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2号の仲間
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朝食後。
俺はいつも通りテーブルの上を片付けていた。主人はもうソファに移動し、いつものようにテーブルに置かれた金魚鉢を指先でつついている。
2号との朝のご挨拶の時間らしい。
やがて彼は、何か深刻なことでも思い悩んだかのように、ふとこちらを振り返った。
「ねぇ、リオン」
「なんだ」
「2号ってさ、寂しくないかな?」
「……寂しい?」
俺は作業の手を止めた。
「2号が?」
「うん。だって、一匹だし」
俺はそのあまりにも見当違いな主人の心配に、内心呆れていた。
この屋敷の本当の主人はルシアンではない。この金魚鉢の中にいる、2号だ。
俺は何度も見てきた。
休憩中のメイドが彼に恋の悩みを打ち明けているのを。
コック長が新しいメニューのアイデアを彼に相談しているのを。
強面の庭師ですら、腰痛の愚痴を彼にこぼしているのを。
2号は誰が来ても分け隔てなく、ひらひらとそばに寄ってくる。そしてただじっと黙って、その黒い瞳で相手の顔を見つめ、話を聞いているのだ。
愛嬌がすごい。俺とは大違いだ。
この屋敷の誰からも愛されるアイドル。
そんな彼が。
「寂しいわけないだろ」
俺が事実を告げると、主人はまだ納得がいかないようだった。
「でもさあ。仲間とか、いたほうが、いいかなって。やっぱり」
「は?」
こいつは一体何を言っているんだ。
「俺とお前が、2号の仲間だろ?」
2号の家族は俺たちだ。
俺がそう言い放つと、主人は一瞬きょとんとした顔をした。
そして次の瞬間、腹を抱えて声を上げて、笑い出したのだ。
そのあまりにも愉快そうな笑い声。
「そっか! そうだね! 俺たちがいたね!」
彼は涙を拭いながら、金魚鉢の2号に話しかけている。
「だってさ。2号。お前は幸せなやつだねぇ」
俺はその主人の訳の分からない反応に首を傾げながらも、まあ納得したのならそれでいいかと、再び後片付けの作業に戻った。
その数時間後。
書斎で一人、書類の整理をしていた俺の頭に、ふとあの時の会話が蘇ってきた。
(……仲間が、いたほうが、いいかな)
金魚鉢の中の、仲間。
つまり、それは。
(……もう一匹、金魚を飼うか、という話だったのか……?)
その可能性に思い至った瞬間、俺の顔にカッと血が集まった。
俺は「俺とお前が、仲間だろ」などと、とんでもなく恥ずかしい勘違いを。あの男の前で。堂々と。
俺はあまりの羞恥に、誰に見られているわけでもないのに、思わずデスクの上に突っ伏した。
耳の奥で、あの時の主人のあまりにも楽しそうな笑い声が、響いている。
朝食後。
俺はソファでいつものように、テーブルに置かれた金魚鉢を、指先でつんつんとつついていた。
「にごうー。お前は可愛いねぇ。今日も良い色。ご飯ぜんぶ食べた?」
ガラスの向こうの水の中で、可愛い次男がひらひらと尾びれを振っている。
その姿を眺めているうちに、ふと一つの懸念が頭をよぎった。
金魚鉢の中にはいつも2号一匹だけ。
ペットショップの水槽では、もっとたくさんの仲間たちと一緒に泳いでいた。
俺は黙々と後片付けをしている、リオン1号に声をかけた。
「ねぇ、リオン」
「なんだ」
「2号ってさ、寂しくないかな?」
「……寂しい?」
あいつは作業の手を止めた。そして真剣な顔でこちらを見ている。
「2号が?」
「うん。だって、一匹だし」
俺のその保護者としてのもっともな悩みに、しかしリオンはなぜかきっぱりと首を横に振った。
「寂しいわけないだろ」
まあ、確かに。2号はお魚だ。一匹で寂しいなんて、そんな感情は持っていないのかもしれないけど。
「でもさあ。仲間とか、いたほうが、いいかなって。やっぱり」
「は?」
その瞬間、リオンの空気が変わった。
その黒い瞳に、わずかな、しかし明確な苛立ちの色が浮かんでいる。
(……え? なんで怒ってんの、こいつ)
そして彼は、俺の全く予想していなかった言葉を口にしたのだ。
「俺とお前が、2号の仲間だろ?」
俺は一瞬きょとんとしてしまった。
その言葉の意味が分からなかった。
俺と、お前が、仲間……? 2号の……? お魚さんの……?
そして、次の瞬間。
全てが理解できた。
「あははははははははは!」
俺はもうこらえきれなかった。腹を抱えてソファの上を転げ回る。
めちゃくちゃすれ違ってる!
こいつ、俺が、俺たちの『家族』の絆を疑ったみたいに思って、それで怒ってんの!?
(ああ、もう、馬鹿だなあ、可愛いなあ!)
「そっか! そうだね! 俺たちが、いたね!」
俺は涙を拭いながら、まだ少しだけ不満そうな顔をしているリオンにそう答えた。
そして金魚鉢の2号に話しかける。
「だってさ。2号。お前は幸せなやつだねぇ」
リオンは俺のその反応に首を傾げながらも、再び後片付けの作業に戻っていった。
俺は、その何も分かっていない犬の後ろ姿を眺めながら思う。
こいつ気づくかな。俺はただ、もう一匹くらい金魚を飼おうかって話をしていただけ、ってことに。
その時の、あいつの顔。
きっと顔を真っ赤にして、頭を抱えるんだろうな。
……ああ、それ、想像しただけで、最高に面白い。
俺は一人、ソファの上で笑いが止まらなかった。
■あとがき■
2号は屋敷のアイドル。「2号さん」「2号ちゃん」「金魚」と様々呼ばれているが、どう呼ばれても(人が近づくと)ひらひらと寄ってくる。人好きな金魚。
2号のフルネームが「リオン2号」であるということは、ほとんどの使用人は知らない。
朝食後。
俺はいつも通りテーブルの上を片付けていた。主人はもうソファに移動し、いつものようにテーブルに置かれた金魚鉢を指先でつついている。
2号との朝のご挨拶の時間らしい。
やがて彼は、何か深刻なことでも思い悩んだかのように、ふとこちらを振り返った。
「ねぇ、リオン」
「なんだ」
「2号ってさ、寂しくないかな?」
「……寂しい?」
俺は作業の手を止めた。
「2号が?」
「うん。だって、一匹だし」
俺はそのあまりにも見当違いな主人の心配に、内心呆れていた。
この屋敷の本当の主人はルシアンではない。この金魚鉢の中にいる、2号だ。
俺は何度も見てきた。
休憩中のメイドが彼に恋の悩みを打ち明けているのを。
コック長が新しいメニューのアイデアを彼に相談しているのを。
強面の庭師ですら、腰痛の愚痴を彼にこぼしているのを。
2号は誰が来ても分け隔てなく、ひらひらとそばに寄ってくる。そしてただじっと黙って、その黒い瞳で相手の顔を見つめ、話を聞いているのだ。
愛嬌がすごい。俺とは大違いだ。
この屋敷の誰からも愛されるアイドル。
そんな彼が。
「寂しいわけないだろ」
俺が事実を告げると、主人はまだ納得がいかないようだった。
「でもさあ。仲間とか、いたほうが、いいかなって。やっぱり」
「は?」
こいつは一体何を言っているんだ。
「俺とお前が、2号の仲間だろ?」
2号の家族は俺たちだ。
俺がそう言い放つと、主人は一瞬きょとんとした顔をした。
そして次の瞬間、腹を抱えて声を上げて、笑い出したのだ。
そのあまりにも愉快そうな笑い声。
「そっか! そうだね! 俺たちがいたね!」
彼は涙を拭いながら、金魚鉢の2号に話しかけている。
「だってさ。2号。お前は幸せなやつだねぇ」
俺はその主人の訳の分からない反応に首を傾げながらも、まあ納得したのならそれでいいかと、再び後片付けの作業に戻った。
その数時間後。
書斎で一人、書類の整理をしていた俺の頭に、ふとあの時の会話が蘇ってきた。
(……仲間が、いたほうが、いいかな)
金魚鉢の中の、仲間。
つまり、それは。
(……もう一匹、金魚を飼うか、という話だったのか……?)
その可能性に思い至った瞬間、俺の顔にカッと血が集まった。
俺は「俺とお前が、仲間だろ」などと、とんでもなく恥ずかしい勘違いを。あの男の前で。堂々と。
俺はあまりの羞恥に、誰に見られているわけでもないのに、思わずデスクの上に突っ伏した。
耳の奥で、あの時の主人のあまりにも楽しそうな笑い声が、響いている。
朝食後。
俺はソファでいつものように、テーブルに置かれた金魚鉢を、指先でつんつんとつついていた。
「にごうー。お前は可愛いねぇ。今日も良い色。ご飯ぜんぶ食べた?」
ガラスの向こうの水の中で、可愛い次男がひらひらと尾びれを振っている。
その姿を眺めているうちに、ふと一つの懸念が頭をよぎった。
金魚鉢の中にはいつも2号一匹だけ。
ペットショップの水槽では、もっとたくさんの仲間たちと一緒に泳いでいた。
俺は黙々と後片付けをしている、リオン1号に声をかけた。
「ねぇ、リオン」
「なんだ」
「2号ってさ、寂しくないかな?」
「……寂しい?」
あいつは作業の手を止めた。そして真剣な顔でこちらを見ている。
「2号が?」
「うん。だって、一匹だし」
俺のその保護者としてのもっともな悩みに、しかしリオンはなぜかきっぱりと首を横に振った。
「寂しいわけないだろ」
まあ、確かに。2号はお魚だ。一匹で寂しいなんて、そんな感情は持っていないのかもしれないけど。
「でもさあ。仲間とか、いたほうが、いいかなって。やっぱり」
「は?」
その瞬間、リオンの空気が変わった。
その黒い瞳に、わずかな、しかし明確な苛立ちの色が浮かんでいる。
(……え? なんで怒ってんの、こいつ)
そして彼は、俺の全く予想していなかった言葉を口にしたのだ。
「俺とお前が、2号の仲間だろ?」
俺は一瞬きょとんとしてしまった。
その言葉の意味が分からなかった。
俺と、お前が、仲間……? 2号の……? お魚さんの……?
そして、次の瞬間。
全てが理解できた。
「あははははははははは!」
俺はもうこらえきれなかった。腹を抱えてソファの上を転げ回る。
めちゃくちゃすれ違ってる!
こいつ、俺が、俺たちの『家族』の絆を疑ったみたいに思って、それで怒ってんの!?
(ああ、もう、馬鹿だなあ、可愛いなあ!)
「そっか! そうだね! 俺たちが、いたね!」
俺は涙を拭いながら、まだ少しだけ不満そうな顔をしているリオンにそう答えた。
そして金魚鉢の2号に話しかける。
「だってさ。2号。お前は幸せなやつだねぇ」
リオンは俺のその反応に首を傾げながらも、再び後片付けの作業に戻っていった。
俺は、その何も分かっていない犬の後ろ姿を眺めながら思う。
こいつ気づくかな。俺はただ、もう一匹くらい金魚を飼おうかって話をしていただけ、ってことに。
その時の、あいつの顔。
きっと顔を真っ赤にして、頭を抱えるんだろうな。
……ああ、それ、想像しただけで、最高に面白い。
俺は一人、ソファの上で笑いが止まらなかった。
■あとがき■
2号は屋敷のアイドル。「2号さん」「2号ちゃん」「金魚」と様々呼ばれているが、どう呼ばれても(人が近づくと)ひらひらと寄ってくる。人好きな金魚。
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