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第一章
第3話 王女と叙勲
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王宮の廊下を全力で走る。王女たるものに相応しくない行為であることは自覚している。
しかし、公務を放棄することはできない。
成人パーティーの準備に忙殺される中、神聖同盟との戦いに勝利した英雄が報告に帰還する。
成人した王族として迎える事は当然である。
それに幼き日、とても温厚…だけれども時に誰もがおどくような行動に出る、そんなエステル侯爵に密かな憧れを抱いていた。
幼子の勘違いではあるが、今でも彼のことを尊敬している。
そんな彼が養子を取ったと聞く。しかも異世界人である。興味を持たないわけがない。
一体、どのような御仁なのでしょう。
そんなことを考えながら玉座の間に入る。
「失礼いたします」
幸運なことに、まだお二方はいらしていない。
白い髭を顎と唇の上にたくわえた父上が既に玉座に座っていた。琥珀でできた王冠と紫のマントが威厳を放っている。
王族が先にいることは珍しい。きっと父上もその養子を早く見たいのでしょう。
「おお、イザベラか。今日は無理をすることは無かったのだぞ」
「いいえ、父上。王族たるもの如何なる理由がありましても公務を放棄することは許されません。此度報告もしっかりと聞き届けさせていただきます」
「そうかそうか、さすがは我が娘である」
満足そうに父上が頷いている。
王妃、つまり私の母は10年前に流行病で亡くなってしまった。
その後はわたくしが王妃としての職務をこなしてきた。
王族としての、王妃代理としてのプライドが、どのような状態であれ公務の放棄だけはさせまいとしている。
父上の隣に座りしばらく待っていると、二名の男性が入ってきた。
一名はエステル侯爵。久しぶりにお会いするがそこまで老いを感じない。
もう一人が件の養子でしょう。異世界人らしく平たい顔をしている。あまり特徴のある顔立ちではないが、その目を見た時、少々驚いた。
まるで世界を忌避する目。全く光が宿っていない。あらゆる事に疲れている。そんな目。
二人が同時に膝をつき頭を下げる。
養子の方はこの場所に来るのが初めてなはずであるのに、動きに乱れがなくエステル侯爵と比べても遜色の無い振る舞いをして居た。
「面をあげよ」
父上のその言葉とともに両者が顔を上げる。
その途端、今までの威厳溢れる父上はどこか彼方へ行ってしまった。
まるで古い友人との再会を懐かしむような口調で話始める。
———実際、古くからの友人ではありますが、このような場で親しく話されるのはいかがなものでしょう。
「ジークよ、久方ぶりだな。最後にあったのは、我が息子アンタルの10の誕生日パーティーか。5年も前か。健勝にしておったか?」
「はい、陛下。おかげさまで。妻の病気やら戦やらで、お目通り出来ず申し訳ありません」
「いやいや、気にするな。お前と余の仲だ。そう畏まらなくても良い。イザベラの成人祝いが終われば領地に戻るのか?」
「いえ、領地の国境線も落ち着き、妻の病気も癒えたため、これからは王都の別邸で過ごそうかと考えております。なにせ、話し相手に困らないものですからな」
エステル侯爵がニヤリと笑いながら父上を見る。
その父上も頬が緩んで嬉しそうにしている。
「そうかそうか。皆、酒献上してくるのは良いが、ともに飲む相手がおらず余も困っていたところだ。是非とも共に飲もうじゃないか」
「ありがたく。…ですが面倒な問題が残っております。それに型をつけてからになりますな」
エステル侯爵の最後の言葉にピリッと空気が張り詰める。
今日の本題である神聖同盟についてだ。
報告だけならば手紙で事足りる。実際、戦の詳細な報告は書状で既に受け取っている。それをわざわざ報告と銘打って父上の御前に来ている。
今後の方策について意見があるか、第三者に知られてはまずい情報があるかの二択だ。
(どちらにせよ、良い話ではないでしょうね。)
ゆっくりとエステル侯爵が口を開く。
「おそらく、神聖同盟はまた攻めくると思われます」
やっぱり良い知らせではなかった。心の中でため息をつく。
百戦錬磨の彼が今後も来ると言っている。この手の話をエステル侯爵が外した事はない。
父上も苦虫を噛み潰したような表情で会話を続けている。
「なぜそう感じた」
「今回、二十万の兵を殲滅いたしました。それも、こちらが一方的に。明らかにやりすぎです。神聖同盟の大国としての面子を潰しました。さらに、腰の重い奴らが動いたと言うことは水源の重要性も理解しています。動かない理由が見当たりません」
「なるほど…。其方が北へ張り付くことはできるか?」
「難しいでしょう。領地と北部はあまりにも遠い。簡単に領地に戻れないとなると、また国境が騒ぎ出します。」
エステル侯爵の領地は王国南西の国境にある。その先には吸血鬼の国があり、仲が良いとは言い難い。あまり領地から離れた場所に行くと彼らがまた動き出すかもしれない、と。
今回の件は、たまたま別件で北部にいた時に神聖同盟出陣の知らせがあり、国王直轄軍を率いて対応していただけた。
「最善は国を挙げて軍事拡張をすることですが…」
「…すまぬ、ジークよ。余には貴族どもを黙らせるだけの力がない」
気まずい沈黙が訪れる。
王国と言っても王の権力は絶対ではない。力やコネのある貴族や教会のことも考えなくてはならないのだ。
父上はかねてより水源の重要性を説いている。そもそも、歴史的に北へ北へと領土を広げたのは水の安定確保のためである。
しかし、攻撃的に領地を拡大した結果、王国の南側は戦火に直面したことがほとんど無い。
故に半数以上、特に南側に領地がある貴族は軍事拡張の話をしても殆ど耳を傾けない。
その上、南側に領地のある貴族は古くから仕える貴族たちであるから厄介な事この上ない。
「…ならば、次善の策を。」
「申せ」
一瞬エステル侯爵の口角が上がった。
彼がこんな反応をするする時は、皆が驚くような内容を口にする時だ。
今回はどんな面白い提案がなされるのでしょう。
期待で胸が膨らむ。
「我が愚息を新貴族とし、北方の王族直轄領を与えてみてはいかがでしょう?」
「「「は?」」」
あまりの提案に思わず三人の素の声が被る。
…御子息もお聞きでなかった話なのですね。
さすがは侯爵様。皆を驚かせることがお上手です。
しかし、侯爵様の提案は非常に不可解だ。
彼はエステル侯爵家に土地を与えるのではなく、彼に土地を与えると言った。それはこの国においては新しい貴族として家を作ると言う事だ。
彼は、自分の領地を継がせるために彼を養子にしたはず。なのに、なぜかそれを手放そうとしている。
しかも、大国が攻めてくるかなり大変な土地へ飛ばす形で。
御子息を見限った…?しかし、報告書では彼を褒めてました。
「此度の戦役の策の発案者でもあり、私の息子ながら、なかなか見所のあるものでございます。神聖同盟からも、北部をしっかりと防衛できるでしょう。国王陛下の力が弱まるやもしれませんが…。愚息が裏切る様な真似をした時は、私が切ります」
「し、しかし、ジークよ、良いのか?後継であろう?北部と南部では同時に統治がし難いぞ」
「この愚息が早く子を成せば良いだけの話です。それを我が領地を与えます。」
とても和かな笑顔に鋭く光る眼が本気だと告げている。
「…そうか。…ジークの子よ、それでよいか?」
「…拒否権は、ございませんよね。陛下と…義父上に言われてしまっては。」
元々光のない目が、エステル侯爵とは逆に、さらに輝きを失っている。
初めてまともに聞いた彼の声はひどく哀愁が漂っていた。
✴︎
ここは王宮のバルコニー、イザベラ王女の成人祝いの真っ最中で晩餐会の会場では貴族たちが交流と言う名の勢力争いをしている。
ダイヤモンドの杯に入ったワインを一口飲むと溜息が漏れる。
鉄製でない杯に入った飲み物は金属の匂いがしなくて良い。
バルコニーから町を見下ろすと、城下の民も夕食どきなのだろう、趣のある王都の街の夜景が見える。
それとは反対にこの杯は豪華ではあるが、無駄にキラキラしていて何とも品がない。
この世界では鉱物資源が掃いて捨てるほどある。鉄鉱石もあらゆる山から取れるし、金銀プラチナを始めとした貴金属も簡単に取れる。そして宝石等も例外ではない。
さすがにダイヤモンドは他と比べれば少ないが、それでも、多少の金があれば、指輪ぐらいなら市民ですら簡単に手に入れることができる。だからってこの杯はないだろう。
(この世界にガラスはないのか?)ダイヤの杯も豪華かもしれないが、日本の庶民として生まれ育った俺からすると、何とも落ち着かない。安っぽいガラスの食器が恋しいものだ。
主張の激しいダイヤの塊から一口ワインを飲んで、また溜息が漏れる。先ほどから何度もこれを繰り返している。
(しかし、やはり義父上は相当怒っていた…)
原因は言わずもがな、北部に飛ばされた事だ。
玉座の間では、王族の前で強い拒否を示す訳にも義父上の面目を潰す訳にもいかず、承諾するしかなかった。
あとで適当な理由をつけて拒否しようにも、パーティーの途中で新貴族としてフジイ家ができる事も発表された。それはもう、大々的に。
しかも、最低位の男爵じゃなくて子爵だ。手柄に対しての恩賞がどう考えても大きすぎる。
…もう逃げ場が無い。
正面から戦場と、トラウマと向き合うしかない。
さらに、そんな場で発表するものだから、二つの領地の母に成れると踏んだご令嬢たちから、まぁ囲まれること囲まれる事。
目のギラついたご令嬢たちに、貴族として、紳士としての対応をかなり長い間する羽目になった。皮肉も無しで愛想よく。出来ないことも無いが、いつもの素の自分と違う振る舞いは、どうにも疲れる。
そうして、対応に一段落したところで、一目散に会場から人気のないバルコニーに逃げ出した。
そんなところだ。
義父上があんな無茶振りを事前の打ち合わせなしで、いきなり行った理由はただ一つ。
戦果の褒美と、気を失って指揮を放棄した事へのお叱りを兼ねての措置だろう。
実際、パーティーの前に
「北部で戦に慣れてきなさい」
と言われてしまった。
それに、有事の際にある程度の柔軟性を持って動けるように自治権を与える事自体も上策ではある。義父上が領地や王都にいれば南西部国境も落ち着く。新貴族を作っても、戦で手柄があり、辺境の北部、さらに王家直轄領だから他貴族から過大な恩賞であっても不満も出ない。
要するに俺を北部へ飛ばす事で一通りの問題が解決するのだ。まぁ、俺が国境を突破されなければの話だが。
あぁ、あと一つ理由があるか。
とっと子供を成せ、と言う事だ。その理由付けだ。
性欲は人並みにあるし、異世界でハーレムを作るなんてベタな事もできる地位にもあるが…。
周囲に急かされ、茶化されると、どうも乗り気にならない。
そして今まで、下らない反抗心をズルズルと引きずり何もして来なかった。ご令嬢の相手も疲れるものだし適当な女性と婚約でもしておこうか。
「レン・フジイ子爵、こちらにいらっしゃったんですね」
急な呼び声に振り返ると、その優しそうな声の主が本日の主役、イザベラ王女であることがわかる。
長い黒髪に青みがかった眼を飾る左目の涙ボクロ、それ以外特筆すべき特徴がないのに洗練された美しさを感じるのは王女たるものの威厳だろうか。
全く、同じく特徴のない顔の俺とはどうしてこうも違うのだろうか?
軽い嫉妬を覚えつつ素早く膝を突き、頭を下げると、イザベラ王女が先に口を開いた。
「そのような礼は今は必要ありません。パーティーの最中ですし、それに私は、あなたとお話に来たのですから。」
頭を上げて立ち上がると湧いてきた疑問を思わず投げかける。
「私とですか?生憎、転生者ですので、このような雅な世界には疎いもので、王女陛下にお喜びいただけるような話はありませんがよろしいでしょうか?」
「構いません。むしろ、貴族でも臣下でもない貴方とお話をしたいと考えています。」
そりゃありがたい、長旅に謁見にご令嬢(肉食系)の相手と疲れていた。そろそろ紳士の仮面を被るのが限界だ。
軽く息を吐いて手すりに背中を預ける。天を仰ぎながら藤井蓮として話す。
「辺境子爵の私を気遣っていただけるとは、義父上は随分王家から信頼が厚いようですね」
思わず口からでた素の一言だが強烈すぎだ。
いかんな、思っていた以上に疲れていたようだ。言葉が必要以上に刺々しい。
お怒りではないかと王女様を見ると、口に手を当てギョッと目を見開き言葉に困っている。
そりゃそうだ。ただお話しましょうと誘っただけなのに、いきなり突き放された訳だからな。ましてや王族、敵意を露骨に受けることなんてそうもないはずだ。
どうしたもんかと、考えてるうちに王女様が口を開いた。
「え…えぇ、エステル侯爵は長きに渡り良く王家を支えてくれています。ですから、養子となった貴方とお話をしてみたいと考えていましたが…。その…ご迷惑でしたでしょうか?」
あんな言い方をしたのにも関わらず、全く嫌味がない。むしろ悲しみまで伝わってくる。
参ったな。戦時のエリザベートやら王女殿たら、嫌味や含みのない物言いにはどうも弱い。
調子が狂う。
「とんでもございません、迷惑などではありませんよ」
「そうですか…。良かった。何か気に触る事でもしていたのかと思いました」「
「…失礼しました。飾らない私を見たいとの事でしたので。まぁ、こういう奴です」
「貴方はどのような方だと?」
「必要以上に皮肉っぽい、意味も無く悪態を付く、口が悪い。そういう奴です」
自嘲気味に息を吐きながらつぶやいた。
二、三秒の間の後、目の前の高貴な方がクスクスと上品に笑い出した。何とも絵になる。
「そうですね、皮肉屋さんで愛想がありません」
取りあえす不興は買わずに済んだ様だ。そっと胸を撫で下ろして彼女の顔を改めて見る。
彼女から警戒心が消えたのだろうか、それとも、さっき飲んだワインが回ってきたのだろうか。その後になにか小声で続けた彼女は先ほどと変わって年齢より少し幼く見えた。
「けれども、とても真摯な方…」
「?なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ、何も。それよりも元の世界について、教えていただけませんか?」
少女の様な屈託のない笑顔でそう言った後、国王が彼女を連れて行くまで、数十分に渡って日本や義父上のことを延々と質問された。
しかし、公務を放棄することはできない。
成人パーティーの準備に忙殺される中、神聖同盟との戦いに勝利した英雄が報告に帰還する。
成人した王族として迎える事は当然である。
それに幼き日、とても温厚…だけれども時に誰もがおどくような行動に出る、そんなエステル侯爵に密かな憧れを抱いていた。
幼子の勘違いではあるが、今でも彼のことを尊敬している。
そんな彼が養子を取ったと聞く。しかも異世界人である。興味を持たないわけがない。
一体、どのような御仁なのでしょう。
そんなことを考えながら玉座の間に入る。
「失礼いたします」
幸運なことに、まだお二方はいらしていない。
白い髭を顎と唇の上にたくわえた父上が既に玉座に座っていた。琥珀でできた王冠と紫のマントが威厳を放っている。
王族が先にいることは珍しい。きっと父上もその養子を早く見たいのでしょう。
「おお、イザベラか。今日は無理をすることは無かったのだぞ」
「いいえ、父上。王族たるもの如何なる理由がありましても公務を放棄することは許されません。此度報告もしっかりと聞き届けさせていただきます」
「そうかそうか、さすがは我が娘である」
満足そうに父上が頷いている。
王妃、つまり私の母は10年前に流行病で亡くなってしまった。
その後はわたくしが王妃としての職務をこなしてきた。
王族としての、王妃代理としてのプライドが、どのような状態であれ公務の放棄だけはさせまいとしている。
父上の隣に座りしばらく待っていると、二名の男性が入ってきた。
一名はエステル侯爵。久しぶりにお会いするがそこまで老いを感じない。
もう一人が件の養子でしょう。異世界人らしく平たい顔をしている。あまり特徴のある顔立ちではないが、その目を見た時、少々驚いた。
まるで世界を忌避する目。全く光が宿っていない。あらゆる事に疲れている。そんな目。
二人が同時に膝をつき頭を下げる。
養子の方はこの場所に来るのが初めてなはずであるのに、動きに乱れがなくエステル侯爵と比べても遜色の無い振る舞いをして居た。
「面をあげよ」
父上のその言葉とともに両者が顔を上げる。
その途端、今までの威厳溢れる父上はどこか彼方へ行ってしまった。
まるで古い友人との再会を懐かしむような口調で話始める。
———実際、古くからの友人ではありますが、このような場で親しく話されるのはいかがなものでしょう。
「ジークよ、久方ぶりだな。最後にあったのは、我が息子アンタルの10の誕生日パーティーか。5年も前か。健勝にしておったか?」
「はい、陛下。おかげさまで。妻の病気やら戦やらで、お目通り出来ず申し訳ありません」
「いやいや、気にするな。お前と余の仲だ。そう畏まらなくても良い。イザベラの成人祝いが終われば領地に戻るのか?」
「いえ、領地の国境線も落ち着き、妻の病気も癒えたため、これからは王都の別邸で過ごそうかと考えております。なにせ、話し相手に困らないものですからな」
エステル侯爵がニヤリと笑いながら父上を見る。
その父上も頬が緩んで嬉しそうにしている。
「そうかそうか。皆、酒献上してくるのは良いが、ともに飲む相手がおらず余も困っていたところだ。是非とも共に飲もうじゃないか」
「ありがたく。…ですが面倒な問題が残っております。それに型をつけてからになりますな」
エステル侯爵の最後の言葉にピリッと空気が張り詰める。
今日の本題である神聖同盟についてだ。
報告だけならば手紙で事足りる。実際、戦の詳細な報告は書状で既に受け取っている。それをわざわざ報告と銘打って父上の御前に来ている。
今後の方策について意見があるか、第三者に知られてはまずい情報があるかの二択だ。
(どちらにせよ、良い話ではないでしょうね。)
ゆっくりとエステル侯爵が口を開く。
「おそらく、神聖同盟はまた攻めくると思われます」
やっぱり良い知らせではなかった。心の中でため息をつく。
百戦錬磨の彼が今後も来ると言っている。この手の話をエステル侯爵が外した事はない。
父上も苦虫を噛み潰したような表情で会話を続けている。
「なぜそう感じた」
「今回、二十万の兵を殲滅いたしました。それも、こちらが一方的に。明らかにやりすぎです。神聖同盟の大国としての面子を潰しました。さらに、腰の重い奴らが動いたと言うことは水源の重要性も理解しています。動かない理由が見当たりません」
「なるほど…。其方が北へ張り付くことはできるか?」
「難しいでしょう。領地と北部はあまりにも遠い。簡単に領地に戻れないとなると、また国境が騒ぎ出します。」
エステル侯爵の領地は王国南西の国境にある。その先には吸血鬼の国があり、仲が良いとは言い難い。あまり領地から離れた場所に行くと彼らがまた動き出すかもしれない、と。
今回の件は、たまたま別件で北部にいた時に神聖同盟出陣の知らせがあり、国王直轄軍を率いて対応していただけた。
「最善は国を挙げて軍事拡張をすることですが…」
「…すまぬ、ジークよ。余には貴族どもを黙らせるだけの力がない」
気まずい沈黙が訪れる。
王国と言っても王の権力は絶対ではない。力やコネのある貴族や教会のことも考えなくてはならないのだ。
父上はかねてより水源の重要性を説いている。そもそも、歴史的に北へ北へと領土を広げたのは水の安定確保のためである。
しかし、攻撃的に領地を拡大した結果、王国の南側は戦火に直面したことがほとんど無い。
故に半数以上、特に南側に領地がある貴族は軍事拡張の話をしても殆ど耳を傾けない。
その上、南側に領地のある貴族は古くから仕える貴族たちであるから厄介な事この上ない。
「…ならば、次善の策を。」
「申せ」
一瞬エステル侯爵の口角が上がった。
彼がこんな反応をするする時は、皆が驚くような内容を口にする時だ。
今回はどんな面白い提案がなされるのでしょう。
期待で胸が膨らむ。
「我が愚息を新貴族とし、北方の王族直轄領を与えてみてはいかがでしょう?」
「「「は?」」」
あまりの提案に思わず三人の素の声が被る。
…御子息もお聞きでなかった話なのですね。
さすがは侯爵様。皆を驚かせることがお上手です。
しかし、侯爵様の提案は非常に不可解だ。
彼はエステル侯爵家に土地を与えるのではなく、彼に土地を与えると言った。それはこの国においては新しい貴族として家を作ると言う事だ。
彼は、自分の領地を継がせるために彼を養子にしたはず。なのに、なぜかそれを手放そうとしている。
しかも、大国が攻めてくるかなり大変な土地へ飛ばす形で。
御子息を見限った…?しかし、報告書では彼を褒めてました。
「此度の戦役の策の発案者でもあり、私の息子ながら、なかなか見所のあるものでございます。神聖同盟からも、北部をしっかりと防衛できるでしょう。国王陛下の力が弱まるやもしれませんが…。愚息が裏切る様な真似をした時は、私が切ります」
「し、しかし、ジークよ、良いのか?後継であろう?北部と南部では同時に統治がし難いぞ」
「この愚息が早く子を成せば良いだけの話です。それを我が領地を与えます。」
とても和かな笑顔に鋭く光る眼が本気だと告げている。
「…そうか。…ジークの子よ、それでよいか?」
「…拒否権は、ございませんよね。陛下と…義父上に言われてしまっては。」
元々光のない目が、エステル侯爵とは逆に、さらに輝きを失っている。
初めてまともに聞いた彼の声はひどく哀愁が漂っていた。
✴︎
ここは王宮のバルコニー、イザベラ王女の成人祝いの真っ最中で晩餐会の会場では貴族たちが交流と言う名の勢力争いをしている。
ダイヤモンドの杯に入ったワインを一口飲むと溜息が漏れる。
鉄製でない杯に入った飲み物は金属の匂いがしなくて良い。
バルコニーから町を見下ろすと、城下の民も夕食どきなのだろう、趣のある王都の街の夜景が見える。
それとは反対にこの杯は豪華ではあるが、無駄にキラキラしていて何とも品がない。
この世界では鉱物資源が掃いて捨てるほどある。鉄鉱石もあらゆる山から取れるし、金銀プラチナを始めとした貴金属も簡単に取れる。そして宝石等も例外ではない。
さすがにダイヤモンドは他と比べれば少ないが、それでも、多少の金があれば、指輪ぐらいなら市民ですら簡単に手に入れることができる。だからってこの杯はないだろう。
(この世界にガラスはないのか?)ダイヤの杯も豪華かもしれないが、日本の庶民として生まれ育った俺からすると、何とも落ち着かない。安っぽいガラスの食器が恋しいものだ。
主張の激しいダイヤの塊から一口ワインを飲んで、また溜息が漏れる。先ほどから何度もこれを繰り返している。
(しかし、やはり義父上は相当怒っていた…)
原因は言わずもがな、北部に飛ばされた事だ。
玉座の間では、王族の前で強い拒否を示す訳にも義父上の面目を潰す訳にもいかず、承諾するしかなかった。
あとで適当な理由をつけて拒否しようにも、パーティーの途中で新貴族としてフジイ家ができる事も発表された。それはもう、大々的に。
しかも、最低位の男爵じゃなくて子爵だ。手柄に対しての恩賞がどう考えても大きすぎる。
…もう逃げ場が無い。
正面から戦場と、トラウマと向き合うしかない。
さらに、そんな場で発表するものだから、二つの領地の母に成れると踏んだご令嬢たちから、まぁ囲まれること囲まれる事。
目のギラついたご令嬢たちに、貴族として、紳士としての対応をかなり長い間する羽目になった。皮肉も無しで愛想よく。出来ないことも無いが、いつもの素の自分と違う振る舞いは、どうにも疲れる。
そうして、対応に一段落したところで、一目散に会場から人気のないバルコニーに逃げ出した。
そんなところだ。
義父上があんな無茶振りを事前の打ち合わせなしで、いきなり行った理由はただ一つ。
戦果の褒美と、気を失って指揮を放棄した事へのお叱りを兼ねての措置だろう。
実際、パーティーの前に
「北部で戦に慣れてきなさい」
と言われてしまった。
それに、有事の際にある程度の柔軟性を持って動けるように自治権を与える事自体も上策ではある。義父上が領地や王都にいれば南西部国境も落ち着く。新貴族を作っても、戦で手柄があり、辺境の北部、さらに王家直轄領だから他貴族から過大な恩賞であっても不満も出ない。
要するに俺を北部へ飛ばす事で一通りの問題が解決するのだ。まぁ、俺が国境を突破されなければの話だが。
あぁ、あと一つ理由があるか。
とっと子供を成せ、と言う事だ。その理由付けだ。
性欲は人並みにあるし、異世界でハーレムを作るなんてベタな事もできる地位にもあるが…。
周囲に急かされ、茶化されると、どうも乗り気にならない。
そして今まで、下らない反抗心をズルズルと引きずり何もして来なかった。ご令嬢の相手も疲れるものだし適当な女性と婚約でもしておこうか。
「レン・フジイ子爵、こちらにいらっしゃったんですね」
急な呼び声に振り返ると、その優しそうな声の主が本日の主役、イザベラ王女であることがわかる。
長い黒髪に青みがかった眼を飾る左目の涙ボクロ、それ以外特筆すべき特徴がないのに洗練された美しさを感じるのは王女たるものの威厳だろうか。
全く、同じく特徴のない顔の俺とはどうしてこうも違うのだろうか?
軽い嫉妬を覚えつつ素早く膝を突き、頭を下げると、イザベラ王女が先に口を開いた。
「そのような礼は今は必要ありません。パーティーの最中ですし、それに私は、あなたとお話に来たのですから。」
頭を上げて立ち上がると湧いてきた疑問を思わず投げかける。
「私とですか?生憎、転生者ですので、このような雅な世界には疎いもので、王女陛下にお喜びいただけるような話はありませんがよろしいでしょうか?」
「構いません。むしろ、貴族でも臣下でもない貴方とお話をしたいと考えています。」
そりゃありがたい、長旅に謁見にご令嬢(肉食系)の相手と疲れていた。そろそろ紳士の仮面を被るのが限界だ。
軽く息を吐いて手すりに背中を預ける。天を仰ぎながら藤井蓮として話す。
「辺境子爵の私を気遣っていただけるとは、義父上は随分王家から信頼が厚いようですね」
思わず口からでた素の一言だが強烈すぎだ。
いかんな、思っていた以上に疲れていたようだ。言葉が必要以上に刺々しい。
お怒りではないかと王女様を見ると、口に手を当てギョッと目を見開き言葉に困っている。
そりゃそうだ。ただお話しましょうと誘っただけなのに、いきなり突き放された訳だからな。ましてや王族、敵意を露骨に受けることなんてそうもないはずだ。
どうしたもんかと、考えてるうちに王女様が口を開いた。
「え…えぇ、エステル侯爵は長きに渡り良く王家を支えてくれています。ですから、養子となった貴方とお話をしてみたいと考えていましたが…。その…ご迷惑でしたでしょうか?」
あんな言い方をしたのにも関わらず、全く嫌味がない。むしろ悲しみまで伝わってくる。
参ったな。戦時のエリザベートやら王女殿たら、嫌味や含みのない物言いにはどうも弱い。
調子が狂う。
「とんでもございません、迷惑などではありませんよ」
「そうですか…。良かった。何か気に触る事でもしていたのかと思いました」「
「…失礼しました。飾らない私を見たいとの事でしたので。まぁ、こういう奴です」
「貴方はどのような方だと?」
「必要以上に皮肉っぽい、意味も無く悪態を付く、口が悪い。そういう奴です」
自嘲気味に息を吐きながらつぶやいた。
二、三秒の間の後、目の前の高貴な方がクスクスと上品に笑い出した。何とも絵になる。
「そうですね、皮肉屋さんで愛想がありません」
取りあえす不興は買わずに済んだ様だ。そっと胸を撫で下ろして彼女の顔を改めて見る。
彼女から警戒心が消えたのだろうか、それとも、さっき飲んだワインが回ってきたのだろうか。その後になにか小声で続けた彼女は先ほどと変わって年齢より少し幼く見えた。
「けれども、とても真摯な方…」
「?なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ、何も。それよりも元の世界について、教えていただけませんか?」
少女の様な屈託のない笑顔でそう言った後、国王が彼女を連れて行くまで、数十分に渡って日本や義父上のことを延々と質問された。
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が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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