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大丈夫、痛くなんてないから
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「何をのろのろしているんだ、このクズが」
サイドテーブルにお茶を置いた瞬間に、イライラとした低い声が響く。毎朝のことだ。ヘンリエッタは慌てず騒がず静かな動作で一歩引いた。
「……失礼いたしました」
このままさっさと退出してしまいたい。今日は洗濯を取りに行く日だし、納屋の家畜たちにも餌をあげないといけない――。しかし兄のバートはにやっと笑ってヘンリエッタを見つめた。
――何かいじめる口実がないかと、ヘンリエッタのあらさがしをしている目。
ヘンリエッタはあきらめた。どうも今日は、そういう日らしい。
「へぇ、生意気だな? 自分になにも非はないって目をしてさ」
歯向かっても、しおらしくしても、どうせ折檻されることは同じなのだ。ヘンリエッタは軽く頭を下げて両の手のひらを差し出した。
「申し訳ございません。どうぞ罰をお与えください」
バートはいつも、短鞭を携帯している。馬はもちろん、気に入らない使用人、そしてヘンリエッタを打つために。
(大丈夫、どこを打たれるかわかっていればたいして痛くない)
そう思いながら、ヘンリエッタは無関心に鞭が振り下ろされるのを待った。しかしそれを見て、バートの唇がゆがむ。
「……やめた。後ろを向いてスカートをまくれ」
その言葉に、ヘンリエッタの目がはっと見開かれる。
「そ、それは」
後ずさるヘンリエッタに、バートは鞭をもって迫った。
「いやだっていうのか? この家の次期当主でお兄様の俺に?」
背筋がつめたくなる。ヘンリエッタは慌てて首を振った。
「生まれの卑しいお前が飢えないでいられるのも、俺たちのおかげなんだぞ? わかっているよな?」
「は、はい、その――掌のほうが、痛いので――罰にふさわしいかと」
「ふん、こざかしい。いいからさっさと尻を出せ」
「こ、このようなところを奥様に見られましたら――」
必死で食い下がるヘンリエッタに、バートは無情に言った。
「俺はお前に誘惑されたと言う。そしたらお前が罰を受けて、おしまいだろうな」
にやりと笑うその目は、自分よりも弱いものをいたぶる喜びであふれていた。
(あぁ……無理だ、今日は)
逃げられない。観念したヘンリエッタは、いう通りに後ろを向いた。
悔しくて、彼に見られない壁にむかって思い切り歯をくいしばって、嫌な顔をする。
好きでお前の言う通りにしてるわけじゃない――そんな、ささやかな抵抗だ。
「ほんとうに、けしからん妹だなぁ、お前は」
後ろから、舐めまわすようなバートの視線を感じる。
「さすがは娼婦の娘――俺がこんな事をするのも、お前が悪い女だからだ」
ちがう。お母さんは娼婦なんかじゃない。売れっ子の舞姫だったんだ。ヘンリエッタは心の中でそう反撃する。
「ああ、罪深い、けがれた身体だ。触れることも恐ろしい。俺がこの鞭で叩いてきれいにしてやるからな!」
ヘンリエッタは目をぎゅっとつぶった。そして、何度目かわからない言葉を心の中で念じた。
――大丈夫、叩かれる場所がわかっていれば痛くない。
サイドテーブルにお茶を置いた瞬間に、イライラとした低い声が響く。毎朝のことだ。ヘンリエッタは慌てず騒がず静かな動作で一歩引いた。
「……失礼いたしました」
このままさっさと退出してしまいたい。今日は洗濯を取りに行く日だし、納屋の家畜たちにも餌をあげないといけない――。しかし兄のバートはにやっと笑ってヘンリエッタを見つめた。
――何かいじめる口実がないかと、ヘンリエッタのあらさがしをしている目。
ヘンリエッタはあきらめた。どうも今日は、そういう日らしい。
「へぇ、生意気だな? 自分になにも非はないって目をしてさ」
歯向かっても、しおらしくしても、どうせ折檻されることは同じなのだ。ヘンリエッタは軽く頭を下げて両の手のひらを差し出した。
「申し訳ございません。どうぞ罰をお与えください」
バートはいつも、短鞭を携帯している。馬はもちろん、気に入らない使用人、そしてヘンリエッタを打つために。
(大丈夫、どこを打たれるかわかっていればたいして痛くない)
そう思いながら、ヘンリエッタは無関心に鞭が振り下ろされるのを待った。しかしそれを見て、バートの唇がゆがむ。
「……やめた。後ろを向いてスカートをまくれ」
その言葉に、ヘンリエッタの目がはっと見開かれる。
「そ、それは」
後ずさるヘンリエッタに、バートは鞭をもって迫った。
「いやだっていうのか? この家の次期当主でお兄様の俺に?」
背筋がつめたくなる。ヘンリエッタは慌てて首を振った。
「生まれの卑しいお前が飢えないでいられるのも、俺たちのおかげなんだぞ? わかっているよな?」
「は、はい、その――掌のほうが、痛いので――罰にふさわしいかと」
「ふん、こざかしい。いいからさっさと尻を出せ」
「こ、このようなところを奥様に見られましたら――」
必死で食い下がるヘンリエッタに、バートは無情に言った。
「俺はお前に誘惑されたと言う。そしたらお前が罰を受けて、おしまいだろうな」
にやりと笑うその目は、自分よりも弱いものをいたぶる喜びであふれていた。
(あぁ……無理だ、今日は)
逃げられない。観念したヘンリエッタは、いう通りに後ろを向いた。
悔しくて、彼に見られない壁にむかって思い切り歯をくいしばって、嫌な顔をする。
好きでお前の言う通りにしてるわけじゃない――そんな、ささやかな抵抗だ。
「ほんとうに、けしからん妹だなぁ、お前は」
後ろから、舐めまわすようなバートの視線を感じる。
「さすがは娼婦の娘――俺がこんな事をするのも、お前が悪い女だからだ」
ちがう。お母さんは娼婦なんかじゃない。売れっ子の舞姫だったんだ。ヘンリエッタは心の中でそう反撃する。
「ああ、罪深い、けがれた身体だ。触れることも恐ろしい。俺がこの鞭で叩いてきれいにしてやるからな!」
ヘンリエッタは目をぎゅっとつぶった。そして、何度目かわからない言葉を心の中で念じた。
――大丈夫、叩かれる場所がわかっていれば痛くない。
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