ヨクに溺れる

新月ポルカ

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出会い

第十一話 記憶の神

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 後日、ヨクは記録を司る神域の一角、「記憶の間」と呼ばれる場所に向かっていた。

 そこは、世界の始まりから現在までのあらゆる事象、存在、感情の記録が、形のない光や文様として保管されている空間である。
 空気は極めて冷涼で、淀みなく、ヨクが好むような生々しい熱を一切拒絶していた。

「記憶の神かぁ。上位神ってやっぱり怖いのかな?」

 赤からピンクに揺れる三つ編みは、この場所の重厚さの中ではあまりに薄く、あまりに奔放に見えた。彼は、この領域を司る、記憶と論理を重視する神が、自分を呼び出した意図を探ろうと、オレンジの瞳を細める。

 回廊の最奥、金の歯車が連なる重厚な扉を開けば、薄い霧のなかに浮かぶ巨大な書架群。空間の至るところに古文や天象が光の板として漂い、無数の"記憶"が薄く音を立てて巡っていた。空気は凍えるほど理知的で、過去のあらゆる記録の重みが、霧散しない圧となって漂っている。

 赤銅色のくるくると癖の強い巻き髪をまとめ、幾重にも重なる厚手のローブを着込んだ青年が、その書架の一角で、冷静にヨクを待っていた。ここにある無数の歯車のように冷たい金色の瞳は、揺らぐことのない論理を映し出している。

「よくおいでくださいました、欲の神。 俺はマキナ、記憶を司る神です」

「よろしくマキナ。オレの事はヨクって呼んでね」

「はい、よろしくおねがいします。 早速ですが、本題に入らせていただきます」

 マキナは、ヨクとの神位の違いを示すかのように、一段高い記録台の傍らに立ち、手に持った記録板に視線を落とした。

「貴方が先頃、真理の神ルクシスと共に捕縛した虚飾の神の件です。審判の記録を精査したところ、不可解な点が見つかりました」

「不可解な点?」

「虚飾の神を捉える際、真理の神ルクシスは一度、対象を取り逃しています。その記述に、論理的な不自然さが生じている。そして、その不審な点について彼に問うたところ、言葉を濁し、詳細な記録を拒否した。しかし、現場には貴方が同席していた、という証言があります」

 ヨクは口端に笑みを浮かべた。ルクシスに「他言無用」と釘を刺されていた件だ。

「そんなこと言われてもさ、話せないよ。ルクシスとオレのヒミツなんだ。それに……プライベートなことかもしれないしね?」

 ヨクは、ヘラヘラと茶化すような態度で、マキナの探究心をかわそうとする。

「プライベート? 業務中に発生した事象に、プライベートなどありません」

 マキナの金色の瞳が初めてヨクの顔を捉えた。その眼差しは鋭く、獲物を逃がさない探究者特有の光を帯びている。

「貴方が自ら話した方が身のためです。俺が貴方の"記憶"を無理やり引きずり出すという、不必要な神力の消費と、貴方への苦痛を伴う前に」

「うわ、それって脅し?人の話したくないことを無理矢理覗き見するなんて、ちょっと乱暴がすぎると思うな。秘密にしておきたい欲求ってのも、大事なものだろ?」

 ヨクは肩を竦め、茶化しながらも目を細めてマキナを観察する。マキナの中に湧き上がる、全てを知り尽くしたいという、記憶の神としての探究欲が、皮膚の上を這うように、じっとりと見えてくるのがわかる。

「そんな感情論、取るに足りません。俺は記憶の神です。どんな情報でも、知っておきたい。 それが俺の神格であり、責務です」

「……?」

 ヨクのヘラヘラとした表情が、一瞬で消えた。
 夕焼け色の瞳に、深い欲望の熱が宿る。纏っていた空気が、急激に、濃厚な湿度と、抗いがたい色気に満ちたものへと変貌した。

 さっきまでの軽薄な男神「ヨク」ではない。ここにいるのは、あらゆる欲求を支配し、他者の欲を増幅させる、「欲の神」そのものだ。
 マキナは突然の空気の変化に、全身の毛が逆立つような強い危険を感じた。記憶と論理に生きる彼の体が、本能的に、逃げろと警鐘を鳴らす。

「貴、方……急に、何を……っ」

 マキナが長いローブを引きずりながら後ずさりしようとするが、そのどこか鈍いような動きより早く、ヨクの細く白い指がマキナの顎を優しく、しかし確実に掬い上げる。

「なんでも、知りたいんでしょ?」

 ヨクの声は、先程までの明るさを失い、喉の奥から絞り出されたような、蠱惑的な低音を帯びていた。

「そんなどうでもいい出来事の記憶を掘り起こすよりさ」

 ヨクは、マキナの硬く、論理に染まった瞳を覗き込む。

「例えば、キスの気持ちよさのことを知った方が、よっぽどキミの"探究欲"は満たされるんじゃない?」

 次の瞬間、マキナが反論する隙も与えず、ヨクは彼の唇を、自分の唇で塞いだ。
 記憶の間の光が一瞬だけ揺らぎ、マキナの指が記録板を滑り落とし、カラン、と硬質な音を立てる。

 冷涼な記憶の間に、熱を帯びた、粘着質な"欲"が、強引に持ち込まれた。
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