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第3章 憧れの人
1話②
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その日の仕事を終えた大輔は、静かに生安課を後にすると、わざわざ別の階の更衣室に行き、署内の売店で急きょ買い求めた弔事用の黒いネクタイに変えた。
ネクタイを変えるぐらい自席でしてもよいようなものだが、大輔が通夜に行くことを保安係以外の者に知られるのは面倒だった。
ネクタイを変えると、周囲を窺いながら二階の更衣室を出る。ネクタイと一緒に買った喪章は、スーツのジャケットのポケットにねじ込んだ。
「わぁ!」
せっかくコッソリ出てきたのに、大輔は叫び声を上げてしまった。更衣室の扉を開けるとそこに、桂奈が立っていたからだ。ここは男子更衣室だとういうのに。
桂奈はシッと口に手を当て、大輔の肘あたりを掴んだ。そのまま桂奈に引きずられ、近くの人気の少ない倉庫前の廊下に連れていかれる。
「か、桂奈さん?! なんですか」
立ち止まると、大輔はたまらず訊いた。しかし桂奈は答えてくれず、逆に訊き返された。
「大輔くんって、もしかして捜査一課志望?」
「なんで知ってるんですか?!」
ドラマに憧れて刑事を目指している話はしたが、穂積に憧れて捜査一課を希望するようになったとは話していないはずだ。
「だって刑事になりたいんでしょ? だったらみんな、捜一志望なんじゃないの?」
そういうものか、と元来のんびり屋の大輔は今さら気づいた。出世欲が乏しい大輔は、ただ刑事と穂積に憧れ、捜査一課に行きたいと思っただけなのだ。
ボーっとしていると、桂奈が掴んだ大輔の腕を強く引き、きれいな顔を近づけてきた。 不覚にもドキリとしてしまった大輔は、どうやら結構な面食いらしい。自覚はないが。
桂奈が声をひそめる。
「一課希望なら……穂積管理官との付き合いは、慎重にね」
「……どういう、ことですか?」
唐突な話に、頭がついていかない。素直に訊くと、桂奈は丁寧に教えてくれた。
「穂積管理官はね、とっても有能な人だけど……本人にはどうしようもない壁があるの」
しかもすっごく高い、ね。と桂奈は付け加えた。
「管理官が東大出のキャリアなのは知ってるでしょ?」
「はい、すごいですよね」
「それが全然すごくないの」
「え?」
「だって……管理官はもう三十二歳よ、小野寺さんの一コ後輩なんだから。東大出の警察庁キャリアがその年で捜査一課の管理官なんて、役職が低過ぎるのよ、普通に考えたら」
「そう、なんですか?」
出世欲がほとんど無い大輔は、役職や昇進の知識も乏しかった。
「しかも、警視庁や大阪府警ならまだしも、こんな関東近県の県警本部の捜査一課管理官なんて……まずあり得ない。なんでかわかる?」
「……わかりません」
素直に答える大輔に、桂奈はウンウンと頷いた。
「ま、大輔くんはそうだよね。……あのね、穂積管理官のお父様がアメリカ人、てのは知ってる?」
それは一太に訊いていたので、無言で頷く。
「両親のどちらかが外国人、いわゆるハーフの警察官僚は、穂積管理官が初めてなの」
「一太さんに訊きました。それって……すごいことなんじゃないんですか?」
一太が教えてくれた時、彼ははしゃいでいた。しかし桂奈は顔をしかめた。
「それが……ものすごくネックなわけ。日本の警察組織なんてまだまだ古臭いから、ハーフの警察官なんてみっともない! なんて本気で言う人が大勢いるの」
「みっともないって……見た目は、最高に格好良いじゃないですかね?」
大輔は大真面目だったが、桂奈には笑われた。
「そうだけど、あの目立つ見た目も……逆に良くないみたい。目立つと色々あることないこと言われるのは、警察の中じゃよくあることでしょ?」
大輔が桂奈の発言をいまいち理解できずに困っていると、なぜか桂奈は楽しそうに笑う。
「とにかく、穂積管理官て人は、警察庁内部で評価が二分してるの。彼の能力を素直に認める人たちと、デキるのはわかってるけど、ハーフっていう出自とか、あの芸能人みたいな派手な見た目が気に食わない、ていう人たちで。上層部のそういう空気が伝わって……捜査一課の中でも微妙な立場みたい。本部では、ハーフ刑事とか、ひどいと外人、とか揶揄する輩もいるぐらい」
「……ひどいですね。外国人だったら、国家公務員になれるわけないのに」
また大真面目な大輔に、桂奈は嬉しそうに声を立てて笑った。
「そうなんだけどね。だから彼のキャリアと能力に、今の地位が釣り合ってないわけ。で、その管理官に気に入られたってことは……管理官を良く思わない人たちが、大輔くんの敵にもなるわけよ」
ようやく、桂奈の言いたいことが見えてきた。
「本気で捜査一課に行きたいなら、穂積管理官との付き合いは慎重に。彼とどっぷり繋がっちゃうと……上の目が厳しくなるってこともあるかも」
捜査一課――そこが、警察官として真面目に働いているだけで行ける部署ではないことは、出世に疎い大輔も知っている。
しかし、交番から異動になってすぐ、こんな警察の裏の一面を、たびたび目の当たりにすることになるとは――。
大輔は、桂奈に礼の意味を込めて小さく会釈した。それから桂奈と別れ、エレベーターホールに向かう。
一緒に通夜に参列する穂積とは、荒間駅反対側にある、あのカフェで待ち合わせている。
大輔は早足になった。
美しく、堂々とした穂積の立場がそんなに脆弱なものだったと知ると、彼の印象が少し変わった。
怖いほどの美貌に隠された彼の危うさに、落ち着かなくなった大輔の足は、自然と早まるのだった。
ネクタイを変えるぐらい自席でしてもよいようなものだが、大輔が通夜に行くことを保安係以外の者に知られるのは面倒だった。
ネクタイを変えると、周囲を窺いながら二階の更衣室を出る。ネクタイと一緒に買った喪章は、スーツのジャケットのポケットにねじ込んだ。
「わぁ!」
せっかくコッソリ出てきたのに、大輔は叫び声を上げてしまった。更衣室の扉を開けるとそこに、桂奈が立っていたからだ。ここは男子更衣室だとういうのに。
桂奈はシッと口に手を当て、大輔の肘あたりを掴んだ。そのまま桂奈に引きずられ、近くの人気の少ない倉庫前の廊下に連れていかれる。
「か、桂奈さん?! なんですか」
立ち止まると、大輔はたまらず訊いた。しかし桂奈は答えてくれず、逆に訊き返された。
「大輔くんって、もしかして捜査一課志望?」
「なんで知ってるんですか?!」
ドラマに憧れて刑事を目指している話はしたが、穂積に憧れて捜査一課を希望するようになったとは話していないはずだ。
「だって刑事になりたいんでしょ? だったらみんな、捜一志望なんじゃないの?」
そういうものか、と元来のんびり屋の大輔は今さら気づいた。出世欲が乏しい大輔は、ただ刑事と穂積に憧れ、捜査一課に行きたいと思っただけなのだ。
ボーっとしていると、桂奈が掴んだ大輔の腕を強く引き、きれいな顔を近づけてきた。 不覚にもドキリとしてしまった大輔は、どうやら結構な面食いらしい。自覚はないが。
桂奈が声をひそめる。
「一課希望なら……穂積管理官との付き合いは、慎重にね」
「……どういう、ことですか?」
唐突な話に、頭がついていかない。素直に訊くと、桂奈は丁寧に教えてくれた。
「穂積管理官はね、とっても有能な人だけど……本人にはどうしようもない壁があるの」
しかもすっごく高い、ね。と桂奈は付け加えた。
「管理官が東大出のキャリアなのは知ってるでしょ?」
「はい、すごいですよね」
「それが全然すごくないの」
「え?」
「だって……管理官はもう三十二歳よ、小野寺さんの一コ後輩なんだから。東大出の警察庁キャリアがその年で捜査一課の管理官なんて、役職が低過ぎるのよ、普通に考えたら」
「そう、なんですか?」
出世欲がほとんど無い大輔は、役職や昇進の知識も乏しかった。
「しかも、警視庁や大阪府警ならまだしも、こんな関東近県の県警本部の捜査一課管理官なんて……まずあり得ない。なんでかわかる?」
「……わかりません」
素直に答える大輔に、桂奈はウンウンと頷いた。
「ま、大輔くんはそうだよね。……あのね、穂積管理官のお父様がアメリカ人、てのは知ってる?」
それは一太に訊いていたので、無言で頷く。
「両親のどちらかが外国人、いわゆるハーフの警察官僚は、穂積管理官が初めてなの」
「一太さんに訊きました。それって……すごいことなんじゃないんですか?」
一太が教えてくれた時、彼ははしゃいでいた。しかし桂奈は顔をしかめた。
「それが……ものすごくネックなわけ。日本の警察組織なんてまだまだ古臭いから、ハーフの警察官なんてみっともない! なんて本気で言う人が大勢いるの」
「みっともないって……見た目は、最高に格好良いじゃないですかね?」
大輔は大真面目だったが、桂奈には笑われた。
「そうだけど、あの目立つ見た目も……逆に良くないみたい。目立つと色々あることないこと言われるのは、警察の中じゃよくあることでしょ?」
大輔が桂奈の発言をいまいち理解できずに困っていると、なぜか桂奈は楽しそうに笑う。
「とにかく、穂積管理官て人は、警察庁内部で評価が二分してるの。彼の能力を素直に認める人たちと、デキるのはわかってるけど、ハーフっていう出自とか、あの芸能人みたいな派手な見た目が気に食わない、ていう人たちで。上層部のそういう空気が伝わって……捜査一課の中でも微妙な立場みたい。本部では、ハーフ刑事とか、ひどいと外人、とか揶揄する輩もいるぐらい」
「……ひどいですね。外国人だったら、国家公務員になれるわけないのに」
また大真面目な大輔に、桂奈は嬉しそうに声を立てて笑った。
「そうなんだけどね。だから彼のキャリアと能力に、今の地位が釣り合ってないわけ。で、その管理官に気に入られたってことは……管理官を良く思わない人たちが、大輔くんの敵にもなるわけよ」
ようやく、桂奈の言いたいことが見えてきた。
「本気で捜査一課に行きたいなら、穂積管理官との付き合いは慎重に。彼とどっぷり繋がっちゃうと……上の目が厳しくなるってこともあるかも」
捜査一課――そこが、警察官として真面目に働いているだけで行ける部署ではないことは、出世に疎い大輔も知っている。
しかし、交番から異動になってすぐ、こんな警察の裏の一面を、たびたび目の当たりにすることになるとは――。
大輔は、桂奈に礼の意味を込めて小さく会釈した。それから桂奈と別れ、エレベーターホールに向かう。
一緒に通夜に参列する穂積とは、荒間駅反対側にある、あのカフェで待ち合わせている。
大輔は早足になった。
美しく、堂々とした穂積の立場がそんなに脆弱なものだったと知ると、彼の印象が少し変わった。
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