お嬢様はご存じない。

新月ポルカ

文字の大きさ
17 / 26
バラード《過去》

風邪4《20歳》

しおりを挟む
 日差しが、いつの間にか高い。
 窓から差し込む光は、朝のそれとは異なる色を帯びて、部屋の床に長い影をつくっていた。
 空気の温度がわずかに上がり、埃が金色に光って舞っている。

 そんななか、布団に沈んだダリオンは、ふとした瞬間に目を覚ました。
 額に浮いた汗が、まぶたの縁を濡らす。
 だがそれよりも──目を開いた途端に視界を満たした存在に、反射的に声が漏れた。

「……うおっ⁉︎」

 咄嗟に身じろぎしようとして、そのまま咳き込む。
 喉が灼けるように痛んだ。

 視線の先には、直立不動のゼルヴァン。
 まるで寝息を確認する衛兵のように、ダリオンをじっと見下ろしている。

「申し訳ありません。気配は最小限にしたのですが」

 ゼルは一歩も動かず、形だけの謝罪を口にしたあと、微動だにせず続けた。

「食事を取れそうですか?」

「あ゛ー……うん。食える」

「承知いたしました。温めてまいります」

 それだけ言い残して、ゼルは無駄のない足取りで簡易キッチンへと向かった。
 背筋は直線のようにまっすぐで、動作ひとつに乱れも滞りもない。まるで医療施設に従事する訓練兵のようだなと、ダリオンは心の中で半ば呆れながら思う。

 きびきびとした足音が床を鳴らす。
 その音が、ゆるやかな日差しの中でやけに鮮やかに響いた。

 ダリオンはその背が消えた方向を眺めながら、ぼんやりと思う。
 ──熱は下がってきている。だが、喉の方がずっと厄介だ。
 いがらっぽく、乾いて、声を出すたびに擦り減っていくような感覚があった。

 しばらくして戻ってきたゼルの手には、白い湯気を立てた器。
 白い湯気が、蛇のようにくゆり立ち、光の中で形を失いながら揺れる。
 昨日と似たような粥だったが、今日のそれには、ほんのりとミルクの甘い香りが混じっていた。
 牛乳粥だとわかる。

 ゼルは静かに椅子を引き、音も立てずにベッドの脇に座る。
 そして、じっと器の中身を見つめたのち、小さなスプーンを手に取った。

 一匙。
 本当にそれが粥なのか疑いたくなるほど慎ましい量をすくい上げ、
 唇を尖らせ、丁寧すぎるほどの呼気をかける。

 ふう、ふう、ふう──。

 唇を尖らせて吹きかける息が、やわらかな音を立てる。
 スプーンの上で揺れる粥に、粛々と冷気を送るゼルの姿は、やけに慎重で、どこか不慣れで、もはや神聖ですらあった。
 その一連の動きに、ダリオンは言葉もなく、ただ見守るような眼差しを注ぐ。

 やがて、十分すぎるほど冷ましたひと匙が、恐る恐るダリオンの口元へ差し出される。

 だが──差し出した瞬間に、それを引っ込める。

「失礼。お尋ねしますが──」

 ゼルは真剣な面差しでスプーンを見つめ、

「……この大きさで嚥下できそうですか?」

「……ゼル」

 ダリオンは低く掠れた声で名前を呼び、
 目元にかすかな困惑を滲ませた。

「看病と……介護は、別もんだぞ……」

 部屋の静けさの中で、そのひとことだけがゆっくりと染み込んだ。

 ゼルは小さく瞬き、ふとスプーンを見つめたまま、姿勢を変えないまま、わずかに考えるような間を置いた。

「……なるほど」

 光に照らされた吐息が白い静けさを揺らし、
 ゼルの横顔に、淡い影が流れた。

 丁重すぎるほどに冷まされたひと匙は、再びダリオンの唇へと差し出される。
 ダリオンは一瞬だけゼルを見つめ、
 何も言わず、口を開いた。

 ひんやりとしていたが、その冷たさは奇妙な安堵を与えた。

「……うまい」

 ひとこと。
 その短い言葉に、ゼルはふ、と小さく息をつき、また次の粥をすくう。
 だが、次もまた、小鳥の口にしか入らないような量で──

「……もうちょい、掬ってくれ」

 ダリオンが低く囁くように告げると、ゼルはぱちりと瞬きをひとつ。

「……たしかに」

 それだけ呟いて、スプーンを粥に戻す。
 今度は気持ち大きめに掬い、またしても、ふう、ふう、と丁寧に冷ます。
 そのスプーンを受け取るたびに、湯気は消え、室内の空気がほんの少しずつ落ち着いていくような錯覚に陥る。

 やがて器は空になった。

 ゼルはすっと立ち上がり、器を片付けに行き、
 すぐにティーセットを盆に乗せて戻ってくる。

 紅茶を注ぐ音は、水晶を叩くように澄んでいた。
 そこに蜂蜜が糸のように落ち、レモンがひと輪、光の中に沈む。

 ゼルは、ひとたびカップの中を見つめたあと、ぽつりと告げた。

「蜂蜜とレモンは、喉に良いそうです」

 そのまま、小さなティースプーンで紅茶をくるくると混ぜながら──
 ふいに、ダリオンを見た。

 視線は、一度カップに戻り、再びダリオンへ。
 紅茶を掬ったスプーンを持ち上げると、それを差し出すわけでもなく、伺うように視線だけで問いかけてくる。

 ダリオンは少しだけ眉を上げ、喉の奥でくつっと笑う。

「いや、紅茶はそのままもらうよ。ありがとな」

 ゼルは、それに気まずげというより、まるで答え合わせを終えたような口調で呟く。

「そう、ですよね。流石にこれは違いますよね」

 その言葉の妙な真面目さに、ダリオンはとうとう噴き出すように笑って──
 そして、また咳き込んだ。

 苦しげな咳をしている間に、ゼルはそっと紅茶のカップを枕元に置く。
 受け取ったそれをひと口。ゆっくりと飲む。

 あたたかさが喉をゆっくりと通り抜け、
 痛みをなだめるように熱がほどけていく。

 光の位置はさらに高く、室内はうっすらと白く満たされていく。
 その中で、ダリオンは静かに目を細めた。

 介護のようで、ぎこちなくて、
 でも確かに優しい彼だけの看病だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

お飾りの妃なんて可哀想だと思ったら

mios
恋愛
妃を亡くした国王には愛妾が一人いる。 新しく迎えた若い王妃は、そんな愛妾に見向きもしない。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

さようなら、あなたとはもうお別れです

四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。 幸せになれると思っていた。 そう夢みていたのだ。 しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。

あら、面白い喜劇ですわね

oro
恋愛
「アリア!私は貴様との婚約を破棄する!」 建国を祝うパーティ会場に響き渡る声。 誰もが黙ってその様子を伺う中、場違いな程に明るい声色が群衆の中から上がった。 「あらあら。見てフィンリー、面白そうな喜劇だわ。」 ※全5話。毎朝7時に更新致します。

愛する義兄に憎まれています

ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。 義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。 許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。 2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。 ふわっと設定でサクっと終わります。 他サイトにも投稿。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...