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プロローグ 鎖の記憶とお料理教室
しおりを挟むかすかな物音に目を開ける。
真っ暗だ。だが音がする。自分以外の立てた音。
カンカンカン、と音がする。ハシゴか階段を下りる音。
身体を起こすと、ジャラ、と鎖が音を立てる。
ドアが開く音。かすかに光が入る。ようやく世界の輪郭を見た。
パチン、とスイッチが入る音。
明かりがついた。
眩しくて怯む。暗闇に慣らされた目には、痛いほどの光量。だが俺はそれを堪えて、視線をそちらへと向けた。
「ああ、起きて待ってたの?」
金色の眼。
嬉しそうに、にこりと、笑う。
「えらいね! リオン」
それは俺が憎むべき男。
だが今は、この機嫌の良い笑顔だけが、俺の命綱だった。
※※※※※※
ルシアンが突然「お腹すいたなー」と子供のようにつぶやいた。
時計を見ると昼下がりだ。
飯時か。
この屋敷の唯一と言っても良い美点が、シェフの作る飯が美味いことだ。
(今日の昼飯はなんだろう)
ぼんやりそんなことを考えていると、ルシアンは「あ、そうだ!」と言うなり、いきなり俺の手を引っ張った。
「ねぇリオン! 俺、今すっごいオムライスが食べたい気分!」
「……へぇ」
(なら、今日の昼飯はオムライスか)
「だから、リオンに俺の好きなオムライスの作り方を、特別に教えてあげるね!」
「……はあ?」
なぜ教わらなければならないのか。
しかしこの主人の論理が飛躍するのはいつものことだ。有無を言わさずルシアンの自室に備え付けのキッチンまで連れて行かれる。
「エプロンはー、はい! 俺の貸したげる!」
拒否権もない。無意味にタッパのデカい主人の、サイズの合わないエプロンを着せ付けられた俺を見て、ルシアンは愉快そうに笑う。
「リオンはちっちゃくてかわいいねぇ」
完全に嫌味だが。これは彼の悪意のない単純な本心なのだと、俺はとっくに理解させられていた。
「でも動きにくそう。今度、お前のエプロンも買ったげるね。かわいいやつ」
「……いらねぇだろ。俺は料理人じゃない」
「いるよ。俺はお前と一緒にお料理したいからね!」
一緒に料理する気だったのか。
そう宣言した割に、ルシアンはエプロンも何もしていない。てろりとたるんだ、品よく光を照り返す、高級そうなシャツのままだ。
「……お前は? エプロン」
「え? 俺はいいよ、面倒くさい。部屋着だし」
じゃあなぜ俺はエプロンを着せられているんだ。俺のは部屋着じゃないのか? これ。
朝、主人が選んで、着せ付けられたままの服。その値段を想像しそうになって、俺はそれ以上考えるのをやめた。
「じゃあまず、玉ねぎのみじん切りね!」
オムライスの最初の工程。玉ねぎのみじん切りだ。
俺は、銃を分解する時と同じ精密さで包丁を握りしめた。だが、相手は無機質な鋼ではなく、転がりやすく、目に染みる厄介な野菜だ。俺の悪戦苦闘が始まった。
「あはは、可愛いねぇ。玉ねぎ苦手?」
(得意なやついねぇだろ、こんなもん)
無視して作業を続けるが、大きさはバラバラ、まな板の上から転がり落ち、しまいには涙まで滲んでくる始末。
「あー、もう、見てて危なっかしいなぁ。指、切らないでよ? 綺麗な手なんだから。気を付けてね」
もはや限界だった俺が包丁を置くと、彼は待ってましたとばかりに、上機嫌で俺の後ろに立った。
「しょうがないなぁ。貸してごらん」
彼はそう言うと、俺を背後から抱きしめるようにして、包丁を持つ俺の手に、自分の手を優しく重ねた。
「力、抜いて。手首のスナップをこうやって…ね?」
耳元で囁かれる甘い声。背中に感じる胸板の感触。首筋にかかる、温かい吐息。これはもはや指導ではなく、ただの愛撫だ。
その仕事の邪魔でしかない愛撫に、苛立ちを覚えながらも、俺は黙々と作業を続けた。
「ほら、もうちょっとだよ。頑張って?」
ルシアンは俺の苛立ちを全て分かっていながら、楽しそうに身体を擦り寄せてくる。その動きに、自然と擦り寄ろうとする自分の身体の反応が、また腹立たしい。
結局、チキンライス作りから、クライマックスである卵を焼く工程まで、その倒錯したレッスンは続いた。
ようやく完成したオムライスは、ほとんどルシアンが作ったと言っても過言ではない代物だった。
俺は、自分が作ったという実感の全くないその皿を、彼の前に置く。
「うんうん、上手にできたね! じゃあ、最後の仕上げ!」
ルシアンはケチャップを手に取った。そして俺の分が乗った皿に、可愛らしい文字で「RION」と書くと、おまけに大きなハートマークで囲う。
「次はリオンの番だよ!」
赤いボトルを手渡してくる、その無邪気な期待に満ちた顔。
「俺のにはハート描いて! 真っ赤なおっきなやつ。俺ケチャップ好きだから!」
リクエストが単純なのがせめてもの救いだった。
俺は覚悟を決めて、そのツヤツヤと輝く黄色の卵に、ぎこちなくハートを描いた。
「おいしいねぇ! お前と一緒に作ったから、いつものより美味しい!」
主人は嬉しそうにオムライスを頬張っている。それを作ったのはほとんどお前だ。
(幸せが手軽でいいな、こいつは)
そう思いながら、俺も自分の分を一口食べる。悔しいかな、主人作のオムライスは味が良かった。
「フェブも好きなんだよねぇ。このオムライス。昔よく作ってやったなあ」
「…へぇ」
「ノマのやつはね、甘いもののが好きなんだろうな、アイツは。パンケーキとかそういうのが好きみたい」
「…そう」
彼の友人のどうでもいい情報を聞き流しながら、卵に描かれた自分の名前を取り崩していく。
自分の名前。この名前も、もうすっかり「自分」として、馴染んでしまった。
ふと、主人の顔を見る。
金色の眼。
あの頃と同じ、機嫌の良い笑顔で、彼はにこりと俺に笑いかけた。
「そうだ! 今度はリオンに、パンケーキの作り方教えてあげるね」
「……」
なぜ俺がお前の友人の好物の作り方を教わらなければならないんだ?
思いながらも、声には出さず、俺は黙々と美味いオムライスを腹に収めた。
この、彼の友人たちが起こした騒動に、がっつりと巻き込まれることになるとは。
この時の俺は想像もしていなかった。
―――――――
その日の夕方、ノマは、いつものように淡々と「仕事」の準備をしていた。独り言のように、小さくぼやく。
「最近、なんか、多いなぁ」
その珍しい弱音のような声に、フェブは画面から顔を上げた。
「なに?」
「仕事。昨日の夜も、一昨日の夜も、殺しに出た気がする」
「ああ……」
フェブも、確かにそんな気がした。彼はよく昼夜逆転生活をしているので、ノマがどのくらいの頻度で「仕事」に出ているか、あまり正確には把握していない。
「減らす?」
「うーん、いや、これは、趣味だから……」
ノマは、少しだけ考えてから言った。
「でも、今日のが終わったら、ちょっと休みにするかな」
「いいんじゃない? お前どうせお金は余ってんだし」
「うん」
ノマは、コンパクトな医療バッグと、その中に隠した「仕事道具」を手に、立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
フェブはいつも通り、ひらひらと手を振った。
―――――――
第1話
『アドレナリン1 殺人鬼家出騒動と強制ご機嫌カーナビゲーション』
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