DD!~ドーテイ刑事(デカ)の事件簿~

藤崎岳

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第1章 危険な夢のはじまり

2話

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 S県警荒間署。S県南東部に位置する荒間市を守る所轄署だ。 

 荒間市は、都心のベッドタウンとして戦後に発展したが、市内を走る路線がいわゆるギャンブルラインで、沿線には中央と地方の両競馬場、競艇場、オートレース場が揃っており、ベッドタウンとは別の顔も持ち合わせていた。それらの利用客を取り込んで栄えたのが、市内の中心駅荒間駅北口に広がる「北荒間」と呼ばれる歓楽街だ。 

 北荒間には数多くの飲食店、風俗店、さらにはラブホテルが建ち並び、大人の娯楽場として大変な賑わいを見せている。しかし場所柄犯罪も多く、北荒間を抱える荒間署は、県内でも有数の激務署でもあった。 

 大輔は本日四月一日付けで、県北にある小さな町の交番から、北荒間のすぐそばにある荒間署生活安全課保安係に異動になった。 

「本日、生活安全課保安係に配属されました、堂本大輔巡査です!」 

 今日のために購入した真新しい濃紺のスーツで、今日何度目かの敬礼をする。田舎ののどかな町の交番と荒間署の生活安全課では、忙しさも仕事の内容もなにもかもが違う。大輔は緊張を隠せなかった。 

 緊張で強張った顔の大輔の周りには、生活安全課の警察官が集まっている。パチパチとまばらな拍手があって、「頑張れよ」とどこかから棒読みのセリフが飛んできたが、すぐに皆、仕事に戻っていった。やはり荒間署の生活安全課は相当忙しいようだ。 

 大輔の周りに残ってくれたのは、大勢いるフロアのわずか四人。大輔と同じ生活安全課保安係のメンバーだ。 

「嬉しいなぁ~、とうとう俺の下がきたんだ!」 

 満面の笑みを大輔に向けるのは、大輔より二つ年上だという水口一太みずぐちいちた巡査。小柄で、ネズミやリスなど、小動物を思い起こさせる男だ。小っちゃくてチョコマカと動き、愛想が良くてどこか憎めない。 

(⋯⋯て、先輩に失礼だよな) 

 大輔は少し和んで、「よろしくお願いします」と一太に丁寧に挨拶した。 

「係長~、いいんですか? こんな爽やかイケメン連れてきて。お店のオネーサンたちにいいように遊ばれちゃいません?」 

 皮肉なセリフを明るく話すのは、生活安全課の紅一点、古谷ふるや桂奈かな巡査長。百七十センチはありそうな長身で、細身のパンツスーツを格好良く着こなしている。顔立ちも切れ長の目が印象的な、十分美人といえる部類だ。 

(警察でこんなきれいな人、初めて見た⋯⋯) 

 随分失礼なことを脳内で呟きながら、大輔は桂奈にも丁寧に頭を下げた。こちらは年長でさらに巡査長。腰の角度が一太の時よりグッと深くなる。 

「それを期待したんだよ。うちはお店のオネーチャンたちに嫌われたらやってけないからな」 

 朝から気だるそうに答えたのは、保安係係長の原昭はらあきら警部補だ。大輔の直属の上司である原は、四十半ばと思われる中年男性で、全体的にくたびれてはいるが顔つきは渋い二枚目だ。 

(仕事、ちゃんとする人かなぁ?) 

 あんまりくたびれているので、大輔はそれが少し不安だった。係長の原とは配属前に何度か会っているが、その時からイマイチ掴めない男だと感じている。 

 そして、その原のすぐ隣にもっと謎の男が立っていた。今朝、大輔を痴漢から助けてくれた晃司だ。 

 改めてこうして眺めると、やはり憧れのダイとは似ていない。晃司はダイよりずっと逞しく、なにで鍛えたのかちょっとした格闘家みたいだ。黒のスーツを着ていても、その中には分厚い筋肉があるのがわかる。腫れぼったい奥二重の目や、筋の通った鼻、それに少し端が上がった薄い唇。警察官に似つかわしくない、俳優のような容貌だがダイとは違う。それでも似ていると思ったのは、その野性味溢れる雰囲気と、だらしなく着崩した黒いスーツのせいだろう。 

(にしても⋯⋯見すぎだろ) 

 さっきから晃司はニヤニヤしながら、大輔を上から下まで舐めるように見てくる。正直――ちょっと気持ち悪い。 

 その気持ち悪い晃司が、一層気味悪く笑う。 

「ネーチャンどころか、ニーサンたちにも可愛がられそうだよな、大輔は」 

 いきなり名前で呼び捨てられて、大輔は目を丸くした。 

「なんか⋯⋯チョッカイ出したくなるんだよ。朝の痴漢の気持ちもわからんでもないし」 

(だっ誰にも言わないって約束したのに!) 

 大輔は顔面蒼白になった。 

 今朝の痴漢騒動は結局、駅であの痴漢男をこっぴどく叱るだけで終わった。大輔は男の自分が痴漢に遭って、その上、降りた駅は荒間署管内だったため、自分で自分の痴漢被害の調書を作るのは恥ずかしくてたまらなかったので、警察に連れて行くことはしなかった。

 痴漢男も、警察官に痴漢をはたらき、それを警察官に目撃されるというあり得ないダブルの不運にすっかり意気消沈して、大輔と晃司のお説教をいたくしおらしく聞いて帰っていった。 

 だからあれは、大輔と晃司、二人だけの秘密のはずだったのに――。 

「なにそれ、どういうこと? まさか大輔くんが痴漢に?!」 

 早口で、なぜか少し嬉しそうに晃司を問い詰めるのは桂奈。晃司はヘラヘラと答えた。 

「朝の電車で偶然見つけたんだよ、キモいおっさんに痴漢されてるカワイ子ちゃんを」 

「え~?! 大輔くん、キモいおっさんに痴漢されちゃったの? かわいそ~!」 

 かわいそう、と言いながら、桂奈は絶対に面白がっていた。 

(しかも二人して大輔って⋯⋯) 

 大輔はどこからツッコめばよいかわからず、オロオロと二人を交互に眺めた。だが、ここ生活安全課において、そうしてボーッと黙していることは非常に危険なことだった。 

「うわぁ、本当に男に痴漢する野郎なんているんすね! でも⋯⋯確かに大輔ならちょっとわかるな⋯⋯どっかボケっとしてるもんね」 

 一太までと言い出し、ネズミ小僧のようにキヒヒと笑った。 

「ちょ、ちょっと小野寺さん! あれは内緒の約束ですよ!」 

 ようやく慌てて口を挟んだ大輔だが、時すでに遅し。晃司は一太相手に今朝の痴漢の現場を再現し始めた。身振り手振りつきで。 

 大輔は――絶句した。 

 生活安全課では、ゴシップの類が――その内容がどうしようもないほど――稲妻のように駆け抜けていく。

 上司である原まで晃司と一太が再現する痴漢現場に興味津々の様子であるし、大輔の挨拶など適当にしか聞いていなかった同じ生活安全課の別の係の者たちまで、「なになに?」と晃司の周りに集まってきた。 

 そして、大輔の痴漢騒動はあっという間に生活安全課全係に広まってしまった。 

「小野寺さん! もう止めてください!」 

 大輔は真っ青から真っ赤になって、ベラベラと同じ話を繰り返す晃司を止めた。 

 本当に困って怒っていたのだ。それなのに、晃司は嬉しそうにニヤけた。 

「なんだよ、そのウブい反応は。さてはお前⋯⋯童貞かぁ?」 

 一瞬、フロア内がシンと静まり返った。朝から鳴りっぱなしだったあちこちの電話も、不思議なことにピタリと止んだ。 

 それから、一太の間抜けな声が響く。 

「堂本大輔⋯⋯DD!」 

「はい?」 

 思わず訊き返したのは大輔だ。 一太がドヤ顔で大輔を振り返る。 

童貞刑事ドーテイデカ! 略してDD!」 

 ドッと、フロア内に爆笑が起こった。 

「一太、お前にしちゃ上手いこと言ったな!」 

 晃司が大きな手で一太の頭をワシワシとかき回す。一太はネズミではなく、犬っころのようにヘヘヘと舌を出して笑った。 

 やだぁ! と口元を抑えつつはしゃぐ桂奈。 

 カッコいいじゃねぇか、DD。と、部下を管理する係長とは思えない、ふざけた調子の原。 

 大輔は、憧れの刑事への一歩を踏み出した記念の日に――泣きそうになった。 
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