コマンド探偵K&W

なべのすけ

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第8章 襲撃

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「FIRE HAMMERに関する調査報告書と資料が出来上がった。直接渡したいので、そちらに伺わせてもらう」
 突如、Wからそう連絡をもらった小林は、内心不安であった。FIRE HAMMERに関して一任されているのは自分だ。大槌探偵事務所への依頼を提案したのも、自分。ならば、しくじりは絶対に許されない。
 現在、未曾有の危機に曝されているアークランドグループは、今やなりふり構わない非常に危険な状態だ。
 アークランドグループの実態と内実に詳しい小林は、この件でもし手落ちがあった際、自分への処罰が如何に苛酷なものになるかを知っていた。
 だからこそ、彼は何一つ間違えてはならなかった。会社のためでも利益のためでもない、自分が生きるために。
 この事件について、彼は生命の危機すら常に感じざるを得なかったのである。
 小林は祈るように携帯電話に額を押し付け、メール送信ボタンを押した。

 そして約一時間後、アークランドグループ・すすきのスラム街支部のロビーに、小林は居た。資料と報告書を持ったWが、先にここに来ているはずである。
 予め、資料の何枚かはFAXで送ってきたが、量が多いのと、秘匿性の問題から、残り全部は手渡しするとWは言っていた。数枚送りつけてきたのは、手渡される情報の信頼性を高めるためである。
 その申し出を耳にしたとき、小林は「正直、ありがたい」と心の中で呟いていた。FIRE HAMMER関連は非常にデリケートな問題である、という事は重々承知していたので、情報の漏洩は可能な限り防ぎたかった。
 EメールやFAXだと、送受信の過程で漏洩が起きる危険性がある。今の状況、アークランドグループ周辺を嗅ぎ回っている輩は多い。そいつらによって、情報がマスコミの手に流れればマズいことになる。マスコミの報道が捜査を妨害した例など、いくらもあるのだ。
 しかしそれ以上に、W自身が書類を持参してくる、という事に、小林は天佑の存在を確信していた。
 社員、スーツ姿の詐欺師、にこやか笑顔の爽やかなヤクザ者など、多くの人々が往来している広々とした一階ロビー。今、この支部は移転の準備で大忙しである。皆忙しそうに歩き、話し、吹き抜けになっているロビー全体が雑音に溢れていた。
 小林はゆっくりと歩を進めながら、周囲を軽く見回す。すると、出入り口付近のベンチに腰掛けている、Wの姿を見つける事が出来た。彼は大仰なトランクケースを抱えたまま、ぼんやりと眠たそうにしていた。
「Wさん」
 彼の目に映るように、立てた人差し指を高く上げる。声は、響き渡る雑音に掻き消されてしまったが、その動作は彼の視界に入ったようだ。眠たげで、気だるそうな表情を小林の方に向けると、立ち上がって、足を引きずるようにトボトボと歩いてくる。
――見れば見るほど、駅にいるホームレスと同じだ。話に聞いていたのと、雰囲気が全く違う。
 それは、小林がWに対して、初対面の時から変わらず抱いている印象だった。冴えず、情けなく、暗く、生意気。
 だが、彼の抱えているトランク一杯に資料と報告書が詰まっているのだ、と考えれば、そら恐ろしく感じもする。その、ある種得体の知れないところが、小林に、ある人物の像を想起させた。
「よう、待ちくたびれた」
 しかし、とりあえず今は職務が優先。小林は気を引き締め、いつも通りの接客態度を心がける。
「お待たせして申し訳ありませんでした。ご案内致しましょう、こちらです」
 Wが軽く頷くと、小林が先導し、二人はロビーを横切っていく。向かう先はエレベーターではなく非常階段だ。
 重い金属製の扉を押し開け、まず小林が入る。Wは、さも当然と言ったふうに追従した。
 二人は、上下それぞれに向かって伸びる階段のうち、下に向かう階段を降っていく。
 特に会話もなく、二人の足音と、トランクの端が階段にぶつかる音だけが響く。この非常階段を使用しているのは、今はこの二人だけのようだ。
 地下三階まで降りたところで、小林は非常階段から抜け出した。再び金属製の扉を潜り抜けると、いかにもオフィスらしい、個室の並んだ廊下に出た。
 ざっと見ただけで、個室の入り口が左右あわせて六つ。突き当りはT字通路になっており、位置関係上、そこを左に曲がればエレベーターがあると思われる。
 もちろん、埃などはないし、ドアノブを見ても、各部屋は普段はちゃんと使われているようだ。
 ただ、現在、このフロアに人の気配はなかった。
「重要な機密である、と当方では判断しておりますので、人払いをしておきました。どうぞ、お話はこちらで御伺い致しましょう」
 再び小林が先導し、複数ある個室の内、手前から二番目にある右側の部屋のドアを開けた。Wは、無言で入室する。
 部屋は、どうやら普段は会議室として使用されているようだ。長机と、それを囲むいくつかの椅子、蛍光灯、奥の壁に取り付けられたホワイトボード、換気口。それだけがある、簡素な部屋であった。
 縦長の部屋と、それと同じ形で大きさだけを縮めたような長机が真ん中にあり、出入り口は部屋の隅にただ一つだけある。
「どうぞ、お掛け下さい」
 促しながら、小林は長机を回り込んだ向こう側の席に着いた。出入口からやや離れた、長机の中央辺りの場所である。勿論、Wは出入口のドアを閉めると、小林と対面する位置に着席する。
「それでは早速、先ほど話されたとおり、報告書と資料を見せて頂きたいのですが」
 懐から金属製のペンと、手帳を取り出しつつ、小林は話を切り出した。
 Wは「ああ」と短く応えると、持ってきたトランクケースをどっかりと机の上に置く。その衝撃で、机全体が大きく揺れた。
「ブリーフケースに収まらなかったんでな。まあ、見てみろ」
 そしてトランクを開けると、中には大量の書類や写真が、のしをかけられたように圧縮された状態で収められていた。
「これは……よく、調べましたね」
 思わず感嘆の声を上げる小林。流石に、この量は予想外であった。自分の小さな手帳に、これらの内容をまとめ切れるかどうか、不安に思う程の物量であった。
「これらは、大体が証拠の写しや検証結果報告だ。うちの秘書は機械に強くてね。使われた爆弾の仕組みを、捜査情報をもとに考察してくれた」
 Wが、書類の解説を始める。どうやら、これでも書類の内容に応じて分類分けがなされているようだ。説明しながら、書類を小林の前に次々と並べていく。
「これが警察の動き、これが各報道機関の挙動をまとめたもの。そしてこれが、FIRE HAMMERの軌跡だ」
 小林はそれらの書類に熱心に目を通していく。それらは、彼も感心するほどの出来栄えであり、この事件に関係するどんな小さな動きも見逃していなかった。
 やはり、こいつは探偵として本物なのだ。小林は感動と共に、Wに対する畏怖を更に募らせた。
「これに目を通せば、FIRE HAMMERの現所在と、これからの動きに対して一定の解答を導き出せるだろう。俺個人の意見としては、今は恐らく日本かオーストラリアにいる。奴は警察の動きの裏をかく事を知っているからな」
「いや、これは素晴らしい。是非参考にさせていただきます」
「ああ、それで、だな、経費の事なんだが」
 Wが言葉を濁すように言いよどみながら、小林の目を一瞥する。その様子に気付き、小林は慌てて書類から視線を外すと、ポケットの財布から小切手を取り出した。Wはそれを受け取ると、くしゃりと懐へ大雑把に押し込んだ。
「ところで」
 再び書類の確認に移ろうとした小林だったが、突如発せられたWの声に、その手を止められる。何せ、その声は彼にしては威圧的であり、らしくない程の高音であったのだ。
「この支部、移転するらしいな?」
 小林の心臓が、一際大きな音を立てて鳴った。
「移転先の土地はオレゴニア・ファミリーが世話してるとか。オレゴニアと言えば、ゲトの野郎の使い走り組織だ」
「それが、どうしました?」
「なに、ただの世間話さ」
 小林は、否定しなかった。否定すれば、そこを弱みと認識されるからだ。だが、目の前の彼に対してそのような小細工が通じるかどうか、自信はなかった。
 Wは、睨むような鋭い視線で小林の表情を見た。汗はかいていない。表情も動いていない。言葉の詰まりも、裏組織との親密さを指摘された狼狽、という形での納得を見る事が出来る。つまり、隠し事や嘘は無いと判断することが妥当だ。
 だが、それはあくまで妥当なだけであり、それに素直に従うような甘さは、Wには無かった。
「そうだ、ゲトと言やぁ、最近面白い噂を聞いたな。六年前やっこさんが日本州に行った時、面白い技術者を見つけたって話だ」
 小林の観察を続ける。左腕と肩の筋肉が少し緊張しているようだ。恐らく、拳を握っているのだろう。右手はペンを軽く持っているが、左手は机の下で握っているのだろう。
「その技術者はすげぇんだってな。見ろよこの株価の推移、三年前から急成長だ」
 数枚の書類をトランクケースから抜き出し、小林へとかざす。それらには、ゲト傘下の各企業の株価推移が記されていた。
 小林の目が、少しだけ険しいものになる。思わずとってしまったと思われる挙動だったが、だからこそ、それは彼の心境をよく表していた。
 Wは書類を置くと、口に溜まった唾を袖で拭き取り、止めの一言を放つ。
「そうだ。お前のとこも、三年前ぐらいから急成長し始めたよな。それも、技術革新によって」
 小林は視線を落とし、大きく息をついた。全身から力が抜け、熱が一気に冷めていくようであった。
 彼はペンを置き、ぐっと大きく身を前に乗り出すと、組んだ両手を机に押し付けた。その目は、真っ向からWの視線を受け止めていた。
「Wさん」
 声は穏やかで、どこか余裕を感じさせた。
「それは、いくら何でも暴論というものですよ。私は、地元の有力者としてのゲト氏に、土地の確保をお願いしただけです。彼は確かに裏の人間ですが、表向きの企業をいくつも抱えているので、その関係で知り合っただけです。裏社会の人間と関わっている、という事を強請りネタにするつもりならば、そのぐらいの事をもみ消す力は、まだ私どもにはございます」
 その言葉に、何一つ間違いは無い。Wも、それは分かっていた。現段階で、アークランドグループとゲトとFIRE HAMMERを繋ぐ証拠が何も無いことも。
 だが、これでWの目的はほぼ達成された。後は、自分の腕前を信じるだけである。
「そうか。まあ、ただの世間話だ。そこまで堅くなる事はないが、気に障ったのなら謝ろう」
 気を抜いて軽く応えながら、トランクケースを閉じる。小林も、呆れたようにため息をつきつつ、そのまま体を後ろに引く。
 と、彼は、体を乗り出したとき、袖と机でペンを挟んでいたらしく、そのまま体を後ろに引いた事で、ペンが机から落ちてしまった。
 ペンが床に落ち、乾いた音が少し狭い会議室に響き渡る。金属製のペンだったため、その音はやたらと高く響いたようだった。
 小林は「おっと」と頓狂な声をあげ、席から腰を浮かせた。そして、机の下に潜り込むようにして、ペンを拾う動作を見せる。

 その瞬間、Wは会議室出入口のドアに向かってトランクケースを投げつけた。

 ほぼ同時に、出入口のドアが開け放たれ、ウージーサブマシンガンを携行した男が顔を出す。
 彼は驚いた事だろう。ドアを開けて押し入ってきたら、いきなり、投げつけられたトランクケースが眼前にあったのだから。
 トランクケースはものの見事に男の顔面に命中した。男は思わず仰け反り、出入口で怯んでいる一人が邪魔になって、後続の二人も足を止めざるをえなくなる。
 ここに一瞬の隙が生じた。
 Wは滑り込むように机の下へと入り、同時に机を下から殴り上げた。どうやらかなりの力であったらしく、机は凄まじい衝撃音を発しながら倒れ、Wと小林の姿を男たちから隠した。
 三人の闖入者は素早く横に広がるように展開し、ウージーを机に向けて構える。
 だが、彼らは出鱈目に引き金を引いたりはしなかった。倒れている長机を盾にしているであろうWに対する警戒を、一瞬たりとも緩めないようにするため。そして、小林を誤射しないようにするため。
 静けさが支配する戦い。それが、今この会議室で繰り広げられていた。闖入者たちにとって、長机を回り込んでWを攻撃するのは危険に過ぎる。接近しすぎれば、盾の向こうから狙い撃ちされるだろう。
 闖入者たちのプランでは、素早く部屋に押し入り、Wの不意を突いて撃ち殺すのが最善であった。それに失敗し、盾を用意され、その姿すら確認出来ないとなれば、彼らは相手が動くのをじっと待つしかなかった。
 沈黙が時間を支配し、緊張が高まっていく。
 闖入者たちは打開策を見出せぬまま、ただ、緊張感に精神をすり減らしていく。それでも、構えに乱れは無い。
 そうして、場の緊張感がほぼ最高潮に達した頃、盾の向こうから何かが飛び出した。
 人間と同じぐらいの大きさのそれは、ほぼ天井近くまで飛び上がる。
 当然、彼らはそれを見上げる。視線を注ぐ。そうせざるを得ないのだ。
 彼らの体を支配する緊張感は、あらゆる変化に敏感に反応するよう、肉体に仕向けさせたのだ。それも、無意識下で。
 そして、飛び出てきたものが小林の体である、と気付いた時にはもう遅かった。
 パラ・オーディナンスP18を構え、膝立ちになったWが机の向こうから顔を出し、膝射姿勢でまず一発。銃弾は、一人の首元に命中した。
 直ぐに標的を隣の男に移し、今度は二発。一つは右胸、一つは腹部に命中した。
 小林に視線をやった隙に、二人が倒された。だが、残った一人は幸運にも素早く正体に気付き、Wの狙いを知った。
 残った一人はWの姿を見た。小さく、安定した構え。視線と平行の銃身。自身に向けられた銃口と、その先の自分を貫くような、鋭く冷たい眼光。その姿は狩人のようだった。
 ――ならば、自分が獲物なのか?
 ふと、そんな思いが頭をよぎった男は、咆哮をあげながら銃口をWへと向けた。だがその瞬間、彼を殺す引き金は引かれていた。
「よし」
 銃弾を体内に抱えたまま倒れている三つの死体を見下ろしながら、Wは満足げに呟いた。
 彼は、自分が放り投げた小林の傍へ行き、顔色を確認する。どうやら、気絶はしているが死んではいない。机の下に滑り込んだとき、当て身を当てて気絶させたのはWであったが。
 机に隠れた後、闖入者たちはWの挙動を見る事が出来なかった。だからこそ、小林を囮にする作戦が成功したのだが、Wは、ホワイトボードの光の反射によって闖入者たちの様子を確認していた。そして、彼らの緊張が最高潮に達するのを見計らっていたのだ。
 Wは、ズボンのポケットから携帯を取り出し、何処かへ電話をかける。だが、話はせず、二コールさせると自分から切ってしまった。
 彼の作戦は、概ね順調だった。その目的は二つ。一つは、アークランドグループとゲトの関係について確信を得る事。もう一つは、小林を拉致する事。
 ゲトとアークランドグループの間には、知られてはならないマズい事情がある。それはFIRE HAMMERに関係しているはずだ。だからこそ、FIRE HAMMERは今回の件でアークランドグループを執拗に狙い、アークランドグループはそれを調査しているWを、このタイミングで殺そうとした。
「お待たせ」
 会議室の出入口から顔を覗かせたのは、Kであった。Kは現在、この会社が雇っている清掃会社の制服を身に着けている。
「問題ないか?」
「おう、ばっちり。あんたを殺すために人払いをしてたのが災いしたな」
「それより、急ぐぞ。人払いのための見張りがいる可能性もあるからな」
 Wは死体を抱え上げ、廊下に出た。廊下には、各部屋のゴミを回収・集積するための、大きな手押しワゴン型ゴミ箱が置いてあった。Kが持ってきたものだ。
 Wは、その中に死体を放り込む。それでもまだ、容量にはかなりの余裕があった。
「死体は三つだけ? 案外少ないなぁ。もっと十人ぐらいで来ると思ったけど」
「死体は、持ち帰れるものだけ持ち帰れればいい」
 Wと、Kも手伝って、死体をゴミ箱に押し込んでいく。
「しかし、もっと大勢で襲われてたら、どうするつもりだった?」
「部屋がそれほど広くなかったからな、最初から少数で来ると思った。もし大勢で押しかけられるほど広ければ、トランク投げつけた後、直ぐ連中を閉め出して、お前に連絡して奇襲をかけてもらう予定だった」
「オレ頼みかよ」
「チームプレーと言え」
 やがて全ての死体をゴミ箱に入れると、W自身がひらりとゴミ箱に飛び込んだ。
「それじゃ、頼む」
「あいよ」
 折り重なった死体の上で横になると、その上に、気絶している小林が乗せられた。起こさないよう、慎重にKがゴミ箱に入れたのだ。
 そして、死体三つ、W、小林の順番で詰められたゴミ箱に、臭い封じのための大きな蓋を被せて、中身を隠す。
 Kは周囲を見回し、誰もいない事を確認すると、ゴミ箱を押して廊下を進み始めた。前方のT字通路を右に曲がり、そこから更にいくつかの曲がり角を越せば、運搬作業用のエレベーターがある。
 このエレベーターは、台車を用いた運搬に使われるが、清掃員用の移動エレベーターとしても使われている。
 Kはエレベーターの前まで来ると、入口横にあるコンソールに八桁の数字を打ち込む。この運搬用エレベーターは登録されたIDを打ち込まないと使用出来ないが、事前に清掃員のおばちゃんを買収して、IDは手に入れてある。そしてこのおばちゃんには、金を握らせて海外旅行に出てもらっているので、アシがつくのには時間がかかるはずだ。
「高いIDだったなぁ」
 ため息をつきながら、ゴミ箱と一緒に乗り込む。
 エレベーターが一階に到着し、扉が開くと、そこは直接外に繋がっていた。運搬用エレベーターは裏口にもなっており、付近にはゴミ集積所もあった。そして、エレベーターを隠すようにして、一台のワゴンが駐車していた。無論、Kが乗ってきたものだ。
「よっ、と」
 ワゴンのドアを開け、ゴミ箱の蓋をどける。すぐさま、小林を抱えたWが飛び出した。小林には、手首と足首を繋ぐようにして手錠を掛けてある。
「急いで積み込め。なるべく血を残すなよ」
「あいよー」
 小林と死体をワゴンの中に放り込み、続いて、ゴミ箱を畳んでワゴンの後部座席に積む。
「あ、忘れてた」
 と、Kが何かを思い出したように、ゴミ集積所のゴミ山に手を突っ込んだ。手を引き抜いたとき、それはゴミ山に埋まっていた男の死体の襟を掴んでいた。
「見張りが立ってたのか?」
 既に助手席に乗り込んでいるWが、窓から顔を出す。
「まあね」
「ちゃんと殺したんだろうな」
「んー、頚椎ねじ切ってやったから、多分大丈夫だと思うけど」
 見張りの男の死体に外傷は無かったが、首がぶらりと鼻水のように垂れていた。Kはその死体を後部座席に押し込むと、急いで運転席へ乗り込む。
「いや、上手くいったねぇ。でも、小林を拉致するとは聞いてたけどさ、よくあいつらが襲ってくるってわかった」
「FIRE HAMMERはなんとかしたいが、ヤバい情報は俺に渡したくない。なら、ほどほどの所で俺を殺すのが一番だ。だから、襲いやすくなるようにしてやった」
 エンジンがかかり、車が発進する。振り返ってみるが、小林が目を覚ます様子は無い。
「ん? つまり奴らに『襲わせた』ってこと?」
「お前に連日徹夜で作ってもらった『それっぽいでたらめ情報』を握らせれば、俺の役目はもう十分だと認識するだろう。その上更に、俺がヤバい情報を握ってる事を臭わせれば、そりゃあ殺したくって消したくっていても立ってもいられなくなるはずだ」
 予め数点の資料を送り、その後一時間の時間を小林に与えたのは、Wを始末する計画と準備をさせるためだった。尤も、それらの資料も、トランクケースの中の大量の書類も、殆どがでっち上げだった訳だが。
「ふーん。でも、いくつかの資料送りつけただけで、もう用済み認定って、ちょっと気が早いんでないの?」
「ま、その辺りは後でこいつに尋問して明らかにするが、俺の考えが正しければ、その理由は恐らく――」
 大きくハンドルが切られ、車全体が傾く。Wも助手席で倒れそうになったが、なんとか堪えた。
「――恐らく、ゲトからかなり強い圧力がかかったんだろう」
「圧力? どんな?」
「『すぐに、出来るだけ早くWを殺せ』」
「はぁ、まぁ、うん、よくわからん」
「すぐはっきりする。取りあえず、こいつを尋問する所からだ。なに、時間はたっぷりある」
 視線を窓に向け、その向こうで流れていく景色を見る。
「俺たちも、今から暫くの間失踪するからな」
 そして、彼はシートベルトを締めた。

 あれは何か? 車椅子の老人は、目の前の建物の正体を考える。あれは、貸倉庫だ。今は一切使われていない、がらんどうの貸倉庫だ。
 これは何か? 車椅子の老人は、現在の状況を考える。カランの手の者が突然やってきて、手紙を渡してきた。そこに書いてあった通り、午後十一時にここへ来た。
 それは何故か? 車椅子の老人は、ここでこうしている理由を考えた。手渡された手紙の差出人が、二週間前から姿を消しているWだったからだ。二週間前、四人の手下と小林と一緒に消えた、あの厄介な探偵だったからだ。
 車椅子の老人は気付いた。これは、ピンチでありチャンスなのだ、と。
「おい」
 開きっ放しの倉庫入口を見据えながら、後ろにいる従者に声をかける。
 従者は、車椅子を押すのが仕事であった。そして、車椅子の両脇を固める二名は、この老人を守るのが仕事である。
 車椅子の老人は、自らゲトと名乗っていた。それ以外の名前も、それ以上の名前も持たなかった。
 彼の信念は「世界は金で動いている」という至極シンプルなもの。しかし、だからこそ彼は強かった。強い事を彼自身が信じていた。
 資本主義とは、詰まるところ「金は人よりも偉い」と説いているのだから、その世界で生を受けた自分の信念は正しい。その自負が、彼の心を支えていた。
 だからこそ、彼の心には余裕があった。
 Wを警戒してはいたが、恐れてはいなかった。直接対決すれば、自分の方が圧倒的に強いということを確信していた。

 倉庫内部の空気はひんやりとしていた。
 灯りは一切無く、殆どが闇に包まれている。自分たち以外の人間の気配は微塵も無い。しかし、ここには確かに自分たち以外の人間がいるはずだ。それを知っているからこそ、ゲトは「灯りだ」とボディガード達に命令する事が出来た。
 ボディガード達はポケットから懐中電灯を取り出し、前方を照らす。
 その先に照らし出されたのは、ブリーフケースに腰掛けたまま、横目でゲトにじっとりとした視線を向けるWの姿だった。
「よう、ゲト、久しぶりだな。銀行連盟事件の時以来か?」
 立ち上がり、ニタリと底意地の悪い笑みを浮かべる。ゲトの傍らのボディガード二名が、一歩前に出た。
「ああ、あの時は世話になった。あの時は、よくも私の顔に泥を塗ってくれたな」
「昔の話だ、そんなに褒めるな」
「あの事件の落とし前はまだついてないぞ。全く。私はいい面の皮だ」
 ゲトは声を荒げなかったが、その眼光には、静かな怒りが含まれていた。
 Wはそれを受け流すようにして、話を進めている。既に、戦いは始まっているのだ。
「いや、そんな昔話はいい。それより、何の用だ」
 自分の居場所がバレた事について、ゲトは既に答えを知っていた。自分をここに呼びつける手紙を、カランの手の者が運んできたからだ。だから、彼は用件の内容だけを簡潔に求めた。
 Wは、真正面からゲトを見据え、手をコートのポケットに突っ込んだ。そして、話し始める。
「ちょっと話がしたくてな」
「だから、何の――」
「まあ、聞け。まず、小林の話からだ。今更トボけるのは無しだぞ」
「……ああ」
「俺を襲った連中の携帯電話の履歴を見れば、小林がお前の手の者を指揮し、俺を襲わせた、というのは誰でもわかる。ゲト一味とアークランドグループとの繋がりの密接さは、それだけで明白だ。だから、小林はあっさり観念して色々喋ってくれたぜ。概ね、俺の推理通りだったがな」
「奴は、何を喋った」
「ほぼ全部だ」
「そうか」
 ゲトは、少し項垂れた。その反応は、ペンを落とす寸前の小林のようだった。
「結論から言うぞ。ゲト、お前FIRE HAMMERを、アークランドグループに売ったな?」
 ゲトがこの言葉に反応する事はなかった。だが、反応しない、という反応が、全てを物語っていた。
「三年前、お前は日本州に行った時、あるギャングの庇護下で銃をいじってたFIRE HAMMERを偶然見つけた。そしてお前は、奴の技術力で一儲けできると踏んだ。だが、FIRE HAMMERを直接的に抱え込むのはあまりに危険すぎるもんで、そのリスクは他人に背負わせ、自分はうまい所だけを頂けるようにした。その他人ってのが、後のアークランドグループだったわけだ」
 FIRE HAMMERを商売の道具にする。一般人が聞けば、そんな発想をする人間の正気を疑うだろう。だが、ゲトにとっては全てが金であった。あの爆弾魔ですら、ゲトには札束に見えたのだろう。少なくとも、その時は。
「その目論見は見事にうまくいった。FIRE HAMMERの生み出した技術は莫大な利益を生み、アークランドグループは瞬く間に世界一の企業複合体となり、お前の所にもかなりの金が流れ込んだ。お前の持ってる会社、三年前から軒並み株価が上昇してる。アークランドグループから流れてきた『寄付金』を使って、業績を伸ばしてったんだろ?」
 ゲトは応えない。だが、Wも応えてもらおうとは思っていない。話はまだ続くのだ。
「FIRE HAMMERの身柄は、恐らく暫くの間は世界中を転々としてたんだろう。だがすすきのに、アークランドグループ支部が出来てからは、奴をそこの地下に閉じ込めて研究開発に従事させ、同時に、FIRE HAMMER関連の諸事を一任する担当者を用意した。それが、小林だ。あいつは、FIRE HAMMERに関する万端の責任を負う立場だったんだな」
 すすきの支部にFIRE HAMMERの所在を定着させたのは、何かあったとき、ゲトが介入しやすいようにするためであろう。支部建設の段階でその計画があったのなら、支部のどこかにはFIRE HAMMERの居住と研究開発のための秘密の施設があるはずである。
 だが、そこまでしても、FIRE HAMMERの暴走を止める事は出来なかったのだ。
「誤算は、一つだけあった。FIRE HAMMERが、お前の予想を遥かに超えて危険な人物だったことだ。まあ、金という現実的な尺度で全てのものが量れると思ってるお前が、奴の狂気を理解するのは、どだい無理な話というものだろうな。お前とアークランドグループは、FIRE HAMMERを完全にコントロールしているという幻想に陥り、その油断と驕りを突かれた。それが、今回の事件だ」
 言いながら、足下のブリーフケースを蹴る。ブリーフケースは地面を滑って、ゲトの足下で停止した。ボディガードの一人がすぐさまそれを抱え上げ、ゲトから距離を置く。危険物である可能性があるからだ。
 だが、Wにとって、それは過剰な反応にしか見えなかった。彼はボディガードの挙動に呆れながら、話を続ける。
「そのケースの中には、警察の事件記録がある。それによると、アークランドグループのすすきの支部で、二度火事が起こってるな? 四ヶ月前と五ヶ月前の二度だ。どちらも、地下のガス管が破裂した事による小規模爆発事故が原因とある。そんな事、通常ありえるか? あの建物は三年前には影も形も無かったんだぞ。工業技術でのし上がった大企業の建てた支部が、三年も経ってない内にガス管破裂? しかも、小規模爆発があるまでその事に気付かなかった? まあ、細かい社内事情は知らんが、道理には適ってないな」
「何が言いたい?」
 ようやく、ゲトが反応を返してきた。苛立っているような、焦っているような、低い声色だ。
 だが、それが演技である事をWは知っていた。
「この火事、FIRE HAMMERが起こしたもんだろ?そして、奴はこのどっちかの火事の時に脱走した。火事が四ヵ月前で、一連の事件は二カ月前に始まったんだもんな。時期的に結構ちょうどいいと思わないか? 尤も、この火事は規模も小さかったし、そん時は奴がこんなハチャメチャやるとは思ってなかったから、必死に事故として処理したみたいだがな」
 言葉を区切るW。その間に、ゲトはブリーフケースを持っているボディガードに、ケースを開けてみるよう促す。
 ボディガードは「しかし」と反論しかけたが、ゲトの一睨みの前には何ともしようが無かった。観念して、ゆっくりとケースを開ける。
 そして、隙間から数枚の書類が零れ落ちた。それは確かに、Wが言った通りの火事の警察記録だった。
 ゲトは、忌々しげに鼻を鳴らした。
「これで困ったのは、小林の野郎だ」
 再び、Wの話が始まる。
「何せ、FIRE HAMMERに関する全権限と全責任があいつにはあるからな。アークランドグループがお前と組んでFIRE HAMMERを匿い、利益を出してたなんてもし世間に知られた日にゃあ、あいつは然るべき形で責任を取らなきゃならなくなる。そうでなくとも、FIRE HAMMER関連について知り過ぎてる人間として、秘密を守るために消されちまう可能性だってある。あいつが今まで生きてこられたのは、暴走するFIRE HAMMERを見つけ出して止めるために、奴に関する知識が豊富な人材を、お前らが差し当たって必要としてたってだけだ」
 つまり小林の目的は、秘密を守りながらも、アークランドグループに害を為す存在でしかなくなったFIRE HAMMERを無力化することであった。
 彼はその一環として、Wに依頼をしたのだ。
「小林は、とにかく何としても、秘密を守りながらFIRE HAMMERを捕まえなきゃならなかった。その為にいくつかの手を打った。マスコミへの情報を制限するよう、警察機関に圧力をかけたりとかな。ただ、一つだけひどい大ポカをやらかした。俺を甘く見たことだ。まあ、それは、アークランドグループ上層部にも言える事だがね。思うに、連中は俺を雇うってことをお前に伝えてなかったんじゃないか? 必要性を感じないほどの些事だと認識してたか、他の事案に忙殺されたか、その理由はわからんがな。とにかく、俺を雇うってことをお前が事前に知ってたら、絶対に阻止したはずだ」
 ゲトは左手を上げ、傍らにいるボディガードの一人に合図らしきものを送る。それに応じるように、一人はゲトの耳元で何かを囁くと、入口に向かって歩いていった。
 しかし、Wは疑問も注意も口にしない。とにかく、熱中するように自分の話を続けていく。
「俺が関わってる事をお前が知ったのは、俺がオレゴニア・ガレウスの野郎をシメ上げた時だ。オレゴニアを通じて、俺が事件に関わってる事を知ったお前は、ただちに依頼を撤回するよう、強烈な勧告をしたはずだ。しかしだ、アークランドグループはその勧告を突っぱねた。多分『やれる事はなんでもやったらいい。KとWとやらはただの私立探偵だ、何を怖がる』とでも言ったんだろう。急成長を続けてあっという間に世界を席巻したアークランドグループは、そのまま傲慢の塊になっちまってたんだな。立場は、とっくのとうに逆転してたんだ。だからお前は仕方なく、武力を以って『奴は用が済めばただちに殺せ』という要求の圧力を、小林個人に――」
「もういい」
 Wの話を、ゲトはやや語気を荒めた掠れ声で、はっきりと遮った。Wは素直に話を止め、目を細めてゲトの挙動を見逃すまいとする。
 ゲトはため息をつき、顔を掌で拭う。その動作に、力は無かった。
「一つだけ、訊ねさせてもらおう」
 言葉と言葉の間には、かなりの間が存在した。それは彼の疲労を表しているようにも思えた。
「FIRE HAMMERがすすきの支部にいたと踏んだ、その根拠はなんだ?」
 FIRE HAMMERはかつてすすきの支部に監禁されていた。Wは、奴がそこから脱出する際の火事記録を見てそれを確信していた。
 しかし、それはFIRE HAMMERがすすきの支部にいた可能性を事前に考えていなければならない。だからこそ、火事が奴の脱走、という発想が生まれるのである。
 つまり、火事記録を見たときには、Wは既に、すすきの支部に奴が囚われていたという可能性を考えていた、という事になるのだ。
「小林は、FIRE HAMMER事件の収拾のために、全世界を飛び回ってたんだろ?」
 一切体を動かさず、口と喉の動きのみで質問に答える。
「なのに、支部移転なんていう一見FIRE HAMMERとは無関係な仕事をディードと共に進めていた。しかも、小林をディードに紹介したのはゲトの大親分だ。日本州でとんでもない技術者を見つけた、ていう大親分がな。そこまで来れば、すすきの支部にはFIRE HAMMERに関係する何かがあるなって誰でもわかるさ。オレゴニアの野郎も、あいつなりに薄々感付いてたようだったしな。ちなみに、支部移転をしようとした理由も明白だ。でかいハコにガサが入りそうなとき、施設移転のドサクサに紛れて証拠を消すのは、よくあるやり方だからな。移転して、前の建物を解体して潰しちまえば、証拠なぞもうこの世に存在しない」
 これらの情報は、殆どがオレゴニアをシメ上げた時に得たものである。これらの情報があったからこそ、ゲトがアークランドグループにFIRE HAMMERを売った経緯がわかり、すすきの支部に監禁していたのではという推理が成り立った。
 オレゴニアからの情報。これが、Wにとってまさに値千金だったのだ。
「オレゴニア、か。後で、褒めてやらんとな」
 枯れ木を打つような、乾いた掠れ声が微かに聞こえてきた。
「W氏には――」
 再び、その細腕を上げる。ただ、先ほどよりも高く、掲げるように。
「――褒賞を、授けよう」
 その腕が振り下ろされた時、反動で車椅子が少し揺れ、倉庫の周囲から車のエンジン音が鳴り響いた。
 そのエンジン音は倉庫を隈なく取り囲むようにして、少しずつ接近してきているようだった。
「Wよ。お前が得意げに語っている間に、倉庫は、完全に、包囲させてもらった。もう、逃げ場は無い」
 ゲトは、弱っている演技によってWに得意げに長話をさせ、その間に倉庫を囲む作戦を執っていた。
 今やゲトの手勢は、倉庫を何重にもぐるりと取り囲んでいる。
 そして今度は、ゲトが饒舌になる番だった。
「お前としては、それをネタにして、何かの取引を持ちかけるつもりだったんだろう。だが、私は取引などせん。ここでお前を殺せば、秘密は守られる。FIRE HAMMERの手掛かりは無いが、なんてことはない。私の力をもってすれば、もうじき、捕まえられるはずだ」
 秘密を知ってしまった上でWとKが生き残るには、ゲトと取引をするのが最も効率的だった。いくらWとKでも、ゲトとアークランドグループをまとめて相手取る事は出来ない。
 ゲトの手勢三人を倒して小林を誘拐出来たのは、あのお粗末な作戦を考えた人間が、Wを侮る小林であったからだ。電話してから一時間後ではゲトに相談する時間は無い、と奴は踏むだろう、と予測していたからWは戦いに赴けたのだ。
 あの時は、相手はゲトではなく小林だったから勝てた。しかし、Wの手腕を知るゲトと、支柱が揺らいでいるとはいえ未だ強固な組織力を誇るアークランドグループ。この二つに対して単独でぶつかるのは、いくら何でも無謀。
 だからこそ、相手の弱みを握った上で、自分がFIRE HAMMERの捜査に役立つ人間であることをアピールし、ゲトと取引を結ぶのが、生き残るための最善の方法であった。
 だが、ゲトが交渉に応じない――
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