悪役令嬢と薄幸の元伯爵令嬢のかけて欲しい言葉と聞きたくない言葉

なめ沢蟹

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王都の怪人

1話 家庭教師

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 ベアトリクス様がこの館に来てから一週間がすぎた。
 それはすなわち、ケイト様の貴族の称号が剥奪されてからという事でもある。
 あれから屋敷内の事情はどうなったかと言うと……。
「ケイト。あなたもう下がってくださる? か、髪が抜ける……」
「うるさいなあ。髪をとかすくらい私でもできるって」
「ちょ、本当にやめてください……痛っ」
「……」
 今もベアトリクス様とケイト様がケンカしている。
 最初はベアトリクス様が高飛車にメイドであるケイト様に髪をとかせと命じた。
 そのあとはあまりに雑な手入れにベアトリクス様が悲鳴を上げている感じだ。
「やめなさい!」
「ちぇっ」
 髪を振り乱して怒る、それにぶっきらぼうな態度で返す。
 毎日似たような事の繰り返しだ。
「……」
 ほっといて窓の外を見た。
 木々の葉は生い茂り、日差しも強い。
 まだまだ暑い日が続くが、季節的には夏の終わりが近づいている。
 それはすなわち、ベアトリクス様が学園の夏休みが終わり王都へ帰る日が近づいているという事でもある。 
「イーモン! 見てないで止めてくださる?」
「……はい、かしこまりました」
「あ、イーモン! やめろ、離せ!」
 ケイト様の首根っこをつかんだ
 だんだんこの小さくて凶暴なお嬢様の扱いがわかってきた。
 足を踏ん張る前に、抑えこんでしまえばいいのだ。
 彼女の特殊な投げ技は、油断してる隙に潰してしまえばどうということはない。
 やっと引き剥がした。
「……」
 ……しかし、ジタバタと暴れるケイト様の表情も可愛らしい。
「つまみ出してくださいな」
「かしこまりました。さあケイト様、行きますよ」
「離せ! 離せ!」
「……」
 お姫様抱っこに切り替えて、ベアトリクス様の自室から出た。
 しばらくしてストンと廊下の絨毯にケイト様を立たせる。
「くそっベアトリクスの奴……バカにして」
「あ、それでは私はこれで」
「……ちぇ」
 走って行ってしまった。 
 なんだかトラバサミが外れて逃げだす小動物のイメージが浮かぶ。 
 お転婆にもほどがある。
「はあ……」
 なんだかこっちも落とすのは無理な気がしてきた。
「つまらんな」
 ボソッとつぶやく。
 私にとって恋愛とはチェスのようなものだ。
 難攻不落な女こそ攻略が楽しい。
 そんな考えだったのだが……。
 ベアトリクス様とケイト様、彼女たちはもう取っかかりを作ることすら無理と思えてきた。
 二人とも考えが読めなすぎる。
 いや、元々高貴な血筋の娘と肉体的な関係になるなど最初から無理だったのかもしれない。
「そういえば」
 ベアトリクス様がこの館に来て初日、彼女がはにかんだのを思い出した。
 そっちは取っかかりもないってほどじゃないか。
「戻りました」
 ベアトリクス様の自室に戻る。
 実は最近は彼女の部屋への出入りを許可されている。
 今は男子禁制などと言ってる場合ではないのだ。
 なんとベアトリクス様は……最近学園の成績がめっきり落ちて留年寸前らしい。
 去年あたりまでは成績優秀だったらしいのだが……。

†††††

 長いテーブルと椅子をベアトリクス様の私室に運ばせていた。
 椅子の一つは私専用。 
 大きな鏡や派手なベッドなど貴族の少女らしい内装の部屋に、少し異物が混じった感じがする。
「イーモン、ここがわかりませんわ」 
「お見せください」 
 ベアトリクス様の質問を聞き、何がわからないか把握し、わかりやすいように説明する。
 私は今、その椅子に座り家庭教師をしている。
「いいですわ。イーモン、あなた王都の屋敷の家庭教師よりずっと教え方が上手いですわ」
「恐縮です」
 お褒めの言葉を頂いた。
 しかしこれはそう珍しい事ではない。
 貴族に雇われる家庭教師など、大抵は同じ貴族のボンボンか頭の良さで名を馳せた者だったりする。
 そういう者たちは、大抵庶民レベルの学業は教えるのが下手なのが相場。
 私のように平民が叩き上げでそこそこの資格を取った者のほうが、わからない者の気持ちが理解できたりする。
 もっとも、十六才より上のレベルは自信がないが……。
「ベアトリクス様、この辺を重点的に暗記しましょう」
「わかりました」
「貴族の学園の昇給試験も、平民の資格を取るための試験も、基本は同じ」
「ええ、わかってます」
「歴史の試験の場合、だいたいレヌオレス王朝は必ずピックアップされるものです」
「……へえ」
 熱心な子だ。
 私の雑談まで愚直に紙に記録している。
 こういうタイプは無難な人生を安定して送る可能性が高いが、偉業は滅多になさないイメージだ。
「しかしベアトリクス様は勤勉なのですね。貴族の学生の成果というと、父兄があの手この手で賄賂やら裏口入学など画策するイメージですが」
「まあ、そうですわね」
「ベアトリクス様本人が意欲を出して精進なさるとは……!?」
 私が発した言葉に大して意味はなかった。
 むしろ先に目の前の少女を凡人と評価したうえでの、人として立派程度のほめ言葉。
 しかし……思いのほかその言葉は影響があった。
 ベアトリクス様は、少し頬を赤らめはにかんでいた。
 すなわち、私への好感度が上がったサイン。
 これは二度目だ。
「イーモンが思ってるのは伯爵階級以上の家柄の者の話ですわ」
「そ、そうなのですか。存じませんでした」
 頬を赤らめた表情のまま、ベアトリクス様は語る。
「私のような男爵家の娘ならば、自力で実力を証明しないといけませんわ」
「……」
 急に重要な選択を迫られる。
 ベアトリクス様はおそらく意図していないとはいえ、血筋と本人の能力そのものを天秤にかけている。
 それはすなわち私の返答次第で大きく好感度に影響するシチュエーション。
 ベアトリクス様の言葉を否定してヘザー男爵家の影響力を称えるか。
 言葉を肯定してベアトリクス様本人の姿勢や気概を褒めるか。
 もしくは言葉を濁すか。
 三択だ。
「……」
 しかしまあこの娘は”攻略”を諦めている相手。 
 間違えたとしてもさほど問題はない。
 一瞬迷ったあと、私は逃げではなく賭けに出た。
「勤勉なのですね」
 たった一言そう答えた。
 この系統の言葉は主に男が好む言葉。
 女は美しさや血筋や才能など、先天性の事柄にこだわる傾向がある気がする。
 ましてや相手は貴族。
 ベアトリクス様の勉強に対する姿勢を誉めたのは大穴狙いもいい所。
 判断ミスと捕らえてもいい選択だったのだが……。
「十代後半で怠けて落ちぶれた貴族の者は何人も見てきました。私はそうなりたくないだけです」
 そうベアトリクス様は語る。 
 シビアな内容とは裏腹に、頬をさらに赤め口元を緩めながら。
「さようですか」
 無難な返答をしながら確信する。
 この娘が深層心理で他者にかけて欲しい言葉……割り出せた。
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