竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

文字の大きさ
12 / 28

第十二話

しおりを挟む
 深夜の調合室は、静謐な空気に満ちていた。
 棚に並んだ薬瓶が月光を反射し、壁にはフラスコの中で踊る青い炎が長い影を落としている。エリアンは作業机に向かい、昼間に採取した「氷晶草」の根を薄くスライスしていた。
 サク、サク。
 規則正しい刃物の音だけが響く中、部屋の隅に置いた鍋からは、ミントとユーカリを混ぜたような、鼻に抜ける清涼な香りが漂っている。

(この根をあと三ミリ薄くすれば、より抽出効率が上がるはず。……そうすれば、陛下の夜の体温をもっと穏やかに保てる)

 エリアンが集中を深めていた、その時だ。
 背後にある重厚な扉が、音もなく開いた。
 入ってきた人物を確認するより早く、肌を刺すような熱気が部屋の空気を塗り替えた。昼間の火山活動よりも激しく、それでいてどこか焦燥感を含んだ熱。

「……陛下?」

 エリアンが振り返ると、そこには壁に背を預けて立つヴァレリウスの姿があった。
 黒いシャツの胸元は大きくはだけ、その肌は今にも発火しそうなほど赤みを帯びている。何より、その瞳だ。いつもは深い黄金色をした瞳が、今は内側から燃え上がる焔のような紅を帯び、細い縦長の瞳孔が獲物を狙う獣のように収縮していた。

「……起きていたのか」

 その声は低く、ひどく掠れていた。
 ヴァレリウスが歩を進めるたびに、床の黒大理石が微かにピキリと音を立てる。彼の周囲の空気が熱膨張を起こしているのだ。

「陛下、顔色がひどいですよ。また熱が上がったのですか?」

 エリアンは手にした小刀を置き、ヴァレリウスに駆け寄った。
 近づくだけで、熱風が頬を打つ。けれどエリアンは怯むことなく、彼の額にそっと手を伸ばした。
 触れた瞬間、指先がじゅ、と音を立てそうなほどの熱量を感じる。ヴァレリウスの首筋には、いつもは見られない硬い質感の、黒く輝く小さな鱗がいくつか浮かび上がっていた。

「……竜化の兆しですね。血液が沸騰しているような感覚ではありませんか?」
「…………」

 ヴァレリウスは答えず、ただエリアンの手首を掴んだ。
 その力は強く、けれどどこか縋るような頼りなさがある。
 ドクン、ドクン。
 掴まれた手首を通じて、ヴァレリウスの早鐘を打つような心音が伝わってくる。それは戦いを知る男の力強い鼓動というより、自身の内側に飼う化け物に飲み込まれまいとする、必死の抵抗の音だった。

「陛下、深呼吸をしてください。私の目を見て」

 エリアンはヴァレリウスの胸板を片手で押し、無理やり彼を大きな椅子に座らせた。
 すぐさま、調合中だった氷晶草の冷却水に清潔な布を浸し、彼の項に当てる。
 ジュウ、と微かな水蒸気が上がった。

「冷たい……。だが、足りない。もっと、寄れ」

 ヴァレリウスが腕を伸ばし、エリアンの腰を強く引き寄せた。
 エリアンの腹部が、ヴァレリウスの膝の間に収まる。
 厚い胸板から伝わる熱気と、その奥で鳴り響く激しい鼓動。エリアンは、自分の心臓もまた、そのリズムに釣られるように速度を上げていくのを感じた。

「陛下、私は氷嚢(ひょうのう)ではありませんよ」
「黙れ。お前の傍だけは、空気が凪いでいる。……この熱が、お前にだけは効かないのが不思議だ」

 ヴァレリウスは、エリアンの肩に顔を埋めた。
 うなじを掠める、彼の熱い呼気。
 エリアンは戸惑いながらも、彼の背中を優しく叩いた。それは幼い頃、熱を出した薬草たちが枯れないよう、夜通し声をかけていた時と同じ手つきだった。

「当たり前です。私はあなたの薬師ですから。患者の熱に当てられていては、仕事になりません」

 エリアンの体からは、常に微かなハーブの香りと、雨上がりの土のような落ち着く匂いがする。それが、暴走しそうだったヴァレリウスの本能を、ゆっくりと、けれど確実に沈めていった。
 ヴァレリウスの首筋に浮かび上がっていた黒い鱗が、潮が引くように皮膚の下へ消えていく。

「……少し、落ち着きましたか?」
「…………。ああ。……いや、まだだ。あと少しだけ、こうしていろ」

 ヴァレリウスは腕の力を緩めるどころか、エリアンの腰をさらに強く抱きしめた。
 エリアンは、彼の漆黒の髪が自分の首筋をくすぐる感触に、妙なむず痒さを覚える。

(これは、薬師としての義務……。ですよね。陛下が落ち着くまで、安静にさせるのが一番の処方箋ですし)

 エリアンは自分に言い聞かせ、自由な方の手でヴァレリウスの熱い髪を優しく撫でた。
 竜の皇帝は、しばらくの間、静かにエリアンの温もりに浸っていた。
 やがて、部屋を満たしていた陽炎のような歪みが消え、静寂が戻ってくる。

 ヴァレリウスが顔を上げた時、その瞳の紅は消え、深い黄金色が戻っていた。
 彼は自分がどれほどエリアンに密着していたかを自覚したのか、唐突にその腕を離した。

「……悪かった。取り乱したようだ」
「いいえ。緊急事態ですから。それより、この氷晶草の湿布、三時間ごとに替えるのが理想的です。今夜は、私が陛下の寝室で……」
「ならん。お前まで倒れられては困る。……今夜は、もう下がれ」

 ヴァレリウスは立ち上がると、一度もエリアンと目を合わさないまま、足早に部屋を去っていった。
 その歩き方はどこかぎこちなく、耳たぶが、彼の放つ熱のせいか、それとも別の理由か、赤く染まっているのをエリアンは見逃さなかった。

 一人残された調合室。
 エリアンは自分の掌に残る、ヴァレリウスの髪の感触と、あの激しい心音を思い出していた。

「……心臓、すごく早かったな」

 自分の胸に手を当てると、そこでもまた、いつもより少しだけ騒がしい音が鳴っている。

「……さて。明日の朝は、もっと強力な鎮静薬のレシピを考えないと」

 エリアンは頬の熱を冷ますように深呼吸をすると、再び包丁を握った。
 夜はまだ長く、二人の距離を縮める火山の熱は、簡単には冷めそうになかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい

雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。 延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)

かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。 はい? 自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが? しかも、男なんですが? BL初挑戦! ヌルイです。 王子目線追加しました。 沢山の方に読んでいただき、感謝します!! 6月3日、BL部門日間1位になりました。 ありがとうございます!!!

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

契約結婚だけど大好きです!

泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。 そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。 片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。 しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。 イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。 ...... 「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」  彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。 「すみません。僕はこれから用事があるので」  本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。  この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。 ※小説家になろうにも掲載しております ※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

処理中です...