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一触即発
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唐突に、会ったこともない女が声をかけてきた。明らかに周囲の客より身なりが良いが、どこかちぐはぐで奇妙な雰囲気をまとっていた。彼女は胸元が大きく開いた紫色のドレスを着て、水商売の女性のような化粧をしている。黒い髪はまるで塔のようにまとめられ、頭の上でそびえたっていた。
唯一幸いだったのは、彼女が美人だったことだろう。これが中途半端な容姿だったら、化け物のような風貌になっていたに違いない。
「ああ、そうですか」
龍《りゅう》は、明らかな嫌味に返事をせず聞き流した。恐らく、自分の代わりにちやほやされている女がいるのが腹立たしいのだろう。
「……ふん、つまらない女ね。馬にも乗れないへっぽこ少尉とお似合いだわ」
放置していると、女は怒って勝手に出て行った。他の客たちはおずおずと戸口を見やり、女が去ったと分かるとほっと息をつく。嫌なショックだけが空間に残り、しばらく龍は気まずい思いをした。
「すみませんでした。私が余計なことを言ったばかりに」
まず口を開いたのは、ベルトランだった。
「いいえ、私も不注意でした。でも、あの女はかわいそうですね、頭が」
龍が言うと、ベルトランもうなずいた。
「どういう人なんですか?」
「正体は分からないんですが、街で豪遊しているみたいですよ。派手な美人だから、お偉いさんから声もかかっているとか。物好きな人もいたものだ」
ベルトランは小さくこもった声でそう言って、顔をしかめた。
「何か仕事をしているわけでも、街の役に立っているわけでもないのに、偉そうに」
「生まれながらの女王様気質、という人はいます。気にしないのが一番ですよ」
龍はそう言って紅茶をすすった。心なしか、さっきよりまずく感じる。
「ごめんなさいねえ、これはうちからのお詫びよ。いきなり喧嘩を売られて、気分が悪かったでしょう」
しばらくたって、おかみさんが頭を下げながら、こっそり近づいてきた。その手には小さな焼き菓子入りの袋がのっている。
「あの人は、宿泊客なんですか?」
「いいえ、あたしも何者なのか知らないの。すごくお金を持ってるのは確かなんだけど、うちには泊まりもしないし」
謎の女ということで街でも話題になっているそうだが、当座は皆、関わらないようにしているそうだ。
「危ない人みたいだから、近付かないのが一番ですよ」
「あなたの安全は私が守りますがね! 私の後ろなら絶対安全ですよ!」
ベルトランがわざとらしく龍を抱きしめようとしたが、龍はその手をすんなりかわした。
龍は宿で、文字通りお姫様のような歓待を受けた。
龍の寝室は二階の東側の部屋。冷房が無くても窓から心地良い風が入ってくるので、心置きなく窓からの絶景を楽しめる。壁が十分厚いのか、隣の客の会話も気にならなかった。
部屋は八畳間くらいと小さかったが、寝台のシーツは毎日かえられてぴんと張っていたし、掃除もいきとどいいている。心配していた食事も、ちゃんと食べられるものが用意されていた。ベルトランの言うことは間違っていなかった。
……しかしそれでも、完全に彼を信じ切ることはできなかった。まだ何か、隠している気がする。
この日も晴天の中、龍は目覚めた。身支度をしながら、眼下に広がる街を見やる。
「……街が静かすぎますね」
フェムトたちは龍を試したいはずだ。そろそろ事件が起こらなければ、ここに来た意味が無い。ずっと用もなく滞在していることに、薬子は罪悪感をおぼえた。
迷ってもいいから、少し街を探検してみよう。龍はそう思って、この街と周辺の地図を取り寄せてもらった。
「できるだけ詳しいものを取り寄せてもらいました。正確なものを、とのご希望でしたので」
「ありがとう、助かります」
それからしばらく、ベルトランがまた早口で観光案内を始めた。龍はそれを片耳で聞きながら、地図に目を走らせる。
街の通り、その周りを囲む崖、そして奥にある山道──そこまでは確認できた。しかし、山道の途中から、ほとんど情報がなくなり、雑に塗りつぶされている。
「ここだけずいぶんいい加減な地図ですね。突然どうしたんですか? 道が残っていないんですか?」
聞かれた宿の主と、ベルトランが顔を見合わせた。言いにくいことを聞かれた時の顔だ、と龍は思う。
「それは……」
「行き来ができないほど道が険しいのですか? なら、装備を考えないと……」
宿の主は、何かを言いかけて結局やめた。しきりに人の目を気にし、おののいている様子だ。
ベルトランが、食堂の隅の方へ龍を手招いた。
「大きな声じゃ言えませんが。ここには変な奴らがいる、っていう噂がありましてね」
ベルトランが、少し震える声で言った。あんなに元気な彼ですら、不安そうである。その動揺の色を見て、龍は確信した。次の事件は、ここに絡んでいる。そして愛生も、そこにいるかもしれない。
「呪いが辺り一帯に広がってるんだそうです。その場にいるだけで命を失うって、私は親から聞かされました」
秘密にしては、ずいぶんと子供じみている。龍が眉をひそめると、ベルトランはさらに続けた。
唯一幸いだったのは、彼女が美人だったことだろう。これが中途半端な容姿だったら、化け物のような風貌になっていたに違いない。
「ああ、そうですか」
龍《りゅう》は、明らかな嫌味に返事をせず聞き流した。恐らく、自分の代わりにちやほやされている女がいるのが腹立たしいのだろう。
「……ふん、つまらない女ね。馬にも乗れないへっぽこ少尉とお似合いだわ」
放置していると、女は怒って勝手に出て行った。他の客たちはおずおずと戸口を見やり、女が去ったと分かるとほっと息をつく。嫌なショックだけが空間に残り、しばらく龍は気まずい思いをした。
「すみませんでした。私が余計なことを言ったばかりに」
まず口を開いたのは、ベルトランだった。
「いいえ、私も不注意でした。でも、あの女はかわいそうですね、頭が」
龍が言うと、ベルトランもうなずいた。
「どういう人なんですか?」
「正体は分からないんですが、街で豪遊しているみたいですよ。派手な美人だから、お偉いさんから声もかかっているとか。物好きな人もいたものだ」
ベルトランは小さくこもった声でそう言って、顔をしかめた。
「何か仕事をしているわけでも、街の役に立っているわけでもないのに、偉そうに」
「生まれながらの女王様気質、という人はいます。気にしないのが一番ですよ」
龍はそう言って紅茶をすすった。心なしか、さっきよりまずく感じる。
「ごめんなさいねえ、これはうちからのお詫びよ。いきなり喧嘩を売られて、気分が悪かったでしょう」
しばらくたって、おかみさんが頭を下げながら、こっそり近づいてきた。その手には小さな焼き菓子入りの袋がのっている。
「あの人は、宿泊客なんですか?」
「いいえ、あたしも何者なのか知らないの。すごくお金を持ってるのは確かなんだけど、うちには泊まりもしないし」
謎の女ということで街でも話題になっているそうだが、当座は皆、関わらないようにしているそうだ。
「危ない人みたいだから、近付かないのが一番ですよ」
「あなたの安全は私が守りますがね! 私の後ろなら絶対安全ですよ!」
ベルトランがわざとらしく龍を抱きしめようとしたが、龍はその手をすんなりかわした。
龍は宿で、文字通りお姫様のような歓待を受けた。
龍の寝室は二階の東側の部屋。冷房が無くても窓から心地良い風が入ってくるので、心置きなく窓からの絶景を楽しめる。壁が十分厚いのか、隣の客の会話も気にならなかった。
部屋は八畳間くらいと小さかったが、寝台のシーツは毎日かえられてぴんと張っていたし、掃除もいきとどいいている。心配していた食事も、ちゃんと食べられるものが用意されていた。ベルトランの言うことは間違っていなかった。
……しかしそれでも、完全に彼を信じ切ることはできなかった。まだ何か、隠している気がする。
この日も晴天の中、龍は目覚めた。身支度をしながら、眼下に広がる街を見やる。
「……街が静かすぎますね」
フェムトたちは龍を試したいはずだ。そろそろ事件が起こらなければ、ここに来た意味が無い。ずっと用もなく滞在していることに、薬子は罪悪感をおぼえた。
迷ってもいいから、少し街を探検してみよう。龍はそう思って、この街と周辺の地図を取り寄せてもらった。
「できるだけ詳しいものを取り寄せてもらいました。正確なものを、とのご希望でしたので」
「ありがとう、助かります」
それからしばらく、ベルトランがまた早口で観光案内を始めた。龍はそれを片耳で聞きながら、地図に目を走らせる。
街の通り、その周りを囲む崖、そして奥にある山道──そこまでは確認できた。しかし、山道の途中から、ほとんど情報がなくなり、雑に塗りつぶされている。
「ここだけずいぶんいい加減な地図ですね。突然どうしたんですか? 道が残っていないんですか?」
聞かれた宿の主と、ベルトランが顔を見合わせた。言いにくいことを聞かれた時の顔だ、と龍は思う。
「それは……」
「行き来ができないほど道が険しいのですか? なら、装備を考えないと……」
宿の主は、何かを言いかけて結局やめた。しきりに人の目を気にし、おののいている様子だ。
ベルトランが、食堂の隅の方へ龍を手招いた。
「大きな声じゃ言えませんが。ここには変な奴らがいる、っていう噂がありましてね」
ベルトランが、少し震える声で言った。あんなに元気な彼ですら、不安そうである。その動揺の色を見て、龍は確信した。次の事件は、ここに絡んでいる。そして愛生も、そこにいるかもしれない。
「呪いが辺り一帯に広がってるんだそうです。その場にいるだけで命を失うって、私は親から聞かされました」
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