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バラード《過去》
風邪3《20歳》
しおりを挟む朝六時。
城下に鐘の音が響く前、従者部屋には既に柔らかな光が射し始めていた。
朝焼けの欠片が白い壁をそっと撫で、光の粒が天井に浮かぶ。
その静寂の中、ひとつだけ明瞭な気配がある。
ダリオンのベッドの前に、直立する影。
燕尾服の襞まで計算されたように美しい、完璧を体現する存在──ゼルヴァンだった。
「おかげさまで、快復いたしました」
濁りのない声が、部屋の静けさを割ることなく空気に沈む。
まっすぐに立ち、揺るぎなく、ひとつの“結果”として報告を終えたゼルの姿は、病に伏していたことすら忘れさせる威厳を帯びていた。
「おう、良かったな」
毛布の中から、潰れた声が返る。
顔を半分ほど枕に埋めたままのダリオンの頬は赤く、まぶたは重たげに潤んでいる。
完璧とはほど遠い寝姿のまま、鼻にかすかな音を立てながら彼は唸った。
「人にうつすと、治るっていうしな……」
「迷信でございます」
「お前メンタルどうなってんの?」
咎めるようでもなく、感心するわけでもなく、半ば諦めにも似た問い。
しかし返ってきたのは、あくまで無風の応答だった。
その直後、喉の奥から湿った咳がひとつ漏れる。
ごほっ、と唸るような音。
ベッドの布団が一瞬だけ膨らみ、沈んだ。
ゼルはその様子を、どこか他人事のように眺めた。
まるで舗道に咲いた草花を一瞥するような、冷たくも温かくもない視線。
だが、その目許にほんのわずか影が差す。
気づかれないほど微細な、罪のかたち。
「本日の業務は私がすべて完遂いたしますので、あなたは何も考えず寝ていてくださって結構です」
「お゛う……わりぃな……」
「安心してください。お嬢様には一切ご不便をおかけしません。……貴方がいないこと以外は」
言葉の末尾に、ごく薄い棘が刺さる。
昨日、ゼル自身が掛けられた言葉の、きれいな返歌。
「………」
ダリオンは、にやりとも、ため息ともつかない表情で笑った。
布団に身を埋めたまま、彼はその完璧な背中を見上げる。
「では、行ってまいります」
低く、美しい声音が部屋に残されたあと、
扉はふたたび静かに閉じられた。
室内の温度が一段、下がったように感じられる。
ダリオンは、ゆっくりと天井を仰ぎ、ひとつ、呼吸を深く吐いた。
光が少し角度を変え、壁にかかった時計の金属枠をわずかに反射させる。
そのまま瞼を閉じようとした、その瞬間──
閉じたはずの扉が、やや乱暴に開かれた。
朝の冷気をわずかに吸い込みながら、再び差し込んだ足音。
「……ゼル?」
寝起きの身体をゆっくり起こす。
扉から入ってきたのは、言わずもがな。
ゼルは何も言わず、まっすぐに簡易キッチンの方へ向かった。
冷たい水を流す音と布の軋み。
すぐに戻ってきたかと思えば、手には丁寧に折りたたまれた白い布。
濡れタオルだ。
それを額に、そっと貼る。
そして、背に軽く手を添え、抗う隙すら与えず、布団の中に再び体を沈める。
「失礼、忘れ物をいたしました。では」
その一言だけを残して、ゼルはまたも背を向けた。
さながら舞台袖に消える役者のように、滑らかに、風のように。
彼の黒靴が床を静かに滑り、光の筋をわずかに揺らしていく。
やがて、ふたたび扉が閉まる──今度は、柔らかな音をたてて。
扉の向こうに彼の姿が消えたあとも、しばらくのあいだ、濡れタオルだけが額の上で静かに重みを残していた。
ぎこちない優しさ。慣れていない手つき。
だがそれはたしかに「ゼルヴァンから与えられた看病」だった。
額に乗せられたタオルの温度が、光とともに、胸の奥へ染み込んでゆくようだった。
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