お嬢様はご存じない。

新月ポルカ

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カプリス《日常》

分割払い

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 白磁の壁を透かして、朝の光が静かに流れ込んでいた。薄金の光がカーテンの縁を撫で、テーブルクロスの皺をひと筋の明るい線でなぞる。
 食堂の空気には、焼きたてのパンの温もりと、ローズマリーの清涼な香りが満ちていた。
 静かな器の音。遠くの時計の秒針が、ゆっくりと時を刻む。

 お嬢様は、白い指でパンの端を小さくちぎり、唇の動きにほとんど変化もなく、朝の霞に紛れるような声でぽつりと呟いた。

「アレキサンドライトで、何か宝飾を作りたいな」

 その言葉が空気に溶けた瞬間、紅茶を注いでいたゼルヴァンの手が止まった。
 注ぎ口の先で、琥珀の液体がひと雫、光の粒のように静止している。
 まるで空気そのものが、ゼルヴァンの沈黙に倣って動きを止めたかのようだった。

 彼の瞳に、無数の数字が流れた。
 産地、輸送費、保険料、為替、税──
 頭のなかで、冷ややかな計算が音もなく組み上がっていく。
 そして導き出された結論は、あまりに実直で、あまりに人間離れしていた。

「……内臓を売れば、いけるかもしれませんね」

「……は?」

 低く、肉を切る音が止む。
 ローストビーフの赤が光を受けて濡れ、ナイフの刃に鈍い金が走った。
 顔を上げたダリオンの赤い瞳が、わずかに呆気にとられている。

「ゼル。今、なんつった?」

 ゼルヴァンは眉ひとつ動かさぬまま、穏やかに紅茶の香を確かめた。
 彼の手元には微かな震えもない。
 ただ静かに、朝の光に照らされた横顔だけが、冷たく整っていた。

「いえ。試算の結果でございます。片方の腎臓と肺、肝臓の一部を保険として残せば、ギリギリ──」

「いや待て待て待て待て、命を分割払いすんな」

 ダリオンの静止に。ゼルヴァンはゆっくりと顔を上げ、青の瞳を細めた。
 それは凍てついた湖面のような冷ややかさを湛えていたが、その奥には、お嬢様への絶対的な献身の炎が潜んでいた。

「お嬢様のお望みを叶えるための最も迅速な手段を考えたまででございます」

 その声は祈りにも似て、静かな狂気の光を帯びていた。

「迅速て…お前の人生ごと質屋に入れる気かよ…」

 小さなため息。紅茶の表面に揺れる波紋が、まるで言葉の余韻を映すかのように広がっていく。

「どうしたの、二人とも。賑やかね」

 その一言が、まるで光の扉を開くように響いた。
 金の巻き髪が陽光をまとい、アメジストの瞳が微笑を宿している。
 柔らかな声が響くたび、部屋の空気が少し明るくなるようだった。

「お嬢、ゼルがまたおかしくなってんだよ」

「……何のことでしょう。私は常に冷静でございます」

「冷静な顔で臓器売却を検討すんな。お嬢もなんか言ってくれ」

 お嬢様はパンをひとかけ口に含み、少しだけ考えるように視線を落とし、そしてゆっくりと微笑んだ。

「ゼル、臓器は売らなくていいのよ?」

 その声音は、陽溜まりのように柔らかかった。
 ゼルヴァンの睫毛がゆるやかに伏せられ、朝の光を帯びた白い頬が、かすかに陰を含む。

「……承知いたしました。では、血液で……」

「何を承知したんだよテメェはよぉ!」

 ダリオンの声が響き、食堂の天井にかすかな反響が生まれる。
 パン屑が宙を舞い、ローズマリーの香りがもう一度、やさしく漂った。

 ──月長石の館の朝。
 そこでは、狂気もまた礼儀正しく、美しく息づいている。
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