【マフィア×元軍人】 狂犬を躾けたら、ピカピカの可愛い「愛犬」になったでしょ?

あすぱら

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2号の病気

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 ​
 ​その日の朝、事件は起こった。
 いつものようにリビングの金魚鉢に上機嫌で「おはよう」と声をかけていたルシアンが、突然その動きをぴたりと止めたのだ。
​「……ちょっと、リオン。来て」
 その声は、俺が今まで聞いたこともないほど固く、緊張していた。
「2号が、変だ」
 ​俺はすぐに彼のもとへと駆け寄った。
 そして金魚鉢の中を覗き込み、息を呑む。
 いつもは優雅にひらひらと水中を舞っているはずのリオン2号が、水底でほとんど動かずじっと沈んでいたのだ。
 その赤い鱗には、ぽつりぽつりと白い点がいくつか浮き出ている。そんなものは無かったはずだ。
​「なにこれ、どうしよ、どうしよう!? えっ、なに、病気!? 死ぬの!?」
 主人は本気で狼狽していた。その金色の瞳が、子供のように不安に揺れている。
 俺もまた内心ひどく狼狽していた。
 俺の小さな「親友」が、今まさに、死にかけている。
 だが俺は顔には一切出さなかった。俺の「仕事」はまず、このパニックに陥っている主人の手綱を取ることだ。
 ​俺は努めて冷静な声を出した。
「……ノマを、呼べ」
 医者だ。何か分かるかもしれない。
 ルシアンは震える手でスマートフォンを操作し、ノマに通信を繋いだ。
​『もしもし?』
「もしもし! 助けてノマ! 死にそう!」
『え? なに、誰が?』
「2号!」
『ニゴウって誰?』
 通信の向こう側で、フェブののんきな声がする。
『ルカの飼ってるお魚ちゃんだよ。赤い金魚ちゃん』
『魚? 魚は俺分かんないぞ。っていうか金魚って医者にかかんのか? そういうのってペットショップで聞くんじゃない?』
「分かんねぇのかよ! 役立たず!」
 ルシアンは悪態をついて、一方的に通信を切ってしまった。
 しかし、ノマは良いことを言った。
 ペットショップ。
「買った店に行くぞ。症状の写真を撮れ」
 ​俺たちはルシアンが撮った2号の写真を手に、あのペットショップへと車を飛ばした。


 店員は写真を見るなり「ああ、白点病ですね。よくある病気ですよ」と落ち着いた様子で、薬と治療法を俺たちに教えてくれた。
 ​屋敷に戻り、俺たちはすぐに2号の「薬浴」を開始した。
 別の小さな水槽に薬を溶かし、2号をそっと移す。
 その夜、俺とルシアンは二人とも一睡もしなかった。
 交代でその小さな「集中治療室」を見守り、2号の様子をただじっと観察し続けた。
 そこには主人も犬もなかった。
 ただ、小さな命の火が消えぬようにと祈る、二人の男が、いるだけだった。


 ​翌朝。
 俺たちがほとんど諦めかけていたその時、水槽の底でじっとしていた2号の尾びれが、ぴくりと動いた。
 そしてゆっくりと、しかし確かに、水中へと泳ぎ出したのだ。身体についていた白い点も、心なしか薄くなっている。
「……動いた…」
 ルシアンのかすれた声。
 その声には心の底からの安堵が滲んでいた。
 俺もまた、全身から力が抜けていくのを感じていた。


 数日後。
 2号はすっかり元気を取り戻し、元の金魚鉢の中で以前よりも生き生きと泳ぎ回っていた。
 ルシアンは、その姿を本当に嬉しそうに眺めている。
 俺もその光景に、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「……よかったな、2号」
 俺がぽつりとそう呟くと、隣にいたルシアンが俺の顔をじっと見ていた。
 彼は満足げに、そしてどこか優しく微笑んだ。

 その笑顔は、俺が今まで見た彼のどの笑顔よりも、穏やかで。
 どの笑顔より、人間らしいものだったかもしれない。



『店員より』

 うちの店は客層が良いことで、少しは知られている。
 それなりのお値段の血統書付きの犬や猫を扱うから、当然お客様も富裕層の方がほとんどだ。
 子供にせがまれて子犬を買っていく、人の良さそうなご夫婦。
 一人暮らしの寂しさを猫で埋めようとする、上品なご婦人。
 色々なお客様を見てきた。
 だが、あの二人組ほど奇妙で、そして印象に残るお客様は、後にも先にもいないだろう。
 ​初めて彼らが来た日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
 一人は、この世の光を全て集めたかのようにきらきらと輝く、金色の髪と瞳を持った、ひどく美しい青年。
 そしてもう一人は、その背後に影のように静かに佇む、黒髪と黒い瞳の人形のように整った顔立ちの男の人。
 ​最初、金色の髪の青年は、ドーベルマンの子犬をいたく気に入ったようだった。
 だが、黒髪の男の人が「犬は、やめとけ」と、静かに一言だけ制したのだ。
 金色の髪の青年は、その言葉に一瞬すねたような顔をしたが、すぐに何かを納得したようにこう言ったのだ。
「そっかー、お前、嫉妬しちゃうのか! 可愛いなあ!」と。
(……嫉妬?)
 私は、そのあまりにも突飛な理由に耳を疑った。
 そして彼らが犬の代わりに購入していったのは、たった一匹のごく普通の琉金だった。
 そのあまりにも奇妙な買い物の理由。
 私はきっと、この金魚もすぐに飽きられて忘れられてしまうのだろうと、その時はそう思っていた。

 ​しかし、その予想は良い意味で完全に裏切られることになる。

 ​彼らはそれから月に一度は必ず、最高級の金魚の餌を買いに来るようになった。
 そしてそのたびに、金色の髪の青年――ルシアン様とお呼びするらしい――は、私に自分のスマートフォンの画面を、これでもかというほど見せてくるのだ。
「見てください、うちの2号です! 最近、また可愛くなったと思いません!?」
 画面いっぱいに表示されるのは、様々な角度から撮られたあの金魚の写真。写真、写真、写真。
 そのあまりの溺愛ぶりに、私はもはや愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
 だけど、その間。黒髪の男の人――リオン様と言うらしい――は、ただ黙って買い物かごを持っているだけ。
 そのお顔は、いつも無表情。
 お連れのルシアン様がとても感情豊かな分だけ、その目は冷めて、どこか呆れを含んでいるようにも見えた。
(……怖い方なのかな)
 私は、正直なところ、リオン様が少し、苦手だった。

 ​そして、あの日。
 彼らが閉店間際の店に、血相を変えて駆け込んできた。
「大変なんです! 2号が、病気に!」
 ルシアン様は青い顔で、そう叫んだ。
 私は、彼が見せる病気の2号の写真を見て、すぐに白点病だと判断した。
 私が薬とその治療法を説明している間、リオン様は、真剣な、そして恐ろしいほどの集中力で、私の一言一句に耳を傾けていた。

 数日後。
 彼らはまた二人で店にやってきた。
「治りました! あなたのおかげで、2号がすっかり元気になりました!」
 ルシアン様はそう言うと、また私に、今度は「元気になった2号」の写真を5分以上見せびらかしていった。
 その彼の隣で。
 リオン様がほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、その口元を緩めて微笑んだことに、私は気がついた。
(ああ。この人も、この金魚のことが、大切なんだ)

 彼らが帰った後。一人、店の中で思う。
 これまでたくさんの動物たちを、お客様の元へ送り出してきたけれど。
 あの一匹の小さな金魚ほど、風変わりで、そしてたぶん、世界で一番深く愛されている観賞魚は、他にいないだろう、と。



■あとがき■
他人から見ると、リオンはあまりに無表情でちょっと怖い。ルシアンは誰から見ても気ままな飽き性に見える。


読んでいただきありがとうございました!

※次回更新予定は1/8(木) 20:00 です。
冬は和菓子が美味しいですね!温かいお茶とどら焼き…

―――――次回予告―――――

​俺は自分のそのあまりにも場違いな思考に、ぞっとした。
何を考えているんだ、俺は。 
ついに頭がおかしくなったのか。

第37話『くしゃみ』
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