【マフィア×元軍人】 狂犬を躾けたら、ピカピカの可愛い「愛犬」になったでしょ?

あすぱら

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寝ぼけ

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 あまりの苦しさで目を覚ました。
 息が苦しい。
 背後から回された主人の腕が、俺の胸と腹周りに、ぐぅっ、と食い込んでいる。
 これが原因だ。
 抱き枕にされるのはいつものことだが。それは抱きしめるというよりも、絞め殺す態勢だった。
「おい……」
 ほどこうと手をかけると、俺の意思を拒否するように、主人の腕にさらに力がこもる。
 万力の締め付け。
「おい!」
 身体をねじって背後に大声をかける。
 何考えてんだ。
 ルシアンの顔は見えない。ただ、俺の首元に埋まった頭から、ぐす、と湿った音がした。
 鼻をすするような。
「……いかないで……」
 かすれた、消え入りそうな声だった。
「はあ?」
 なんだこいつ。
「なに言って……寝ぼけてんのか?」
 背中の向こうで、主人がぴくりと反応した。
 数秒の沈黙。
 ふと、拘束していた腕が緩む。
 やがて、くすくすと、愉快そうに小さく笑う気配がした。
「ねー。いま俺、めっちゃ寝ぼけてた」
 耳元で聞こえたのは、湿った弱った声ではない、いつもの軽い声色だった。
「ああ、そう……離せよ」
「んー」
 首筋にごく軽いキスを落として、主人はあっさり俺から身を離した。
「めっちゃ怖い夢見た! 夢見わるーい。損しちゃった。いま何時?」
 ベッドサイドの時計を確認する。薄暗がりに光る針は、まだ深夜であると告げていた。
「2時」
「2時かぁ、一番悪い時間……まあいいや、起きよっかな。コーヒー飲も」
 主人はひょいとベッドから降りた。伸びをしながらキッチンへ向かう、その後ろ姿。
 広くなったベッド。
「起きんのか? 明日朝から会合だぞ。こんな時間に起きて大丈夫か? お前」
 俺の主人はやけに子供っぽいところがある。日中「ねむい」とかんしゃくを起こすのではないか、不安がよぎった。
「んー? ふふ、お前もう俺のかあさんみたいだねぇ」
 主人は面白そうに笑う
「大丈夫だよ。ついでに資料読んじゃうから」
「まだ読んでねぇのかよ。資料って、俺が昨日作ったやつだろ、それ」
「直前に読んだほうが頭に入るんだって」
 呆れた俺に明るく答えて、ルシアンはがさごそとファイルから資料を探している。
「暗記テストじゃねぇんだぞ……」
 こぽこぽと熱湯の沸く音が静まり返った寝室に響く。
 眠気を誘う、優しい音。
 主人が朝から会合なら、当然俺も朝から同行だ。内容をいまだに読み込んでいないような主人のフォローも俺にのしかかってくる。
「……俺は寝るぞ」
「うん。おやすみー、リオン」
 主人はいつも通り、機嫌が良さそうだった。
 だが。
 あの、「いかないで」という弱々しい声が、まだ耳に残っている。
 ……放っておいて大丈夫か?
 ……。
 俺は少し考えてから、ため息を一つこぼして、名残惜しいベッドから降りた。
「コーヒー淹れてやる」
「え、いいのに」
 ルシアンはコーヒーにはさほどこだわりがない。主人のマグカップを取り出して、適当なドリッパーをその上に広げる。沸いたばかりの湯を注ぐ。
 部屋に広がる、深夜には場違いな、深いコーヒーの香り。
 俺まで目が覚めてしまいそうだ。
「ほら」
「ありがと」
 表面上はいつもの主人だ。
 だが、カップを受け取るその手が、わずかに、しかし確実に、震えていた。
 温かいカップを両手で受け取って、ふぅ、と息を吹きかける。
 その金色の睫毛が、不安定に、揺れる。
「……てめぇ、それ。読んでんの、生データじゃねぇか。俺の作ってやったやつ、どこやった」
「え? ああ、ほんとだ……」
 ぼんやりした受け答え。泳ぐ視線。震える手。
「えーと、たしかこのへんに……」
 それは戦場で見覚えがある。
 悪夢が怖くて眠れない。
 俺は渡したマグカップを雑に奪い取った。
「えっ」
「お前、もっかい寝ろ」
「ええ……?」
「起きんな。やめろ。寝ろ」
 悪夢が怖くて眠れないのだと、眠るのが怖いのだと笑った戦友は、みな命を落とした。
 当たり前だ。睡眠不足でパフォーマンスが落ちるのだから。
 そういうやつは、みんな、死んだ。
 俺はルシアンを無視して、サイドテーブルの引き出しを勝手に開けた。中から黒い小箱を取り出す。
 大粒の丸いチョコレート。知っている。これは主人からよく与えられる俺の「おやつ」だ。
「食え」
「え、なに? チョコ?」
「いいからこれ食え。2粒だ」
 軍人なら誰でも知っている。チョコレートは優秀な精神安定剤だ。
 死への恐怖にも、血の感触にも。あらゆる不安に一番効くのは、いつもチョコレートの塊だった。
「さっさと食って寝ろ」
 丸い包み紙を前にして、ルシアンは困ったような顔をする。
「俺もう歯磨いちゃったんだけど……」
 なんだそのガキみてぇな理屈は。死にてぇのか。思わず舌打ちしてしまった。
 俺は一粒を自分の口に放り込むと、主人の後頭部を鷲掴みにし、問答無用で口移しにその口の中へチョコレートを押し込んだ。
「もう一つねじ込まれてぇか? クソガキ」
「……いや、自分で食べる」
 いつも以上に態度の悪い俺を見て、ルシアンは素直にチョコレートを口に含む。
「……ん、これおいしいねぇ」
「そうだな」
 俺の「おやつ」は全部うまい。
 まだ口をモゴモゴさせているルシアンの腕を引っ張って、強引にベッドへ投げ飛ばす。
「食ったら寝ろ」
「……眠くないんだけど……」
 この期に及んでまだぐずぐず言う主人に、俺はにっこり笑ってやった。
「子守唄歌ってやるよ」
「えっ、お前が……?」
 呆然としているルシアンの手から、昨日俺が作った資料を取り上げる。
 重要度別にファイリングして、付箋を貼って、要点をまとめて、マーカーまで引いてやった要約資料は、ナイトランプの中ですら抜群に分かりやすい。
 俺は抑揚のない声で、それを読み上げる。
「第三四半期、A地区における物流コスト、前年同期比3.2%増。原因は燃料費の高騰と、抗争による輸送ルートの一部寸断……」
 3秒だった。
 眠くない、などとうそぶいていた俺の主人は、たったの3秒で寝やがった。
「……」
 俺はぐっすり寝入った主人の顔と、自作の資料を交互に見つめる。
 まだか? これでもまだ分かりづらいってのか?
 これ以上、どうしろって……
 いや、今日はもう考えるのは止めよう……。
 俺は資料をテーブルに戻し、毛布を掛け直してやる。
 規則正しい、穏やかな寝息。さっきまでの震えはもう無い。

 こいつの「怖い夢」。
 それはきっと死への恐怖でも、濡れた血の感触でもない。
 それはもっとくだらなくて、もっと子供じみた。人間のもっと根源的な『怖いもの』。

 俺はその無防備な寝顔を見下ろして、小さく吐き捨てた。
「別にどこも行かねぇから、おとなしく寝てろ。雑魚が」



 だからお前も、勝手に、どっか行こうとしてんじゃねぇよ。



○ルシアンの不運なタイムライン○

1. 悪夢で起きる(AM 2:00)
    ただでさえ「めっちゃ怖い夢」を見て心細い。
2. コーヒー詐欺に遭う
    リオンが「コーヒー淹れてやる」と優しく言ったので感謝して受け取ったのに、一口も飲ませてもらえずに「雑に奪い取られる」という謎の仕打ちを受ける。
3. 真っ当な理屈が通じない
    チョコを強要された際、「俺もう歯磨いちゃったんだけど」という、深夜の大人として100点満点の正論を言ったのに、思い切り舌打ちをされる。話が通じない。
4. 口移しの刑
    拒否権なく、物理的にチョコをねじ込まれる。「もう一つねじ込まれてぇか?」という脅し付き。
5. 退屈な子守唄
   「眠くない」と言っているのに、 強引にベッドに投げ飛ばされ、自分が昨日作らせたつまらない業務資料を、抑揚のない声で読み上げられる。
6. 寝落ち
 おやすみなさい。



■あとがき■
リオンも寝ぼけている。

「かあさん」「クソガキ」呼ばわりしているが、2人はほとんど同い年。
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