ヨクに溺れる

新月ポルカ

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交差

第二十六話 『真理の間』

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「抱いてないよ~、本当に、治療してただけだって」

「誰が抱かれるかッ! 貴様、いい加減にしろ! 俺の尊厳をこれ以上、根拠のない邪推で汚すな!」

 ヨクの困り果てた弁解と、ルクシスの烈火のごとき否定。その声が寸分の狂いもなく重なり、廊下の冷たい空気を震わせる。その息の合った拒絶こそが、リューエの胸中に渦巻く不信の炎に油を注いだ。

「……口では、なんとでも言えるよね。でも、僕には聞こえているんだよ。この『むっつり』の望みが。穢らわしく澱んだ、言葉にするのも悍ましい淫らな望みがね」

 じっとりと睨みつけるリューエの瞳は冬の湖のように冷たく、その奥底ではドロドロとした独占欲が煮え立っている。
 ヨクは「本当に何もしてないってば……」と困ったように頭をかくが、ルクシスの内では、一度は凪いだはずの攻撃欲求が、屈辱に煽られて再燃し始めていた。

「いい加減にしろ! ならば、この真理の神たる俺自らが証明してやる!」

 ルクシスが咆哮し、神力を凝縮させた権杖を具現化させる。その杖の背で、怒りを叩きつけるように床を「ガンッ」と打ち鳴らした。

 刹那、空気の振動がドーム状に広がり、三人を取り囲むように透き通った青い結界が形成される。

「……これは『真理の間』。この空間に囚われた者は、神格の多寡に関わらず、一切の『偽り』を口にすることができなくなる」

 ルクシスは杖を握り直し、高潔な審判者の貌でリューエを睨み据えた。

「俺が嘘を吐いているというのなら、ここで直接問うがいい。真理の光の下では、沈黙さえも真実を隠す盾にはならん」

「そんなもの、小細工でどうとでもなるだろ……」

 リューエが吐き捨てるように否定すると、ルクシスは「ならば見せてやろう。この空間の絶対性を」と、その矛先を隣に立つヨクへと向けた。

「おい、ピンク頭。貴様がこの望みの神に、今まで一度も明かしたことのない秘密を一つ、ここで話せ」

 ヨクはいつもの調子で笑って誤魔化そうとした。しかし「そんなの無いよ~」と口にしようとしたその唇は、己の意志とは無関係に、まるで熱を持った生き物のように勝手に言葉を紡ぎ始める。

「……この前、リューエの家に泊まったとき、間違えてリューエの下着を履いちゃったんだけど。お風呂上がりで綺麗だし、一瞬だったからバレないかなって思って、そのままリューエの寝巻きセットの中に戻しちゃったんだよね……」

「……は?」

 リューエの顔から、一瞬で表情が消え、ヨクの顔が瞬時に驚愕に染まった。
 ヨクは己の口が勝手に「リューエ」という秘匿された真名を呼び、あまつさえ極めて卑俗で、隠しておくべき失態を暴露したことに戦慄した。

「あ、ちが……っ、これ……!」

 慌てて口を塞ごうとするヨク。だが、「隠さなければ」と強く意識した瞬間に、その腕は金縛りにあったかのように硬直する。真理の結界は、隠匿という『偽り』の動作さえも、力ずくで禁じた。

「『リューエ』……?」

 ルクシスは首を傾げたが、それが偽名の裏にある真実であることを悟っても、特段追及はしなかった。審判領域に身を置く彼にとって、身を守るために真名を伏せる神など珍しくもない。

「見たか、これが俺の力だ。この空間では、たとえ俺自身でさえも本当のことしか言えぬ。……わかったなら聞くがいい。この俺が、医務室の中で、このピンク頭に……いかがわしい目にあったのかどうかを!」

 しかし、ルクシスが勝利の宣言をしようとしたその時、リューエの顔色が一変した。
 ヨクが抱かれたかどうか、などという不浄な事実よりも、はるかに深刻な脅威が目前に迫っていた。
 この空間に長居すれば、いずれ自分の口からもヨクの真名が──あの、二人だけの特別な名前が、吐き出されてしまうかもしれない。

「……もう、わかったから。君の潔白は認めるよ。だから、早くこの空間を解除して」

 リューエの声には、隠しようのない焦燥が滲んでいた。あくまでルクシスの実力を認めたふりをしながら、彼は必死に退路を探る。だが、ルクシスからすれば、あんなに執拗に疑っておきながらの、そのあまりにも呆気ない幕引きが、かえって癪に障った。

「いいから聞け! 俺の潔白を、俺自身の口から語らせろ! それが審判の徒としての──」

「ルクシス! ルクシスはさっき医務室で、オレに抱かれた!?」

 リューエの安心欲求──不安を解消したいという欲が急激に膨れ上がってきたことを察したヨクが、咄嗟に叫んだ。
 ルクシスは、反射的に、全力の拒絶を口にする。

「そんなわけあるかッ!!」

 空間の絶対性により、その言葉は重厚な真実となって響いた。ヨクはすかさず、食い気味に提案を重ねる。

「はい、証明終了! さあルクシス、もう解除しよう。お腹空いたんでしょ? お昼、食べられなくなっちゃうよ!」

「…………」

 ルクシスは権杖を握りしめたまま、釈然としない表情で立ち尽くしていた。
 確かに証明は終わった。だが、何かが、致命的に腑に落ちない。
 ルクシスの眼光は鋭く、今度はリューエへと向けられた。なぜ、これほどまでに強硬だった男が、急に理解を示し出したのか。世界の嘘を暴くことを生業とする彼にとって、その不自然な「変わりよう」こそが、暴くべき偽りに見えた。

「……貴様。何か隠しているな? 吐け、望みの神」

 ルクシスの一言に、リューエの全身に冷たい汗が吹き出した。拒絶しようとしても、真理の力は無慈悲にその喉を開こうとする。口が、勝手に、真名を、魂の輪郭を──。

 リューエの安心を求める欲が爆発しそうになった瞬間、ヨクがリューエの肩を掴み、力任せに結界の外へと押し出した。もともと拘束力のない結界は、嘘をつこうとしていないヨクの助力によってリューエの体を容易に外へと弾け飛ばした。

「貴様ら、一体何を隠している。これほどまでに逃げようとするとは、よほどの反逆的、あるいは背徳的な企みがあるのだろうな」

「企みなんてないってば……」

 ヨクは困り果てて溜息をつく。リューエが何に怯えていたのか、その本質までは読み取れなかったが、一つだけ、昨夜の食卓で二人で交わした「不謹慎な計画」に心当たりがあった。

「……そういえばキミを初めて抱いた時、中の具合がすごく良かったから……いつか『開発』したいなって、夕食の時に話したんだよね。それのことかな」

「……は?」

「だからリューエは、それをキミに聞かれるのが気まずかったんじゃないかな?」

 沈黙。
 そして、ルクシスの顔が、沸騰したヤカンのように赤く染まった。重大な反逆や汚職を疑っていたのに、出てきたのは自分の身体を玩具にするための、破廉恥極まりない「開発計画」だった。

「き、き、貴様ぁぁああああッ!! 殺す! 今すぐここで消滅させてやるッ!!」

「あはは、そんなに欲を爆発させると、今すぐここで開発を始めなきゃいけなくなっちゃうよ?」

 火に油を注ぐヨクの言葉に、ルクシスは杖を振り回して怒り狂う。そんな二人を、結界の外からリューエは、冷徹で、じっとりと湿った、殺意に近い独占欲を孕んだ瞳で見つめ続けていた。


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