竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第十七話

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 調合室の空気は、これまでにないほど澄み渡っていた。
 作業机の上には、昨日カイルと共に咲かせた『共鳴の双葉』から抽出した、ごく少量の香油が置かれている。ガラス瓶の中で揺れる液体は、深い海のような青紫色をしており、蓋を開けずとも、部屋中に月光を煮詰めたような清涼な香りが漂っていた。

「……よし。粘性は合格、香りの持続性も申し分なし。あとは、あの頑固な患者さんに試すだけですね」

 エリアンは自分に言い聞かせ、清潔な麻の布を準備した。
 あの大騒ぎの種まきから一晩。ヴァレリウスの熱は一時的に落ち着いたものの、魔力の循環が急激に変化したせいで、筋肉にかなりの強張りが残っているはずだ。
 薬師としての勘が、今こそ「外側からのアプローチ」が必要だと告げていた。

 ――コンコン。
 
 ノックの音と同時に、返事も待たずに扉が開く。
 入ってきたのは、不機嫌を絵に描いたような顔をしたヴァレリウスだった。

「エリアン、私を呼び出すとはどういうつもりだ。執務が山積みだと知っているだろう」
「わかっていますよ。だからこそ、今のうちにメンテナンスをしないと、明日の朝には体が石のように固まって動かなくなります。……さあ、その椅子に座って、上着を脱いでください」

 エリアンの事務的な指示に、ヴァレリウスが絶句した。

「……脱げ、だと? 貴様、自分が何を言っているのか理解しているのか」
「マッサージをするんです。この香油を浸透させるには、直接肌に塗るのが一番効率的ですから。……ほら、早く。時間は有限ですよ?」

 エリアンはヴァレリウスの腕を掴み、半ば強引に大きな背もたれ付きの椅子へ誘導した。
 ヴァレリウスは「……チッ」と舌打ちをしながらも、されるがままに軍服のボタンを外し、白いシャツを脱ぎ捨てた。

 露わになった背中は、まさに鋼の壁だった。
 幾多の戦場を潜り抜けてきた証である古い傷跡が、隆起した筋肉の上に刻まれている。何より、そこから放たれる熱が凄まじい。エリアンは一瞬、熱風に顔を背けそうになったが、すぐに手に香油を馴染ませた。

「ひんやりしますよ。……失礼します」

 エリアンが両手をヴァレリウスの肩甲骨あたりに置いた瞬間。
 ジュウ、と音がしそうなほどの温度差が生まれた。

「…………ッ!」

 ヴァレリウスの背中が、目に見えて大きく跳ねた。
 
「……冷たい。いや、これは……何だ」
「驚かないでください。香油に含まれる成分が、血管を拡張して熱を逃がしているんです。陛下、肩に力が入りすぎています。息を吐いて」

 エリアンは指先に力を込め、硬く結ばれた筋肉の筋をなぞるように滑らせた。
 ヴァレリウスの肌は、触れているだけで手のひらが赤くなりそうなほど熱い。けれど、エリアンの指が動くたび、その熱は暴力的な色を失い、穏やかな脈動へと変わっていく。

 エリアンは、自分の心臓が少しだけ早く鳴っていることに気づかないふりをした。
 指先から伝わる、ヴァレリウスの逞しい生命力。肌の質感。背骨の確かなライン。
 薬師として何百人もの体を診てきたが、これほどまでに「生」のエネルギーに満ち、それでいて脆い均衡の上に立っている体を知らない。

「……お前の手は、妙に落ち着くな」

 ヴァレリウスの声が、低く、掠れたように響いた。
 彼は顔を伏せ、椅子の背もたれに額を預けている。
 
「そうですか? 自分では、少し指の力が足りないかなと思っているのですが」
「……力加減の問題ではない。……お前が触れると、腹の底で暴れる火が、大人しく丸まるのがわかる」

 ヴァレリウスの鋼のような背中から、ゆっくりと力が抜けていく。
 エリアンは念入りに、首筋から腰にかけて香油を擦り込んでいった。
 青紫色の液体が肌に吸い込まれるたびに、ヴァレリウスの肌にうっすらと浮かんでいた竜の紋様が、静かに鎮まっていく。

「陛下。……あなたは、ずっと一人でこの熱と戦ってきたんですね」
「…………。竜帝とは、そういうものだ。誰にも触れさせず、誰にも頼らず、ただ焦熱の中で立ち続ける。それが王の宿命だ」
「宿命、ですか。……私はそういう言葉、嫌いです」

 エリアンはわざと少しだけ強く、ヴァレリウスのこった肩を押し込んだ。

「陛下が倒れたら、中庭の草に誰が熱を分けてあげるんですか? あの子たちは、陛下の不器用な熱が大好きなんですよ。……もちろん、私もです」

 エリアンが何気なく口にした言葉に、ヴァレリウスが完全に凍りついた。
 沈黙が部屋を支配する。
 カチ、カチ、と壁の時計が刻む音だけがやけに大きく聞こえた。

「……今の言葉は、どういう意味だ」
「えっ? あ、その、薬師として、研究対象として……」
「そうではないだろう! 貴様、わざとやっているのか!」

 ヴァレリウスが勢いよく振り返った。
 至近距離。
 金の瞳が、エリアンの若草色の瞳を真っ向から射抜く。
 ヴァレリウスの顔は、香油の冷却効果を完全に無視して、真っ赤に上気していた。

「あ……。陛下、まだマッサージの途中です。動かないでください」
「動かずにいられるか! お前は……お前という奴は……!」

 ヴァレリウスはエリアンの細い手首を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せようとした。
 だが、その瞬間。

「失礼しますー。陛下、お茶のおかわりを……っておやおや。これはまた、情熱的な診察中ですね」

 絶妙なタイミングで、ゼフィールが扉から顔を出した。
 その後ろには、盆を持ったマリスが「あらあら」と口元を隠して立っている。

「ゼフィール……! 貴様、叩き斬ると言ったはずだ!」
「まあまあ。陛下、そんなに怒るとせっかくのオイルの効果が台無しですよ。エリアン君、お疲れ様。陛下、顔がゆでダコみたいになってるけど大丈夫?」

 ゼフィールの茶化す声に、ヴァレリウスは咆哮を上げる寸前で踏みとどまり、乱暴にシャツを掴んで部屋を飛び出していった。

「エリアン! 今夜のハーブ水は、二倍の量を持ってこい! 熱が引かん!」

 廊下に響き渡る皇帝の怒鳴り声。
 エリアンはポカンと立ち尽くし、自分の手のひらに残る熱い背中の感触を確かめるように指を曲げた。

「……二倍、ですか。そんなに喉が渇いていたんですね、陛下は」

 エリアンの天然な呟きに、ゼフィールは深く、深い溜息をついた。

「エリアン君。君、本当は最強の天然魔導師なんじゃないかな……。陛下の心臓、今にも爆発しそうだったよ」

 月の香りが満ちる調合室。
 二人の距離は、マッサージという実務的な接触を通じて、取り返しのつかないところまで加速し始めていた。
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