Marieに捧ぐ 安藤未衣奈は心に溺れる

そらどり

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第二楽章 信用と信頼

最愛のマリオネット

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都内の一角に、ある一つの事務所が存在する。

業界最大手を謳うその事務所は、声優だけでなく俳優も所属しており、多方面で活躍する人材が集結している。

映像作品への出演は勿論、バラエティ番組やラジオパーソナリティといったメディアへの露出、アーティストとしての活動など、名の売り方は千差万別だ。

内部での競争も激しく、如何に自身をキャラクターとして売り出すかと、四苦八苦する日々を大半の所属タレントは送る。

実力のみで存在感を醸し出すのは、一部のタレントのみ。

皆がそうありたいと願うが、現実は非情だ。

努力のみでは辿り着けない領域、いくら願っても叶うかどうかは別なのだ。

それを見て絶望する者、畏怖する者、或いは敬愛する者、崇拝する者。こちらもまた千差万別。



それでも、本心から私を負かそうとする人間はいなかった。



「あ、新藤さん! ここにいた……!」



職務を終えて帰宅するために、事務所の廊下からエレベーターに向かっていたところ、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると、息を切らしながら走ってくる姿があった。

首から名札を掛け、走りずらいパンプスを履き、腕を横に振りながら私の目の前で止まった。



「ちょっと……帰るの……っ、早くないですか……?」



私のマネージャーである澤村未希さわむらみきは、膝に手をついて息を整えながら言った。

手元には手帳を所持しており、スケジュール調整の確認に来たのだとすぐに理解した。

でも、私は気になったことを彼女に告げる。



「未希、あまり前かがみにならないほうが良いわよ。女性なんだから」

「え……どうしてです?」



直接な言い回しを避けたつもりが、そのせいで意図が伝わらなかったらしい。

だから、周りに人がいないことを確認して、私は彼女の耳元で囁く。



「……胸元、見えてるから」

「――――あぁ……! す、すみません……」



周りの様子を気にしながら、未希は赤くなった顔で背筋を伸ばした。

夏季は軽装が認められているので、少しの油断が命取りにつながるが、彼女は少々抜けているところがある。



「仕事はできるんだから、もっと周囲に目を向けなさい」

「は、はい……」

「ほら、そこまで落ち込まないの。で、要件は?」

「あ、そうでした! 新藤さんが言ってた先週のスケジュールなんですけど、これって……」



手帳内のカレンダーには、私の予定が書き留められている。

基本は未希が管理してくれているため、私が逐一確認する機会は数えるほどしかない。

特に、空欄の無い過密スケジュールをこなしていた時期はそれが顕著だった。

でも、今は繁忙期を過ぎ、休暇を頂いている期間。

そのため、未希がペン先で指していた箇所は、私も把握していた。



「出資者側の依頼があってね、急遽織り込まれたオーディションだったの」

「でも私の方には事前に話が来てなかったんですよ。大丈夫だったんですか?」

「問題ないわ。少し込み入った話になるだけ」



あの作品が最終選考まで進んでいたことは知っていた。

あの手の審査は、書類選考から始まり、最後まで残る参加者を総じても数百人はいる。

選ばれるのはたった一人。残りは地獄を見ることになる。

でも、全参加者が余すことなく地獄を見ることはあり得ない。

必ず一人の勝者がいなければ成立しないからだ。



でもそれが成立する方法が一つある。

選考途中で制作側が望む人材が現れなかった場合に、特別参加という事実上のオファーがなされた時だ。

それまでの選考は全くの無意味となり、全員が泣き目を見る。

この残酷な方法は、絶対的な才能に叶わないことを無慈悲にも突き付ける方法なのだ。



「まあ、平気よ。いつも通りの演技ができたから」



私は大したことではないかのように装う。

利権の絡む執拗さは、他人に見せられたものではない。

まだ若い彼女には不要な知識だ。



「やっぱり新藤さんは凄いですね! 不測の事態でも冷静に対処できる胆力さ……私も見習いたいです!」



そんな私の思惑などゆめ知らず、未希は目を輝かせていた。

背筋を伸ばし顔を見上げる様子は宛らチワワのようだった。



「ふふ、褒めても何も出ないわよ」



思わず頬が緩む。

尻尾を振り、求愛を示す姿は、いつ見ても微笑ましいものだ。懐かしい思いに駆られる。

久しく忘れていた目の前の姿につい夢中になってしまった。



だから、エレベーターの扉が開いていたことにすら、私は気がつかなかった。



「……あれ、日・織・ち・ゃ・ん・がわろてるなんて珍しいもんが見れたなあ。何ぞええことでもあったん?」



突然、私の横から男が会話に参加してきた。

意識を目の前に集中していたせいで、不意を突かれてしまう。



「日下くさかさん、お疲れ様です! 今からお仕事で―――」

「お、未希ちゃーん! 背伸びたんちゃう? 大きくなったなあー」

「ちょっ…止め……! 崩れます、から……っ、髪が……!」

「あーすまんすまん。実家に飼っとる咲ちゃんに似とるから、つい手が無意識にな」



そう言うと、日下と称する男は隣にいた未希に謝罪していた。

ペット同然の扱いに未希は不貞腐れている。



「……で、日織ちゃんは何ぞええことでもあったんか?」

「……別に、何もありませんよ。それと名前で呼ぶの止めてもらえます?」

「いっつもひやこいよなあ、理・沙・さ・ん・は」



冷たくあしらうと、日下は口を尖らせながら指示に従った。



「ま、流石は事務所の顔なだけはある。せやけど、少しは肩の力抜いてた方が気楽にできんで?」

「仕事に私情は不要ですから」

「私情……ね」



意味深げな言い回しが癪に障るが、表には出さないように装った。

それでも日下は目を逸らさず、背筋を曲げて前のめりで私を観察する。

不気味な笑みで私の真意を探っているようだった。



「……ま、別にええわ。これからお仕事やし」



が、日下は疑りを中断し、姿勢を戻した。

不穏な空気が解け、隣から息を漏らす音が聞こえる。

高身長から繰り出される独特の重圧は、未希には予想以上だったようだ。



「これからって……ラジオの収録、十八時からですよ」

「え? ……あ、間に合えへんかも……! もうお暇させて頂きますわ……!」



腕に巻かれた時計を確認しながら私がそう告げると、日下は慌てて収録スペースまで走っていった。

忙しなく腕を振りながら、廊下を諸突猛進の勢いで消えていくと、嵐が過ぎ去ったように静かになった。



「はぁ……」



確実に消えたことを確認し、私はため息をついた。



「な、なんかよく分からないまま行っちゃいましたけど……」

「分からなくていいのよ、あれは」



日下の意味のない行動から、その真意を読み取ろうとする未希を制す。



「……似非大阪人が」



そして、吐き捨てるようにあの男を罵倒した。

いつも私を観察し、暇さえあれば交際を迫る迷惑極まりない男。それが日下直人くさかなおとという人間だ。

何を考えているのか不明確。何故あんな真逆の芸名を名乗るのかさえ。

真意など最早あの男にはないのだから、考えるだけ無駄なのだ。



「あの……日下さんと新藤さんって、仲が悪いんですか? 日下さんと話してる時、新藤さん怒ってるみたいだったので……」



そんな思索に耽っていると、周囲を確認しながら未希が囁くような声で私に質問をしてきた。

流石の未希でも、険悪な雰囲気を嗅ぎ取っていたらしい。

初めははぐらかすつもりだったが、日下が未希の頭を撫で回していたことを思い出し、私は警告することに決めた。



「そうね、あの男は見境ないから危険なのよ」

「見境ないって、どういう……」

「手あたり次第にそこら中の女に手を出してるって意味よ。噂で聞いたことくらいはあるでしょう?」

「で、でも……、噂で判断するのは良くないですし……」

「……あなた、それ本気で言ってるの?」



私が考えていた以上に、未希は人を疑うことを知らなかった。

あまりの純粋さに思わず溜息をつく。



「いい? あの男はね、私が何度断ってもデートに誘ってくるような人間なのよ。それに飽き足らず、他の現場でも出演者に求愛してるのだから……本当に救いのない男」



初めて共演した際は、初対面の相手と積極的に交友を深めようとする日下に感心していた。

でも、次第にその行動が手あたり次第にデートに誘っているのだと知り、評価は一変。

私にまで声をかけてきた時には、あの男の印象は最悪だった。

別の現場でも、顔を合わせればすぐにやってくる。まるで犬だ。

でも、未希と比べると、その行為には悪意が秘められていた。

最早、あの男は犬ではない。狡猾な化け狐だった。



「ああいった無責任な人にホイホイついていったら駄目よ? 必ず後悔するから」



未希が道を踏み外さないように、強めに警告した。



「でも、全員がそうとは限らないですよ……」



それでも、未希は納得していないようだった。

普段ならすぐに頷くのに、今日はいつにも増して引き下がらない。



「まだ納得できないの? 誰でも簡単に信じるなって言ってるんだけど」

「じゃあ、どう見分ければ良いんですか? 新藤さんなら知ってますよね?」

「それは―――……」





誰を信じれば良いのか……



いや、そんなこと考えるまでもない。



「……自分以外は皆他人。それしか知らないわね」



数秒後、私は答えた。

未希は返事に困っていたが、私は気にせずに左を向いた。

エレベーターのランプは私がいる階で停止していた。



「じゃあ、私は帰るわ」



ボタンを押し、扉が開き切るのを待ってから、私は乗り込んだ。

未希は頭を下げるが、私が注意したことを忘れているのか、前重心になっている。

扉が閉じる前に、それを正すように注意し、私は未希と別れた。



その後、誰も乗り込んでくることなく、エレベーターに乗って地下一階の駐車場に移動する。

鉄骨が剥き出しになっている駐車場を一人歩いていくと、段々と目指していたものがあった。

ドイツのメーカーが製造した、赤色のスポーツカー。蛍光灯が発する光に当てられ、表面の光沢が輝いていた。

一、二年前に背伸びして購入したコンパクトカーだったが、運転のし易さから今でも重宝している。



「でも、ここまで赤いと一際存在感が凄いわね……」



他の人が所有する車両群の中で、私の車両は唯一落ち着きのない色をしていた。



「まあ、気にしてたら駄目ね」



そう言い聞かせながら、私は運転席に乗り込む。

エンジンを拭かせ、ハンドル姿勢を整えるとすぐに、アクセルを踏んで地上に出た。

地上はまだ夕日が沈んでいなかったが、路面を挟むように建ち並ぶ建物は、目が痛くなるほどの多彩なネオンがひしめき合っている。

信号で停車している時、ふと視線を外に向けた。

路肩を歩いている歩行人達は、意図せず作り出された光景に目を向けることなく、各々が忙しなく前を見ている。

誰もが自分のことで精一杯なのだろう。



「……」



ハンドルに頬を当てて、遠目にその光景を眺める。

特に何かを思ったわけではないが、水槽を無心で眺めている時の感覚に似ている。

熱帯魚が自由気ままに泳いでいる姿を遠巻きに眺める。意識を奪われるが、そこに感情は生まれない。

ただ、動く人達の行方を一つ一つ目で追っていくことに夢中になっていた。



「退屈ね……」



つい口から言葉が漏れた。

普段は気を張っているからか、一人になると緊張の糸が緩む。

世界は別の一面を覗かせ、目まぐるしく往来する車両群の一台。その中で座っている私に注意を向ける人は誰もいなかった。



「……みーちゃん、元気かな」



気づけば、私は妹の名を呼んでいた。

胸の内に人知れず秘めていた想いをさらけ出し、耳が享受し、その心地良い響きに酔いしれる。この瞬間が堪らない。



「ああ、なんで冷たいのよ……!」



一度でも快楽を受け入れてしまえば、もう歯止めは聞かなかった。

私はあの子に尽くしている。

あの子が望んでいる夢の結末を一番に願っている。

こんなにもあの子を想っているのに、なのに、どうして私に冷たい態度を取るのか。



「……いや、違う」



最初から原因は分かっているのだ。

だから、私を否定する態度を取るのは仕方ない。あの子のためなら、私は手段を選ばない。

最後には私の望む結末が待っていると分かり切っているから、私は天帝にでもパウロにもなれる。

きっとあの子はこの試練を乗り越えてくれる。そう信じている。



「そうよね、ここまで来たんだもの……もう少しの我慢……」



自身に言い聞かせるように、暴走しかけていた気持ちを押し殺す。

ようやくあの子の才能が芽吹く瞬間を目の当たりにできる。楽しみはそれまで取っておくと決めていたのだから。



信号の合図を経て、私はブレーキからアクセルへと足の位置を変える。

そして、アクセルを強く踏み出し、走馬灯に思える景色に目もくれずに前へと進んだ。

振り落とされないよう強くハンドルを握りしめながら。







ーーー







契約している駐車場にスポーツカーを置き、私は自宅へと戻った。

勿論、都内に構えるマンションの一角ではない。生まれ育った街、粛然と建ち並ぶ住宅街の中に私の実家がある。

特段周辺の住居との違いはない。強いて言えば、庭に宿根草が数種類植えてあるだけだ。

何の変哲もない、気兼ねなく過ごせる場所。喧噪に疲れた社会人には最適ともいえる。



「まあ、別に疲れてないけど、ね」



玄関前で門扉を閉めながら、独り言ちる。

ハンドルを回し、固く閉ざされたことを確認し終え、ようやく私はポーチから合鍵を取り出す。

途中、二階に光が灯っているのが目に入り、住居人が在宅なのだと理解した。



「……っ」



鍵穴を回し、扉に手をかけ、門をくぐる。そうすれば、私に祝福が訪れる。そう思うと自然と身震いする。

黄泉比良坂よもつひらさかに足を踏み入れ、私の退屈な日常は光悦とした日々に生まれ変わるのだ。



ありもしない儀礼を踏まえるかように動作を違わず行い、そして私は扉を開けた。



「ただいまー! みーちゃんごめんね、ちょっと遅くなっちゃって……!」



二階に届くよう、私は大袈裟に言って見せた。

勿論、二階からの反応はない。返事が返ってこないことは経験が物語っていた。



「帰る途中でプリン買って来たの! みーちゃんが好きって言ってたやつ!」



だから、今日は別物を用意した。

私が高校生の頃、小さかったあの子がよく食べていたデザート。滑らかな舌触りと濃厚な甘みが特徴の、あの子が大好きなプリンを。



それでも、二階から返事をする気配は微塵も感じ取れなかった。



「聞こえないのかしら……」



今日は一緒に食べようと決めていたのに、あの子は何をしているのだろうか。



「みーちゃん?」



そう言いながら、私は階段を上っていく。

一段一段あの子の部屋に近づいて行っても、あの子の声は聞こえない。

部屋の電気は点いていた。それは確認済みだ。

それならば、部屋にいないのは道理に合わない。



「点けっぱなしなんて真似、あの子がするはずないものね」



神経質なところがあるあの子のことだ、そんな初歩的なミスを逃すはずがない。

ならば、やはり部屋にいる。

事実、二階に上がるとすぐに人の気配を感じ取ることができた。



「……みーちゃん?」



部屋の前に着いた私は、ノックする前に問いかけた。

部屋に訪問すれば、だんまりを決め込むあの子でも返事の一つ二つは必ずする。

でも、今日はそんな暗黙の了解がなかった。



ノックを数回、それでも彼女の反応はない。

次第に堪らなく不安になる。



「みーちゃん、開けるよ……」



規則を破り、私はドアノブに手をかけて、ゆっくりとドアを開いていった。

隙間から暖色の光が混じり込み、白光に慣れていた視界が一気に混乱する。

それでも、目を細めながら存在を探していく。



「……!」



そして、私は見つけた。

ベッドで横になり、布団を肩までかけている最愛の妹を。



「み、みーちゃん―――!」



反射的に身を乗り出し、妹の身体を揺さぶりながら安否を確認した。



「大丈夫……!? 何処か体調でも悪いの!? ねぇ―――、どうしたの!?」



動転していた。

体調を崩したことなんて滅多になかったのに。



「えっと…、どうしたら……! あ、解熱薬は……、いやまずは体温計を――……ああ、違う、そうじゃなくって……!」



大事な時なのに、適切な判断ができない。

いつもなら冷静に対処できるのに、もっと俯瞰した判断ができるのに。



「どうしよう……どうしよう……!」



指先は強張り、呼吸が不規則になっていく。

震える声を出しながら、私は目の前で動かない妹から目が離せなかった。



「―――……! そ、そう、救急車を―――!」



ようやく浮かんだ答えを声に出し、カーペットに放置していた鞄からスマホを取り出す。

震える指先で番号を押すが、狙いが定まらず、ますます焦ってしまう。



「は、はやくしないと……!」



ここから近い病院は、小鞠総合医療センター。隣街まで救急車を往復させるとなると、三十分は優に超える。

更に症状が悪化してしまえば、助かるはずの命が散ってしまう。



私のせいでこの子が助からなかったら、私はもう―――





「ちょ……何してん…の……」



いきなり手首を掴まれ、思わず思考が停止する。

振り向くと、先程まで寝ていたはずの妹が息を荒げながら身体を起こしていた。



「みーちゃん……?」



状況が理解できず、絞り出した声で妹の名を呼んだ。



「煩いん、だけど……、耳元で…叫ばないでよ……頭に響くから……」



吐息交じりで私にそう求める彼女。

手首を掴む左手は、今にも折れてしまいそうな程に華奢だった。



「だ、だいじょうぶなの……? 救急車呼んだ方が……」

「微熱だから……いい……」



そう言って私から離れると、枕元に置かれたスマホを手に取り、画面を凝視していた。



「ああ、もうこんな時間……」



時間を確認し終えると、妹はベッドから起き上がろうとする。



「熱があるんだから、まだ安静にしてないと……!」



慌てて彼女を制止する。



「ほら、私が取ってきてあげるから……何か欲しいものある? あ、もう夕食の時間だから、何か作ってあげようか。何食べたい? 消化に良いものが食べたいよね」



安心したからか、いつもの調子が戻ってきたみたいだ。今やるべきことが明確になっていく。



「あ、でも、食欲はあるの? 無いんだったら、無理して作らなくてもいいかな……」



本当なら手料理を振舞ってあげたい。

私の帰りが遅くなるせいで、一人での食事を強要されている妹への、せめてもの罪滅ぼし。

一緒に食卓を囲んで、楽しい思い出を作ってあげたい。



「デザートならどう? 食べられそう? 実はね、みーちゃんの大好きなプリンを買って来たの。ほら、このプリン。昔よく食べてたでしょう?」



あの頃のプリンは格別美味しく感じた。

美味しそうにプリンを頬張る妹が隣に居たからに違いない。



「二つ買ってきたの。普段甘味は食べないようにしてるけど、今日は特別にね。一緒に食べましょう?」



きっと今日は楽しい一日だったと思いを馳せるだろう。



「あ、スプーンが……ちょっと下まで取ってくるわね」



正座の姿勢を崩し、立ち上がろうとした。



「……いらない」



でも、枕に横顔を埋めて寝ぞべっていた妹はそれを拒否した。



「え……、どうして? もしかして今は食べたくない……?」



理由を求めるが、それ以上の返事はしなかった。



「そう……なら冷蔵庫に仕舞っておくわね」



そう言いながら、檜製のローテーブルに並べたデザートをビニール袋に戻した。

倒れて中身が崩れないように、結び目を強く締めようと両手を前に出す。



「……でも、本当に良かった。みーちゃんが無事で」



袋の持ち手を結びながら、私は自分の想いを口に出していた。



「ごめんね。最初は動揺してて、自分でも何やってたんだろうって反省してる。みーちゃんが苦しんでるって思ったら、私も辛くて苦しくて堪らなくなった」



安堵したせいか、せき止めていた想いが溢れる。

こうなったら、私には止められない。



「みーちゃんのお姉ちゃんなんだから、もっとしっかりしないとだよね。昔の私に顔向けできないよ」



ずっと私の後ろをついてきた妹。いつも泣きながら私の傍からくっついて離れなかった。

泣く理由なんて大層なものではない。

小銭を落として飲料水が買えなかったとか、地べたに転んで足を擦りむいたとか、自分の好きなものを誰かに揶揄われたとか。

事ある毎に私の部屋にやってきて、妹は裾を濡らしていた。



「もっと頼られるお姉ちゃんになるから、昔みたいに私の隣でみーちゃんが笑っていられるように頑張るから」



一通り泣き終えた後、私が慰めの言葉をかけると、いつも妹は笑顔になる。

その瞬間、私が、私だけが、妹を笑顔にしているのだと思った。



「だからね……みーちゃん、もっと笑って良いんだよ?」



辛い事があったら、私が助けてあげる。

障害を取り除き、不純物を消してあげる。

受け入れがたい現実でも、私が寄り添ってあげる。

スランプで足掻いているなら、私が道標になってあげる。

その先には、あなたが望む結末が待っているから。

後悔の念を抱いても、精一杯の笑顔で私は迎え入れるから。

昔の私達に戻って、いくらでもやり直そう。

あなたのためなら、都内のマンションを売り払ってこの家に帰ってくる。

あなたのためなら、声優という職を諦めても構わない。

あなたが望む限り、私はあなたの傍にいるから。



だから私は――――――









「…………ふざけないでよ」

「……………え」



声の主を探す。

でも、視線の先には妹しかいない。



「私から全てを奪っておいて……、なにが…どの口が言ってんのよ……」



張り詰めた糸が千切れたように、煮えぎる声。



「みぃ、ちゃん…………?」

「その呼び名やめてよッ! 癪に障るのよ……ッ、いつも見下した目で私を見て……!」



睨まれ、身が竦む。



「いつもいつもいつもいつも……ッ、何処まで私を貶せば気が済むのッ!?」

「ぇ……え…………?」

「無自覚な方が余計質が悪いわよッ、これ以上被害者ぶらないでよ……!」



上手く声が出ない。



「本気で私が喜ぶと思ったの……? 夢心地も大概にしてよ……ッ! 私がどんな思いで生きてきたかなんて知らないくせに……ッ!」



知らない。

こんな妹を、私は知らない。



「私はあんたのマリオネットじゃない……ッ、昔の私とは違う……ッ」



私の知らない妹。



「いつまでも保護者面しないでよッ、偽善者が……ッ!」



私はこの人を知らない。



「…………ちが…う」

「……違う? 何が言いたいの?」

「わ、わたしの……いもうと……は……そんな、こと、言わない……」



なのに、目を逸らせない。



「何それ……、自分の思い通りにならないからって、私を全面否定するんだ?」

「――――! ち、ちがう……」

「違くないでしょ!? 結局あんたは善人を装ってる自分が好きなだけ……ッ、自分の正義を振りかざして酔いしれてる自己中野郎なんだ……ッ!」



なにか頬を伝う。



「奪ってばかりで何も与えない……ッ、あんたほど無責任な人間がッ、私の姉を名乗らないでよ……ッ!」



耳鳴りが起こる程の拒絶を、私は一身に受ける。

高鳴りが止み静寂に包まれる中、妹は息を乱していた。

心地良く感じていた妹の声は、果てしなく何処までも私を否定していた。

心臓は痛い程に動いているのに、聞こえてくるのは不協和音。

私の中で欠けてはならない絶対的な何かが、鈍い音を立てて崩れていくのが分かった。



「……もう、部屋から出てって」



ああ、そうか。







私は、最愛の妹に嫌われたんだ。
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