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バラード《過去》
風邪4《20歳》
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日差しが、いつの間にか高い。
窓から差し込む光は、朝のそれとは異なる色を帯びて、部屋の床に長い影をつくっていた。
空気の温度がわずかに上がり、埃が金色に光って舞っている。
そんななか、布団に沈んだダリオンは、ふとした瞬間に目を覚ました。
額に浮いた汗が、まぶたの縁を濡らす。
だがそれよりも──目を開いた途端に視界を満たした存在に、反射的に声が漏れた。
「……うおっ⁉︎」
咄嗟に身じろぎしようとして、そのまま咳き込む。
喉が灼けるように痛んだ。
視線の先には、直立不動のゼルヴァン。
まるで寝息を確認する衛兵のように、ダリオンをじっと見下ろしている。
「申し訳ありません。気配は最小限にしたのですが」
ゼルは一歩も動かず、形だけの謝罪を口にしたあと、微動だにせず続けた。
「食事を取れそうですか?」
「あ゛ー……うん。食える」
「承知いたしました。温めてまいります」
それだけ言い残して、ゼルは無駄のない足取りで簡易キッチンへと向かった。
背筋は直線のようにまっすぐで、動作ひとつに乱れも滞りもない。まるで医療施設に従事する訓練兵のようだなと、ダリオンは心の中で半ば呆れながら思う。
きびきびとした足音が床を鳴らす。
その音が、ゆるやかな日差しの中でやけに鮮やかに響いた。
ダリオンはその背が消えた方向を眺めながら、ぼんやりと思う。
──熱は下がってきている。だが、喉の方がずっと厄介だ。
いがらっぽく、乾いて、声を出すたびに擦り減っていくような感覚があった。
しばらくして戻ってきたゼルの手には、白い湯気を立てた器。
白い湯気が、蛇のようにくゆり立ち、光の中で形を失いながら揺れる。
昨日と似たような粥だったが、今日のそれには、ほんのりとミルクの甘い香りが混じっていた。
牛乳粥だとわかる。
ゼルは静かに椅子を引き、音も立てずにベッドの脇に座る。
そして、じっと器の中身を見つめたのち、小さなスプーンを手に取った。
一匙。
本当にそれが粥なのか疑いたくなるほど慎ましい量をすくい上げ、
唇を尖らせ、丁寧すぎるほどの呼気をかける。
ふう、ふう、ふう──。
唇を尖らせて吹きかける息が、やわらかな音を立てる。
スプーンの上で揺れる粥に、粛々と冷気を送るゼルの姿は、やけに慎重で、どこか不慣れで、もはや神聖ですらあった。
その一連の動きに、ダリオンは言葉もなく、ただ見守るような眼差しを注ぐ。
やがて、十分すぎるほど冷ましたひと匙が、恐る恐るダリオンの口元へ差し出される。
だが──差し出した瞬間に、それを引っ込める。
「失礼。お尋ねしますが──」
ゼルは真剣な面差しでスプーンを見つめ、
「……この大きさで嚥下できそうですか?」
「……ゼル」
ダリオンは低く掠れた声で名前を呼び、
目元にかすかな困惑を滲ませた。
「看病と……介護は、別もんだぞ……」
部屋の静けさの中で、そのひとことだけがゆっくりと染み込んだ。
ゼルは小さく瞬き、ふとスプーンを見つめたまま、姿勢を変えないまま、わずかに考えるような間を置いた。
「……なるほど」
光に照らされた吐息が白い静けさを揺らし、
ゼルの横顔に、淡い影が流れた。
丁重すぎるほどに冷まされたひと匙は、再びダリオンの唇へと差し出される。
ダリオンは一瞬だけゼルを見つめ、
何も言わず、口を開いた。
ひんやりとしていたが、その冷たさは奇妙な安堵を与えた。
「……うまい」
ひとこと。
その短い言葉に、ゼルはふ、と小さく息をつき、また次の粥をすくう。
だが、次もまた、小鳥の口にしか入らないような量で──
「……もうちょい、掬ってくれ」
ダリオンが低く囁くように告げると、ゼルはぱちりと瞬きをひとつ。
「……たしかに」
それだけ呟いて、スプーンを粥に戻す。
今度は気持ち大きめに掬い、またしても、ふう、ふう、と丁寧に冷ます。
そのスプーンを受け取るたびに、湯気は消え、室内の空気がほんの少しずつ落ち着いていくような錯覚に陥る。
やがて器は空になった。
ゼルはすっと立ち上がり、器を片付けに行き、
すぐにティーセットを盆に乗せて戻ってくる。
紅茶を注ぐ音は、水晶を叩くように澄んでいた。
そこに蜂蜜が糸のように落ち、レモンがひと輪、光の中に沈む。
ゼルは、ひとたびカップの中を見つめたあと、ぽつりと告げた。
「蜂蜜とレモンは、喉に良いそうです」
そのまま、小さなティースプーンで紅茶をくるくると混ぜながら──
ふいに、ダリオンを見た。
視線は、一度カップに戻り、再びダリオンへ。
紅茶を掬ったスプーンを持ち上げると、それを差し出すわけでもなく、伺うように視線だけで問いかけてくる。
ダリオンは少しだけ眉を上げ、喉の奥でくつっと笑う。
「いや、紅茶はそのままもらうよ。ありがとな」
ゼルは、それに気まずげというより、まるで答え合わせを終えたような口調で呟く。
「そう、ですよね。流石にこれは違いますよね」
その言葉の妙な真面目さに、ダリオンはとうとう噴き出すように笑って──
そして、また咳き込んだ。
苦しげな咳をしている間に、ゼルはそっと紅茶のカップを枕元に置く。
受け取ったそれをひと口。ゆっくりと飲む。
あたたかさが喉をゆっくりと通り抜け、
痛みをなだめるように熱がほどけていく。
光の位置はさらに高く、室内はうっすらと白く満たされていく。
その中で、ダリオンは静かに目を細めた。
介護のようで、ぎこちなくて、
でも確かに優しい彼だけの看病だった。
窓から差し込む光は、朝のそれとは異なる色を帯びて、部屋の床に長い影をつくっていた。
空気の温度がわずかに上がり、埃が金色に光って舞っている。
そんななか、布団に沈んだダリオンは、ふとした瞬間に目を覚ました。
額に浮いた汗が、まぶたの縁を濡らす。
だがそれよりも──目を開いた途端に視界を満たした存在に、反射的に声が漏れた。
「……うおっ⁉︎」
咄嗟に身じろぎしようとして、そのまま咳き込む。
喉が灼けるように痛んだ。
視線の先には、直立不動のゼルヴァン。
まるで寝息を確認する衛兵のように、ダリオンをじっと見下ろしている。
「申し訳ありません。気配は最小限にしたのですが」
ゼルは一歩も動かず、形だけの謝罪を口にしたあと、微動だにせず続けた。
「食事を取れそうですか?」
「あ゛ー……うん。食える」
「承知いたしました。温めてまいります」
それだけ言い残して、ゼルは無駄のない足取りで簡易キッチンへと向かった。
背筋は直線のようにまっすぐで、動作ひとつに乱れも滞りもない。まるで医療施設に従事する訓練兵のようだなと、ダリオンは心の中で半ば呆れながら思う。
きびきびとした足音が床を鳴らす。
その音が、ゆるやかな日差しの中でやけに鮮やかに響いた。
ダリオンはその背が消えた方向を眺めながら、ぼんやりと思う。
──熱は下がってきている。だが、喉の方がずっと厄介だ。
いがらっぽく、乾いて、声を出すたびに擦り減っていくような感覚があった。
しばらくして戻ってきたゼルの手には、白い湯気を立てた器。
白い湯気が、蛇のようにくゆり立ち、光の中で形を失いながら揺れる。
昨日と似たような粥だったが、今日のそれには、ほんのりとミルクの甘い香りが混じっていた。
牛乳粥だとわかる。
ゼルは静かに椅子を引き、音も立てずにベッドの脇に座る。
そして、じっと器の中身を見つめたのち、小さなスプーンを手に取った。
一匙。
本当にそれが粥なのか疑いたくなるほど慎ましい量をすくい上げ、
唇を尖らせ、丁寧すぎるほどの呼気をかける。
ふう、ふう、ふう──。
唇を尖らせて吹きかける息が、やわらかな音を立てる。
スプーンの上で揺れる粥に、粛々と冷気を送るゼルの姿は、やけに慎重で、どこか不慣れで、もはや神聖ですらあった。
その一連の動きに、ダリオンは言葉もなく、ただ見守るような眼差しを注ぐ。
やがて、十分すぎるほど冷ましたひと匙が、恐る恐るダリオンの口元へ差し出される。
だが──差し出した瞬間に、それを引っ込める。
「失礼。お尋ねしますが──」
ゼルは真剣な面差しでスプーンを見つめ、
「……この大きさで嚥下できそうですか?」
「……ゼル」
ダリオンは低く掠れた声で名前を呼び、
目元にかすかな困惑を滲ませた。
「看病と……介護は、別もんだぞ……」
部屋の静けさの中で、そのひとことだけがゆっくりと染み込んだ。
ゼルは小さく瞬き、ふとスプーンを見つめたまま、姿勢を変えないまま、わずかに考えるような間を置いた。
「……なるほど」
光に照らされた吐息が白い静けさを揺らし、
ゼルの横顔に、淡い影が流れた。
丁重すぎるほどに冷まされたひと匙は、再びダリオンの唇へと差し出される。
ダリオンは一瞬だけゼルを見つめ、
何も言わず、口を開いた。
ひんやりとしていたが、その冷たさは奇妙な安堵を与えた。
「……うまい」
ひとこと。
その短い言葉に、ゼルはふ、と小さく息をつき、また次の粥をすくう。
だが、次もまた、小鳥の口にしか入らないような量で──
「……もうちょい、掬ってくれ」
ダリオンが低く囁くように告げると、ゼルはぱちりと瞬きをひとつ。
「……たしかに」
それだけ呟いて、スプーンを粥に戻す。
今度は気持ち大きめに掬い、またしても、ふう、ふう、と丁寧に冷ます。
そのスプーンを受け取るたびに、湯気は消え、室内の空気がほんの少しずつ落ち着いていくような錯覚に陥る。
やがて器は空になった。
ゼルはすっと立ち上がり、器を片付けに行き、
すぐにティーセットを盆に乗せて戻ってくる。
紅茶を注ぐ音は、水晶を叩くように澄んでいた。
そこに蜂蜜が糸のように落ち、レモンがひと輪、光の中に沈む。
ゼルは、ひとたびカップの中を見つめたあと、ぽつりと告げた。
「蜂蜜とレモンは、喉に良いそうです」
そのまま、小さなティースプーンで紅茶をくるくると混ぜながら──
ふいに、ダリオンを見た。
視線は、一度カップに戻り、再びダリオンへ。
紅茶を掬ったスプーンを持ち上げると、それを差し出すわけでもなく、伺うように視線だけで問いかけてくる。
ダリオンは少しだけ眉を上げ、喉の奥でくつっと笑う。
「いや、紅茶はそのままもらうよ。ありがとな」
ゼルは、それに気まずげというより、まるで答え合わせを終えたような口調で呟く。
「そう、ですよね。流石にこれは違いますよね」
その言葉の妙な真面目さに、ダリオンはとうとう噴き出すように笑って──
そして、また咳き込んだ。
苦しげな咳をしている間に、ゼルはそっと紅茶のカップを枕元に置く。
受け取ったそれをひと口。ゆっくりと飲む。
あたたかさが喉をゆっくりと通り抜け、
痛みをなだめるように熱がほどけていく。
光の位置はさらに高く、室内はうっすらと白く満たされていく。
その中で、ダリオンは静かに目を細めた。
介護のようで、ぎこちなくて、
でも確かに優しい彼だけの看病だった。
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