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第十四話
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城に戻るや否や、エリアンは着替えもそこそこに中庭へと飛び出した。
背後からは、市場で買い込んだ泥岩の重い袋を両肩に担いだヴァレリウスが、地響きのような足音を立ててついてくる。
「エリアン、少しは落ち着け。石は逃げん」
「逃げませんが、風味が落ちます! この泥岩は新鮮なうちに砕いて、土に混ぜ込まないと意味がないんです」
エリアンは手早く作業用のエプロンを締め、愛用の乳鉢を石のベンチにセットした。
ヴァレリウスは「風味……?」と怪訝そうに眉を寄せながらも、ドサリと袋を地面に下ろした。その衝撃で、足元の黒い灰がふわりと舞う。
「陛下、そこの端っこを持っていていただけますか? 私が砕きますので」
「…………。よかろう」
帝国全土を統べる皇帝が、庭の隅で泥だらけの岩を固定する役目を引き受ける。
もしゼフィールが見ていれば腹を抱えて笑っただろうが、今のヴァレリウスにとっては、目の前で瞳を輝かせているエリアンの願いを叶えることの方が、政務よりも優先順位が高かった。
カチ、カチ、と小気味よい音が夜の静寂に響く。
エリアンが金槌で泥岩を叩き割ると、断面から湿った土と、微かな硫黄の混じった濃厚な大地の匂いが立ち上った。
「いい匂い。これは効きますよ」
エリアンは砕いた石の粉を、中庭の一角に植えたばかりの苗の根元へ丁寧に撒いていく。
すると、不思議なことが起きた。
黒い灰に覆われていた地面が、石の粉と混ざり合った瞬間に、微かな青白い光を放ち始めたのだ。
「……これは、何だ。魔力の残滓か?」
「いいえ、中和反応です。火山の酸性と、この泥岩に含まれるアルカリ成分がぶつかって、エネルギーを放出しているんですよ。見てください、陛下」
エリアンが指差した先では、昨日まで元気がなかった薬草の葉が、目に見える速さでシャキリと起き上がっていた。
さらに、その葉の表面から、ひんやりとした冷気が霧のように溢れ出していく。
「この薬草は『月光の滴(げっこうのしずく)』といいます。熱を吸収して、代わりに冷たい霧を吐き出すんです。これが群生すれば、この城の熱気もずっと和らぐはずです」
エリアンは満足げに腰を伸ばした。
その拍子に、バランスを崩して後ろへよろめく。
「おっと……」
倒れる前に、背後から熱い壁のような質量がエリアンを受け止めた。
ヴァレリウスが、エリアンの脇の下に腕を通し、そのままひょいと持ち上げたのだ。
「ひゃあ!? 陛下、汚れます!」
「今さら何を言う。私の服は、すでにお前が跳ね飛ばした泥だらけだ」
ヴァレリウスはエリアンを下ろさず、そのまま自分の腕の中に閉じ込めるようにして、光る庭を見下ろした。
彼の高い体温が、エリアンの背中を通じて伝わってくる。
鉄が焼けるような熱。けれど、以前のような焦燥感はない。
「……エリアン。お前が来てから、この城の匂いが変わった」
「匂い、ですか?」
「ああ。死んだ石と煙の匂いしかなかった場所に、生きている草の匂いが混じるようになった」
ヴァレリウスの低い声が、エリアンの耳元で心地よく響く。
彼は大きな掌で、エリアンの泥のついた手をそっと包み込んだ。
ざらりとした岩肌のような、固いタコのある手。戦いと統治に明け暮れてきた、孤独な王の手だ。
「……私は、この匂いを知っている気がする。遠い昔、まだ竜の呪いが私を焼き尽くす前、母の庭で嗅いだような……」
「…………」
エリアンは何も言わず、ヴァレリウスの手を握り返した。
直接的な慰めの言葉など必要なかった。ただ、こうして熱を共有し、共に大地の再生を見守る。それが今の二人にとって、最も純粋な対話だったから。
ふと、エリアンがヴァレリウスの顎を見上げた。
「陛下、お顔に泥がついていますよ。ふふ、せっかくの男前が台無しです」
「なっ……。どこだ」
「ここです。……じっとしていてくださいね」
エリアンは自分の袖を捲ると、清潔な部分でヴァレリウスの頬を優しく拭った。
至近距離で見つめ合う、金色の瞳と若草色の瞳。
月光に照らされた青白い庭の中で、二人の間にある熱は、火山のそれよりもずっと静かに、けれど深く燃え広がっていった。
「……エリアン。明日から、演習の時間を一時間減らす」
「えっ、どうしてですか? お忙しいのに」
「……庭の手入れを手伝えと言っているのだ。察しの悪い奴め」
ヴァレリウスはバツが悪そうに顔を逸らしたが、エリアンを抱きしめる腕の力は緩めなかった。
翌朝、ゼフィールが中庭で「皇帝陛下専用のシャベル」を発見して絶叫することになるのを、二人はまだ知らない。
背後からは、市場で買い込んだ泥岩の重い袋を両肩に担いだヴァレリウスが、地響きのような足音を立ててついてくる。
「エリアン、少しは落ち着け。石は逃げん」
「逃げませんが、風味が落ちます! この泥岩は新鮮なうちに砕いて、土に混ぜ込まないと意味がないんです」
エリアンは手早く作業用のエプロンを締め、愛用の乳鉢を石のベンチにセットした。
ヴァレリウスは「風味……?」と怪訝そうに眉を寄せながらも、ドサリと袋を地面に下ろした。その衝撃で、足元の黒い灰がふわりと舞う。
「陛下、そこの端っこを持っていていただけますか? 私が砕きますので」
「…………。よかろう」
帝国全土を統べる皇帝が、庭の隅で泥だらけの岩を固定する役目を引き受ける。
もしゼフィールが見ていれば腹を抱えて笑っただろうが、今のヴァレリウスにとっては、目の前で瞳を輝かせているエリアンの願いを叶えることの方が、政務よりも優先順位が高かった。
カチ、カチ、と小気味よい音が夜の静寂に響く。
エリアンが金槌で泥岩を叩き割ると、断面から湿った土と、微かな硫黄の混じった濃厚な大地の匂いが立ち上った。
「いい匂い。これは効きますよ」
エリアンは砕いた石の粉を、中庭の一角に植えたばかりの苗の根元へ丁寧に撒いていく。
すると、不思議なことが起きた。
黒い灰に覆われていた地面が、石の粉と混ざり合った瞬間に、微かな青白い光を放ち始めたのだ。
「……これは、何だ。魔力の残滓か?」
「いいえ、中和反応です。火山の酸性と、この泥岩に含まれるアルカリ成分がぶつかって、エネルギーを放出しているんですよ。見てください、陛下」
エリアンが指差した先では、昨日まで元気がなかった薬草の葉が、目に見える速さでシャキリと起き上がっていた。
さらに、その葉の表面から、ひんやりとした冷気が霧のように溢れ出していく。
「この薬草は『月光の滴(げっこうのしずく)』といいます。熱を吸収して、代わりに冷たい霧を吐き出すんです。これが群生すれば、この城の熱気もずっと和らぐはずです」
エリアンは満足げに腰を伸ばした。
その拍子に、バランスを崩して後ろへよろめく。
「おっと……」
倒れる前に、背後から熱い壁のような質量がエリアンを受け止めた。
ヴァレリウスが、エリアンの脇の下に腕を通し、そのままひょいと持ち上げたのだ。
「ひゃあ!? 陛下、汚れます!」
「今さら何を言う。私の服は、すでにお前が跳ね飛ばした泥だらけだ」
ヴァレリウスはエリアンを下ろさず、そのまま自分の腕の中に閉じ込めるようにして、光る庭を見下ろした。
彼の高い体温が、エリアンの背中を通じて伝わってくる。
鉄が焼けるような熱。けれど、以前のような焦燥感はない。
「……エリアン。お前が来てから、この城の匂いが変わった」
「匂い、ですか?」
「ああ。死んだ石と煙の匂いしかなかった場所に、生きている草の匂いが混じるようになった」
ヴァレリウスの低い声が、エリアンの耳元で心地よく響く。
彼は大きな掌で、エリアンの泥のついた手をそっと包み込んだ。
ざらりとした岩肌のような、固いタコのある手。戦いと統治に明け暮れてきた、孤独な王の手だ。
「……私は、この匂いを知っている気がする。遠い昔、まだ竜の呪いが私を焼き尽くす前、母の庭で嗅いだような……」
「…………」
エリアンは何も言わず、ヴァレリウスの手を握り返した。
直接的な慰めの言葉など必要なかった。ただ、こうして熱を共有し、共に大地の再生を見守る。それが今の二人にとって、最も純粋な対話だったから。
ふと、エリアンがヴァレリウスの顎を見上げた。
「陛下、お顔に泥がついていますよ。ふふ、せっかくの男前が台無しです」
「なっ……。どこだ」
「ここです。……じっとしていてくださいね」
エリアンは自分の袖を捲ると、清潔な部分でヴァレリウスの頬を優しく拭った。
至近距離で見つめ合う、金色の瞳と若草色の瞳。
月光に照らされた青白い庭の中で、二人の間にある熱は、火山のそれよりもずっと静かに、けれど深く燃え広がっていった。
「……エリアン。明日から、演習の時間を一時間減らす」
「えっ、どうしてですか? お忙しいのに」
「……庭の手入れを手伝えと言っているのだ。察しの悪い奴め」
ヴァレリウスはバツが悪そうに顔を逸らしたが、エリアンを抱きしめる腕の力は緩めなかった。
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