イケニエアゲハ~執着の檻に囲われて~

小達出みかん

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優しい牢獄(築城END)

同じ

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その夜。静かな下町の住宅街にあるアパートの前で、玲奈はじっと立っていた。

(…ここが先生の部屋か。まだ、帰ってきてないみたいだな)

 大学で入学手続きなどを済ませたあと、玲奈はまっすぐにここに来た。
 うかつにも、築城は準備室に鞄をおきっぱなしにしていった。免許証の住所を盗み見て、玲奈はここまで来てしまった。自分のこの浅ましい行動力に、玲奈は思わず笑ってしまった。

(先生が好きだってこと、昨日は自分でも認めてもいなかったのにな…)

 失って初めて、その本当の価値に気が付く。というのはきっとよくある話なんだろう。

(…先生のこと、いつでも私の思い通りになるって思ってたのに)

 彼が手のひらをすりぬけていったら、突如としてぎゅっとつかんでこちらを向かせてやりたくなった。しかし、不安もあった。

(先生は…本当にもう、私に興味がないのかもしれない)

 それを今たしかめるのだ。もし、本当にそうなら…

(…どうしよう。すっぱり諦め、られるかな)

 今まで誰かをこんな風に求めたことなんてなかった。ぶつかり方も引き際もわからない。

(嘘なら、いくらでも言えたのにな…)

 男の前では、いつでも玲奈は嘘ばかりだった。嘘の媚、嘘の好き。築城の前でも、最初はそうだったはずだ。あんな男嫌いだった。なのに。

(ああ…ずるいよ。先生はずるい)

 殴るなら、最初から最後までずっと殴ってほしかった。とことん憎ませてほしかった。
 なのに玲奈が少し笑いかけただけで、謝って、抱きしめて、優しくした。

(先生があんな余計なことしてくれたおかげで…)

 玲奈は夜空を見上げた。この東京の淀んだ空の下で、玲奈は一人で生きていく覚悟があった。人を蹴落としても、騙しても、憎まれても。なのに…

(…こんなに弱くなっちゃったじゃん)

 玲奈は再びうつむいて、歯ぎしりをした。自分の弱さと浅ましさが、憎らしかった。

「…あ、葦原?」

 ふいに声をかけられて、玲奈はばっと顔を上げた。築城だった。

「な、なんで…俺の家なんか」

 玲奈はふてくされて吐き捨てた。

「先生…入れてよ」

「ど、どうしたんだ」

「入れてってば」

 玲奈が下から睨めつけると、築城は一歩後ろに下がった。

「…わ、わかった…」

 築城が鍵を開けて中に入ったので、玲奈は少し緊張しながら中に足を踏み入れた。

「ちょっ…と、まってくれ」

 築城が片手を出して止めたので、玲奈は靴のまま立ち止まった。

「汚いから、片付けてくる」

 玲奈はおとなしく玄関に座って待った。背後でがさがごそ音がした。

(煙草の匂いがする…あ、空き缶あつめてるな)

「よし…入っていいぞ」

 声がかかったので、玲奈はリビングルームへと向かった。中は一人暮らしにちょうどよさそうな1LDKで、築城はキッチンの横の椅子を玲奈にすすめた。

「…どうしたんだ、こんな夜中に」

 築城はそう言って玲奈の前にペットボトルのお茶を置いた。玲奈は築城の顔を見上げた。

「ここまできて、まだ先生ぶってるんですか」

 玲奈の辛らつな言葉に築城は一瞬身構えたが、すぐに先生の顔に戻った。

「…一応先生だからな」

 玲奈は唇を噛んでうつむいた。ちがう、こんなこといいにきたんじゃない。
 玲奈は顔を上げた。

「先生、私のこともう嫌いなんですか」

「…というと」

「もう興味ない?二度と会わなくてもいい?」

「っ…それは」

 黙り込んだ築城を、玲奈は責めた。

「やっぱり先生は、誰でもよかったの?私を好きっていったのは嘘だったんだ」

 玲奈はそっぽを向いた。こらえようとするが、唇が震えた。

「私としたことが、騙されちゃった。バカだね…笑っていいよ」

 このまましゃべっていたら泣いてしまいそうだ。玲奈は立ち上がった。

「私もう帰る」

 玲奈は玄関へ向かった。が、その手首を築城がつかんだ。

「嘘…なわけ、ないだろう」

 玲奈はそのまま止まって聞いた。

「先生…何で私の事好きになったのって聞いたけど、答えてくれなかったよね」

「ああ…あれは」

「私が先生の事好きになったら教えてくれるって言ったよね」

「…ああ」

「教えてよ」

「……」

 築城が答えに詰まっているのがわかった。玲奈は肩を落とした。

「…やっぱり、そんなの嘘だった?…たまたま私が目についただけで」

 築城がふうっと息をついた。

「…わかった、話すよ。…とりあえず、座ってくれ」

 築城がそう言ったので、玲奈は元通り椅子に座った。築城は玲奈に背を向けて話しはじめた。

「…こんなこと話すのは、正直嫌だよ。30超えたおっさんが18歳の子にさ…。でも玲奈が聞きたいなら、話すよ」




2年前の春。桜吹雪のすさまじい入学式のその日、校門に立っていた築城は登校してきた玲奈とすれ違った。
 その瞬間、築城の身体は雷に打たれたかのような衝撃が走った。

(な…なんだ?)

 ちらりと二度見をすると、気配を察したのか彼女もこちらを見た。流し目だった。ただそれだけで、ガツンと殴られたような威力があった。彼女は何の表情も浮かべていなかったのに。

 その時に感じた自分の感情がどういうものか、わからなかった。でもそれは、一番最初、10代の時に初めてギターの駆け上がる旋律を耳にした時の気持ちと、よく似ていた。

 心臓が跳ね上がるような、言葉では言い表せない、特別な高揚感。

その旋律は築城の心に初めて「情熱」を教えてくれたのだった。その情熱を久しぶりに感じて、だけど築城は次の瞬間ぞっとしていた。

最後にこんな気持ちになったのはいつだったろう?10年前?20年前?今では唯一好きだったあの曲を聞いても、昔ほどの情熱を感じない。もはや何にも、築城の心は動かなくなっていた。

それなのに、ただ生徒とすれ違っただけで。

今までの築城の人生は、凪いだ海のように穏やかそのものだった。仕事も交友関係も、表面的にはそつなくこなせる。人並みに恋人を持ったりもした。だがそこには情熱も、満ちたりた思いもなかった。むしろ誰かと深くかかわるのは面倒だという事に気が付いただけだった。

どうして自分は、人に対して情熱が持てないのだろう。昔はそれで悩んだりもしたが、時がたつにつれ、仕方がないとあきらめるようになった。

(…俺はこういう性分なんだ。人と深くかかわれるようにできていない)

そしていつしか、プライベートは完全に孤独になっていった。だがそれでいいと、長いときを過ごすうちに慣れていった。一人の部屋も、独りの食事も、独りでこれから過ごすであろう長い時間も。

荒れ狂う嵐の海に船出するより、凪の海を悠々と進む方が楽に決まっている。
そこに喜びはなくとも。

(だけどなんだ?あの子の、あの目は…)

 その目は、築城の心を深くとらえた。たしかに、彼女は美しかった。だけど目が離せなくなったのはそれだけではない。

彼女の目は、何かを築城に訴えているようだった。言葉ではない、他の人にはわからない、築城にだけ読み取れる何かを。

玲奈とその場所で目が合ったその瞬間、世界のすべてが変わってしまった。
 見交わした時間は1秒にも満たない。初対面で名前もしらない。にもかかわらず、築城の心は一瞬で彼女に支配された。

(あの子の事を…知りたい。何を訴えていたんだ?あの目は…)

その気持ちを止めることは、できなかった。しかしそれを認めてしまうと、築城は臆病にも何もできなくなってしまった。

(彼女を好きになった所で…どうなるっていうんだ?)

いざ自分が本気になってみると、とたんに恐ろしくなった。学校ではつい彼女の姿を探し、目に入ると心臓が高鳴る。だけど彼女が築城の手に入ることはない。さっさと卒業して、見知らぬ誰かと…。それを想うたびに胸が痛んだ。築城の孤独で平穏な日常は壊れた。毎日が嵐だ。

(くそ…どうしてこんなにおびえているんだ、俺は…)

 しかし、それは、ずっと自分が他人と深くかかわらずに生きてきた結果だったのだ。本気でぶつかって結果を出した事がないから、嵐の海に一歩踏み出すのが恐ろしくてならない。
当たり前の事だったが、気が付いた瞬間、築城もさすがに背筋が寒くなった。

(俺は一生……このままなのか?)

 誰に対しても過不足なく付き合っていれば、問題は起きない。けれど誰の「特別」になる事もできない。築城は誰にとっても、どうでもいい存在なのだった。それに気が付いた瞬間、築城は情けなさに笑った。

(そうか…俺は特別な存在に、なりたいのか…あの子にとって)

 その時、築城は玲奈の目の中にあったものの正体に気が付いた。
最初見交わした時、彼女はたしかに無表情だった。だけどその目に浮かんでいたのは、築城と同じような底なしの孤独だった。

その無表情の鎧の下で、彼女は孤独を抱えて傷つき、一人戦っている。

(俺はずっと戦いを放棄してきた…だけどあの子は、ちゃんと戦ってるんだな…)

その玲奈の孤独に、築城の孤独が共鳴した。その瞬間、理屈も規則も抜きに、築城は玲奈に惹かれたのだった。

(俺に笑いかけてほしい…その目に俺を映してほしい。二人で、孤独から抜け出したい)

 いい年の大人が、女子高生に勝手に懸想する。わかっている。どう考えても、独りよがりの変質者だ。それでもその気持ちはおさまらなかった。

 中年を差し掛かってそれは築城に訪れた「初恋」だったのだ。

しかしどうアプローチすればいいかわからない。何より犯罪だ。だから築城は玲奈のあとをつけたり、盗撮をしたりして自分の想いをなだめた。どうせ叶わない思いなのだから、これで満足するべきだと。そして…あの日が訪れた。

「…そこからは、玲奈も知ってる通り。俺は…玲奈をたくさん傷つけてしまった。すまなかった…」

 そこで築城は玲奈をまっすぐ見た。

「けれど俺は…玲奈に出会えて、よかった。玲奈のおかげで、俺の自分の人生に意味を見いだせたんだ。辛い事もあったけれど…それを上回るくらい、玲奈を好きになったのは素晴らしい事だった。世界が変わったんだ…これは俺の一方的な気持ちでしか、ないけど」

 玲奈はぽつりと言った。

「そっか…先生もどうしていいか、わかんなかったんだね」

「…そうだな…それで見苦しい事、してしまった」

 玲奈は笑った。

「じゃ、こうやって住所を盗み見て待ち伏せした私も…見苦しいね。私も、わかんなかったんだ…好きになったらどうしていいか」

「好きって…俺をか」

「…学校でも言ったじゃん」

「なんで、俺なんか」

 玲奈は少し考えてから、言った。

「さっき先生が言ったの、当たってるかも。私…」

 玲奈は築城の手に触れた。

「一人でどうにか生きるって強がってたけど、本当は…誰かに助けてほしかった。別に何もしてくれなくていい。ただ頑張ってるねって言って、見ててくれる人が」

「そうか…」

「先生は3年間…ずっと私を見ていたんでしょ」

「そうだな」

「じゃあこの先も、私のこと見ててくれる?今までよりももっと、近くで」

 その言葉に、築城は顔をゆがめた。

「…いいのか、俺なんかで」

「うん、先生がいい」

 玲奈は椅子を立って、築城の前に立った。

「私の事見ててよ。卒業しても、大人になっても、ずっと。そうじゃなきゃ、許さない」

「…言っただろう…俺のすべては、玲奈のものだ」

 築城は座ったまま、玲奈の背に両手をまわして抱きしめた。

「好きに、使ってくれ」

 すると玲奈の声が頭上から降ってきた。

「じゃあ先生…また、先生としたい」
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