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王都編 〜勉強する〜
183.おっさん、予定を聞く
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娼館はセドア・ウォールとルヴァン・ウォールの間にある歓楽街の一角にある。
第1・第2城壁の間という場所柄から下町という雰囲気が強く、そこの歓楽街に来る人々も階級で言えば中から下という比較的下層の者が多い。
日雇い労働者や出稼ぎ、流れのハンターや傭兵。中層以上の歓楽街に比べて雑多で騒がしかった。
道歩く人の柄も悪く、あちこちから喧嘩の怒鳴り声、物が壊れる音も頻繁に聞かれるような、治安もあまり良くない場所だ。
そんな歓楽街の道をオスカーが平民が着る服を着て歩いていた。
時折り店に呼び込もうとする店員に声をかけられるが、そつなく断り、目的の娼館を目指す。
そんな街で一杯ひっかけた後、目的の娼館「夢幻城」に到着した。
「いらっしゃぁ~い。お一人~?」
コートを脱ぎながら娼館に入ると、出迎えてくれた中年の女性が、大きなバストと大きな尻、さらに大きなお腹の脂肪をゆさゆさと揺すりながらオスカーに近付く。
「ああ、1人だ」
「んまぁ~いい男~。どう?あたしを買わない?」
娼館のロビーは酒場にもなっていて、至る所にいる娼婦や男娼が客に声をかけている。客は相手を吟味し選ぼうとしている者、または際どい服を着た娼婦達を見て楽しみながら酒を飲む者で賑わっていた。
その中、カウンター側にいた女性がオスカーに声をかけ近付いてくる。
「ババァは引っ込んでろよ」
そんな女性を押しのけるように、際どい格好をした男娼がオスカーにしなだれかかる。
「俺を買ってよ。サービスするからぁ」
「ちょっとぉ、あたしが先に目をつけたのよ」
押しのけられた娼婦が男娼を小突き、オスカーを奪い返す。
「いやぁん、すごい体~」
娼婦の手がオスカーの胸を服の上から弄ってその筋肉を確認しながら甘い声を出す。
2人だけではなく、壁際にいた娼婦・男娼達が気がつけばオスカーを取り囲んでいた。
「まいったな…」
口ではそういうが、オスカーの顔はニヤついていた。
「こんないい男、ここじゃ滅多にお目にかかれないわ」
「商売抜きでSEXしてぇ」
男娼がオスカーの尻を弄り、ズボンの上からそのペニスの大きさを触って確認する。
「すげぇ…」
「ねぇ、あたしにしてよ」
「俺と寝てくれよ」
複数にそう言われる中、他の客がモテモテのオスカーに眉間に皺を寄せる。さっきまで自分が誘われていたのに、オスカーが現れた途端に乗り換えられたのだ。いい気分のはずがない。
「おい。てめぇみたいな男はここに来る必要ねえんじゃねーか?」
数人がイライラしてオスカーに突っかかってきた。
オスカーはチラリと他の客を一瞥しただけで無視を決め込み、自分にまとわりつく娼婦や男娼たちの品定めをする。
「おい、聞いてんのか。てめえに言ってんだよ」
無視されて逆上した客が勢いよく立ち上がり、椅子がひっくり返る音が響いた。そのままオスカーにズカズカと近寄ると、その胸倉を掴もうとする。
「やめておけ」
胸倉を掴まれる前に、伸ばされた男の手首を掴むと、ピタリと止めた。それと同時に威圧の魔力をほんの少しだけ解放し、客を正面から見る。
「…ぅ…」
ほんの少しの威圧だけで客は怯んだ。オスカーに圧倒されて、一瞬で頭から足先まで血液が下がり青ざめる。
静かにオスカーが手を離すと、男はその場に立ち尽くし、それを見ていた他の客達は慌ててオスカーから目を逸らした。
「いや~ん、ねぇ、もしかして騎士様なの?」
「元な」
そんなオスカーに惚れ惚れした娼婦がうっとりしながらオスカーの胸に飛び込みながら、豊満なおっぱいを押し付けた。
そんな質問に嘘で答えると、ちょうど娼館の上の階から降りてきた男娼と目があった。
少しだけ長めの短髪黒髪の青年が、静かにゆっくりとした動作で階段を降りてくる。
オスカーと目が合うと、目を細めて薄く微笑み小さく会釈した。
「…彼にする」
一言そう呟いた途端、オスカーを取り囲んでいた娼婦達がえー、と文句を言った。
「またシア~!?」
「いい男はみんなシアを選ぶじゃねーか。たまにこっちにも回してくれよ」
口々に文句を言う娼婦達の間を通り、シアの前に立つ。
「シアというのか。空いてるか?」
「はい…」
シアの前に立つとじっとその顔を見つめる。控え目に答えるシアが微笑みながら薄く頬を染めた。
「お客さん、シアはこの店でも別格なんだ。ちゃんと持ってるだろうね」
店に入った時に声をかけてきた中年の女性が指で、金、を示す動きを見せる。
「いくらだ」
「いくら持ってるんだい?」
ふっかけてやろうというのが見え見えな態度にオスカーが苦笑した。
「女将さん」
そんな女性をシアが嗜めると、そっとオスカーに近寄って右手を取ると、その手のひらに細い指で6と書き、そのままオスカーの厚い手をそっと撫でる。
「それでいい。前払いか?」
抱きしめられる距離にいるシアからいい匂いがする。
「そうだよ。一晩なら倍だ」
女将が正規の金額をバラされてムスッとしながらフンと鼻を鳴らした。
オスカーがニヤリと笑い、無造作にポケットに手を突っ込むと取り出した白金貨2枚を女将に投げる。
「え、あ」
慌てて受け取り、思わぬ上客に女将の顔がニヤリと笑った。
「一晩買った。釣りで今ここにいる全員に一杯奢ってやってくれ」
シアの肩を抱いて自分の胸に引き寄せながら、全員に聞こえるように言った。
「うひょぉ~、太っ腹」
さっきまでオスカーに対してイラついていた客達が嬉しそうな雄叫びをあげた。
そんな声を聞いて、シアが顔を上げるとオスカーに笑顔を向けた。
「どうぞこちらへ」
シアの柔らかく温かい手に導かれて、今し方降りてきた階段を上がり、シアの個室へと案内された。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
シアの個室に入り、促されるままに、床に直置きされた柔らかく大きなクッションに座る。
部屋の中は娼館らしく原色が散りばめられたものだったが、シアの趣味だろうか、けばけばしく感じず、色は派手だが規則性のある内装が妙に落ち着いた。
「レオ」
いつも使っている偽名を名乗る。
「レオ様…」
シアが部屋の片隅にある棚でお酒を用意し、それをオスカーに渡す。
「シアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
酒を受け取り、そのまま隣に座ったシアが挨拶し、オスカーに寄り添い、ピタリと体を密着させて、オスカーの胸に手を置く。
飲みながらシアの頭を撫で、肩や背中に手を這わせる。
髪をたくしあげるようにうなじに手を持って行き、そのまま耳に触れると、ピクリとシアの体が反応した。
酒の入ったグラスを脇に置くと、シアの体をずらして自分の上に跨らせる。
「この仕事長いのか?」
「そうですね…3年ほどになります」
シアが自分の唇をなぞりながら考えるような仕草をした。
そして、オスカーに覆い被さり顔を近づけ、じっとその黒い瞳でオスカーを見た。
「どのようなプレイを望まれますか…?」
頬を染めて潤んだ瞳で恥ずかしそうに聞いてくるシアに下半身が思い切り反応した。
「普通でいい。特別なことは望まない」
そう返事をするとシアがホッとしたような表情で微笑んだ。
体を売るにあたっては、その客が望む行為を受け入れなくてはならない。
色々な性癖を持つ客がいて、全員が一般的なSEXを求めてくるわけではない。むしろこういう場所だからこそ、隠している性癖を曝け出す人が多い。恋人や伴侶に出来ないから、金でその行為を楽しむのだ。
これまでにも頭がおかしくなりそうな行為を強いられたことが何度もあった。
体を売り始めて何度も心が壊れかけた。
シアがオスカーに自ら唇を重ねる。
啄むようなキスを繰り返し、舌でその唇を舐めると、オスカーからも舌を吸われ、深く絡め取られた。
ゆっくりと時間をかけて互いの唇を貪る。溢れた唾液が互いの口から溢れ顎を伝い落ちるのを舌で掬い取った。
「はぁ…」
シアの背筋に快感が走る。
ゆっくりと体を起こすと、オスカーに跨ったまま、ゆっくりと着ていた服の合わせを広げた。
着物のような服の帯を緩め、上半身を曝け出す。
胸元に咲く乳首がキスによる刺激でピンと立ち上がっていた。
オスカーがその乳首に顔を寄せ、舌先で舐め、指でクリクリと弄ると、シアの口から喘ぎが漏れた。
シアの黒髪が揺れる。
自分に跨ってアナルにオスカーを深く受け入れて腰を揺すっている。
ひっきりなしに聞こえる嬌声は演技ではなく、はっきりと快感を含んだ甘い声だった。
シアの腰を掴み下から突き上げながら、その姿に目を奪われる。
1階の酒場兼ロビーでシアを見た時、はっきりと翔平を思い出した。
長めの短髪黒髪に優しげな微笑み。
手摺に手を添えながら、静かに降りてきた動作に品がある。
男娼として3年も続けているのに、その行為に頬を染める恥じらいもあり、考える時に唇に触れる仕草も、翔平を連想させた。
まるで顔は違う。似ても似つかないが、仕草や態度、雰囲気が似ていると思った。
翔平にものすごく色気があったら、こんな感じか、と心の中で苦笑する。
狩猟祭で翔平が男を誘う練習と言って、俺に色気を見せたことがあった。
その時の仕草や表情に、一瞬で俺は劣情を抱いた。
抱いただけでどうこうしようとは思わなかったが、それでも破壊力はあったと、キースと2人で呆れ、そして笑ったのを思い出していた。
ジョン・ベルトラークのお気に入りだという男娼。
最初にシアを見た時に翔平を連想したのだから、きっとその逆もしかりだ。
ジョンが翔平を見た時、きっと夜会の時だろうが、あの時に絶対ジョンはシアを連想したはずだ。
普段の翔平ならそう思わないかもしれないが、聖女の演技をしている時の翔平は、階段を降りてきた時のシアと雰囲気が同じだった。
控え目で大人しく清楚。
こりゃぁ、やべえな。
ジョンはシアと翔平を重ねて見たと確信した。
シアの体が細かく痙攣を始め、絶頂を迎えそうになっていることがわかり、シアのペニスを扱きながら、より奥を貫く動きに変えた。
「あ“!ああぁ!」
ビクビクとシアの体が大きく揺れ、背筋を反らせると射精し、アナルがギュウッと強く締まり、オスカーも小さく呻いた後、その中に射精した。
「レオ様…とても素敵です…」
ハァハァと快楽の余韻に浸りながら、オスカーの胸に頭を預けてシアが呟く。
「お前、3年この仕事をしている割にはすれてないな」
素直に思ったことを伝えた。
シアが顔を上げるとおかしそうに微笑む。
「そんなことはありませんよ」
体を起こしてオスカーの上から避けると、中途半端に脱ぎかけた服の合わせを整えた。そして再び酒を注ぎに立ち上がる。
「ただ、いつも思っていることはあります」
新たに酒を注ぎながら言葉を続ける。
「この私の体で、お客様が満たされればと、私は体を抱かれますが、私はお客様の心を抱かせてもらっているんです」
戻ってくるとオスカーにグラスを差し出した。
オスカーが黙ってグラスを受け取って口をつける。
「お前なら、もっと高級な店でも働けるだろうに」
「そうですね、確かに何度か引き抜きのお言葉を頂戴しています」
「身請けもだろう?」
これだけの器量なら、伴侶にと望む奴も多いんじゃないかと思った。
そんなに時間が経ったわけでもないが、シアの言葉や態度は男娼の域を超えていると考えた。
「身に余る光栄です」
シアが遠慮がちに微笑む。
その微笑みが翔平とかぶり、オスカーは心の中で顔を顰める。
「…誰かを、待っているのか」
話の流れから核心をつく。
その言葉にシアが反応した。ピクリと体が動き強張ったのが、見えている胸元の皮膚の下の筋肉の動きでわかった。
「そのようなことは…」
「俺は今日が最初で最後だ。もう2度と会うことはないだろう」
オスカーが体を起こすと胡座をかく。
「お前の隠された想いを語るには最高の相手だと思うがな」
そう言ってニヤリと笑う。
最初で最後とは言っても、そんなのオスカーが言っているだけで全く保証はない。
「ありがとうございます。そんなことを言われたのは、貴方で2人目です」
シアが嬉しそうに微笑んだ。
「たっぷり時間はある。今この時だけでいい…、お前を知って、俺のものになれ」
そばに寄り添うシアの顔に触れ、親指でその唇をなぞると、シアの舌がオスカーの指を舐めた。その濡れた指先で唇を潤した後、そっと唇を重ねる。
優しく労わるようなキスをシアに与え、その緊張をほぐしてやる。
キスを終えると、シアの目がトロンととろけうっとりとした表情でオスカーを見つめる。
そして頬に添えたオスカーの手に己の手を重ねると、頬を擦り寄せた。
自室のリヴィングでジャニスに背中にのしかかられる。
「いたたたた!」
「最初に比べたらだいぶ柔らかくなったわね」
隣で見ていたアビゲイルが笑いながら言った。
「出来る時は毎朝柔軟やってたからな。だいぶ柔らかくなったと自分でも思うよ」
立ち上がって腰をぐりぐりと左右に捻った後、前屈をすると、指が全部床についた。手のひらをつけられるようになるまであと少しの状況にほくそ笑む。
体操を終えて共有リヴィングに出てキースの部屋をノックするが、返事はなかった。
「昨日から戻ってないみたいだな」
いつもならとっくに起きている時間なのに居ないということは、アランの部屋にお泊まりしたのだろうと、ニヤついた。
「ご飯食べに行こう」
昨日の夕食と同じように3人で朝食を食べに食堂に降りた。
朝食後は一度図書室によって、追加の本を数冊選び、執務室に籠る。
乱雑に書き溜めたメモを執務机の引き出しから引っ張り出すと、改めて一つ一つのメモを眺め、情報の整理を始めた。
全部を一気に考えようとするからわけがわからなくなるんだ。
まずは一つ一つ項目別に整理しないと、と考えつつ何から手をつけるかと悩んだ。
やっぱり直近の件として、ベルトラークかな、と再びベルトラークについて詳細に調べ始める。
ベルトラークの歴史、風土、経済、ベルトラーク家についてを改めて学習していった。
歴史については話に聞いており、前回詳しく見ていなかったため、グランベル帝国の統治から離れて国を成してからの歴史について本を流し読みした。
だが、聞いていた話以上に特質すべき点はなく、早々に歴史の勉強から離れる。
やはり、ベルトラークが領地になってからの辺境伯家について知る必要があるか、と唇を指でムニムニとつまみながら考えた。
「っちょ、それ止めなさいよ」
そんな俺の仕草を見たアビゲイルが声に出して笑う。
「何が?」
「その唇を触る癖」
ジャニスと以前話した癖について指摘され、自分で下唇を摘んでいたことに今気付いた。
「可愛い癖から面白い癖になりつつあるわね」
ジャニスも笑い、手を離すと恥ずかしそうに口をきゅっと真横に結んだ。
「癖って言われないとわからないものよね」
「そういうアビーも髪をクルクルする癖があるよな」
そう指摘すると、アビゲイルが、え、と無意識に左手の人差し指に髪を一房巻き付けていたのに気付いた。
「あらやだ…、ほんとだ」
「無意識の行動ってやっかいよね」
「あ、それわかるー。あたしも戦闘で癖が出ちゃって、直すのに苦労したのよね」
戦闘の癖と聞いて、そっちかい、と突っ込みたくなった。
ジャニスの戦闘時の癖は、長剣を抜く前の予備動作に現れるそうで、そのせいで0.2、3秒の隙が生まれ、それを直すのに1年以上かかったそうだ。
そんな一般人には到底わからない癖の話をされて脱力した。
お昼前にキースが戻ってきて、執務室に顔を出した。
「申し訳ありません、こんな時間までお一人にさせて…」
専属執事でありながらと、しょげかえるキースに笑う。
「全く問題ないから大丈夫だよ。別に俺は仕事しているわけでもないしw」
そう切り返すとキースが苦笑した。
胸ポケットから手帳を取り出すとパラパラと捲る。
「今後のショーヘイさんの予定をご説明しますね。
まずはジョン様への返信の内容が決まりましたので、目を通していただけますか」
持ってきた便箋を渡されてそれを読む。
何のことはない。デートの申し込みを受ける内容だったが、ジョンから確認された俺の嗜好についてもきちんと返事が書かれていた。
「ジョンはいつこっちに来るんだろう」
「辺境伯と一緒に前日、転移魔法陣でいらっしゃいます。その際なんですが、王城でショーヘイさんも出迎えをしてもらいたいとサイファー様から」
「明日か。了解です。その時は聖女仕様でだよな?」
「そうですね。服も着替えていただいて聖女様になります」
すっかり聖女と俺は別人格のような扱いをされていることに笑ってしまう。
「出迎えはレイブン様も?」
「はい。今回は辺境伯とレイブン様の面談もありますが、定例議会もありますので、辺境伯だけではなくて、他にも各領地から領主様がいらっしゃいます」
「あ、そうなんだ」
各領主が揃うのか、と夜会以来、貴族の当主たちが一同に会するんだな、と認識した。
「定例議会は11月16日から1週間続きます。
実は聖女様の今後の活動についても議題が上がる予定でして。今はまだ確定ではありませんが、もしかすると議会に出席していただくことになるかもしれません」
それを聞いてウヘェと顔を顰めた。
そんな大会議に出席なんて緊張するじゃないか、と思ってしまった。
元の世界で会社の重役達の会議に出席した時ですら居心地が悪くて胃が痛くなったのに、国の重鎮が揃う会議は、経験した会議の比ではないだろう。
「議会の最終日ですが、終了後にイグリット家のジュリア様の叙爵式を行う予定です」
キースがニコリと笑い、その話に食い付く。
「やっとか!それは嬉しいなぁ」
満面の笑みを浮かべて議会出席の話が頭の中から吹っ飛んだ。
「事前に打ち合わせやら、王家との面談などがありますので、お会い出来るよう、予定に組み込みますね」
「頼むよ。やっと会えるなー。楽しみだぁ。グレイも戻って来るよな?」
体を左右に揺らして全身で喜びを示すとキースがクスッと笑う。
「叙爵式当日のみですが、グレイ様もいらっしゃいます」
「ついでに婚約も発表しちゃえばいいのにな」
「……それもそうですね…」
翔平に言われてキースが真顔で答えた。一瞬でその頭の中に叙爵式と婚約式の構想を巡らせる。
一介の騎士が伯爵の叙爵式に参列するのは、恋人であるという暗黙の了解があり、王家が特別に認めたからだ。
本来なら、グレイは無関係で参列すら出来ない。2人の関係を知らない貴族達からすれば、グレイの参列は謎でしかない。
「そのように打診します。もちろん本人の了承も必要ですが、この際ですから、伯爵になられるジュリア様に対しての牽制の意味も込めてグレイ様との関係を公表するべきですね」
キースの言葉に、やっぱり独身のジュリアが叙爵を受けるにあたり、その地位を狙って求婚する輩がいるのか、と当然のように考えた。
「グレイ、魔石を贈ったって言ってたけど、プロポーズしたのかな」
「それも確認しますね」
キースが素早くメモを取った。
「ねぇ」
そこにジャニスが口を挟む。
「あんた達はどうなのよ」
ジャニスが真顔でキースで詰め寄った。
「アランとキースの婚約式は?」
アビゲイルも真剣に聞く。
「あの…、それは今から説明します…」
自分のことになると途端にキースが赤面し、言い淀んだ。
耳まで真っ赤になりつつ、手帳に視線を落とすとページを捲った。
「ジュリア様の叙爵式の後…アラン様と私の、その、婚約式を…」
言いながらプシューッと頭から湯気が出るほど真っ赤になり、その様子に三人で笑いを堪えた。
「それじゃぁそっちの準備もあるわよね」
「そ、そうですね。これからたまにですが、何度か準備のためにおそばを離れることになると思います。
その時は代わりにバーニーがおそばにつきますので」
バーニーと言われて瑠璃宮に通っている執事の1人、黒い犬耳尻尾の背の高い男を思い出した。
彼も戦闘執事で、キースには及ばないがなかなかの手練れだと聞いていた。
「わかったぞー。ちゃんと準備しないとな」
ニマニマと口元を歪ませながらキースを見ると、ポポポと顔を赤くしたまま居心地悪そうにわざと咳払いをしていた。
「楽しみだなぁ、婚約式。俺、泣いちゃうかも」
わざと顔を両手で覆い、ヨヨヨと泣き崩れるような動きをすると、キースが苦笑した。
泣いちゃうかもではなく、きっと感極まって本当に泣くなだろうな、とハンカチを用意しなきゃ、と心の中で呟いた。
「最後にもう一つ」
キースがコホンとわざとらしい咳払いをして気を取り直すと、メモ帳に視線を落とす。
「研究塔の魔道具開発部の担当者がお会いしたいと」
「魔道具!」
パアッと表情を明るくし、同じくアビゲイルの目が光った。
「あたしも同席する!」
アビゲイルの鼻息が荒くなり、はいはいと手を上げる。
「この間のドライヤーの件だよな?」
「そうです。ショーヘイさんの立案書を開発部に提出したところ、ものすごい食いつきようでw」
「そうよね!絶対そうよ!」
俺の代わりにアビゲイルが興奮してくれる。
「ショーヘイさんのスケジュールを考えて3日後の午前中に予定を入れましたので、そのつもりでいてください」
「了解です」
その予定に笑顔でコクコクと頷いた。
「なぁに?ドライ…って?」
話を知らないジャニスが首を傾げた。
「試作品が出来たらあたしが一番に使うから!」
ウキウキするアビゲイルを尻目に、ドライヤーの説明をジャニスにすると、彼もまた目を輝かせる。
やはり美しさに拘る人にはドライヤーは必需品らしいと、笑った。
その日の午後、オスカーが娼館で仕入れた情報を持って、いつものメンバーと共に瑠璃宮を訪れた。
だが、その中にロイとディーの姿はなかった。
おそらくわざと呼んでいないんだと察する。
これから聞くオスカーの報告内容があまり良くないものだと、そう考えた。報告を聞いた上で、ロイとディーにどうやって説明するのかも考えるのだろう。
まずはその情報を聞いて判断しなくては、と真顔になった。
第1・第2城壁の間という場所柄から下町という雰囲気が強く、そこの歓楽街に来る人々も階級で言えば中から下という比較的下層の者が多い。
日雇い労働者や出稼ぎ、流れのハンターや傭兵。中層以上の歓楽街に比べて雑多で騒がしかった。
道歩く人の柄も悪く、あちこちから喧嘩の怒鳴り声、物が壊れる音も頻繁に聞かれるような、治安もあまり良くない場所だ。
そんな歓楽街の道をオスカーが平民が着る服を着て歩いていた。
時折り店に呼び込もうとする店員に声をかけられるが、そつなく断り、目的の娼館を目指す。
そんな街で一杯ひっかけた後、目的の娼館「夢幻城」に到着した。
「いらっしゃぁ~い。お一人~?」
コートを脱ぎながら娼館に入ると、出迎えてくれた中年の女性が、大きなバストと大きな尻、さらに大きなお腹の脂肪をゆさゆさと揺すりながらオスカーに近付く。
「ああ、1人だ」
「んまぁ~いい男~。どう?あたしを買わない?」
娼館のロビーは酒場にもなっていて、至る所にいる娼婦や男娼が客に声をかけている。客は相手を吟味し選ぼうとしている者、または際どい服を着た娼婦達を見て楽しみながら酒を飲む者で賑わっていた。
その中、カウンター側にいた女性がオスカーに声をかけ近付いてくる。
「ババァは引っ込んでろよ」
そんな女性を押しのけるように、際どい格好をした男娼がオスカーにしなだれかかる。
「俺を買ってよ。サービスするからぁ」
「ちょっとぉ、あたしが先に目をつけたのよ」
押しのけられた娼婦が男娼を小突き、オスカーを奪い返す。
「いやぁん、すごい体~」
娼婦の手がオスカーの胸を服の上から弄ってその筋肉を確認しながら甘い声を出す。
2人だけではなく、壁際にいた娼婦・男娼達が気がつけばオスカーを取り囲んでいた。
「まいったな…」
口ではそういうが、オスカーの顔はニヤついていた。
「こんないい男、ここじゃ滅多にお目にかかれないわ」
「商売抜きでSEXしてぇ」
男娼がオスカーの尻を弄り、ズボンの上からそのペニスの大きさを触って確認する。
「すげぇ…」
「ねぇ、あたしにしてよ」
「俺と寝てくれよ」
複数にそう言われる中、他の客がモテモテのオスカーに眉間に皺を寄せる。さっきまで自分が誘われていたのに、オスカーが現れた途端に乗り換えられたのだ。いい気分のはずがない。
「おい。てめぇみたいな男はここに来る必要ねえんじゃねーか?」
数人がイライラしてオスカーに突っかかってきた。
オスカーはチラリと他の客を一瞥しただけで無視を決め込み、自分にまとわりつく娼婦や男娼たちの品定めをする。
「おい、聞いてんのか。てめえに言ってんだよ」
無視されて逆上した客が勢いよく立ち上がり、椅子がひっくり返る音が響いた。そのままオスカーにズカズカと近寄ると、その胸倉を掴もうとする。
「やめておけ」
胸倉を掴まれる前に、伸ばされた男の手首を掴むと、ピタリと止めた。それと同時に威圧の魔力をほんの少しだけ解放し、客を正面から見る。
「…ぅ…」
ほんの少しの威圧だけで客は怯んだ。オスカーに圧倒されて、一瞬で頭から足先まで血液が下がり青ざめる。
静かにオスカーが手を離すと、男はその場に立ち尽くし、それを見ていた他の客達は慌ててオスカーから目を逸らした。
「いや~ん、ねぇ、もしかして騎士様なの?」
「元な」
そんなオスカーに惚れ惚れした娼婦がうっとりしながらオスカーの胸に飛び込みながら、豊満なおっぱいを押し付けた。
そんな質問に嘘で答えると、ちょうど娼館の上の階から降りてきた男娼と目があった。
少しだけ長めの短髪黒髪の青年が、静かにゆっくりとした動作で階段を降りてくる。
オスカーと目が合うと、目を細めて薄く微笑み小さく会釈した。
「…彼にする」
一言そう呟いた途端、オスカーを取り囲んでいた娼婦達がえー、と文句を言った。
「またシア~!?」
「いい男はみんなシアを選ぶじゃねーか。たまにこっちにも回してくれよ」
口々に文句を言う娼婦達の間を通り、シアの前に立つ。
「シアというのか。空いてるか?」
「はい…」
シアの前に立つとじっとその顔を見つめる。控え目に答えるシアが微笑みながら薄く頬を染めた。
「お客さん、シアはこの店でも別格なんだ。ちゃんと持ってるだろうね」
店に入った時に声をかけてきた中年の女性が指で、金、を示す動きを見せる。
「いくらだ」
「いくら持ってるんだい?」
ふっかけてやろうというのが見え見えな態度にオスカーが苦笑した。
「女将さん」
そんな女性をシアが嗜めると、そっとオスカーに近寄って右手を取ると、その手のひらに細い指で6と書き、そのままオスカーの厚い手をそっと撫でる。
「それでいい。前払いか?」
抱きしめられる距離にいるシアからいい匂いがする。
「そうだよ。一晩なら倍だ」
女将が正規の金額をバラされてムスッとしながらフンと鼻を鳴らした。
オスカーがニヤリと笑い、無造作にポケットに手を突っ込むと取り出した白金貨2枚を女将に投げる。
「え、あ」
慌てて受け取り、思わぬ上客に女将の顔がニヤリと笑った。
「一晩買った。釣りで今ここにいる全員に一杯奢ってやってくれ」
シアの肩を抱いて自分の胸に引き寄せながら、全員に聞こえるように言った。
「うひょぉ~、太っ腹」
さっきまでオスカーに対してイラついていた客達が嬉しそうな雄叫びをあげた。
そんな声を聞いて、シアが顔を上げるとオスカーに笑顔を向けた。
「どうぞこちらへ」
シアの柔らかく温かい手に導かれて、今し方降りてきた階段を上がり、シアの個室へと案内された。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
シアの個室に入り、促されるままに、床に直置きされた柔らかく大きなクッションに座る。
部屋の中は娼館らしく原色が散りばめられたものだったが、シアの趣味だろうか、けばけばしく感じず、色は派手だが規則性のある内装が妙に落ち着いた。
「レオ」
いつも使っている偽名を名乗る。
「レオ様…」
シアが部屋の片隅にある棚でお酒を用意し、それをオスカーに渡す。
「シアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
酒を受け取り、そのまま隣に座ったシアが挨拶し、オスカーに寄り添い、ピタリと体を密着させて、オスカーの胸に手を置く。
飲みながらシアの頭を撫で、肩や背中に手を這わせる。
髪をたくしあげるようにうなじに手を持って行き、そのまま耳に触れると、ピクリとシアの体が反応した。
酒の入ったグラスを脇に置くと、シアの体をずらして自分の上に跨らせる。
「この仕事長いのか?」
「そうですね…3年ほどになります」
シアが自分の唇をなぞりながら考えるような仕草をした。
そして、オスカーに覆い被さり顔を近づけ、じっとその黒い瞳でオスカーを見た。
「どのようなプレイを望まれますか…?」
頬を染めて潤んだ瞳で恥ずかしそうに聞いてくるシアに下半身が思い切り反応した。
「普通でいい。特別なことは望まない」
そう返事をするとシアがホッとしたような表情で微笑んだ。
体を売るにあたっては、その客が望む行為を受け入れなくてはならない。
色々な性癖を持つ客がいて、全員が一般的なSEXを求めてくるわけではない。むしろこういう場所だからこそ、隠している性癖を曝け出す人が多い。恋人や伴侶に出来ないから、金でその行為を楽しむのだ。
これまでにも頭がおかしくなりそうな行為を強いられたことが何度もあった。
体を売り始めて何度も心が壊れかけた。
シアがオスカーに自ら唇を重ねる。
啄むようなキスを繰り返し、舌でその唇を舐めると、オスカーからも舌を吸われ、深く絡め取られた。
ゆっくりと時間をかけて互いの唇を貪る。溢れた唾液が互いの口から溢れ顎を伝い落ちるのを舌で掬い取った。
「はぁ…」
シアの背筋に快感が走る。
ゆっくりと体を起こすと、オスカーに跨ったまま、ゆっくりと着ていた服の合わせを広げた。
着物のような服の帯を緩め、上半身を曝け出す。
胸元に咲く乳首がキスによる刺激でピンと立ち上がっていた。
オスカーがその乳首に顔を寄せ、舌先で舐め、指でクリクリと弄ると、シアの口から喘ぎが漏れた。
シアの黒髪が揺れる。
自分に跨ってアナルにオスカーを深く受け入れて腰を揺すっている。
ひっきりなしに聞こえる嬌声は演技ではなく、はっきりと快感を含んだ甘い声だった。
シアの腰を掴み下から突き上げながら、その姿に目を奪われる。
1階の酒場兼ロビーでシアを見た時、はっきりと翔平を思い出した。
長めの短髪黒髪に優しげな微笑み。
手摺に手を添えながら、静かに降りてきた動作に品がある。
男娼として3年も続けているのに、その行為に頬を染める恥じらいもあり、考える時に唇に触れる仕草も、翔平を連想させた。
まるで顔は違う。似ても似つかないが、仕草や態度、雰囲気が似ていると思った。
翔平にものすごく色気があったら、こんな感じか、と心の中で苦笑する。
狩猟祭で翔平が男を誘う練習と言って、俺に色気を見せたことがあった。
その時の仕草や表情に、一瞬で俺は劣情を抱いた。
抱いただけでどうこうしようとは思わなかったが、それでも破壊力はあったと、キースと2人で呆れ、そして笑ったのを思い出していた。
ジョン・ベルトラークのお気に入りだという男娼。
最初にシアを見た時に翔平を連想したのだから、きっとその逆もしかりだ。
ジョンが翔平を見た時、きっと夜会の時だろうが、あの時に絶対ジョンはシアを連想したはずだ。
普段の翔平ならそう思わないかもしれないが、聖女の演技をしている時の翔平は、階段を降りてきた時のシアと雰囲気が同じだった。
控え目で大人しく清楚。
こりゃぁ、やべえな。
ジョンはシアと翔平を重ねて見たと確信した。
シアの体が細かく痙攣を始め、絶頂を迎えそうになっていることがわかり、シアのペニスを扱きながら、より奥を貫く動きに変えた。
「あ“!ああぁ!」
ビクビクとシアの体が大きく揺れ、背筋を反らせると射精し、アナルがギュウッと強く締まり、オスカーも小さく呻いた後、その中に射精した。
「レオ様…とても素敵です…」
ハァハァと快楽の余韻に浸りながら、オスカーの胸に頭を預けてシアが呟く。
「お前、3年この仕事をしている割にはすれてないな」
素直に思ったことを伝えた。
シアが顔を上げるとおかしそうに微笑む。
「そんなことはありませんよ」
体を起こしてオスカーの上から避けると、中途半端に脱ぎかけた服の合わせを整えた。そして再び酒を注ぎに立ち上がる。
「ただ、いつも思っていることはあります」
新たに酒を注ぎながら言葉を続ける。
「この私の体で、お客様が満たされればと、私は体を抱かれますが、私はお客様の心を抱かせてもらっているんです」
戻ってくるとオスカーにグラスを差し出した。
オスカーが黙ってグラスを受け取って口をつける。
「お前なら、もっと高級な店でも働けるだろうに」
「そうですね、確かに何度か引き抜きのお言葉を頂戴しています」
「身請けもだろう?」
これだけの器量なら、伴侶にと望む奴も多いんじゃないかと思った。
そんなに時間が経ったわけでもないが、シアの言葉や態度は男娼の域を超えていると考えた。
「身に余る光栄です」
シアが遠慮がちに微笑む。
その微笑みが翔平とかぶり、オスカーは心の中で顔を顰める。
「…誰かを、待っているのか」
話の流れから核心をつく。
その言葉にシアが反応した。ピクリと体が動き強張ったのが、見えている胸元の皮膚の下の筋肉の動きでわかった。
「そのようなことは…」
「俺は今日が最初で最後だ。もう2度と会うことはないだろう」
オスカーが体を起こすと胡座をかく。
「お前の隠された想いを語るには最高の相手だと思うがな」
そう言ってニヤリと笑う。
最初で最後とは言っても、そんなのオスカーが言っているだけで全く保証はない。
「ありがとうございます。そんなことを言われたのは、貴方で2人目です」
シアが嬉しそうに微笑んだ。
「たっぷり時間はある。今この時だけでいい…、お前を知って、俺のものになれ」
そばに寄り添うシアの顔に触れ、親指でその唇をなぞると、シアの舌がオスカーの指を舐めた。その濡れた指先で唇を潤した後、そっと唇を重ねる。
優しく労わるようなキスをシアに与え、その緊張をほぐしてやる。
キスを終えると、シアの目がトロンととろけうっとりとした表情でオスカーを見つめる。
そして頬に添えたオスカーの手に己の手を重ねると、頬を擦り寄せた。
自室のリヴィングでジャニスに背中にのしかかられる。
「いたたたた!」
「最初に比べたらだいぶ柔らかくなったわね」
隣で見ていたアビゲイルが笑いながら言った。
「出来る時は毎朝柔軟やってたからな。だいぶ柔らかくなったと自分でも思うよ」
立ち上がって腰をぐりぐりと左右に捻った後、前屈をすると、指が全部床についた。手のひらをつけられるようになるまであと少しの状況にほくそ笑む。
体操を終えて共有リヴィングに出てキースの部屋をノックするが、返事はなかった。
「昨日から戻ってないみたいだな」
いつもならとっくに起きている時間なのに居ないということは、アランの部屋にお泊まりしたのだろうと、ニヤついた。
「ご飯食べに行こう」
昨日の夕食と同じように3人で朝食を食べに食堂に降りた。
朝食後は一度図書室によって、追加の本を数冊選び、執務室に籠る。
乱雑に書き溜めたメモを執務机の引き出しから引っ張り出すと、改めて一つ一つのメモを眺め、情報の整理を始めた。
全部を一気に考えようとするからわけがわからなくなるんだ。
まずは一つ一つ項目別に整理しないと、と考えつつ何から手をつけるかと悩んだ。
やっぱり直近の件として、ベルトラークかな、と再びベルトラークについて詳細に調べ始める。
ベルトラークの歴史、風土、経済、ベルトラーク家についてを改めて学習していった。
歴史については話に聞いており、前回詳しく見ていなかったため、グランベル帝国の統治から離れて国を成してからの歴史について本を流し読みした。
だが、聞いていた話以上に特質すべき点はなく、早々に歴史の勉強から離れる。
やはり、ベルトラークが領地になってからの辺境伯家について知る必要があるか、と唇を指でムニムニとつまみながら考えた。
「っちょ、それ止めなさいよ」
そんな俺の仕草を見たアビゲイルが声に出して笑う。
「何が?」
「その唇を触る癖」
ジャニスと以前話した癖について指摘され、自分で下唇を摘んでいたことに今気付いた。
「可愛い癖から面白い癖になりつつあるわね」
ジャニスも笑い、手を離すと恥ずかしそうに口をきゅっと真横に結んだ。
「癖って言われないとわからないものよね」
「そういうアビーも髪をクルクルする癖があるよな」
そう指摘すると、アビゲイルが、え、と無意識に左手の人差し指に髪を一房巻き付けていたのに気付いた。
「あらやだ…、ほんとだ」
「無意識の行動ってやっかいよね」
「あ、それわかるー。あたしも戦闘で癖が出ちゃって、直すのに苦労したのよね」
戦闘の癖と聞いて、そっちかい、と突っ込みたくなった。
ジャニスの戦闘時の癖は、長剣を抜く前の予備動作に現れるそうで、そのせいで0.2、3秒の隙が生まれ、それを直すのに1年以上かかったそうだ。
そんな一般人には到底わからない癖の話をされて脱力した。
お昼前にキースが戻ってきて、執務室に顔を出した。
「申し訳ありません、こんな時間までお一人にさせて…」
専属執事でありながらと、しょげかえるキースに笑う。
「全く問題ないから大丈夫だよ。別に俺は仕事しているわけでもないしw」
そう切り返すとキースが苦笑した。
胸ポケットから手帳を取り出すとパラパラと捲る。
「今後のショーヘイさんの予定をご説明しますね。
まずはジョン様への返信の内容が決まりましたので、目を通していただけますか」
持ってきた便箋を渡されてそれを読む。
何のことはない。デートの申し込みを受ける内容だったが、ジョンから確認された俺の嗜好についてもきちんと返事が書かれていた。
「ジョンはいつこっちに来るんだろう」
「辺境伯と一緒に前日、転移魔法陣でいらっしゃいます。その際なんですが、王城でショーヘイさんも出迎えをしてもらいたいとサイファー様から」
「明日か。了解です。その時は聖女仕様でだよな?」
「そうですね。服も着替えていただいて聖女様になります」
すっかり聖女と俺は別人格のような扱いをされていることに笑ってしまう。
「出迎えはレイブン様も?」
「はい。今回は辺境伯とレイブン様の面談もありますが、定例議会もありますので、辺境伯だけではなくて、他にも各領地から領主様がいらっしゃいます」
「あ、そうなんだ」
各領主が揃うのか、と夜会以来、貴族の当主たちが一同に会するんだな、と認識した。
「定例議会は11月16日から1週間続きます。
実は聖女様の今後の活動についても議題が上がる予定でして。今はまだ確定ではありませんが、もしかすると議会に出席していただくことになるかもしれません」
それを聞いてウヘェと顔を顰めた。
そんな大会議に出席なんて緊張するじゃないか、と思ってしまった。
元の世界で会社の重役達の会議に出席した時ですら居心地が悪くて胃が痛くなったのに、国の重鎮が揃う会議は、経験した会議の比ではないだろう。
「議会の最終日ですが、終了後にイグリット家のジュリア様の叙爵式を行う予定です」
キースがニコリと笑い、その話に食い付く。
「やっとか!それは嬉しいなぁ」
満面の笑みを浮かべて議会出席の話が頭の中から吹っ飛んだ。
「事前に打ち合わせやら、王家との面談などがありますので、お会い出来るよう、予定に組み込みますね」
「頼むよ。やっと会えるなー。楽しみだぁ。グレイも戻って来るよな?」
体を左右に揺らして全身で喜びを示すとキースがクスッと笑う。
「叙爵式当日のみですが、グレイ様もいらっしゃいます」
「ついでに婚約も発表しちゃえばいいのにな」
「……それもそうですね…」
翔平に言われてキースが真顔で答えた。一瞬でその頭の中に叙爵式と婚約式の構想を巡らせる。
一介の騎士が伯爵の叙爵式に参列するのは、恋人であるという暗黙の了解があり、王家が特別に認めたからだ。
本来なら、グレイは無関係で参列すら出来ない。2人の関係を知らない貴族達からすれば、グレイの参列は謎でしかない。
「そのように打診します。もちろん本人の了承も必要ですが、この際ですから、伯爵になられるジュリア様に対しての牽制の意味も込めてグレイ様との関係を公表するべきですね」
キースの言葉に、やっぱり独身のジュリアが叙爵を受けるにあたり、その地位を狙って求婚する輩がいるのか、と当然のように考えた。
「グレイ、魔石を贈ったって言ってたけど、プロポーズしたのかな」
「それも確認しますね」
キースが素早くメモを取った。
「ねぇ」
そこにジャニスが口を挟む。
「あんた達はどうなのよ」
ジャニスが真顔でキースで詰め寄った。
「アランとキースの婚約式は?」
アビゲイルも真剣に聞く。
「あの…、それは今から説明します…」
自分のことになると途端にキースが赤面し、言い淀んだ。
耳まで真っ赤になりつつ、手帳に視線を落とすとページを捲った。
「ジュリア様の叙爵式の後…アラン様と私の、その、婚約式を…」
言いながらプシューッと頭から湯気が出るほど真っ赤になり、その様子に三人で笑いを堪えた。
「それじゃぁそっちの準備もあるわよね」
「そ、そうですね。これからたまにですが、何度か準備のためにおそばを離れることになると思います。
その時は代わりにバーニーがおそばにつきますので」
バーニーと言われて瑠璃宮に通っている執事の1人、黒い犬耳尻尾の背の高い男を思い出した。
彼も戦闘執事で、キースには及ばないがなかなかの手練れだと聞いていた。
「わかったぞー。ちゃんと準備しないとな」
ニマニマと口元を歪ませながらキースを見ると、ポポポと顔を赤くしたまま居心地悪そうにわざと咳払いをしていた。
「楽しみだなぁ、婚約式。俺、泣いちゃうかも」
わざと顔を両手で覆い、ヨヨヨと泣き崩れるような動きをすると、キースが苦笑した。
泣いちゃうかもではなく、きっと感極まって本当に泣くなだろうな、とハンカチを用意しなきゃ、と心の中で呟いた。
「最後にもう一つ」
キースがコホンとわざとらしい咳払いをして気を取り直すと、メモ帳に視線を落とす。
「研究塔の魔道具開発部の担当者がお会いしたいと」
「魔道具!」
パアッと表情を明るくし、同じくアビゲイルの目が光った。
「あたしも同席する!」
アビゲイルの鼻息が荒くなり、はいはいと手を上げる。
「この間のドライヤーの件だよな?」
「そうです。ショーヘイさんの立案書を開発部に提出したところ、ものすごい食いつきようでw」
「そうよね!絶対そうよ!」
俺の代わりにアビゲイルが興奮してくれる。
「ショーヘイさんのスケジュールを考えて3日後の午前中に予定を入れましたので、そのつもりでいてください」
「了解です」
その予定に笑顔でコクコクと頷いた。
「なぁに?ドライ…って?」
話を知らないジャニスが首を傾げた。
「試作品が出来たらあたしが一番に使うから!」
ウキウキするアビゲイルを尻目に、ドライヤーの説明をジャニスにすると、彼もまた目を輝かせる。
やはり美しさに拘る人にはドライヤーは必需品らしいと、笑った。
その日の午後、オスカーが娼館で仕入れた情報を持って、いつものメンバーと共に瑠璃宮を訪れた。
だが、その中にロイとディーの姿はなかった。
おそらくわざと呼んでいないんだと察する。
これから聞くオスカーの報告内容があまり良くないものだと、そう考えた。報告を聞いた上で、ロイとディーにどうやって説明するのかも考えるのだろう。
まずはその情報を聞いて判断しなくては、と真顔になった。
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