竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第二十七話

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 黒鱗宮(こくりんきゅう)の朝は、かつてないほどの喧騒に包まれていた。
 今日は、火山の恵みを祝う『黒鱗収穫祭』の当日だ。いつもは静まり返っていた石造りの廊下を、色とりどりの布や果実の籠を抱えた使用人たちが忙しなく行き交っている。

 エリアンは中庭の特設テントで、最終的な薬草茶の調合に追われていた。
 目の前には、温室で収穫されたばかりの『陽炎の実』や『月光の滴』が山積みになっている。それらを大鍋で煮出すと、甘酸っぱくも清涼感のある香りが広場全体を包み込んだ。

「エリアン様、こちらのお花の飾り付け、これでよろしいでしょうか」

 声をかけてきたのは、新人の下働きであるトビアスだ。
 彼は少し緊張した面持ちで、エリアンが育てた『金焔の硝子薔薇(きんえんのガラスばら)』を象った造花を差し出した。
 エリアンは作業の手を止め、トビアスの目線に合わせて微笑む。

「完璧ですよ、トビアス君。あちらの柱に飾れば、夜の灯りに映えてとても綺麗に見えるはずです」
「ありがとうございます! エリアン様の薬草のおかげで、今年の冬は誰も風邪を引かずに済みそうだって、みんな喜んでいるんです」

 トビアスが元気よく走り去っていく後ろ姿を見送り、エリアンはふっと息を吐いた。
 この城に来たばかりの頃、ここには「喜び」や「賑わい」といった感情が欠けていた。けれど今、人々の顔には確かな活気が宿り、互いを労わる言葉が飛び交っている。

 背後から、じりじりと肌を焼くような、けれど懐かしい熱が近づいてきた。
 振り返るまでもない。重厚な足音と、鉄を叩くような力強い鼓動。

「……随分と楽しそうだな、エリアン」

 現れたのは、正装である漆黒の軍服を纏ったヴァレリウスだった。
 金糸の刺繍が施された襟元が、彼の放つ黄金の魔圧を受けて鈍く光っている。周囲の使用人たちが一斉に平伏する中、エリアンだけは杓子を持ったまま、いつも通りに彼を迎えた。

「陛下、お疲れ様です。……お顔の色、とても良いですね。昨夜のハーブ水が効いたのでしょうか」
「…………。貴様が無理やり飲ませた、あの苦い方のやつか。……あれのおかげで、今朝は身体が軽すぎるほどだ」

 ヴァレリウスは不機嫌そうに唇を尖らせたが、その瞳には柔らかな光が宿っている。
 彼は無造作にエリアンの隣に立つと、大きな掌でエリアンの頭をくしゃりと撫でた。

「陛下、髪が乱れます……」
「構わん。……お前がこの城を変えた。……死の山に過ぎなかったこの場所を、人々が帰りたくなる『家』にしたのは、お前だ」

 ヴァレリウスの低い声が、広場に響く活気に混じってエリアンの耳に届く。
 エリアンは照れ隠しに大鍋をかき混ぜた。
 煮え立つ茶の表面に、自分たちの影が映っている。小柄な銀髪の青年と、彼を包み込むように立つ巨大な黒の影。

「私はただ、自分ができることをしただけです。……陛下が場所をくださり、みんなが手伝ってくれたからです」
「……お前のそういう無欲なところが、一番の毒だな。……私をここまで変えておきながら」

 ヴァレリウスはそう言うと、エリアンの腰を引き寄せ、広場の中心にある大きなモニュメントへと視線を向けた。
 そこには、エリアンとヴァレリウスが共に芽吹かせた『共鳴の双葉』が、見事な大輪の青い花を咲かせて鎮座している。その花から放たれる白霧が、城全体を優しく冷やし、人々に安らぎを与えていた。

 不意に、マリスが近づいてきて恭しく一礼した。

「陛下、エリアン様。まもなく祭典の開始時刻です。……皆、お二人の登壇を待ちわびておりますわ」
「ああ。……行くぞ、エリアン」

 ヴァレリウスが手を差し出す。
 エリアンはその大きく熱い掌を、迷うことなく握り返した。
 掴まれた指先から、ヴァレリウスの誇りと、そして抑えきれない所有欲が混ざった熱が流れ込んでくる。

 かつては「身代わり」として、死を覚悟して跨いだ門。
 けれど今、エリアンの足取りは羽のように軽かった。

 階段を上り、城のバルコニーへ出ると、眼下には数え切れないほどのランタンが灯っていた。
 城下町の人々、城の従者たち。全員が顔を上げ、自分たちの王と、その隣に立つ銀色の薬師を仰ぎ見ている。

「……私の隣にいろ。……これからも、ずっとだ」

 歓声の渦の中、ヴァレリウスがエリアンの耳元で、誰にも聞こえないほど小さな声で囁いた。
 エリアンは、繋いだ手のひらに力を込め、確かな返事としてそれを返した。

 収穫の喜びは、ただの作物の実りではない。
 孤独だった皇帝が手に入れた、たった一つの、かけがえのない体温。
 そして、居場所を失っていた薬師が見つけた、一生を賭けて守り抜くべき笑顔。

 夜空に打ち上がった大輪の魔力花火が、二人の横顔を鮮やかに、そして美しく照らし出した。
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