ヨクに溺れる

新月ポルカ

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交差

第二十七話 喧騒の裏で

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 白磁の廊下に、権杖が空を切る鋭い風切り音と、場違いに明るい逃走劇の足音が響き渡る。ルクシスの激情によって霧散した「真理の間」の残光が、雪のように宙に舞い、二人の背後で静かに消えていった。

「あはは! 待って待って、ルクシス! 廊下は走っちゃダメなんだろ!」

「黙れ! そのふざけた思考回路ごと、ここで叩き直してやるッ!」

 怒髪天を突く勢いのルクシスが、翻る白金の髪を靡かせて後を追う。静謐だった審判部の廊下は、一瞬にして喧騒の渦へと叩き落とされた。その後ろで、リューエがゆっくりと立ち上がる。服の乱れを整えるその指先は微かに震え、その瞳の奥には、ルクシスに対する底知れない憎悪の火が、じっとりと湿り気を帯びて灯っていた。


 そんな混沌の最中、鼓膜を震わせる野太い声が、天井の低い廊下に不遜に響き渡る。

「あぁん? なんで廊下で運動会なんか始めてんだ、テメェら」

 銀髪を逆立て、退屈を絵に描いたような顔で現れたのは、アナンカリオだった。彼は逃げ回るヨクと、それを追うルクシス、そして氷の彫像のように佇むリューエを一瞥すると、鼻を鳴らしてヨクに声を投げた。

「おい、ヨク。今日は飯、持ってきてねぇのかよ」

「あるよー! あとで一緒に食べよう──あだだだっ!?」

 逃げながらリューエの真横を指差した刹那、ルクシスの執念が勝った。背後から飛び掛かった真理の神は、逃げ場を潰す順序を知り尽くした動きでヨクを絡め取り、白磁の床に組み伏せる。
 その捕縛は審問官として染みついた手順そのものだったが、叩きつける衝撃だけが明らかに私情を帯びていた。
 完璧なフォームの寝技から、みしり、と骨が鳴るような関節技が決まった。

「ぐえっ……ま、待って、折れる、折れちゃうからぁ!」

「黙れ! そのふざけた思考回路ごと、物理的に矯正してやる!」

 床に頬を押し付けられたヨクの情けない悲鳴が廊下に響き渡る。
 その光景を眺め、アナンカリオは「だっはっは! ざまぁねぇな!」と腹を抱えて笑い飛ばしながら、悠然と歩み寄る。彼の目的は、床に置かれたままの、あの官能的な香りを放つ弁当の包みだった。

「おっ、これか。今日は一段といい匂いが──」

 大きな掌が包みに届こうとした、その瞬間。
 横から伸びた細く白い手が、掠め取るようにして弁当を抱え込んだ。

「あ?」

 アナンカリオの眉間に深い皺が刻まれる。見下ろせば、そこにはミント色の髪を揺らしたリューエが、冷徹なまでの拒絶を瞳に宿して立っていた。

「……汚い手で触らないでくれるかな。これは、僕たちが食べるものだ」

「へぇ、度胸だけはあるじゃねぇか、そのヒョロっこい身体でよ。だがな、運命は力のある方に味方するんだわ。……寄越せッ!」

 ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべ、アナンカリオが強引に風呂敷の端を掴み取った。リューエは必死に抵抗し、爪が食い込むほど強く抱きしめたが、アナンカリオの剛力には抗うべくもない。指を一本ずつ剥がされるような屈辱と共に、ヨクの手作り弁当は無慈悲に奪い去られた。

「返せ……! それは、ヨクと食べるために……っ」

「がたがたうるせぇ。運命に逆らうんじゃねぇよ」

 飛びかかろうとするリューエを、アナンカリオは片手で軽くあしらい、戦利品を確認するように鼻を鳴らす。
 力では、絶対に叶わない。その厳然たる事実を突きつけられた瞬間、リューエの瞳の奥で、翠の炎が静かに揺らめいた。
 もはや、理性で独占欲を抑え込める限界を超えていた。

「…………返せと、言ったんだ」

 地を這うような、執念に満ちた呟き。
 リューエは、自身の内側に眠る神力の根源に触れた。他者の望みを引き寄せ、増幅させ、己の神力を削り取って叶える──呪いにも似た権能。

 リューエが、その禁忌の力へと手を伸ばす。周囲の空気がじっとりと湿り気を帯び、気圧が歪むような感覚が廊下を支配し始めた。



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