11 / 36
出会い
第十一話 記憶の神
しおりを挟む
後日、ヨクは記録を司る神域の一角、「記憶の間」と呼ばれる場所に向かっていた。
そこは、世界の始まりから現在までのあらゆる事象、存在、感情の記録が、形のない光や文様として保管されている空間である。
空気は極めて冷涼で、淀みなく、ヨクが好むような生々しい熱を一切拒絶していた。
「記憶の神かぁ。上位神ってやっぱり怖いのかな?」
赤からピンクに揺れる三つ編みは、この場所の重厚さの中ではあまりに薄く、あまりに奔放に見えた。彼は、この領域を司る、記憶と論理を重視する神が、自分を呼び出した意図を探ろうと、オレンジの瞳を細める。
回廊の最奥、金の歯車が連なる重厚な扉を開けば、薄い霧のなかに浮かぶ巨大な書架群。空間の至るところに古文や天象が光の板として漂い、無数の"記憶"が薄く音を立てて巡っていた。空気は凍えるほど理知的で、過去のあらゆる記録の重みが、霧散しない圧となって漂っている。
赤銅色のくるくると癖の強い巻き髪をまとめ、幾重にも重なる厚手のローブを着込んだ青年が、その書架の一角で、冷静にヨクを待っていた。ここにある無数の歯車のように冷たい金色の瞳は、揺らぐことのない論理を映し出している。
「よくおいでくださいました、欲の神。 俺はマキナ、記憶を司る神です」
「よろしくマキナ。オレの事はヨクって呼んでね」
「はい、よろしくおねがいします。 早速ですが、本題に入らせていただきます」
マキナは、ヨクとの神位の違いを示すかのように、一段高い記録台の傍らに立ち、手に持った記録板に視線を落とした。
「貴方が先頃、真理の神ルクシスと共に捕縛した虚飾の神の件です。審判の記録を精査したところ、不可解な点が見つかりました」
「不可解な点?」
「虚飾の神を捉える際、真理の神ルクシスは一度、対象を取り逃しています。その記述に、論理的な不自然さが生じている。そして、その不審な点について彼に問うたところ、言葉を濁し、詳細な記録を拒否した。しかし、現場には貴方が同席していた、という証言があります」
ヨクは口端に笑みを浮かべた。ルクシスに「他言無用」と釘を刺されていた件だ。
「そんなこと言われてもさ、話せないよ。ルクシスとオレのヒミツなんだ。それに……プライベートなことかもしれないしね?」
ヨクは、ヘラヘラと茶化すような態度で、マキナの探究心をかわそうとする。
「プライベート? 業務中に発生した事象に、プライベートなどありません」
マキナの金色の瞳が初めてヨクの顔を捉えた。その眼差しは鋭く、獲物を逃がさない探究者特有の光を帯びている。
「貴方が自ら話した方が身のためです。俺が貴方の"記憶"を無理やり引きずり出すという、不必要な神力の消費と、貴方への苦痛を伴う前に」
「うわ、それって脅し?人の話したくないことを無理矢理覗き見するなんて、ちょっと乱暴がすぎると思うな。秘密にしておきたい欲求ってのも、大事なものだろ?」
ヨクは肩を竦め、茶化しながらも目を細めてマキナを観察する。マキナの中に湧き上がる、全てを知り尽くしたいという、記憶の神としての探究欲が、皮膚の上を這うように、じっとりと見えてくるのがわかる。
「そんな感情論、取るに足りません。俺は記憶の神です。どんな情報でも、なんでも知っておきたい。 それが俺の神格であり、責務です」
「……なんでも?」
ヨクのヘラヘラとした表情が、一瞬で消えた。
夕焼け色の瞳に、深い欲望の熱が宿る。纏っていた空気が、急激に、濃厚な湿度と、抗いがたい色気に満ちたものへと変貌した。
さっきまでの軽薄な男神「ヨク」ではない。ここにいるのは、あらゆる欲求を支配し、他者の欲を増幅させる、「欲の神」そのものだ。
マキナは突然の空気の変化に、全身の毛が逆立つような強い危険を感じた。記憶と論理に生きる彼の体が、本能的に、逃げろと警鐘を鳴らす。
「貴、方……急に、何を……っ」
マキナが長いローブを引きずりながら後ずさりしようとするが、そのどこか鈍いような動きより早く、ヨクの細く白い指がマキナの顎を優しく、しかし確実に掬い上げる。
「なんでも、知りたいんでしょ?」
ヨクの声は、先程までの明るさを失い、喉の奥から絞り出されたような、蠱惑的な低音を帯びていた。
「そんなどうでもいい出来事の記憶を掘り起こすよりさ」
ヨクは、マキナの硬く、論理に染まった瞳を覗き込む。
「例えば、キスの気持ちよさのことを知った方が、よっぽどキミの"探究欲"は満たされるんじゃない?」
次の瞬間、マキナが反論する隙も与えず、ヨクは彼の唇を、自分の唇で塞いだ。
記憶の間の光が一瞬だけ揺らぎ、マキナの指が記録板を滑り落とし、カラン、と硬質な音を立てる。
冷涼な記憶の間に、熱を帯びた、粘着質な"欲"が、強引に持ち込まれた。
そこは、世界の始まりから現在までのあらゆる事象、存在、感情の記録が、形のない光や文様として保管されている空間である。
空気は極めて冷涼で、淀みなく、ヨクが好むような生々しい熱を一切拒絶していた。
「記憶の神かぁ。上位神ってやっぱり怖いのかな?」
赤からピンクに揺れる三つ編みは、この場所の重厚さの中ではあまりに薄く、あまりに奔放に見えた。彼は、この領域を司る、記憶と論理を重視する神が、自分を呼び出した意図を探ろうと、オレンジの瞳を細める。
回廊の最奥、金の歯車が連なる重厚な扉を開けば、薄い霧のなかに浮かぶ巨大な書架群。空間の至るところに古文や天象が光の板として漂い、無数の"記憶"が薄く音を立てて巡っていた。空気は凍えるほど理知的で、過去のあらゆる記録の重みが、霧散しない圧となって漂っている。
赤銅色のくるくると癖の強い巻き髪をまとめ、幾重にも重なる厚手のローブを着込んだ青年が、その書架の一角で、冷静にヨクを待っていた。ここにある無数の歯車のように冷たい金色の瞳は、揺らぐことのない論理を映し出している。
「よくおいでくださいました、欲の神。 俺はマキナ、記憶を司る神です」
「よろしくマキナ。オレの事はヨクって呼んでね」
「はい、よろしくおねがいします。 早速ですが、本題に入らせていただきます」
マキナは、ヨクとの神位の違いを示すかのように、一段高い記録台の傍らに立ち、手に持った記録板に視線を落とした。
「貴方が先頃、真理の神ルクシスと共に捕縛した虚飾の神の件です。審判の記録を精査したところ、不可解な点が見つかりました」
「不可解な点?」
「虚飾の神を捉える際、真理の神ルクシスは一度、対象を取り逃しています。その記述に、論理的な不自然さが生じている。そして、その不審な点について彼に問うたところ、言葉を濁し、詳細な記録を拒否した。しかし、現場には貴方が同席していた、という証言があります」
ヨクは口端に笑みを浮かべた。ルクシスに「他言無用」と釘を刺されていた件だ。
「そんなこと言われてもさ、話せないよ。ルクシスとオレのヒミツなんだ。それに……プライベートなことかもしれないしね?」
ヨクは、ヘラヘラと茶化すような態度で、マキナの探究心をかわそうとする。
「プライベート? 業務中に発生した事象に、プライベートなどありません」
マキナの金色の瞳が初めてヨクの顔を捉えた。その眼差しは鋭く、獲物を逃がさない探究者特有の光を帯びている。
「貴方が自ら話した方が身のためです。俺が貴方の"記憶"を無理やり引きずり出すという、不必要な神力の消費と、貴方への苦痛を伴う前に」
「うわ、それって脅し?人の話したくないことを無理矢理覗き見するなんて、ちょっと乱暴がすぎると思うな。秘密にしておきたい欲求ってのも、大事なものだろ?」
ヨクは肩を竦め、茶化しながらも目を細めてマキナを観察する。マキナの中に湧き上がる、全てを知り尽くしたいという、記憶の神としての探究欲が、皮膚の上を這うように、じっとりと見えてくるのがわかる。
「そんな感情論、取るに足りません。俺は記憶の神です。どんな情報でも、なんでも知っておきたい。 それが俺の神格であり、責務です」
「……なんでも?」
ヨクのヘラヘラとした表情が、一瞬で消えた。
夕焼け色の瞳に、深い欲望の熱が宿る。纏っていた空気が、急激に、濃厚な湿度と、抗いがたい色気に満ちたものへと変貌した。
さっきまでの軽薄な男神「ヨク」ではない。ここにいるのは、あらゆる欲求を支配し、他者の欲を増幅させる、「欲の神」そのものだ。
マキナは突然の空気の変化に、全身の毛が逆立つような強い危険を感じた。記憶と論理に生きる彼の体が、本能的に、逃げろと警鐘を鳴らす。
「貴、方……急に、何を……っ」
マキナが長いローブを引きずりながら後ずさりしようとするが、そのどこか鈍いような動きより早く、ヨクの細く白い指がマキナの顎を優しく、しかし確実に掬い上げる。
「なんでも、知りたいんでしょ?」
ヨクの声は、先程までの明るさを失い、喉の奥から絞り出されたような、蠱惑的な低音を帯びていた。
「そんなどうでもいい出来事の記憶を掘り起こすよりさ」
ヨクは、マキナの硬く、論理に染まった瞳を覗き込む。
「例えば、キスの気持ちよさのことを知った方が、よっぽどキミの"探究欲"は満たされるんじゃない?」
次の瞬間、マキナが反論する隙も与えず、ヨクは彼の唇を、自分の唇で塞いだ。
記憶の間の光が一瞬だけ揺らぎ、マキナの指が記録板を滑り落とし、カラン、と硬質な音を立てる。
冷涼な記憶の間に、熱を帯びた、粘着質な"欲"が、強引に持ち込まれた。
1
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
【短編集】こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
【完結済】王子を嵌めて国中に醜聞晒してやったので殺されると思ってたら溺愛された。
うらひと
BL
学園内で依頼をこなしていた魔術師のクリスは大物の公爵の娘からの依頼が入る……依頼内容は婚約者である王子からの婚約破棄!!
高い報酬に目が眩んで依頼を受けてしまうが……18Rには※がついています。
ムーン様にも投稿してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる