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アドレナリン1 殺人鬼家出騒動と強制ご機嫌カーナビゲーション
しおりを挟む屋敷のインターフォンが鳴った時、モニターに映っていたのは、見たこともないほどに、しょんぼりとした顔のフェブだった。
「ルカ。ノマが、家出しちゃった……」
ルシアンを愛称で呼ぶ、いつもは快活な友人のフェブだが、その声色は今にも泣き出しそうだった。
珍しい。俺は、言われた通りに温かい紅茶を淹れながら、その会話に耳を傾ける。
「はあ? 家出? なんで?」
ルシアンが、心底意味が分からないといった顔で聞き返す。
「仕事多いなって文句言いながら出てったんだよ、あいつ。そんで、帰ってこなくなっちゃった。俺、仕事入れすぎたかなあ。言ってくれれば減らすのに……」
「はあ……?」
ルシアンは、困惑していた。
「でもあいつ、行く場所なんか無いでしょ。お前んとこ以外に」
「いや、居場所は分かってんの。GPSで。昨日、殺しに行った先に、まだいるんだよ。……もしかして、意気投合しちゃったのかなぁ……」
俺は、淹れた紅茶のカップを持つ手が、思わず止まった。意気投合? 殺しに行った相手と? この男の思考回路は、どうなっているんだ。
「はあ……?」
ルシアンは、俺と全く同じことを思ったらしい。
「それお前、普通に、捕まったか何かしたんじゃないの?」
「ええ……? ノマが?」
フェブは、心の底から半信半疑といった様子だ。
「聞いてみようか」
ルシアンが、面白そうに提案した。
フェブは、すぐにタブレットを取り出すと、すさまじい速さで指を滑らせ始めた。数秒後、部屋のスピーカーから、荒々しい男たちの怒鳴り声が聞こえてくる。どうやら、どこかの電話回線に割り込んだらしい。
フェブは、その騒がしさにも構わず、快活な声でスピーカーに話しかけた。
「こんにちは! 聞こえますか? ハローハロー!」
『なんだ!? どこからだ!』
「あの! そちらに、うちの殺人鬼がお邪魔していませんか?」
『誰だてめぇ!』
「えっと、そのー…殺人鬼に、関わりのある者であります!」
『てめぇ、あいつの仲間か! てめぇもあいつも、必ず見つけ出して八つ裂きにしてやるからな!』
「? そうですか、ではお待ちしております!」
『ふざけやがっ――』
フェブは、相手が言い終わる前に、ぶつりと一方的に通話を切ってしまった。そして、首を傾げる。
「いるけど、いないみたい?」
「見つかってから、どっかに隠れてるとこなんじゃない? ピンチっぽいなあ」
ルシアンが、呆れながらも的確に状況を分析する。
「あ、なるほど! あいつ、スニーキング苦手なんだよね!」
その、フェブの衝撃的な一言。
俺は、紅茶をテーブルに置きながら、心の中で、静かに、しかし深く、疑問に思った。
(……それでどうやって、殺し屋稼業なんか今までやってこれたんだ、あの男は)
悪びれもせず言い放ったフェブに、ルシアンは、彼らしくもない、深くて、大きなため息をついた。
「……助けてやんなきゃいけないんじゃないの? それ」
ルシアンが、まるで出来の悪い子供に言い聞かせるように、フェブに言った。そして、観念したように、続けた。
「で、どこにいんのよ、ノマは」
「えっとね」
フェブはタブレットに表示された地図をさっそくルシアンに見せた。
ルシアンは、その画面に映し出された地名と建物を見ると、途端に苦虫を噛み潰したような、ひどく苦い顔をした。
「うわー……。俺、そこは手出しできないぞ」
「そうなの!?」
フェブの顔から、血の気が引いていく。
「不可侵同盟結んでる。むかーしの話だけど。お互いの縄張りには、絶対に手を出さないってやつ。今もそれが生きてんだよね」
ルシアンは、心底面倒くさそうな声だった。
「えっ、どうしよ……」
フェブは、今にも泣き出しそうだ。この天才情報屋も、物理的な暴力の前では、ただの無力な引きこもりでしかない。
「うーん……」
ルシアンは動揺するフェブの顔を眺め、天井を仰ぎ、そして、しばらく何かを考え込んだ後、ついに、諦めたように、大きなため息をついた。
そして、その金色の瞳が、部屋の隅で静かに佇んでいた、俺を捉えた。
主人は心底嫌そうな顔をしている。
「リオン」
主人が、俺の名前を呼ぶ。
その声に、フェブも、はっとしたように、俺の方を見た。
ルシアンは、俺の目をまっすぐに見つめていた。その瞳に、いつものような遊びの色はない。
彼が口にしたのは、問いかけの形をした、絶対的な命令だった。
「お前、行ってきてくれる?」
俺は、その金色の瞳をまっすぐに見返し、短く、しかしはっきりと答えた。
「……分かった」
その返事に、ルシアンは満足げに頷いた。隣では、フェブが安堵と期待が入り混じった顔で、俺を見つめている。
ルシアンは、すぐに指揮官の顔に戻った。
「部下ちょっとだけなら連れてっていいよ。何人必要?」
俺は、この屋敷にいる彼の部下たちの顔を思い浮かべた。ルシアン個人への忠誠心は厚いだろうが、いざという時の動きは素人同然だ。
潜入任務において、練度の低い兵士は、いない方がいい。
「ノマを連れて帰ってくるだけか?」
「そうだね。余計なことはしなくていいよ。怪我なんかしてこないでね」
ルシアンが、真面目な声で言う。
「なら、部下はいらねぇ」
「いらない?」
「足手まといだ。邪魔になる」
さっきの、フェブがハッキングした通話内容を思い出す。敵は狼狽していたが、ノマの声は聞こえなかった。ルシアンが推測したとおり、見つかってからどこかに隠れているのだろう。動けないほどの重傷ではないはずだ。
自力で歩けるのなら、俺一人で十分だった。
「乗りもん貸せ。地味なやつ……あるか? エンジン音がうるせぇ派手なやつは止めろ」
「ああ。あるよ! すっごく地味な国産セダンが」
ルシアンは、すぐに了承した。
その時、ずっと黙って俺たちのやり取りを見ていたフェブが、勢いよく口を挟んできた。
「俺がナビゲートするよ!」
「……ナビゲート?」
「そう。ノマまでの最短ルートの道案内と、あと、何か電子ロックとかがあっても、俺が遠隔で開けるから!」
その申し出は、非常に有益だった。ハッキングは、俺の専門分野ではない。
「……そうか。頼む」
俺がそう言うと、フェブは力強くうなずいた。
こうして、奇妙な奪還チームが結成された。
総指揮官は、屋敷から優雅に指示を出す、俺の主人。
ナビゲーター兼ハッカーは、自室のモニターの前から動かない、ノマの主人。
そして、ただ一人の実行部隊は、彼らの「犬」である、俺。
俺は、ルシアンから地味なセダンのキーを受け取ると、静かに、闇の中へと続くガレージへと向かった。
これもまた、主人が与えた、俺の「お仕事」だ。
完璧に、遂行するだけだ。
俺は、主人が「すっごく地味」だと太鼓判を押した国産セダンのハンドルを握り、深夜の闇へと滑り出した。耳に装着したインカムが、かすかなノイズと共に起動する。これから、俺の聴覚は、二人の主人の声に支配される。
『リオン、聞こえるか。フェブに繋ぐ』
ルシアンの、指揮官としての静かな声。
『はーい! リオンサン、聞こえますかー? よろしくお願いしますね! じゃあ、行こっか!』
フェブの、遠足にでも行くかのような快活な声が続いた。
俺は無言でうなずき、アクセルを踏む。
ここから先、俺はただの実行部隊。彼らの手足であり、耳であり、目となるのだ。
『はい、次の角を右です!』
フェブの的確な指示が飛ぶ。俺は、言われた通りに、滑らかにハンドルを切った。
『あ、その角の隣のパン屋さんね、アップルパイが超美味しいの。マジおすすめ』
「……」
『あそこの、赤い看板!』
(赤い看板。目印か? 何かの符丁か?)
『あそこ冷凍食品がすごい安いんだよ! たい焼きとか肉まんとか充実しててね、すごい良い店なんだ。もうちょっと家から近かったらな…』
「……」
その無駄な情報に戦術的な意味を見出そうと、思考を巡らせた、その時。ルシアンの呆れたような声がインカムに割り込んできた。
『お前、ほんと甘いもん好きだね』
『えー? ルカも好きでしょ?』
『俺も好きだけど。でもお前、こないだ冷凍たい焼き食って、ノマに怒られたんでしょ』
ただの食い物の話だったらしい。俺は運転に集中しながら、内心で深く舌打ちをした。
『あ! あの黄色い屋根!』
(黄色い屋根。目印か?)
『こないだのルカのお土産、あのケーキ屋さんのじゃない? タルト美味かったな…』
心底腹が立つ。
『次の信号を左に曲がって、その先はもう倉庫街です! たまにあそこらへんにピザのキッチンカーが通るんだけど、一回食べてみたいなあ…』
『キッチンカーとか、お前無理じゃん。家から出ないんだから』
『うーん、それはそうなんだけどさぁ』
主人のどうでもいい会話と、ナビゲーターの食欲にまみれた独り言。その二つを、俺は強制的に聞かされながら、闇の中を走り続ける。
こんな状況で、よく今まで暗殺稼業などやってこれたものだ、あの男は。
やがてフェブの弾んだ声が、ようやく目的地を告げた。
『はい、ストップ! この先の、灯りが全部消えてるデカい工場! あそこがビンゴです!』
言われた通りに、車のライトを消して、手前の路地裏に音もなく停車させる。
『ついに到着です! 運転お疲れさまでした!』
俺は、シートベルトを外し、静かに、そして深く、息を吐き出した。
※以前、第1話として公開していた『アドレナリン』が長すぎたため、4分割しました。
続けて2~4をお楽しみください!
――――――――――――
次話
『アドレナリン2 ハッピーヒロイン』
1
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