不滅の誓い

小達出みかん

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旅立ち

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夜明け前。白みかけた空から凍てつく星が消えようとしていた。

 あまり寝ていないセレンは、頬をばしんと叩いて気合を入れてから、馬の鞍によじ登った。


(トリトニアに、帰る…シリル様に、会いに)



 昨日はめまぐるしすぎて実感がわかなかったが、そう思った瞬間、冬の寒さとはちがう寒さが、セレンの体に走った。


(もういないんだ、シリル様は・・・・)


 するとセレンの心の中は底が抜けたようにからっぽになった。指先も足も腹も、すうっと冷たくなるようだった。寒さのせいだけではない。

 ふとセレンの脳内に、あの青い光がうかんだ。ウツギの人間は死ぬと、魂は洞窟の最深部へと帰るのだという。リンドウもそこへ行った。


(私もウツギの人間だから、そこへ行く…だからシリル様とは、もう二度と会えない。死んでからも)


「おいっ、何を腑抜けている!」


 突然となりから怒鳴り声がしたので、セレンはびくりとした。


「あ…団長。おはようございます」


「なにをためらっている。早く配置につけ」


 黒い軍馬にまたがった団長は、その大きさもあいまってまるで巨人のように雄雄しかった。シリル様の姿を思い浮かべてしたセレンは、その落差にめまいがしそうになった。


「はい、わかりました…団長も今回の一行に加わっているのですね」


 団長は眉をひそめた。


「何をいう。今回の人選をしたのは俺だ。王子をお守りするのに俺が行かぬということはありえない。お前も、心してついてきてくれ」


「はい、承知しました」


 しおらしくそう答えたセレンに、団長は怪訝な顔をした。


「どうした、やけに大人しいではないか」


「いえ…そんなことは」


 リンドウに、シリル王子、暗殺の犯人、アジサイ兄弟のこと…。セレンの胸中は様々な不安が渦巻いていた。が、セレンは首をふった。後ろがつかえていたので、団長もそれ以上は追及しなかった。




 一行はイベリスを出発した。

 王子は馬車だ。そのまわりを守るように前に5人、うしろに5人、兵が配置されている。セレンは王子の馬車のすぐ前に配置された。

 この大きな闇の森を通るのは、イベリスに入国したとき以来だ。周りの兵士たちは硬い表情でただ進んでいる。


(これからずっと、この兵士達と行動を共にするのか…)


 あの苛烈な鍛錬や、ウツギへの暴行に、ハエの話。彼らにはあまりいい印象がない。セレンは少し気が重くなった。


 一方団長の心中も、穏かではなかった。

 昨日はいやに事件の多い日だった。捜索しても暗殺犯の手がかりはなく、ウツギの女が一人死んだ。シャルリュスは異様なほどいらだっていた。

(いやな予感がする。俺のいない間に、何もおこらなければいいが…)


 陛下と宰相、そして身重の后を残して旅だつことに、トラディスは一抹の不安を感じていた。シャルリュスは、今まで巧みな舵取りでイベリスを導いてきた。だがここ最近では慎重さを欠き、短絡的な発言をすることが多いとトラディスは感じていた。


(この間、陛下に進言するよう頼んできたのも、そうだ…叔父上は頭の切れる方だが、やはり最近どこか普通じゃない。人のいい陛下がそれにひきずられて、なにか極端なことに走ってしまわねばいいが…)


 帰ってきたら、叔父上の言動に目を光らせねば。そう彼は思った。

 山を下り森を出ると、あとはトリトニアまでずっと平地だ。

 冬の大地は冷たい風が吹き抜け、一面が白茶けている。地平線まで見渡せるその景色は壮大で、峻烈だ。


「よし、ここでいったん止める」


 太陽が空の真上にのぼった時刻に、団長は一行の足を止めた。

 兵士達はてきぱきと準備をし、王子の座る場所を外へこしらえ、料理にかかった。さすがに座って待っているわけにもいかないので、セレンはそばにいた、この中では比較的優しそうな年のいった兵士に声をかけた。


「それ、じゃがいも?手伝います」


「あ?そうか?じゃあ頼む」


 兵士は少し驚いたようにセレンに場所をゆずった。

 セレンは苦心しながらじゃがいもの皮をナイフでむいた。実は、あまり料理は得意ではない…。


「わっ、あぶねぇ手つきだなぁ。あーあー、そんな厚くむいちまって。馬には乗れても炊事はからきしだなぁ」


 今回の道行きは寡黙な兵士ばかりかと思っていたが、この兵士はよくしゃべる男のようだ。


「すみませんね。誰でも得意不得意、ありますから」


 兵士はやれやれと首をふった。


「まぁ、后様の侍女さまだもんなぁ…しょうがねぇか、ほら、かしなさい」


 セレンはそれには応じずジャガイモの皮をむきづづけた。


「私は、大丈夫ですから。あなたはあなたの仕事をして下さい」


「はっきり言うのなぁ。トリトニアの女ってのは、気も強いし馬にも乗れるのが普通なのかい?」


「そりゃあ…馬にくらい乗ります。ミリア様も、立派に乗馬なさります」


「后様か。いいお人だよなぁ。あんた、孤児だったとこをうまいこと后様に拾われたんだって?」


 一時期疑われていたためか、セレンの来歴は兵士たちまで知るところとなっているらしい。が、ミリア様を褒められて悪い気はしない。


「そうです。ミリア様は本当に慈悲深いお方なのです。だから私は、イベリスまでついてきました」


「そうかい。いい話さね」


 兵士はさっさっとじゃがいもをむきながら言った。その細められた目には、皺がよっている。重ねてきた年齢を感じさせる笑い皺だった。


「后様がきなさってから陛下も明るいし、お子もできて、いいこと尽くめだ。最初はどうなることかと気をもんでいたが。よかったよ、いい后様がきて」


 そういわれると、セレンは我がことのように嬉しくなった。やはりミリア様の優しさ、その場を明るくさせる人の良さは、国も人も関係なく伝わるものなのだ。


 だが一方で、彼らを裏切っているという罪悪感がちくりと胸を刺した。それで気もそぞろになったセレンはナイフをすべらせてしまった。


「おっと。お前さんは、もう少し料理の修練が必要のようだね。まぁ焦りなさんな。最初はだれでもへたくそだ。お前さんは、きっとそれを教わる時間もなかったのだろうよ」


 生徒にむかって諭すようなその言葉に、セレンは素直に耳を傾けた。少しくすぐったい気持ちだった。きっと彼は兵士の中でも面倒見が良い古参兵なのだろう。


「…すみません。言うとおりで、料理はあまりや ってこなかったもので」


 セレンは素直に謝って野菜とナイフを拾った。


「確かに誰でも不得意はあるわな。だけれど団長を見てみい?あのお人は、強い上になんでもできるんだよ」


 言われて団長のほうを見てみると、彼は炉を組み立てているところだった。もくもくと手を動かすその姿は、たしかに団長らしかった。


 だがセレンはめずらしく反論したくなった。この優しげな老兵士なら、許してくれそうな気がしたからだ。


「でも…家、めちゃめちゃでしたよ。何でもできるんなら、もう少し家を掃除すればいいのに」


「自分のことには興味のないお方なのさ」


「そうですか…なら奥さんでももらえばいいのに」


 老兵士は頭をかきながら言った。


「うーん。昔は、いたんだけども」


 意外に思ったセレンは追求した。


「別れたんですか?離婚?」


「イベリスにそんな制度はない。亡くなったんだよ、奥さんは」


「…そうなんですか」


 聞いたことを、セレンは少し後悔した。

 あの荒れ放題の部屋も、仕事にしか興味のない生き方も、そのせいかなどと余計な事を考えてしまうからだ。


 団長のことも、兵士たちのことも、イベリスのことはできれば憎んでいたい。人間味のある一面など見せられるてしまうと、それが難しくなる。

 セレンは与えられた仕事に専念することにした。


 ぐつぐつ音をたてている大なべは、いかにもおいしそうだ。兵士達の手によって作り上げられたシチューは、まず王子にとりわけられた。


「外で食べるのも久しぶりだ…昔の訓練を思い出す」


 王子はそういって晴れやかに微笑んだ。若いながらその立派なたたずまいを、トラディスは頼もしく思った。彼もイベリス国の男子の掟どおり、厳しい訓練を重ねてから王子としてここに座っている。


「何よりです」


 トラディスはそう返し、もくもくと火の番をしていた。そのうち兵士やセレンにも椀がくばられた。シチューは熱くて、塩がきいている。溶け込んだじゃがいもの、とろりとした食感に、大きく切られた肉の油が混ざり合ったうまみは、寒空の下で食すにはもってこいだった。


(…おいしい)


 熱いものを身体に入れると、朝感じていた寒さも、底知れぬ空虚さもやわらいだような気がして、セレンはしみじみと手の中の椀を見た。


(小さいころも、こうだった。お腹がへって、ぼろぼろの時、こんな風に椀を差し出されて。言葉にできないくらい、おいしかったなぁ)


 あのころのセレンは、一杯の熱いシチューが何ものにも変えがたかった。温かいもので腹を一杯にすることが、一番の幸せだった。


(毎日これを食べられるなら、ほかのものはなにもいらないって思ってたな)


 ただ一杯のシチュー。それがあれば生きていける。

 そう思っていたはずなのに、自分はジュエルの利権を求める大公の手先となり、こんなところまで来ている。


(翠玉も、他の国の土地も…そんなものを手に入れて、どうするのだろう)


 国が平和にありつづけていくのは難しい。食うか食われるかの世界だ。その必要性はセレンにもわかる。だから先手を打って相手のものを奪う。イベリスもトリトニアも同じだ。


(だけれど、人のものを無理やり奪うのは、どうしても辛いことだ…こうしてシチューをわけあうほうが、よほど幸せなのに)


 こんな考えを耳にしたら、ガウラス大公もトルドハル王も笑うだろう。甘っちょろい事を言っていると。そんなものは絵に描いたパンだと。


(でも、そうなればいいのに。ミリア様も、この兵士も、アジサイやスグリも争わずにすむ…そういう日が来ればいいのに)


 しかし、それが虫のいい思いだともよくわかっていた。

  温かい食事に、蹴飛ばされる心配のない寝床。そして自分が必要とされているという実感。


 セレンの幸せは、すべてミリア様が与えてくれたものだった。だからミリア様のために働く。それはイコール、ガウラス大公の陰謀に乗るということでもあった。ミリアネスが大公の娘である以上、彼の手中から逃れることはできない。ならばどんなに汚く、辛い仕事でも、私が請け負う。ミリア様の重荷を、軽くするために。


 そう決めたのは自分だ。今更それをひるがえすことなど考えられない…。

 私にできるのは、だまってただ仕事をやりぬくだけ。自分の感情など関係ない。


「どうした?口にあわないか」


 深く考え込んでいたセレンは、老兵士に話しかけられて我に帰った。


「い、いいえ…とてもおいしいです」


「そうかそうか、よかった」


「イベリスの兵士は料理もできるのですね」


「ああ、そうだ。野戦になったときの訓練だな」


「野戦訓練では、ほぼシチューワンパターンだけどな」


 セレンと老兵士が話しているのを見て、寡黙に見えた他の兵士も会話の輪に加わってきた。


「そういった訓練は、どこで行うのですか?」


 若い兵士がそれに答えた。


「だいたいは、あの不気味な山の中だ。イベリスの男は、12になるとあそこにほぼ裸で放りだされるんだ」


 セレンは眉をひそめた。


「それで、どうするんです?」


「そこで一ヶ月生き延びるように、それまでに一通りのことを教えておく。それでだめだったヤツは、それまで」


「つまり、それも兵士になる訓練というわけですか」


「その通り」


 若い兵士は胸を張ってそういった。セレンは誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。


「贅沢ですね、自ら飢えや辛さを体験しにいくなんて」


 小娘が何を言う。むっとした兵士はセレンを見たが、すぐ黙り込んだ。

 彼女の横顔が、まるで年を重ねた老婆のように見えたからだ。彼の母も、そして祖母も、そういう表情をしているときがあった。生きることの辛さが染み出た、やるせない疲れた表情だ。


(お、おい、大丈夫か…?)


 兵士がそう声をかける前に、老兵士が彼女に言った。


「大丈夫かい、セレンさん。とても疲れた顔をしている」


「ええ、すみません…大丈夫です」


 若い兵士は複雑な表情で、2人を見ていた。




 昼食を終えた出発前、地図を手にした団長がセレンをよんだ。


「ここから先、俺達はめったに行かない。街道はどう行けば確実か?」


 セレンは団長の広げた地図の一角を指差した。


「森を出てしばらく歩いたので、今はこのあたりですね。このまま東南へ進んでしばらくすれば、リマノ街道が見えてきます。街道沿いには村もあるので、今夜は野宿になりますが、明日は王子を宿屋へお泊めできると思います」


 団長はセレンをまじまじと見た。


「いやにくわしいな」


 セレンは肩をすくめた。 


「そりゃあ、元旅芸人ですから。街道と街の場所は、頭に焼きついていますよ」


 団長は少し考えてから言った。


「お前が道を決めたほうが確実だな。俺の隣を歩け」


 兵士たちをさしおいて、と思うと気はすすまないが、セレンは了承した。

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