【マフィア×元軍人】 狂犬を躾けたら、ピカピカの可愛い「愛犬」になったでしょ?

あすぱら

文字の大きさ
34 / 57

許婚5 天秤

しおりを挟む

 セラフィナが屋敷を訪れるようになって、何度目かのことだった。
 その日も俺は、ルシアンと彼女が交わす腹の探り合いのような会話を、紅茶と茶菓子を用意しながら、ただ無心で聞いていた。
 やがてルシアンが「あ、ちょっとトイレ」と何の気なしに席を立った。
 書斎には、俺と、セラフィナ。二人だけが取り残される。
(……嫌だな)
 この女は主人が席を外す、ほんのわずかな隙を、決して見逃さない。
 案の定。彼女はそれまで座っていたソファから静かに立ち上がると、俺の前へと歩み寄ってきた。
 紫水晶のような瞳が、俺をまっすぐに、射抜く。
「リオンさん。単刀直入に、伺いますわ」
 その声は、低く、どこまでも真剣だった。
「あなたが本当に欲しいものは何?」
 欲しいもの?
 早く帰ってほしい。心底。
 ……俺が、本当に、欲しいもの?
 ぶっきらぼうに「別にない」と答えれば、彼女はさらに食い下がってくるだろう。
 この厄介な質問をどうやって終わらせるか。
(面倒だ……)
 俺は、かつて誰かの秘書を演じた時に叩き込まれた、処世術を思い出した。
 最も当たり障りのない完璧な答え。
 俺は顔の筋肉を意識して動かし、完璧な、ビジネス用の、「にっこり」とした笑みを作ってみせた。
 そして完璧に訓練された丁寧な口調で、答える。
「セラフィナ様。お気持ちだけで、充分にございます」
 ​俺のその返事を聞いて。
 セラフィナは、なぜか、息を呑んで、固まっていた。
 その、いつもは氷のように冷たいはずの頬が、ほんのりと、赤く染まっている。
 その、紫の瞳が、驚きと、そして、俺には理解できない、何か、熱っぽい光をたたえて、揺れていた。
(なんだ、こいつ?)
 俺は彼女のその奇妙な反応に、内心いぶかしんでいた。
 そんなことは、露ほども知らないまま。
 ​ルシアンが鼻歌まじりで、のんきに書斎へと戻ってきた。
「ただいまー。あれ? セラ、まだいたの?」
 セラフィナは、はっとしたように、慌てて俺から視線をそらした。
「え、ええ。そろそろ、失礼いたしますわ」
 その声はいつもより、ほんの少しだけ、上ずっていた。
 ​彼女は何かぶつぶつとつぶやきながら、足早に、部屋を出ていく。
 ルシアンは、そのいつもと違う彼女の様子を、不思議そうに見送っていた。
「なんだろ、あいつ。変な顔して」
 ​俺は何も答えなかった。
 ただ、面倒な女がようやく帰ったことに、安堵の息をそっと漏らしただけだった。



 あの日、リオンが、セラフィナの命を救ってから。
 屋敷には奇妙な変化が起きていた。
 セラがやけに頻繁に、俺との「契約の話し合い」という、クソつまらない口実で、この屋敷を訪れるようになったのだ。
 ​そしてそのたびに、彼女は、俺の犬に、何かを贈ろうとする。
「リオンさん。先日こんなものを手に入れたのですけれど。私では持て余してしまいますので、専門家であるあなたにもらっていただけると嬉しいわ」
 そう言って彼女が差し出したのは、どこかの紛争地帯でしか手に入らないような、希少な軍事戦術の専門書だった。
 だがリオンは、一瞥しただけで、完璧な所作で首を横に振る。
「……私には、もったいないものです。お気持ちだけいただきます、セラフィナ様」
 ​またある時には、精巧な作りのカスタムナイフを。
 またある時には、あいつが時々飲むコーヒー豆の最高級品を。
 その全てを、俺の犬は、表情一つ変えずに、丁重に、しかし、きっぱりと断り続けた。
「お気持ちだけで、充分でございます。セラフィナ様」
 ​俺はその光景を最高のエンタメとして楽しんでいた。
(あはは、見てよ、これ。面白いなぁ。俺の犬に、あのプライドの高いセラが、意地になってる)
 俺の完璧な犬は、こんなにも魅力的で、他の女まで虜にしてしまう。その事実に、俺は誇らしい気持ちにすらなっていた。
 ​だがその光景が、あまりにも何度も繰り返されるうちに。
 ​俺は、見てしまったのだ。
 セラフィナが、リオンを見つめる時。
 その、ただの興味ではない、本物の、熱を帯びた「女」の視線を。
(……なんだ。こいつの、この目)
(こいつ。本気で、俺のものを、自分のものにしたいって思ってるのか?)
 俺の犬。
 俺が拾って。俺が躾けて。俺が、俺だけが、こいつの価値を、その魂のありかを知っている。
 こいつの、あの、可愛い鳴き声も、無防備な姿も、俺だけが知っている。
 ​それをなんだ? この女は。
 横からぽっと出てきて。勝手に値段をつけて。自分のものにできるとでも思っているのか?
 俺の犬の、飼い主は、自分こそがふさわしいとでも?
「……リオンー」
 呼ばれて、俺の犬が顔を上げる。そばまで寄ってくる。真っすぐに俺を見つめる、その瞳。
「なんだ」
 俺は笑って、その頭を撫でてやる。
「なんでもない!」
 それは明確な、苛立ちだった。



 その日。
 セラフィナはルシアンに対して、ただ二人きりでの、公式な会談を申し入れた。
 場所はルシアンの屋敷の重厚な書斎。
 リオンは、主人とセラフィナの命令通り、その会談の場に影のように控えていた。
 セラフィナは護衛も連れず、ただ一人。完璧なスーツに身を包み、ルシアンの正面のソファに、深く腰掛けていた。
 その顔にはもはや、リオンへの個人的な興味や、ルシアンへの苛立ちといった、感情の色は一切ない。
 そこにあるのは、巨大な組織を率いる、冷徹な女王の顔だけだった。

 彼女は挨拶もそこそこに、一枚のデータディスクを、テーブルの上に滑らせた。
「まずは私からの、誠意よ」
 ルシアンがそのディスクをタブレットで確認すると、その金色の瞳がわずかに見開かれた。
「へえ?」
 中に入っていたのは、彼の一族が長年、喉から手が出るほど欲しがっていた、いくつかの重要な利権の、無条件での譲渡契約書だった。
「大盤振る舞いじゃん、セラ。で? 見返りは?」
 ルシアンはその破格の条件にも動じることなく、楽しそうに尋ねた。
 セラフィナはその紫水晶のような瞳で、ルシアンを、そして、その後ろに控えるリオンを、まっすぐに、射抜いた。
 彼女はたった一つだけ、その見返りを、口にした。
「―――私に、リオンをください」
 ​しん、と、部屋の空気が凍りついた。
 ルシアンの顔から、すっと、全ての笑みが消え失せた。
 ​セラフィナはその反応を意にも介さず、静かに言葉を続ける。
「あなたがその条件を飲めないというのなら、結構。その代わり明日から、私の一族は、あなたの組織の敵になる」
 セラフィナがゆるく足を組む。
「どちらがあなたにとって、得な話かしら? よく考えてね、ルカ」
 ​それは、あまりにも傲慢で、そして、絶対的な、最後通牒だった。
 彼女はリオンを手に入れるためなら、裏社会全体を巻き込む全面戦争すら、辞さない覚悟。
 その狂気にも似た、真剣な「求愛」を前に、ルシアンは生まれて初めて、言葉を失っていた。
 ​彼の、最も大切な「所有物」を、手放すか。
 あるいは、自らが築き上げた、完璧な「遊び場」を、血の海に沈めるか。
 ​ルシアンは生まれて初めて、自分の「所有物」を巡って、他者から、絶対的な選択を突きつけられた。
 その金色の瞳。
 それは、自らの王国と、唯一つの宝物を、勝手に天秤にかけられた、王の、冷たい眼だった。



■あとがき■
ルシアンはいつもゴキゲン。めったなことではイライラしないのだけども……


読んでいただきありがとうございました!

※次回更新予定は1/3(土) 20:00 です。
えっ、もう正月三が日が終わるというのですか…?



―――――次回予告―――――

やがて、長い、長い沈黙を破り、ルシアンが口を開いた。
「リオン、おいで」
その声は驚くほど優しかった。


第32話『許婚6 レディに対する言葉遣い』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仕方なく配信してただけなのに恋人にお仕置される話

カイン
BL
ドSなお仕置をされる配信者のお話

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

処理中です...