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アドレナリン2 ハッピーヒロイン
しおりを挟む俺は、セダンの運転席で、ターゲットである廃工場の見取り図を頭に叩き込んでいた。インカムの向こうでは、これから始まる「仕事」を前にして、二人の主人が会話している。
『フェブ、お前、仕事中は静かにできないの?』
ルシアンの、呆れたような声。
『えー? 集中すると、つい歌っちゃうんだよねー! んふふーん♪』
フェブの、悪びれない快活な声と、それに続く、気の抜けた鼻歌。
この男のナビゲートで、本当に大丈夫なのか。俺の不安は、的中することになる。
俺は、闇に紛れて車を降りると、工場のフェンス際まで音もなく接近した。
『はい、じゃあまず外周のカメラからねー。えーと、ちょちょー、っと…はい、可愛い子猫ちゃんの映像に差し替え完了! んふふーん、にゃーにゃー♪』
フェブの鼻歌は、ハミングから、ついには歌詞(のようなもの)にまで進化していた。
俺は、そのふざけた実況を無視し、猫の映像をループ再生し続ける監視カメラの下を、影のように通り抜ける。そして、裏口のサービスドアの前にたどり着いた。
「……フェブ。ドアだ。電子ロックがついてる」
俺が小声で報告すると、インカムの向こうで、フェブの鼻歌が、さらに陽気なものに変わった。
『OK! 待っててねー、ふんふふーん♪……あ、ここのファイアウォール、ルカんとこで前使ってたやつだよ! なつかしー。これねぇ、脆弱なんだよねぇ……はい、おしまい! 開いたよ!』
カチリ、という小さな解錠音と、彼の鼻歌の勝ち誇ったファンファーレが、ほぼ同時に俺の耳に届いた。
工場の中に侵入する。中は、機械油と埃の匂いが混じり合った、静かな闇の世界だった。
だが、俺の耳元だけは、ひどく騒がしかった。
『あ、リオンサン、右のコンテナの裏に一人隠れてるよー、ふふん♪』
俺は、フェブの鼻歌混じりのナビゲートに従い、コンテナの影へと滑り込む。そして、背後から音もなく敵に近づき、その首に腕を回した。
俺の手が男の首を締め上げ、声なき絶叫を闇に葬り去る。その間も耳元では、フェブが最新のポップソングらしきものを絶妙に音程を外しながら、楽しそうにハミングし続けていた。
この世で最も、緊張感のない潜入任務だった。
『へえ。今の締め方、カッコいいじゃん』
不意に、それまで黙っていたルシアンの、満足げな声が割り込んできた。彼は、この一部始終を、特等席で観覧しているのだ。
俺は、次々と見張りを無力化していく。その度に、フェブの鼻歌がBGMのように流れ、時折、ルシアンの鑑定家のようなコメントが入る。
『あ!』
ナビゲーターが唐突な声を上げる。
『ノマそこら辺だよ!』
「……そこら辺?」
思わず足を止める。部屋でも何でもない、通路の真ん中だ。
「……ほんとにここか?」
『うん、そこら辺だよ! GPSの最終反応だと』
俺は薄暗い通路を警戒しながら進む。あたりは静まり返っていた。
「おい。そこら辺ってどこだ」
俺が、いらだちを隠さずに尋ねる。
「それ、どこまで正確な情報なんだっ――」
俺が言い終わる前に、闇の中から、閃光のようにナイフが飛び出してきた。
「――ッ!」
俺は、反射的に身体を捻り、それを避ける。同時に、腰のホルスターから拳銃を引き抜いていた。ナイフが、俺がいた場所の壁に、火花を散らして突き刺さる。
物陰から飛び出してきたのは、俺が救助すべき対象であるはずの、ノマだった。
その服はところどころ破れ、頬には新しい切り傷がある。だがその瞳は恐怖や衰弱の色ではなく、狂おしいほどの歓喜と興奮に満ちていた。
「おい……」
彼は、楽しそうな笑い声を上げながら、二本目のナイフを抜き、猛然と俺に襲いかかってきた。
「おい!」
救助対象を撃つわけにはいかない。俺は、やむを得ずナイフの斬撃を、拳銃の硬い銃身で受け流した。キィン!と甲高い金属音が、通路に響き渡る。
「くそ、どうなってんだこいつ!」
『え? どうしたの?』
インカムの向こうののんきな声に返答する暇もない。
強い。速い。そして、一切の躊躇がない。噂には聞いていたが、これほどとは。
「ははっ、ははは!」
ノマの心底楽しそうな笑い声に、インカムの向こうのフェブが反応した。
『あー! この声! ノマ最高にハッピーになっちゃってるじゃん!』
「なんなんだ!?」
『そいつスリルジャンキーなの! スリルでハイになっちゃってるよ!』
なんだそれは。どんな幸せな脳みそをしていたらそうなるんだ。
しかし目の前のノマは完全に敵と味方の区別がついていない。
どうしろってんだ!
俺は、防戦一方で、じりじりと後退させられる。ギリギリの攻防だった。
俺は、体勢を立て直すと、低い声で、その名を呼んだ。
「てめぇ……ノマ!」
その声に、ようやく彼の動きが止まった。ハイになっていた瞳の焦点が、ゆっくりと俺の顔の上で結ばれる。
「あれ……? リオンサン? なんで、こんなとこに?」
「……てめぇを救助に来たんだよ」
「救助? あんたが? なんで、俺を?」
「てめぇの飼い主からの、ご依頼だ」
「飼い主……? フェブか?」
ようやく状況を理解したらしい彼を見て、俺は耳元でまだ陽気な鼻歌でBGMを垂れ流しているインカムを、うんざりしながら耳から外した。そして、それをノマに突き出す。
「てめぇの飼い主だろ。お前が直接聞け」
「え? なに……」
ノマは、不思議そうにしながらも、そのインカムを自分の耳に着けた。
その途端。
『ノマーーーっ!!!! 無事だったんだね!? よかったーーー!!!』
インカムを着けていない俺にも聞こえるほどの、フェブの安心しきった大音量の叫び声が、通路に響き渡った。
ノマは、その声に「うわっ!」と悲鳴を上げると、反射的にインカムを耳から引き剥がし床に叩きつけ、ブーツの踵で踏み潰した。
「うるさ……こいつ……」
「……お前……」
「あっ……」
気まずい沈黙が、俺たちの間に流れる。
その時、俺のポケットで、スマートフォンが静かに震えた。バイブレーション。ルシアンからの着信だった。
俺が通話ボタンを押すと、スピーカーの向こうから、笑いを必死でこらえている主人の声がした。
『……予備、あるよ。お前のポケットの中』
俺は、言われた通りにベストのポケットを探る。そこには、密封された、予備のインカムが一つ入っていた。
俺は、それを無言で、ノマに差し出した。
「……次は、壊すなよ」
「ハイ……すみません」
彼は、心底申し訳なさそうな顔で、それを受け取った。
敵が、この騒ぎに気づいて、通路の向こうから集まってくる気配がする。ノマは戦闘用のナイフを握り直し、その瞳に好戦的な光を宿していた。
だが、彼の得物はそれだけだ。
「おい。使えるだろ」
俺は腰のホルスターから予備の拳銃を引き抜くと、それをノマへと放り投げた。
彼はそれを空中で見事に掴み、不敵な笑みを浮かべた。
「……ああ。助かる」
その瞬間、俺たちは、救助者と被救助者から、ただの「戦友」になった。
――――――――――――
次話
『アドレナリン3 ああ、楽しい』
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