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出会い
第十四話 子ウサギと隣人と
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理知の牙城である「記憶の間」に戻ったマキナを待っていたのは、静寂ではなく、逃れられぬ記憶の権能の責苦だった。
ヨクの暴挙を公に告発すべく、彼は震える指で記録板を手に取る。神罰を。あの無礼な男神に、上位神としての鉄槌を。その一心で記憶を紐解いたのが、悲劇の始まりだった。
記憶の神というあまりに高潔な神格は、対象の情報を欠落させることを許さない。
資料をまとめようとすればするほど、権能は否応なく、あの夜のすべてを鮮明な映像として再生し始めるのだ。
喉を焼くような熱い吐息。耳朶を食んだヨクの唇の柔らかさ。自分でも信じられないほど卑しく、高く跳ねた自身の喘ぎ声。指先が肌に食い込む圧の強さ、その一点から広がる痺れるような疼きまでを──。
「ああ……っ、やめろ、やめろッ……!」
再生される記憶は、単なる記録ではない。マキナにとっては、今まさにそこで触れられているかのような、逃げ場のない追体験。
忘れたい。記憶の神としての存在意義を否定してでも、この呪わしいほどに甘美な記録を消し去りたい。だが彼は記憶の神ゆえに、忘却という救いを持たない。快楽の記憶は終わりのない輪廻と化し、マキナを蝕んでいく。
数日が経過しても、その苦悶は深まるばかりだった。
歩けばヨクに腰を抱かれた手の感触が蘇り、風が吹けば、重くはためくローブと共に足を撫でる熱を思い出す。そのたびに発狂せんばかりに頭を抱え、執務は完全に滞っていた。
何より恐ろしいのは、嫌悪しているはずの心が、身体の奥底で疼く「あの快楽をもう一度知りたい」という、制御不能な探究欲に支配され始めていることだった。
***
さらに数日後。
欲の神ヨクは、自らの神殿でだらしなく寝そべっていた。
「うーん、リューエとの飯までまだ時間あるしなぁ……」
職務半分、暇つぶし半分に、世界に渦巻く「欲」の気配を探る。すると、視界の端に、一点の凄まじい熱量が映り込んだ。
こちらに向かって一直線に歩いてくる、性欲の塊のような存在。
「お、なんだ? 誰かオレに用かな。……ん?」
予想していたのは、かつて抱いた誰かの「おかわり」だったが、寝室の扉を荒々しく蹴破るようにして入ってきた影を見て、ヨクはオレンジの瞳を丸くした。
「……え?マキナ? 」
肩で息をし、金の瞳を潤ませて立っていたのは、マキナだった。
赤銅色の巻き毛は、先日丁寧にまとめられていた時とは打って変わって歯車型の髪飾りからほつれだし、重厚なローブの合わせ目からは、隠しきれない情欲の香りが漏れ出している。金色の瞳は潤み、羞恥に歪んだ顔は今にも泣き出しそうだ。
「貴方の……ッ、貴方のせいです! 俺の身体が……記憶が、おかしくなってしまいました!」
言葉を吐き出すたびに、マキナの細い身体が小さく跳ねる。思い出しているのだ。ヨクの指がどこを弄り、どこを愛でたのか、そのすべてを。
「責任を、とってください……ッ!」
肩を激しく上下させ、瞳に薄っすらと涙を溜めて詰め寄るマキナ。
自分の能力のせいで、抱かれた感触が、ヨクの顔が、四六時中頭から離れないこと。仕事すら手につかず、自分が神としての機能を果たせなくなったこと。
支離滅裂で、けれど彼にとっては切実な、一世一代の「責任転嫁」だった。
「……ぷっ、ふふ、……あははは! ごめん、まさかキミの方から来るなんて思わなくてさ」
あまりに可愛い子ウサギの乱入に、ヨクは声を上げて笑った。自ら狼の口に飛び込んできた獲物を、逃すほど無欲ではない。
「いいよ、責任。たっぷりとってあげる。……おいで」
その甘やかな誘いに、マキナは絶望的な足取りで一歩を踏み出す。自らの神格が、その先にある悦楽を予見して、ひどく濡れそぼっているのを自覚しながら。
ヨクは立ち上がると、震えながら一歩を踏み出したマキナの手を優しく、逃げられない強さで引き寄せ、寝台へとエスコートした。
リューエとの約束までの、いい腹ごなしになりそうだと思いながら。
***
その少し前。
ヨクの神殿の隣に位置する望みの神の神殿では、リューエが静かに庭のハーブを摘んでいた。
ヨクとの夕食を楽しみにしていた彼の視界に、ふと、ヨクの神殿へと吸い込まれていく赤銅色の巻き髪の影が映る。
「……誰、あれ」
リューエの瞳に宿る色が、冷たく、昏く沈む。
望みの神として他者の望みを受け取ってしまう彼には、今、ヨクの神殿の中に満ち始めた、マキナの「汚されたい」という無意識の望みと、ヨクの「喰らいたい」という欲が、あまりにも鮮明に届いていた。
ヨクの暴挙を公に告発すべく、彼は震える指で記録板を手に取る。神罰を。あの無礼な男神に、上位神としての鉄槌を。その一心で記憶を紐解いたのが、悲劇の始まりだった。
記憶の神というあまりに高潔な神格は、対象の情報を欠落させることを許さない。
資料をまとめようとすればするほど、権能は否応なく、あの夜のすべてを鮮明な映像として再生し始めるのだ。
喉を焼くような熱い吐息。耳朶を食んだヨクの唇の柔らかさ。自分でも信じられないほど卑しく、高く跳ねた自身の喘ぎ声。指先が肌に食い込む圧の強さ、その一点から広がる痺れるような疼きまでを──。
「ああ……っ、やめろ、やめろッ……!」
再生される記憶は、単なる記録ではない。マキナにとっては、今まさにそこで触れられているかのような、逃げ場のない追体験。
忘れたい。記憶の神としての存在意義を否定してでも、この呪わしいほどに甘美な記録を消し去りたい。だが彼は記憶の神ゆえに、忘却という救いを持たない。快楽の記憶は終わりのない輪廻と化し、マキナを蝕んでいく。
数日が経過しても、その苦悶は深まるばかりだった。
歩けばヨクに腰を抱かれた手の感触が蘇り、風が吹けば、重くはためくローブと共に足を撫でる熱を思い出す。そのたびに発狂せんばかりに頭を抱え、執務は完全に滞っていた。
何より恐ろしいのは、嫌悪しているはずの心が、身体の奥底で疼く「あの快楽をもう一度知りたい」という、制御不能な探究欲に支配され始めていることだった。
***
さらに数日後。
欲の神ヨクは、自らの神殿でだらしなく寝そべっていた。
「うーん、リューエとの飯までまだ時間あるしなぁ……」
職務半分、暇つぶし半分に、世界に渦巻く「欲」の気配を探る。すると、視界の端に、一点の凄まじい熱量が映り込んだ。
こちらに向かって一直線に歩いてくる、性欲の塊のような存在。
「お、なんだ? 誰かオレに用かな。……ん?」
予想していたのは、かつて抱いた誰かの「おかわり」だったが、寝室の扉を荒々しく蹴破るようにして入ってきた影を見て、ヨクはオレンジの瞳を丸くした。
「……え?マキナ? 」
肩で息をし、金の瞳を潤ませて立っていたのは、マキナだった。
赤銅色の巻き毛は、先日丁寧にまとめられていた時とは打って変わって歯車型の髪飾りからほつれだし、重厚なローブの合わせ目からは、隠しきれない情欲の香りが漏れ出している。金色の瞳は潤み、羞恥に歪んだ顔は今にも泣き出しそうだ。
「貴方の……ッ、貴方のせいです! 俺の身体が……記憶が、おかしくなってしまいました!」
言葉を吐き出すたびに、マキナの細い身体が小さく跳ねる。思い出しているのだ。ヨクの指がどこを弄り、どこを愛でたのか、そのすべてを。
「責任を、とってください……ッ!」
肩を激しく上下させ、瞳に薄っすらと涙を溜めて詰め寄るマキナ。
自分の能力のせいで、抱かれた感触が、ヨクの顔が、四六時中頭から離れないこと。仕事すら手につかず、自分が神としての機能を果たせなくなったこと。
支離滅裂で、けれど彼にとっては切実な、一世一代の「責任転嫁」だった。
「……ぷっ、ふふ、……あははは! ごめん、まさかキミの方から来るなんて思わなくてさ」
あまりに可愛い子ウサギの乱入に、ヨクは声を上げて笑った。自ら狼の口に飛び込んできた獲物を、逃すほど無欲ではない。
「いいよ、責任。たっぷりとってあげる。……おいで」
その甘やかな誘いに、マキナは絶望的な足取りで一歩を踏み出す。自らの神格が、その先にある悦楽を予見して、ひどく濡れそぼっているのを自覚しながら。
ヨクは立ち上がると、震えながら一歩を踏み出したマキナの手を優しく、逃げられない強さで引き寄せ、寝台へとエスコートした。
リューエとの約束までの、いい腹ごなしになりそうだと思いながら。
***
その少し前。
ヨクの神殿の隣に位置する望みの神の神殿では、リューエが静かに庭のハーブを摘んでいた。
ヨクとの夕食を楽しみにしていた彼の視界に、ふと、ヨクの神殿へと吸い込まれていく赤銅色の巻き髪の影が映る。
「……誰、あれ」
リューエの瞳に宿る色が、冷たく、昏く沈む。
望みの神として他者の望みを受け取ってしまう彼には、今、ヨクの神殿の中に満ち始めた、マキナの「汚されたい」という無意識の望みと、ヨクの「喰らいたい」という欲が、あまりにも鮮明に届いていた。
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