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朝の日常
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『甘いもの』
「しょっぱいクレープが食べてみたい」と言う主人のために、今朝はおかずとレタスをクレープ生地で巻いた。
ウィンナーとスクランブルエッグ、チーズとハム、ツナとコーン。
(……うまいのか? コレ)
それから、予測できる主人のワガママに対応する、フルーツと生クリームを巻いたもの。
案の定ルシアンは「どっちも食べたい!」と言い、結果として俺とルシアンの朝食は、お互い、しょっぱい系と甘い系が半々になっていた。
「おいしー! 初めて食べたけど、これ美味しいね!」
「……そうか」
俺も初めて食べたが、思ったより美味かった。
しかし、満足そうに頬張る主人の向かいで、俺は微妙な気分だった。
(……しょっぱい)
いつからだっただろう。
朝、自分の皿に乗せられた甘ったるいパンケーキやフレンチトーストを、ただの「仕事」としてではなく、どこか当たり前のものとして受け入れている自分に気づいたのは。
最初は、主人の気まぐれに対応するための、ただの余り物処理だったはずだ。だが、毎日それを食べ続けるうちに、俺の舌は、その子供じみた甘さに慣らされてしまったらしい。
適応能力が馬鹿みたいに高い。それは軍人としては確かに美点だった。
だが、犬としては、ただ主人好みに作り変えられていくだけの、悲しい習性でしかなかった。
その夜、ベッドの中で、ルシアンはじゃれる子猫のように、俺の汗がにじんだ首筋をぺろりと舐めた。
楽しそうに、くすくすと笑う。
「んー、しょっぱいね」
彼は、俺の身体に腕を回して抱きしめながら、不思議そうに言った。
「いつもあんなに甘そうな朝ごはん食べてるのに。おやつもごはんも、ぜーんぶ甘いものにしたら、お前も甘くなるかな?」
そのあまりにも馬鹿げた発想に、俺は呆れて言い返す。
「なるわけねぇだろ」
「えー、そうかなぁ?」
ルシアンは、俺の素っ気ない返答にも気を悪くするどころか、さらに楽しそうに言葉を続けた。
「でも、朝のパンケーキの匂いがするお前も好きだよ。キッチンに行くと、バターとシロップの甘い匂いがしてきてさ。すっごい、おいしそうだよね」
彼は、まるでその光景を思い出すかのように、俺の髪や肌の匂いを、くんくんと深く吸い込んだ。
そして、最高のアイデアを思いついたとでも言うように、その金色の瞳を輝かせる。
「そうだ! 今度そういう香りの香水、買ってこようか。バニラとか、メープルシロップとか!」
その声は、心底わくわくしていた。
「ショートケーキみたいな味のお前を、丸ごとぜんぶ、食べてみたいなあ」
俺は、その言葉に、もはや反論する気力も失せた。
この男の前では、俺は、彼が好きなように味付けして、飾り付けして、そして最後には食べてしまう、ただの「お菓子」なのだ。
俺は観念して大きくため息をついた。
「……好きにしろよ」
その完全な服従の言葉に、ルシアンは「やったぁ!」と子供のように喜んだ。
そして、俺の身体に顔を埋めると、名残惜しそうに、しかしどこか満足げに囁いた。
「じゃあ、まずは今日のところは、このしょっぱいお前から、よーく味見しなくっちゃね」
その言葉を合図に、彼の唇と舌が、俺の肌を再びゆっくりと侵食し始める。
「一番おいしいところはどこかなぁ?」
俺は、その愛撫を受けながら。
いつか自分の身体が本当にショートケーキのような、甘い匂いと味になってしまうのかもしれない、という馬鹿げた、しかし抗いがたい予感に、身を震わせた。
『忙しい朝』
朝。いつものとおりにシャワーを浴び、バスローブ姿で部屋に戻る。
寝室の主はすでに起きていた。しかし、その様子はいつもと違っていた。
彼はドレッサーの前ではなく、部屋の一角にある重厚な書斎机に向かい、難しい顔で何かの書類にペンを走らせている。俺が戻ってきたことに、気づいているのかいないのか。
いつもなら、ここから彼による髪を乾かす作業が始まるはずだった。
俺は、どうしていいかわからず、その場で立ち尽くす。濡れた髪から、ぽたぽたと冷たい水滴が床の絨毯に落ちて、小さな染みを作っていった。
しびれを切らした俺は、思わず声をかけた。
「おい、髪は?」
それは、日課の催促だった。俺の口から、そんな言葉が出たことに、自分でも少し驚いた。
ルシアンは、その声にようやく顔を上げたが、その表情は険しいままだ。
「え? ああ、悪い。自分でやって。今日だけ!」
その素っ気ない返事に、俺は面食らう。
「……ああ」
俺はそれだけを答え、釈然としない気持ちを抱えたまま、鏡の前でドライヤーを手に取った。
自分で髪を乾かしながら、俺は先ほどの自分の態度を思い返していた。
いつの間にか、あの男に犬のように髪をいじられることが、俺の日常の、当たり前になっていたのだ。その事実に、小さく舌打ちした。
身支度を終えてメインのベッドスペースに戻ると、ちょうどルシアンが慌ただしく書類をカバンに詰め終え、部屋の出口となるドアに向かっているところだった。
「あ、リオン。ごめん、俺、ちょっと出てくる! 昼には戻るからね!」
「え、朝飯は?」
それは俺の仕事のはずだった。
「外で適当に食べる! じゃあ行ってくるから」
彼はそう言うと、俺の返事も待たずに、ドアノブに手をかけた。
いつもと違う慌ただしい背中を見送りながら、俺の口から、無意識に、いつもの彼の催促がこぼれ落ちた。
「いってらっしゃいのキスは……?」
今日はこの仕事も不要なのか?
言ってから、はっとした。
しまった。俺がそんなことを気にする必要はなかったのに。まるで催促したかのようだ。
その言葉に、ドアを開けようとしていたルシアンの動きが、ぴたりと止まった。
彼が、ゆっくりと振り返る。
その顔は、最初は驚きに目を見開き、そしてすぐに、全てをとろかすような喜びに満ちていった。
「もー! なんなの!」
彼は、開けかけたドアを勢いよく閉めると、駆け足で俺の元に戻ってきた。
「お前、ほんっとうに、かわいいな!」
彼は俺の顔を両手で包み込むと、柔らかく深く、キスをした。
歯列が割られ、舌が絡まり、渡された唾液を、飲み込む。
彼のキスは、いつも、甘い味がする。
唇が離れた後、ルシアンは「あーもう、最高! よし、仕事ちょー頑張ってくる!」と、先ほどとは打って変わって上機嫌で、今度こそ本当に部屋を出ていった。
一人、広大な寝室に残された俺は、まだ唇に残る熱い感触に戸惑いながら、自分が完全に、この男の気まぐれなペースに呑み込まれていることを、改めて思い知らされた。
■あとがき■
リオンは毎日毎朝のルーティンが決まっていないと落ち着かないタイプ。軍隊生活の名残り。
読んでいただきありがとうございました!
※次回更新予定は1/7(水) 20:00 です。
ついに積雪…。諦めて雪かきしてきます…。
―――――次回予告―――――
「……ちょっと、リオン。来て」
その声は、俺が今まで聞いたこともないほど固く、緊張していた。
「2号が、変だ」
第36話『2号の病気』
「しょっぱいクレープが食べてみたい」と言う主人のために、今朝はおかずとレタスをクレープ生地で巻いた。
ウィンナーとスクランブルエッグ、チーズとハム、ツナとコーン。
(……うまいのか? コレ)
それから、予測できる主人のワガママに対応する、フルーツと生クリームを巻いたもの。
案の定ルシアンは「どっちも食べたい!」と言い、結果として俺とルシアンの朝食は、お互い、しょっぱい系と甘い系が半々になっていた。
「おいしー! 初めて食べたけど、これ美味しいね!」
「……そうか」
俺も初めて食べたが、思ったより美味かった。
しかし、満足そうに頬張る主人の向かいで、俺は微妙な気分だった。
(……しょっぱい)
いつからだっただろう。
朝、自分の皿に乗せられた甘ったるいパンケーキやフレンチトーストを、ただの「仕事」としてではなく、どこか当たり前のものとして受け入れている自分に気づいたのは。
最初は、主人の気まぐれに対応するための、ただの余り物処理だったはずだ。だが、毎日それを食べ続けるうちに、俺の舌は、その子供じみた甘さに慣らされてしまったらしい。
適応能力が馬鹿みたいに高い。それは軍人としては確かに美点だった。
だが、犬としては、ただ主人好みに作り変えられていくだけの、悲しい習性でしかなかった。
その夜、ベッドの中で、ルシアンはじゃれる子猫のように、俺の汗がにじんだ首筋をぺろりと舐めた。
楽しそうに、くすくすと笑う。
「んー、しょっぱいね」
彼は、俺の身体に腕を回して抱きしめながら、不思議そうに言った。
「いつもあんなに甘そうな朝ごはん食べてるのに。おやつもごはんも、ぜーんぶ甘いものにしたら、お前も甘くなるかな?」
そのあまりにも馬鹿げた発想に、俺は呆れて言い返す。
「なるわけねぇだろ」
「えー、そうかなぁ?」
ルシアンは、俺の素っ気ない返答にも気を悪くするどころか、さらに楽しそうに言葉を続けた。
「でも、朝のパンケーキの匂いがするお前も好きだよ。キッチンに行くと、バターとシロップの甘い匂いがしてきてさ。すっごい、おいしそうだよね」
彼は、まるでその光景を思い出すかのように、俺の髪や肌の匂いを、くんくんと深く吸い込んだ。
そして、最高のアイデアを思いついたとでも言うように、その金色の瞳を輝かせる。
「そうだ! 今度そういう香りの香水、買ってこようか。バニラとか、メープルシロップとか!」
その声は、心底わくわくしていた。
「ショートケーキみたいな味のお前を、丸ごとぜんぶ、食べてみたいなあ」
俺は、その言葉に、もはや反論する気力も失せた。
この男の前では、俺は、彼が好きなように味付けして、飾り付けして、そして最後には食べてしまう、ただの「お菓子」なのだ。
俺は観念して大きくため息をついた。
「……好きにしろよ」
その完全な服従の言葉に、ルシアンは「やったぁ!」と子供のように喜んだ。
そして、俺の身体に顔を埋めると、名残惜しそうに、しかしどこか満足げに囁いた。
「じゃあ、まずは今日のところは、このしょっぱいお前から、よーく味見しなくっちゃね」
その言葉を合図に、彼の唇と舌が、俺の肌を再びゆっくりと侵食し始める。
「一番おいしいところはどこかなぁ?」
俺は、その愛撫を受けながら。
いつか自分の身体が本当にショートケーキのような、甘い匂いと味になってしまうのかもしれない、という馬鹿げた、しかし抗いがたい予感に、身を震わせた。
『忙しい朝』
朝。いつものとおりにシャワーを浴び、バスローブ姿で部屋に戻る。
寝室の主はすでに起きていた。しかし、その様子はいつもと違っていた。
彼はドレッサーの前ではなく、部屋の一角にある重厚な書斎机に向かい、難しい顔で何かの書類にペンを走らせている。俺が戻ってきたことに、気づいているのかいないのか。
いつもなら、ここから彼による髪を乾かす作業が始まるはずだった。
俺は、どうしていいかわからず、その場で立ち尽くす。濡れた髪から、ぽたぽたと冷たい水滴が床の絨毯に落ちて、小さな染みを作っていった。
しびれを切らした俺は、思わず声をかけた。
「おい、髪は?」
それは、日課の催促だった。俺の口から、そんな言葉が出たことに、自分でも少し驚いた。
ルシアンは、その声にようやく顔を上げたが、その表情は険しいままだ。
「え? ああ、悪い。自分でやって。今日だけ!」
その素っ気ない返事に、俺は面食らう。
「……ああ」
俺はそれだけを答え、釈然としない気持ちを抱えたまま、鏡の前でドライヤーを手に取った。
自分で髪を乾かしながら、俺は先ほどの自分の態度を思い返していた。
いつの間にか、あの男に犬のように髪をいじられることが、俺の日常の、当たり前になっていたのだ。その事実に、小さく舌打ちした。
身支度を終えてメインのベッドスペースに戻ると、ちょうどルシアンが慌ただしく書類をカバンに詰め終え、部屋の出口となるドアに向かっているところだった。
「あ、リオン。ごめん、俺、ちょっと出てくる! 昼には戻るからね!」
「え、朝飯は?」
それは俺の仕事のはずだった。
「外で適当に食べる! じゃあ行ってくるから」
彼はそう言うと、俺の返事も待たずに、ドアノブに手をかけた。
いつもと違う慌ただしい背中を見送りながら、俺の口から、無意識に、いつもの彼の催促がこぼれ落ちた。
「いってらっしゃいのキスは……?」
今日はこの仕事も不要なのか?
言ってから、はっとした。
しまった。俺がそんなことを気にする必要はなかったのに。まるで催促したかのようだ。
その言葉に、ドアを開けようとしていたルシアンの動きが、ぴたりと止まった。
彼が、ゆっくりと振り返る。
その顔は、最初は驚きに目を見開き、そしてすぐに、全てをとろかすような喜びに満ちていった。
「もー! なんなの!」
彼は、開けかけたドアを勢いよく閉めると、駆け足で俺の元に戻ってきた。
「お前、ほんっとうに、かわいいな!」
彼は俺の顔を両手で包み込むと、柔らかく深く、キスをした。
歯列が割られ、舌が絡まり、渡された唾液を、飲み込む。
彼のキスは、いつも、甘い味がする。
唇が離れた後、ルシアンは「あーもう、最高! よし、仕事ちょー頑張ってくる!」と、先ほどとは打って変わって上機嫌で、今度こそ本当に部屋を出ていった。
一人、広大な寝室に残された俺は、まだ唇に残る熱い感触に戸惑いながら、自分が完全に、この男の気まぐれなペースに呑み込まれていることを、改めて思い知らされた。
■あとがき■
リオンは毎日毎朝のルーティンが決まっていないと落ち着かないタイプ。軍隊生活の名残り。
読んでいただきありがとうございました!
※次回更新予定は1/7(水) 20:00 です。
ついに積雪…。諦めて雪かきしてきます…。
―――――次回予告―――――
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その声は、俺が今まで聞いたこともないほど固く、緊張していた。
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