竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第十五話

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 夜明け前の紫がかった空気が、火山の熱を孕んで重く沈んでいる。
 エリアンはいつものように、朝露が蒸発する前に薬草たちの顔を見ようと中庭へ向かった。手に持っているのは、昨日オズワルドの店で買い足した、小さな移植ゴテと種袋だ。

 ――昨日のあれは、きっと寝ぼけていたか、あるいは気まぐれだったのだろう。

 そう自分に言い聞かせ、勝手口の重い扉を引く。
 皇帝が庭いじりを手伝うなど、お伽話でも聞いたことがない。ましてや、あの「死の竜帝」と恐れられるヴァレリウスが、泥にまみれる姿など想像もつかなかった。

「……遅いぞ、エリアン」

 低く、地響きのような声が霧の向こうから届いた。
 エリアンは目を丸くして立ち尽くす。
 霧が薄れる中、そこには昨日宣言した通り、上着を脱ぎ捨てて白いシャツの袖を捲り上げたヴァレリウスが立っていた。
 その手には、どこから持ってきたのか、あまりにも不釣り合いなほど小さな「じょうろ」が握られている。

「陛下、本当にいらしたんですか?」
「嘘をついてどうする。……早くしろ、何をすればいい」

 ヴァレリウスは不機嫌そうに鼻を鳴らすが、その立ち姿には迷いがない。
 エリアンは慌てて彼の元へ駆け寄った。
 近づくと、ヴァレリウスの体から放たれる圧倒的な熱気が、冷ややかな朝霧をじりじりと押し返していく。

「では……まずは、あちらの『月光の滴』の周囲にある雑草を抜いていただけますか? この子は繊細なので、指先で優しく、土を荒らさないように……」

 エリアンが実演して見せると、ヴァレリウスは眉間に深い皺を刻み、大きな膝を地面についた。
 岩のように大きな拳が、頼りなげな細い草へと伸びる。
 その光景は、猛獣が壊れやすいガラス細工を触ろうとしているようで、エリアンは思わず固唾を飲んだ。

「……こうか」
「あ、陛下! 力が強すぎます! 草ごと土がえぐれていますよ」
「チッ。……脆すぎるのだ、この草は」
「草が脆いのではありません、陛下の手が鋼鉄すぎるんです。ほら、もっと力を抜いて。……失礼しますね」

 エリアンはヴァレリウスの背後に回り込み、彼の大きな手を上からそっと包み込んだ。
 触れた瞬間、指先が火傷しそうなほどの熱量を感じる。
 けれど、エリアンはその熱に怯むことなく、ヴァレリウスの指を誘導した。

「指の腹で、こう、土の湿り気を感じるように……。そう、そのままゆっくりと」
「…………」

 ヴァレリウスの動きが止まる。
 エリアンの柔らかい指先が、自分の節くれだった手に重なっている。
 背中越しに感じる、エリアンの規則正しい呼吸と、彼が纏う爽やかなハーブの匂い。
 ヴァレリウスの心臓が、いつもとは違う理由で激しく跳ねた。体内の熱が、怒りでも破壊衝動でもなく、甘い痺れを伴って指先に集まっていく。

「……あ、抜けました! お上手です、陛下」

 エリアンが嬉しそうに声を上げ、手を離す。
 ヴァレリウスは、自分の掌に残った温もりを惜しむように、一度だけ指を曲げた。

「……ふん。造作もない」
「ふふ、次はあちらの種まきをお願いしますね。あ、その前に水分補給です」

 エリアンは腰に下げていた水筒を差し出した。
 中身は、冷やしたペパーミントと蜂蜜のドリンクだ。
 ヴァレリウスはそれを受け取り、一気に煽る。喉仏が大きく上下し、彼の熱い呼気がミントの香りを孕んで白く広がった。

「……生き返るな」
「良かったです。さあ、次は……あ、そこの新しい助手を紹介しますね。今日から手伝ってくれることになった、新人の庭師見習いのカイル君です」

 エリアンが呼ぶと、生垣の向こうから、一人の少年が震えながら顔を出した。
 亜麻色の髪を短く刈り込んだ、まだ十代半ばほどの少年だ。
 
「カ、カイルと申します……! あ、あの、皇帝陛下と同じ空間で土をいじるなんて、光栄で……死にそうです……」

 カイルは地面に額を擦り付けんばかりの勢いで平伏した。
 ヴァレリウスは黄金の瞳を細め、カイルを一瞥する。

「……誰だ、それは。ゼフィールの差し金か」
「いえ、マリスさんが、私一人では大変だろうと選んでくれたんです。カイル君は植物の声が聞こえるんですよ。ね、カイル君?」
「は、はい! あ、あの、そこの薬草が、陛下のお熱が気持ちいいって言ってます……!」

 カイルの必死の言葉に、ヴァレリウスは意外そうに眉を上げた。
 これまでの人生で、自分の熱を「気持ちいい」と表現した者など、エリアン以外にはいなかった。

「……そうか。なら、勝手にしろ」

 ヴァレリウスは再び土に向き直った。
 その後ろ姿には、以前のような「寄せ付けない殺気」が消え、どこか静かな落ち着きが漂っている。

 エリアンは二人の様子を見守りながら、移植ゴテを土に差し込んだ。
 濡れた土の匂い。
 朝日の光を反射して輝く、薬草の青い芽。
 そして、隣で黙々と作業を続ける、熱く、不器用な皇帝。

「……平和ですね」

 エリアンが小さく呟くと、ヴァレリウスがこちらを向かずに「独り言が多いぞ」と返した。
 その声には、トゲのない、確かな親愛の情が混じっている。
 
 一時間後、ゼフィールが呼びに来る頃には、ヴァレリウスのシャツはすっかり泥だらけになっていた。
 しかし、その表情は演習の後よりもずっと晴れやかで、彼の周りに咲く『月光の滴』は、皇帝の熱を吸って、かつてないほど濃い青色の霧を吐き出していた。

 二人の恋が花開くのは、もう少し先のこと。
 けれど、この朝の土の匂いと、不器用な協力作業は、間違いなくその根を深く、強く、大地へと張らせていた。
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