18 / 26
カプリス《日常》
分割払い
しおりを挟む
白磁の壁を透かして、朝の光が静かに流れ込んでいた。薄金の光がカーテンの縁を撫で、テーブルクロスの皺をひと筋の明るい線でなぞる。
食堂の空気には、焼きたてのパンの温もりと、ローズマリーの清涼な香りが満ちていた。
静かな器の音。遠くの時計の秒針が、ゆっくりと時を刻む。
お嬢様は、白い指でパンの端を小さくちぎり、唇の動きにほとんど変化もなく、朝の霞に紛れるような声でぽつりと呟いた。
「アレキサンドライトで、何か宝飾を作りたいな」
その言葉が空気に溶けた瞬間、紅茶を注いでいたゼルヴァンの手が止まった。
注ぎ口の先で、琥珀の液体がひと雫、光の粒のように静止している。
まるで空気そのものが、ゼルヴァンの沈黙に倣って動きを止めたかのようだった。
彼の瞳に、無数の数字が流れた。
産地、輸送費、保険料、為替、税──
頭のなかで、冷ややかな計算が音もなく組み上がっていく。
そして導き出された結論は、あまりに実直で、あまりに人間離れしていた。
「……内臓を売れば、いけるかもしれませんね」
「……は?」
低く、肉を切る音が止む。
ローストビーフの赤が光を受けて濡れ、ナイフの刃に鈍い金が走った。
顔を上げたダリオンの赤い瞳が、わずかに呆気にとられている。
「ゼル。今、なんつった?」
ゼルヴァンは眉ひとつ動かさぬまま、穏やかに紅茶の香を確かめた。
彼の手元には微かな震えもない。
ただ静かに、朝の光に照らされた横顔だけが、冷たく整っていた。
「いえ。試算の結果でございます。片方の腎臓と肺、肝臓の一部を保険として残せば、ギリギリ──」
「いや待て待て待て待て、命を分割払いすんな」
ダリオンの静止に。ゼルヴァンはゆっくりと顔を上げ、青の瞳を細めた。
それは凍てついた湖面のような冷ややかさを湛えていたが、その奥には、お嬢様への絶対的な献身の炎が潜んでいた。
「お嬢様のお望みを叶えるための最も迅速な手段を考えたまででございます」
その声は祈りにも似て、静かな狂気の光を帯びていた。
「迅速て…お前の人生ごと質屋に入れる気かよ…」
小さなため息。紅茶の表面に揺れる波紋が、まるで言葉の余韻を映すかのように広がっていく。
「どうしたの、二人とも。賑やかね」
その一言が、まるで光の扉を開くように響いた。
金の巻き髪が陽光をまとい、アメジストの瞳が微笑を宿している。
柔らかな声が響くたび、部屋の空気が少し明るくなるようだった。
「お嬢、ゼルがまたおかしくなってんだよ」
「……何のことでしょう。私は常に冷静でございます」
「冷静な顔で臓器売却を検討すんな。お嬢もなんか言ってくれ」
お嬢様はパンをひとかけ口に含み、少しだけ考えるように視線を落とし、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ゼル、臓器は売らなくていいのよ?」
その声音は、陽溜まりのように柔らかかった。
ゼルヴァンの睫毛がゆるやかに伏せられ、朝の光を帯びた白い頬が、かすかに陰を含む。
「……承知いたしました。では、血液で……」
「何を承知したんだよテメェはよぉ!」
ダリオンの声が響き、食堂の天井にかすかな反響が生まれる。
パン屑が宙を舞い、ローズマリーの香りがもう一度、やさしく漂った。
──月長石の館の朝。
そこでは、狂気もまた礼儀正しく、美しく息づいている。
食堂の空気には、焼きたてのパンの温もりと、ローズマリーの清涼な香りが満ちていた。
静かな器の音。遠くの時計の秒針が、ゆっくりと時を刻む。
お嬢様は、白い指でパンの端を小さくちぎり、唇の動きにほとんど変化もなく、朝の霞に紛れるような声でぽつりと呟いた。
「アレキサンドライトで、何か宝飾を作りたいな」
その言葉が空気に溶けた瞬間、紅茶を注いでいたゼルヴァンの手が止まった。
注ぎ口の先で、琥珀の液体がひと雫、光の粒のように静止している。
まるで空気そのものが、ゼルヴァンの沈黙に倣って動きを止めたかのようだった。
彼の瞳に、無数の数字が流れた。
産地、輸送費、保険料、為替、税──
頭のなかで、冷ややかな計算が音もなく組み上がっていく。
そして導き出された結論は、あまりに実直で、あまりに人間離れしていた。
「……内臓を売れば、いけるかもしれませんね」
「……は?」
低く、肉を切る音が止む。
ローストビーフの赤が光を受けて濡れ、ナイフの刃に鈍い金が走った。
顔を上げたダリオンの赤い瞳が、わずかに呆気にとられている。
「ゼル。今、なんつった?」
ゼルヴァンは眉ひとつ動かさぬまま、穏やかに紅茶の香を確かめた。
彼の手元には微かな震えもない。
ただ静かに、朝の光に照らされた横顔だけが、冷たく整っていた。
「いえ。試算の結果でございます。片方の腎臓と肺、肝臓の一部を保険として残せば、ギリギリ──」
「いや待て待て待て待て、命を分割払いすんな」
ダリオンの静止に。ゼルヴァンはゆっくりと顔を上げ、青の瞳を細めた。
それは凍てついた湖面のような冷ややかさを湛えていたが、その奥には、お嬢様への絶対的な献身の炎が潜んでいた。
「お嬢様のお望みを叶えるための最も迅速な手段を考えたまででございます」
その声は祈りにも似て、静かな狂気の光を帯びていた。
「迅速て…お前の人生ごと質屋に入れる気かよ…」
小さなため息。紅茶の表面に揺れる波紋が、まるで言葉の余韻を映すかのように広がっていく。
「どうしたの、二人とも。賑やかね」
その一言が、まるで光の扉を開くように響いた。
金の巻き髪が陽光をまとい、アメジストの瞳が微笑を宿している。
柔らかな声が響くたび、部屋の空気が少し明るくなるようだった。
「お嬢、ゼルがまたおかしくなってんだよ」
「……何のことでしょう。私は常に冷静でございます」
「冷静な顔で臓器売却を検討すんな。お嬢もなんか言ってくれ」
お嬢様はパンをひとかけ口に含み、少しだけ考えるように視線を落とし、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ゼル、臓器は売らなくていいのよ?」
その声音は、陽溜まりのように柔らかかった。
ゼルヴァンの睫毛がゆるやかに伏せられ、朝の光を帯びた白い頬が、かすかに陰を含む。
「……承知いたしました。では、血液で……」
「何を承知したんだよテメェはよぉ!」
ダリオンの声が響き、食堂の天井にかすかな反響が生まれる。
パン屑が宙を舞い、ローズマリーの香りがもう一度、やさしく漂った。
──月長石の館の朝。
そこでは、狂気もまた礼儀正しく、美しく息づいている。
0
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
さようなら、あなたとはもうお別れです
四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。
幸せになれると思っていた。
そう夢みていたのだ。
しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。
あら、面白い喜劇ですわね
oro
恋愛
「アリア!私は貴様との婚約を破棄する!」
建国を祝うパーティ会場に響き渡る声。
誰もが黙ってその様子を伺う中、場違いな程に明るい声色が群衆の中から上がった。
「あらあら。見てフィンリー、面白そうな喜劇だわ。」
※全5話。毎朝7時に更新致します。
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる