ侯爵、何でこんなところに……?」

 その騎士風の男は、驚くとともに覚悟を決めたようで、両手で持っていた袋を片手に持ち帰ると、腰の剣に手を掛ける。

 それを見て、グラーヴュも同じく腰の剣に手を掛けるーーが、一歩前に出たマグナに手で制される。

「どけぇぇぇっ!」

「――ふんっ!」

 剣を抜いて、斬りかかってくる男――マグナは背中に背負うようにしていた巨大な斧を手に持つと、上から下へ力づくに振り下ろす。

「う、うあああっ!」

 男がマグナへ向けていた剣は、真上から振ってきたその斧に砕かれてその形を失う。そして男自身も、その圧倒的な力にバランスを崩されて、前のめりに転倒する。

「ひっとらえろ」

 吐き捨てるように言ったマグナの言葉に少し遅れて、周りでのダイグロフ部隊の面々が騒動に気づく。そしてすぐに彼らが男に群がるようにして、その身を拘束する。

 そしてその後、ぜえぜえと息も絶え絶えに走ってきた中年女性が、慌ててマグナに近寄ってくると

「ああぁ。ありがとうございます、ありがとうございます。それが無ければ、子供達ともども飢え死にするところでございました」

「いいってことよ。今後は気を付けろよ」

 そう言いながら、ダイグロフは騎士風の男から取り返した袋を彼女に渡すと、その女性は泣きながら何度もお礼を言って去って行った。

「穏やかになってきたんじゃなかったのか?」

「……」

 そんなマグナが零した言葉に、グラーヴュは返す言葉がなく押し黙る。それを言ったのはグラーヴュではなく、マグナではあったが。

「ありゃ、帝国兵の残党か。一市民から食料を盗むなんて、地に落ちるたぁこのことだな」

「そのことですが……」

 マグナが、兵士達が拘束し連れて行った犯人について言及すると、グラーヴュは重苦しく口を開いた。

「地下に潜って活動を潜めていましたが、また帝国の残党――奴らはレジタンスなどと自称していますが、動きが活発化してきています」

「どういうことだ、そりゃ」

「どうも裏で彼らを援助していている外部勢力が介入しているようで……」

 グラーヴュのその言葉を聞くと、マグナはうんざりしたように両目を手で覆い、天を仰ぐ。

「勘弁してくれよ。どうしたら連合がこんなところにまでちょっかい出せるってんだ?」

「海路のようですね。連合は外海とも取引があるらしく、海洋技術については大陸随一ですから。こちらの警戒網をくぐって、北部の海岸線にそれらしい船影の報告が上がっています」

 旧帝国領の最北端は海岸線に面している。そこは人口も少なく、都市のような施設も皆無に少ない。したがって警備の手がどうしても薄くなってしまうし、現状ではそこまで完璧に警戒する余裕も無い。

 多少警備を強める必要はあるものの、ルートがそこからだとしたら完全に取り締まるのは難しいかもしれない。マグナは再び大きなため息を吐く。

「西方の戦いでは、うちは第2王女派に負け続けているみたいだからな。連合の援助もあれば、この機に乗じてレジスタンスとやらが勢いづくのも当然か」

 腕組みをしながら、諦めたように愚痴をこぼすマグナ。

 第2王女派との戦いが、今後も劣勢が続くようであれば、こちらの情勢も悪い方向へ向かうのは明らかだ。聖アルマイトの支配を不服としている人間を勢いづかせ、大きな反乱の芽になることは間違いない。

 そうなれば、マグナがこの地に赴く前の、ラミアが統治していた時の状況に逆戻りだ。帝国領の統治については穏健派であるマグナとしても、現地民に苛烈に武力蜂起をされるようなことがあれば、ラミアに倣うしかなくなる。

「先ほどのやせ細った女性を見て分かるように、まだこの地は復興の真っ只中です。順調に復興しつつあるからこそ、こんな状況で反乱が起こるようなことがあれば……」

 最も被害をこうむるのは、非戦闘員である一般市民達だろう。それは何としても避けたい状況だ。

「とはいっても、レジスタンスの連中の勢いを削ぐためには――」

 第2王女派の戦いに勝利すること。少なくとも優勢に事を進めることが最低条件だ。レジスタンスのスポンサーになっているであろう第2王女派が第1王子派に押されるようなことがあれば、レジスタンスも士気を衰えさせるだろう。

 現地のマグナ達が出来ることは反抗してきた彼らを武力で抑え込むことくらいだ。根本的な部分については、第2王女派と前線で戦っている人間に任せるしかない。

「スタインの今の上司――コウメイとかいう名前だったか。新しい元帥殿に託すしかねえな」

 クラベール城塞都市から遠く東方の地――ネルグリア旧帝国領から。

 『女傑』フェスティアとの決戦に臨むコウメイへ、マグナは希望は託すしかなかった。


【王都ユールディア 北方防衛線】

 前代未聞の内乱に苦慮している王都ユールディアをこの機に攻略するべく、北小国家群の中で最大国力を有するカイライ国が牙を剥いていた。

 そしてそのカイライ国の動きに合わせて、もともと聖アルマイトに反感を抱いていた国家の中から彼の国に追従する動きを見せる国々もある。

 それらは軍事同盟を結びながら、北方より王都ユールディアへ向けて侵攻を続けていた。それら合同軍の猛攻を受け止めているのは、ルエールの後を継いで龍牙騎士団長の座についた『堅鱗』クルーズ=ルメイラ率いる部隊だ。

 第2王女派が王都へ侵攻を進めるのに比例して、小国家群からの攻撃は激しくなっていた。もはやそれは「ちょっかい」というレベルではなく、本格的な戦争といっていいほどの規模に拡大している。

「団長、第3路突破されました」

 王都ユールディア北方防衛の要にして最終防衛線であるサンミュエル砦にて、クルーズはその報告を受け取った。

「第2路の部隊を回して第3路の侵攻を食い止めろ。第4路は敵を通して良い。その代わり、深く入り込まれている第5路は戦線を押し戻せ。第5路を奪還すれば、第3路に進撃してきた敵も撤退せざるを得ないだろう」

 聖アルマイトより北方は山岳地帯となるが、サンミュエル砦に攻め入る侵攻ルートは複数ある。

 クルーズは攻めよってくる敵勢力を真っ向から食い止めるだけではなく、それぞれの侵攻ルートにおいて、上手く押し退きを繰り返すような防衛戦を繰り広げていた。

 結果、一時的に進入路を抑えられたとしても、すぐに他のルートからそこを奪還するなどを繰り返し、サンミュエル砦まで侵攻の手を伸ばすことを決して許さなかった。

 クルーズは、防衛戦特化である『堅鱗』の本領を如何なく発揮していた。

 しかし――

「第5路に、大規模な増援が確認されました! このままでは突破されます! おそらくフォロウ国の軍勢です」

 指示を出した直後に、司令室に駆け込んでくるようにしてもたらされたその報告に、クルーズは眼を見張って、驚愕をあらわにする。

「フォロウ国まで敵に回るか……あそこの国王はもともとカリオス殿下と馬が合わないとは聞いていたが」

 それでも、自ら好んで戦乱に介入するような国王ではなかったはずだ。どちらかといえば日和見主義で、戦を起こすとすれば、それは確実に勝利出来ると判断した時のみ。そんな性格だったはずだ。

「『女傑』に唆されたか。……第2王女派にこちらが圧倒されている現状では仕方ない、か」

 フォロウ国のような日和見主義な国が参戦してきた理由は、第2王女派相手に苦戦している国内の状況以外には考えられない。

 現状のカイライ国を主とした合同軍相手には優勢を保っているクルーズだったが、ここにフォロウ国までもが加わってくるとなると、とても楽観視できる状況ではない。

「現状で第5路を突破されるのはまずい。先日到着した増援部隊を率いて、私が向かおう」

 これまでは後方に控えて全軍の指揮に徹していたクルーズがそう言って立ち上がると、司令室内は俄かにざわついた。

 『堅鱗』自らが前線へ向かう――その圧倒邸な信頼感と同時にそこまで追いつめられたという緊張感、その2つの空気が室内に溢れていた。

(まだこの程度なら何とでもなる。だが、今後も合同軍に参加してくる国が続くようであれば――)

 いくら『堅鱗』といえど、防衛線を支え続けることは難しくなるだろう。そうなれば、いよいよ王都決戦を覚悟しなければならない。果たして王都ユールディアに、第2王女派との激戦で疲弊している中、同時に王都防衛に耐えうる程の体力があるかどうかは疑問だ。

 とにかくこれ以上合同軍の勢力をを膨れ上がらせてはいけない。しかし、そのために現地のクルーズが出来ることはない。

 ここまで積極的に攻撃に参加してくる敵国の士気を挫くには、その自信の大元となっている第2王女派の進撃を食い止めることだけだ。

(コウメイ……頼むぞ)

 『軽薄ながら憎めない部下』が、いつの間にか自分の上司となっている。そのことに不快感はなく、むしろ自然だと思っているクルーズ。

 かつての部下に、その頃と変わらない信頼と希望を託し、クルーズは自らが戦場へと赴くのだった。
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