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賢者との邂逅
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だから怒るよりも先に困って、言葉につまっている。
エルンストは薄く笑って男たちを見る。その様子は、獲物を絡め取った蛇によく似ていた。
「文句を言うなら誰にでもできる。ここから生きて出たければ、俺についてこい」
男たちはあっという間に下僕の顔になり下がり、さっきのことは悪くない判断だったと言い始める。異様な雰囲気に、ただ龍《りゅう》だけが引いていた。
言いくるめられて。大丈夫だと言える保障など、どこにもないのに。
苦労するだけだ、と言い聞かせる気も失せてきた。完全にエルンストの影響下にある彼らに言っても、かえって反感を買う。主な荷はエルンストが抑えているから、容易に離脱はさせてもらえそうにないし……おかしな芝居を見物させられたと思って、諦めよう。
そう自分に言い聞かせても、まだ捨て駒にされた一団の絶叫がかすかに聞こえるような気がする。龍は無言でエルンストをにらみつけた。
しかし彼はそれを無視して、野営地の奥へ行ってしまった。
「あの男は……」
誰もいない隅っこ、かなり崖よりの場所で野宿の準備をしながら、龍は吐き捨てるように低くつぶやく。体は痛むが、骨や筋に異常はない。それでも頭の中は、怒りでいっぱいだった。
「お姉ちゃん、あっち……左の方、見て」
虎子《とらこ》に言われて視線をやる。龍の声が聞こえたのか、平地の隅にいた一人が立ち上がるのが見えた。近寄ってきた人物は、龍に静かに声をかける。
「お嬢さん。腹を立てる前に、次の戦いの準備をしなさい」
龍は何か言い返そうとして、やめた。相手の言うこともまっとうだし、挨拶もそこそこに喧嘩したって仕方無い。
「……申し訳ありません。あなたの言う通りです」
そう言うと、途端に気持ちからガスが抜けたように楽になった。
「謝らなくていい。あの男は頭領の器ではないし、嫌な気分なのはよく分かる。しかしここは戦場だ。短気を起こす前に明日の準備しなければ、自分の命も守れないよ」
穏やかに諭してくるその言い方に、龍の気持ちは少し落ち着いた。息が詰まりそうだった空間に現れた男に、感謝する。
男は年をとっていて、龍よりも細い体をしていた。一緒に歩んできたはずなのに、他の冒険者と違ってほとんど声を聞いた覚えがない。何故か己の顔を隠すように、大きなフードを被っていたが、そこから時折のぞく目は鋭利そのものだった。
「儂はセト。お嬢さんはなんと言う?」
「龍です」
龍が名乗ると、セトは目つきを和らげた。そして龍の間近へやってくる。よく見ると、フードの中、彼のゆるく結わえた長い髪の中に、小さな鼠がいるのが見えた。鼠は老人の白髪に、薄灰の体をすり寄せている。本来は柔和な性格なのかもしれない。
「龍さんか。さっきの戦いぶりははとても良かった。ここから先、ああいう裂け目も増えてくるからね」
話題を変えたセトは、山をよく知っている口ぶりだった。龍は彼を振り返る。
「こちらに来られたことがあるのですか?」
「ああ。無論、全てを見通すあのドラゴンが居座る前だがね」
「何故それを黙っているのですか? 報酬が上乗せになるかもしれないのに……」
「あの男の性格を、まだよく分かっとらんね」
セトは静かに言った。
「一人で気負っているが、それは責任感からじゃない。群れの中で、自分が一番でないと気が済まないからだ。沢山の人間が這いつくばって崇めてくれるのが楽しいからだ。奴は対等の人間が出現することを決して喜ばないよ」
セトは首に手を当てて、やれやれと言った顔でつぶやく。
「わずかな金や賞賛を受け取りそびれたからなんだね。自分の地位が脅かされるかもと、あの男が勝手に追い詰められて、自爆する方がよほど迷惑じゃないか」
「なるほど」
龍はうなずいた。呆れた話だが、セトの言うことが正しい。大の大人が癇癪を起こすところなど、見たくもなかった。
「それよりも大事なことの確認だが。これを見たことがあるかい?」
セトが背負った鞄に手を入れて、大人の掌ほどの大きさの袋を取りだした。彼は誰もこっちを見ていないのを確認して、わずかに袋の口を開く。
袋の中には、濃い青色や緑色をした石がぎっしり詰まっている。まるで深い海の底のようで、龍は目を奪われた。上質なサファイアやエメラルドにとてもよく似た石だ。
「いえ、知りません。宝石ですか……?」
問いかけた龍に、セトは微笑んだ。
「魔力のこもった石だ。魔石という。削ったり割ったりできないので、宝飾品としての価値は乏しいがね」
龍は一瞬きょとんとした。
「どうして割れないのですか?」
聞かれたセトは微笑んだ。
「砕けば水流や風を産むからだ。知り合いに頼んでできるだけ集めてきたが、結局これだけだったよ。もちろん、エルンストには全部見せちゃいない」
セトはそう言って、青い石と緑の石を一つずつ取り出し、袋を元に戻す。
「知り合った縁で差し上げよう、持っておきなさい。一回使ったらなくなってしまうから気休め程度だが、何もないよりはましだ」
「あ、ありがとうございます……」
エルンストは薄く笑って男たちを見る。その様子は、獲物を絡め取った蛇によく似ていた。
「文句を言うなら誰にでもできる。ここから生きて出たければ、俺についてこい」
男たちはあっという間に下僕の顔になり下がり、さっきのことは悪くない判断だったと言い始める。異様な雰囲気に、ただ龍《りゅう》だけが引いていた。
言いくるめられて。大丈夫だと言える保障など、どこにもないのに。
苦労するだけだ、と言い聞かせる気も失せてきた。完全にエルンストの影響下にある彼らに言っても、かえって反感を買う。主な荷はエルンストが抑えているから、容易に離脱はさせてもらえそうにないし……おかしな芝居を見物させられたと思って、諦めよう。
そう自分に言い聞かせても、まだ捨て駒にされた一団の絶叫がかすかに聞こえるような気がする。龍は無言でエルンストをにらみつけた。
しかし彼はそれを無視して、野営地の奥へ行ってしまった。
「あの男は……」
誰もいない隅っこ、かなり崖よりの場所で野宿の準備をしながら、龍は吐き捨てるように低くつぶやく。体は痛むが、骨や筋に異常はない。それでも頭の中は、怒りでいっぱいだった。
「お姉ちゃん、あっち……左の方、見て」
虎子《とらこ》に言われて視線をやる。龍の声が聞こえたのか、平地の隅にいた一人が立ち上がるのが見えた。近寄ってきた人物は、龍に静かに声をかける。
「お嬢さん。腹を立てる前に、次の戦いの準備をしなさい」
龍は何か言い返そうとして、やめた。相手の言うこともまっとうだし、挨拶もそこそこに喧嘩したって仕方無い。
「……申し訳ありません。あなたの言う通りです」
そう言うと、途端に気持ちからガスが抜けたように楽になった。
「謝らなくていい。あの男は頭領の器ではないし、嫌な気分なのはよく分かる。しかしここは戦場だ。短気を起こす前に明日の準備しなければ、自分の命も守れないよ」
穏やかに諭してくるその言い方に、龍の気持ちは少し落ち着いた。息が詰まりそうだった空間に現れた男に、感謝する。
男は年をとっていて、龍よりも細い体をしていた。一緒に歩んできたはずなのに、他の冒険者と違ってほとんど声を聞いた覚えがない。何故か己の顔を隠すように、大きなフードを被っていたが、そこから時折のぞく目は鋭利そのものだった。
「儂はセト。お嬢さんはなんと言う?」
「龍です」
龍が名乗ると、セトは目つきを和らげた。そして龍の間近へやってくる。よく見ると、フードの中、彼のゆるく結わえた長い髪の中に、小さな鼠がいるのが見えた。鼠は老人の白髪に、薄灰の体をすり寄せている。本来は柔和な性格なのかもしれない。
「龍さんか。さっきの戦いぶりははとても良かった。ここから先、ああいう裂け目も増えてくるからね」
話題を変えたセトは、山をよく知っている口ぶりだった。龍は彼を振り返る。
「こちらに来られたことがあるのですか?」
「ああ。無論、全てを見通すあのドラゴンが居座る前だがね」
「何故それを黙っているのですか? 報酬が上乗せになるかもしれないのに……」
「あの男の性格を、まだよく分かっとらんね」
セトは静かに言った。
「一人で気負っているが、それは責任感からじゃない。群れの中で、自分が一番でないと気が済まないからだ。沢山の人間が這いつくばって崇めてくれるのが楽しいからだ。奴は対等の人間が出現することを決して喜ばないよ」
セトは首に手を当てて、やれやれと言った顔でつぶやく。
「わずかな金や賞賛を受け取りそびれたからなんだね。自分の地位が脅かされるかもと、あの男が勝手に追い詰められて、自爆する方がよほど迷惑じゃないか」
「なるほど」
龍はうなずいた。呆れた話だが、セトの言うことが正しい。大の大人が癇癪を起こすところなど、見たくもなかった。
「それよりも大事なことの確認だが。これを見たことがあるかい?」
セトが背負った鞄に手を入れて、大人の掌ほどの大きさの袋を取りだした。彼は誰もこっちを見ていないのを確認して、わずかに袋の口を開く。
袋の中には、濃い青色や緑色をした石がぎっしり詰まっている。まるで深い海の底のようで、龍は目を奪われた。上質なサファイアやエメラルドにとてもよく似た石だ。
「いえ、知りません。宝石ですか……?」
問いかけた龍に、セトは微笑んだ。
「魔力のこもった石だ。魔石という。削ったり割ったりできないので、宝飾品としての価値は乏しいがね」
龍は一瞬きょとんとした。
「どうして割れないのですか?」
聞かれたセトは微笑んだ。
「砕けば水流や風を産むからだ。知り合いに頼んでできるだけ集めてきたが、結局これだけだったよ。もちろん、エルンストには全部見せちゃいない」
セトはそう言って、青い石と緑の石を一つずつ取り出し、袋を元に戻す。
「知り合った縁で差し上げよう、持っておきなさい。一回使ったらなくなってしまうから気休め程度だが、何もないよりはましだ」
「あ、ありがとうございます……」
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