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貴方は巨狼との戦闘後、十数分ほどその場に留まって軽い休息を取った。右肘の欠損部と内臓部の損傷を癒やすためである。その間に愛用の大刃物も無事回収し、そして処理場の壁際をぐるりと回って出口を見つけるに至る。
処理場の奥に位置している壁の窪みに、上へと登る梯子が据え付けられていたのである。手を掛け、体重を乗せても倒壊する様子は見られず、問題なく登れそうであった。
貴方は全身に意識を向けて損傷の回復が済んだことを確認すると、大刃物の機構を作動させ、通常サイズの鋸鉈へと戻してこれを仕舞い、梯子をゆっくりと登ってゆく。
【セントルイス郊外・放棄された廃村跡地】
長い梯子を上りきって貴方が這い出た場所は、寂れた墓地跡であった。
見渡す限りの墓石群はその形を風化させ、半ば朽ち果て、名も知らぬ草を所々に生やさせ、時の流れの無常をこの上なく示唆している。生命の気配を感じさせず、乾いた風を音も無く流し、ここが既に人から見捨てられた土地であることを貴方に知らしめる。
そうして何も残っていない土地であっても、頭上の空には相も変わらず白い月が浮かび、滅びにも慈愛が与えられるるべきだとでもいうように、仄かな光を照らし続けている。
月明かりを背に受けながら、貴方は墓地跡から抜け出すべく足を動かす。
向かうのは家々の見える村落部だ。とはいえ、死者を弔うべき墓地が荒れている様相から察するに、村落部も滅んでいるだろうと貴方は半ば確信していた。
廃された家々の跡地を見るに、ここもまた村落という名の巨大な墓地跡と言って良かった。家の屋根には穴が開き、そもそも屋根が残っていれば良い方で、むしろ壁も屋根も形状さえも喪失した瓦礫の散乱が目に映る。
人は疎か鼠の一匹も気配を感じさせぬ辺り、そこは廃村になってから随分と長き月日を経ているのであろう。劣化の具合が顕著であり、砂や泥があちこちに散って少しずつ、荒廃の兆しが跡地に侵食していた。
貴方は砂埃に巻かれながら、廃墟の並び立つ中を無造作に歩いてゆく。
その行動自体にさしたる意味など無いが、されど貴方の心身を落ち着けて冷静な思考を促すには十分の休養となった。道端の瓦礫に座り、貴方はこれから取るべき行動を探る。
貴方の取るべき行動は依然として、都市セントルイスへと戻ることである。
しかし戻って何をするのか、という目的が明確に定まっていない。
黒曜教会上層部に対する不審はある。先の実験施設こそ、貴方の不審を決定的に形作る根拠となるのは間違いない。加えて、処刑場で断罪した怪物の存在もまた、貴方の教会に対する不審を一際強いものとしている。
されど教会によって守られている人々が存在していることもまた、現実の一部であることを貴方は理解しているのだ。
黒曜の神の加護がなければ、異形化した怪物によって多くの人々の血が流されていたことは間違いないであろうから。今よりも多くの血が、流されていたに相違はあるまいから。
教会から離れて自身の納得できる生き方を探すにしろ、教会に属したまま断罪を執行していくにしろ、どちらにせよ、都市セントルイスに戻らなければならない。と、現在すべき原点に貴方の思考は立ち戻る。
貴方は懐から月時計を取り出すと、夜空から降り注ぐ微光を集めて時計の機構を作動させ、セントルイスへの方角を割り出した。此処より北西、徒歩でも然程には掛からぬ位置にある様だ。都市の明かりは小さく、薄らとだが、貴方の視界に映り込んでいる。
その明かりは人々の営みによって作り出されている文明の灯火である。筈だが、しかしその光を見ていると、貴方はどうにも胸騒ぎがしてならない。心身の奥から湧き出す不安に駆られ、貴方はその場で身体の動作を確認した。
軽く身体を動かしてみるに、四肢は十全に動き、傷の修復も既に完治と言える。動かす度に多少の違和を感じこそするものの、じきに慣れるだろうし、移動を行うに当たって支障は無い。
断罪装束も所々に解れや破れがあった筈だが、黒き血の作用によるものか、そういった破損は欠片も見られない。休息を挟んだため、体力も気力も余裕がある。
貴方は軽く筋肉を伸ばして体調の良好を確認した後、その場から駆け出した。
向かうはセントルイス教区街の、自身の属する黒曜教会である。
【セントルイス教区街】
セントルイス教区街へと入る前に、貴方は街の異常を視認した。
空が常よりも赤く、紅く照らし出されているのである。それは教区街の何処かで火災の類が発生していることを貴方に認識させ、同時に嫌な予感を知覚させた。
貴方は街の正門を通ることなく側壁を乗り越え、裏の小さな街路に入る。明かりに照らされぬ闇に同化して侵入したため、目立ちはしない。建物の陰に潜みつつ、往来にて惑う人々を目にして、彼らの話を耳に入れた。
その内容はやはり、街の上空を赤く彩っている火災の原因に関するものである。複数の箇所において火元が見られるとのことであり、複数犯による放火の疑いさえあるという話であった。
放火か出火かの是非は置き、貴方は任務報告のためにも黒曜教会への道を急ぐ。 往来から路地裏に再び入り込み、影を縫うようにして疾駆する。音も気配も消して駆け、然程の間もなく教会に着いた貴方は、僅かな驚きをもってそれを見上げた。
天をも焦がさんとして、紅蓮の炎が燃え盛っている。教会の壁から、屋根から、火炎が上へと燃え上がり、空に昇らんと欲するかのように、黒き煙気を濛々と吐き上げ続けている。
どう見ても火の不始末などといった軽い出火の勢いではない。明らかに人の手が入っている悪意の焔であり、容易に消火しきれるとは思えぬ猛りを感じさせる火の勢いであった。
貴方は断罪装束の一部たる黒外套を裏返して着直すと、普段の神父姿に戻った。見た目に不審の点がないかを軽く確認した後、路地裏から表の往来に歩み出る。と同時に、ちらほらと貴方の姿を認めた人々が貴方の名を呼び、駆け寄ってきた。
いずれの人々も不安そうな表情を隠さず、動揺の色を見せている。
無理もないことだろう、と貴方は思う。駆け寄ってきた人々はこの周辺に住んでいる黒曜の信仰者たちである。黒曜の神に感謝の祈りと敬意を捧げるべく、熱心に教会へと通ってくれている信仰厚き者たちだ。
貴方とも少なからず親交があり、幾度も会話を交わしたことのある人々である。自然、貴方個人の感情としても放っておけず、貴方の方からも彼らに近寄り、労りの言葉を掛けてゆく。
住宅地の付近で激しい火災が起こっていることもそうだが、なによりも信仰するための場所たる教会そのものが燃え盛るという日常の否定とも取れる状況もまた、信仰者たちに動揺を与えているのだろう。
貴方は人々に安心を与えるべく、静かな、そして真面目な表情を湛えて、事態が収束に向かっていることを落ち着いて述べてゆく。推測と憶測を交えた根拠の無い詭弁であっても、信仰者の人々はその顔に安堵の色を見せていく。
「神父様……」
しかし一人、遅れて貴方に声を掛けた者があった。
それは年端もいかぬ少女である。周辺では見慣れぬ簡素な白のワンピースを着ており、されど不思議と風景に馴染んで溶け込んでいる。少女は辺りを気にする様も見せずに、貴方の瞳を覗くように、真っ直ぐに見上げてくる。
その黒い瞳には思わず惹き込まれるほどに強い意志が宿っており、言の葉よりも雄弁に、己の使命を伝えたいのだと、貴方に訴えかけていた。
貴方は少女の目線に合わせて膝を折り、丁寧な所作で以て少女の言葉を促した。
その途端、少女は厳かに頷いて、貴方に向かって言葉を与える。
「――私は、教皇猊下直属の使者でございます」
貴方は直感としてそれを信じて畏まり、頭を下げ、少女の次の言葉を待った。
黒曜教会においても、確かに教皇と呼ばれる最高権威者が存在している。そして彼女は年端もいかぬ賢き少女を直属の部下として幾人も置いている事実があると、司祭から伝え聞いていたからである。
「此度の火災は異端者たる星辰教徒の、星詠みの者たちの暴走によるものです」
使者たる少女の言うところ、セントルイス教区以外の街においても同様の放火や暴動、扇動が起きているのだという。それらは直ちに教会の主導で鎮圧が為されているものの、しかし首謀者が捕まったという報告は未だにされていないらしい。
「恐らく、首謀者は現場に出向いていません。そこで猊下は各地の断罪者に指令をお与えになりました。その内容は、放火に携わった星詠みたちの捕縛、及び首謀者の確保です。ただし、生死の如何は問いません」
貴方は頭を下げたまま、その指令を受諾した。
無論、思うところはある。あるのだが、しかしこれに真正面から抵抗を示すことは教会勢力に対する反乱分子と見做されるも同義だということを、貴方は理解している。
此度の件に関しては貴方だけでなく、星詠みという集団に同情的な意見を持っていた司祭もまた、思うところがあるのだろう。彼の姿が確認できていない現状に、貴方は多少の不安を覚える。
そんな思いを見越したのか、少女は一つ頷くと、継ぐようにして言葉を連ねた。
「どうやら、司祭様はご不在のようなのです。付近におられる住民の方々に尋ねてみても、確たる答えを得られませんでした。もしかすると、先に向かわれたのかも知れませんね」
司祭が軽率にそのような判断を下すだろうかと疑問に思いつつも、貴方は敢えて逆らうことなく、黙したまま頭を下げ続けることによって少女の言葉を肯定した。 現状、少女の言う通りに行動する他に、貴方の取り得る選択肢が無いためだ。
頭を下げ続ける貴方を見て、少女は然りと頷いた。
「貴方の働きには、期待しています」
少女は感情の伴わぬ、されど威厳ある声音でもって貴方に対する言葉を与えた。
その威厳はさながら、人間よりもずっと位格の高い存在であるかのような絶対の片鱗を漂わせていた。心身を奥底から震わせ、その場から一瞬にして跳び退らせる圧倒的とも言えよう程の較差を。
貴方は威に対する明確な警戒を示したことを不覚としたが、しかし少女は不思議そうに小首を傾げ、無垢なる表情を浮かべている。
「どうか、されました?」
その言葉には、先ほど感じた絶対的な圧威は見られない。少女の態度からは貴方を圧倒した覇気や意志といった要素が完全に失われており、それこそ、今はただの町娘にしか思われないのだ。
貴方は少女に対して緩々と首を横に振った後、柔らかな言葉をもって礼を言い、先の言葉を心に刻んだ。
今の無垢なる少女の態度も、先の威厳ある少女の表情も、どちらも確かに少女の正体であるのだろうと貴方は思う。そしてそれはつまるところ、貴方は教皇猊下の勅命を拝しなければならないということだ。此度の事件を企て、実行した首謀者を確保しなければならないということである。
セントルイス教区において、星詠みたちの居住は原則として認められていない。
何故なら彼らは黒曜の神を否定する異端者たちであり、黒曜教会の管理する教区の内外区域において排斥・迫害されている立場であるためだ。
されど、前人未到の地に追い立てられる、といった状況にまでは陥っていない。星詠みたちも人間であることに変わりはなく、生計を立てて暮らしているのに違いは無いという考えを持った善良なる者たちが、黒曜の信仰者の中に少なからず居るからである。
そういった信仰者たちは経済に関わることの多い者たちで、特に中下位に属する商人や被雇用労働者という、肉体労働を主とする職種の人々である。彼らは星詠みたちと手堅い交易を行い、或いは共に汗水を流して働き、互いに有益となる関係を築き上げているという。
貴方が星詠みたちが居住しているとされる場所を確認できたのも、出火の原因が星詠みたちの一部過激派による暴動であるという裏付けを得られたのも、彼らから進んで提供された情報のお蔭であると言って良い。
彼らの情報によれば、星詠みたちの居住区として認可を受けた地区でありつつ、それでもなお教会にとって利益が少なくないという理由で捕縛・確保の対象として見逃されている拠点は限られているという。都市周辺と範囲を狭めるのであれば、貴方の聞き知った一箇所しか存在していないとのことだ。
其処はセントルイス教区より北方に位置する天体観測所。当該施設の地下にて、暗黙の裡に秘されている居住区が一つ。地下聖堂街と称される空間こそが、星詠みたちの拠点であるとのことだった。
【天体観測所】
セントルイス教区より北方には、草木も生えない枯れた荒野が広がっている。
神から見捨てられ、大自然の恵みを永久に喪失したその一帯には、かつて世界の栄華を誇り、大陸の七割を手中に収めていたといわれる古代帝国の文明は見る影もない。
然れども一点、セントルイスより三十キロメートル程の地域にて、古代の帝国が使用していたものと推測される天体観測装置が一基、かつての誇りを遺している。 荒れ果てた地に咲く逆傘型の金属花は、古代文明が大陸だけでなく天すらも支配下に置かんとしていたことを伝え遺す、ライル地域唯一の文化遺構である。
人間の智慧と欲望の往く先を象徴している古代文明の忘れ形見は、同時に、神という存在の強大さを現代に語り継ぐ証明物としての価値を教会に見出され、公式に保存・管理されている。
隆盛を誇っていた帝国は跡形も残らず、豊かだったのだろう大地は荒廃して草の一本も生えぬ有様だ。天を手に収めんとした人類の愚かな増上により、神の怒りに触れた末路である。と、教会によって喧伝されているのである。
しかし一部の人々は、その天体装置の存在こそが人類の求めるべき道標であり、人類の増上を示したものではないと信じている。
神が帝国を滅ぼしたのは人類が増上したためではなく、人類が進化させていった力の大きさを恐れたのだ。それがために現代文明と古代文明の間における技術力の差が隔絶したものとなっている。と、論じている者もある。
星詠みの者たちにおいて、特にその論旨が顕著であった。
貴方は天体観測装置の足下にて、その巨大な傘を見上げている。
全長十メートルにもなるそれは、既に本来の用途を果たすことが適わなくなっている。今では星詠みの地下街へと潜入する隠し路の一つに過ぎず、文化財の保護という名目を与えられて、黒曜教会によって管理されているのが現状だ。
如何に高度文明の残り香といえど、残された人々の智慧と経験によっては本来の意図された用途とはかけ離れた使用が為されるということを示す、良い例である。
貴方は天体観測装置の側壁に取り付けられた金属扉を慎重に開くと、現代技術の遠く及ばぬ文明の遺構に足を踏み入れた。
天井からは硝子越しに月の明かりが白く差し込み、遺構内部の中央に開けられた無骨で粗野な破壊孔を黒くぼんやりと照らしている。星詠みたちが潜む地下街へと至るための、教会によって開けられた隠し路だ。
開けられた穴の下には長い鉄杭を壁に打ち付けられただけの、急造の螺旋階段がぐるりと巻いて地下の奥へと続いている。臆する素振りも見せることなく、貴方は靴底の中ほどに鉄杭を引っ掛け、螺旋階段を駆けるように降りてゆく。
頭上の硝子天井から注がれる仄かな光は、地下へと潜ってゆく貴方を見失う。
光無き完全な闇の中で、しかし貴方は月明かりが自身を導くような光の筋道が、闇の中心を突き抜けてゆくように視えている。断罪者にとって導きとされる白き月の光は、されど実態の無い幻影に過ぎぬことを、空虚そのものでしかないことを、貴方は理解している。
十五分ほど貴方は螺旋を降り続け、やがて底の奥深くから響いてくる喧騒を耳にする。星詠みたちの住まう地下聖堂街はその名の通り地下の深くに位置しており、常に照明を灯しているのが特徴だ。
貴方は幾度か聖堂街へと潜入した経験を有するため、その喧騒が平常のものとは異なる、殺気立ったものであることに気がついた。怒声に近い激しい感情の発露、獣性の叫びと臭気が響いている。まだ街に着いていないというのに、貴方の耳朶の奥をざらつかせ、神経を妙に逆撫でる。
貴方は鋸鉈を腰のベルトから引き抜くと同時に、階段の終わりに到達する。
目の前には金属製の大扉が鎮座しており、長いこと開けられていなかったためであるのか、閂扉が錆びついて腐食し、扉と酷く癒着している。腐食によって歪みが生じているからなのか、ピタリと閉まっている筈の扉の隙間から、聖堂街の空気と光、そして熱が漏れ出しているのを貴方は感じる。
大きな軋みが響くのも構わず、貴方は大扉を全力で、勢い良く開け放った。
【星詠みの地下聖堂街】
扉を開いた先の光景は、さながら地獄の様相を呈していた。
街並みを一望できる高台に立つ貴方の元にさえ届く熱の風は燃え盛っている街が吐き出す呼気に他ならない。高き天井の岩盤にまで赤き焔の色が映え渡り、生半可ではない灼熱の波動が街全体に、隅々まで押し寄せているのだろうと窺わせる。
逃げ惑う人々の悲鳴、怒号、異形の叫び、そして咆哮、銃声に建築物の崩壊音、混沌とした惨禍の音色が渾然となって貴方の知覚に地獄を訴える。セントルイスに放火をした存在が、この街の惨状を作り上げたのだと脳に訴えかけるのだ。
起こっている災害の規模を鑑みるなら、セントルイス教区のそれとは比較対象にすらならないだろう。それほどに、惨憺たる有様だ。
貴方はセントルイスにおける放火・暴動は星詠みたちによる仕業だと聞いていたが、どうも街の状況を見るに、星詠みたちの犯行ではないように思われた。
しばし街の様子を観察していた貴方は不意に、首筋の後ろを引き攣らせるような殺気の刺激を感知して、その場から即座に跳び退る。跳び退いた貴方と入れ替わるようにして上から降って来た者は落下の衝撃を拳打に乗せ、高台へと突き立てる。その衝撃は鋭く重いものであり、僅かに地揺れすらも起こす程に強烈なものだ。
それほどの一撃を放っても、その者は呼吸を毛ほども乱していない。不意打ちに失敗したことを気にする素振りも見せず、悠々と拳を引き抜きながら、その場から静かに立ち上がる。
それは貴方と異なる作りの、黒装束を着た人間だ。否、その拳を形成する筋肉が異常に膨れ上がっている様は、貴方の属する黒曜教会においては怪物と認定されるものである。人間としての存在規定を満たさず、怪物と判ぜられ、討伐される対象に他ならない。とはいえ、異形に変化しているのは肥大している右腕だけであり、他は普通の人間と変わらぬ相貌である。
黒装束の男は目元を細めて貴方を睨み、低い声で問い掛けた。
「貴様……教会の断罪者だな?」
それは問い掛けなどではなく、単なる確認だったのだろう。或いは貴方の惑いと隙を誘うつもりであったか。いずれにせよ、相手は貴方の答えを待たず、瞬息にて間合いを詰めてきた。
男の武器は振りかぶっている右拳で、その大きさは先よりも更に肥大しており、一メートルにも及ぶほどだ。それほど大きな右拳の重量を感じさせぬ疾走は、男もまた貴方のように、荒事に身を置いているからこそできる芸当だろう。
恐らくは怪物を、そして人間も、手にかけた経験があるに違いない。それほどに男の殺気は濃厚で、そして身のこなしに躊躇が見られない。
貴方はそんな手練れの敵を視界に入れつつ、機を見て一歩、後退した。そして、その一歩分を開けた間合いの時間は、貴方にとって十分すぎる猶予であった。腰のベルトから短銃を取り出すと同時に、貴方は二度、引き金を引いている。
二発の銃声が重なり、一発の重奏となって響く。
一発は男の眉間に向かい、もう一発は男の心臓に向かい、弾が飛ぶ。
彼我の間合いは、貴方の引いた一歩分に過ぎない至近の距離だ。並の怪物ならば避けられず、脳と心臓を砕かれて死んでいる。
しかし男は怪物ではなく、さりとて並の者でもない。銃弾を避けられぬと悟るや否や即座に両腕をもって盾とし、眉間と心臓を庇って受ける。銃弾はどちらも肉を穿って炸裂し、男の両腕に浅からぬ傷を残す。白煙が立ち上がり、白き血が飛んで散りゆき、されど男は歯を食い縛って呻きを飲み込み、痛みに耐える。
耐えてその場に踏み止まった男は、そして不意に瞠目し、僅かな硬直を生んだ。
貴方の姿が、その視界から消えたためだ。
そして強引に生み出した一瞬の間隙を突くというのが、貴方の戦闘方法である。
「がっ……?」
男は目の前で何が起こったのかも分からぬまま、一歩二歩と足を進め、ぐらりと傾き、地に倒れた。背中の中央より僅かに逸れた心臓部位、そこに空いた穴から、白き血が湧き水のように滾々と噴き出している。
それは男が、既に事切れていることを示していた。
口から吐き出されたのだろう血液もまた、ゆっくりと白き染みを広げてゆく。
貴方は襲撃してきた男の死体を無感動な目で見下ろした後、その背から抜き手によって抉り出した心臓を見遣りもせず、無造作に握り潰した。と同時にその場から即座に駆け出し、街中へと跳び降りていく。
貴方が思っていたよりも、聖堂街の状況は良くない方向に進んでいるらしい。
――来てすぐに襲われたのが、その証拠だ。
貴方の通ってきた隠し路は黒曜教会の断罪者、或いは上層部しか知らない通路である。長きに渡って封印されてきたその隠し路を通ってきたというのに、星詠みの戦力が待ち伏せしていたという事実は重い。
とはいえ、隠し路の内部で待ち伏せていなかったことから推測するに、隠し路のことを前々から知っていたとは考え難い。ずっと以前から知っていたなら、大扉を溶接して防ぐという手段も取れたであろう。そもそも隠し路に罠を設置していればそれで大抵は片が付く。
されど先の襲撃者は、隠し路に細工を施すような真似をしていなかった。確実を期すのなら、罠を仕掛けておいた方が良いのは子どもにも分かる道理だ。で、あるにも関わらず、どうして不意打ちのみだったのか。
無作為な事実がちぐはぐに繋がっていることが、貴方の思考を惑わせる。
思考を続ければ続けるほど事実が無駄に交錯し、重い徒労と疲労を覚える。
ゆえに、貴方は思考目的を単純なものへと切り替えた。
重要なのは、ただ一点。現時点で優先すべきこと。教皇からの勅命だ。
しかし気に掛かる事柄もまた、一点ある。
――教会上層部に、或いは断罪者の中に、星詠みと内応している者が存在する。
それらのみを認識していれば、気構えを置くには十分だ。
貴方の聖堂街における役割は、シンプルなのだから。
首謀者の確保、それのみに尽きる。
しかし個人的には、それでは足りない。
セントルイスでの暴動を実行した者たちの確保、そしてこの地下聖堂街を地獄に変えた者たちの確保、或いは情報を獲得したい。
如何なる目的を以て、此度の非道を為したのか。
道中において星詠みに接触しても、対処は素通りで構わない。一般の星読みに、用は無いのであるから。けれども助けを求められたなら、避難場所に誘導してやる必要は出てくるだろう。が、黒曜教会に属していると一目で分かる断罪装束を纏う貴方に、星読みが貴方に助けを求める可能性は極めて低いものではある。
貴方が高台から降りてすぐに、街の中央通りに続く幅の大きな道があった。
しかしそこにも、火災の被害が目に見える形で広がっている。焼け毀れた建物が並んで瓦礫が溢れ、道を敷く石畳は掘り返されたかの如く割り砕かれ、其処彼処に転がる死体の群れには蛆が湧き、身の丈を超える火焔の飛沫が視界を灼く。
ほんの一歩すら踏み出し難き災害の一端が目の前に迸っており、街の外れである此処ですらこの様相なら、中央の大通りに至ってはどれほど酷い光景になっているのか、貴方には想像もつかない。
そういった火災の被害に遭っていない部分は恐らく、脇手に小さく見える路地の裏道くらいのものだろう。家々の裏側に通っている小さく細き道には火に焼かれることなく、明かりの光も色も見えず、火焔地獄の中で奇妙な静けさを保っている。 その部分だけが火焔の海から切り離された、水底のように思われてならない。
ある意味においては、目に見える火焔の海を泳いでいくより危険かもしれないと貴方の勘が囁きかけてくる。が、立ち止まっている時間が惜しい。他に選べそうな道も無い。
貴方は頻りに鳴り響く警鐘を気に留めつつ、路地裏に足を踏み入れる。
【地下聖堂街・路地裏】
たった一歩、その黒い泥濘の道に足を踏み入れた途端、貴方は全身に感じていた火焔の熱が一瞬にして引いてゆく奇妙を感じた。足底に感じられる泥濘は浅いが、しかし強い粘性を感じさせる。
明かりによる照り返しが無いために分かり難いが、ただの泥濘とは思えない。
この泥濘が火災を遠ざけている要因の一つであろうと窺えるものの、これだけで火災の悉くを避けているとは考えにくい。
そもそも感覚的に、街全体を取り巻いている筈の火焔が微塵も感じられないことが極めて奇妙である。路地裏には熱波に温度、焦げる臭い、燃え盛る火焔の轟音、いずれの要素も届いて来ず、深き水の底に揺蕩っているような静謐のみ湛えられているのだ。
否、静謐に漂う空気の中で、貴方は何者かから視られているという知覚がある。
近くではないが、そう遠くでもない。敵意や殺気を感じられないことのみが救いであるが、妙に脳髄をざわつかせる、嫌な視線だ。
ともあれ、貴方は慎重に路地裏に広がる泥の道を進んでゆく。
直接的な殺意を向けられていないにせよ、ここには先の場とは違い噎せ返る程に多くの生物が居る気配を感じられるためだ。
それらは火災から避難してきた星詠みたちである可能性も否定はできない。が、貴方が自身の感覚を信頼するなら、これらは人間の気配ではない。もっと異質の、それこそ獣や怪物といった人外の気配だ。
貴方は右手に鋸鉈を提げ、黒革のブーツを濡らしながら、気負うことなく先へと進む。左手に並んでいる建物は崩壊の憂き目にあって瓦礫の積み場と化しており、人の気配が感じられない。にも関わらず、瓦礫を穿り返すように彷徨っている影が視える。
闇よりも深い漆黒の影の群れは貴方のことなど目に入らぬかのようで、ひたすら瓦礫の間を行き来するように、緩慢に揺蕩っている。その影に気配は無く、生気も無く、生きた物ではないのだと貴方に悟らせる。
――ここは恐らく、異界なのだろう。
聞き及ぶところによれば、黒曜に属する研究者の中には人間の感覚を誤魔化し、錯覚を生じさせることにより、この世のものとは思えぬ不可思議な光景を見せる。そういう技術を扱っている者がいるという。
その幻覚はあくまで現実の地形を反映させるだけに過ぎないとも言われており、未完成の技術であるとのことだ。が、現実の難所を越える際に有用ではあるとも、貴方は聞いた覚えがある。
仮にその技術が使われているとするなら、貴方が現在見ているこの光景も現実のものではなく、幻覚である可能性が浮上する。であるのならば、やはりこの街には貴方以外の断罪者が、教会の関係者が関わっているという証にもなるだろう。
その者たちの目的は不明だが、場合によっては共闘することも有り得る。或いは逆に、目的の競合が生じて戦闘が始まる可能性も否定できない。尤も、星詠みたちに裏で通じている可能性が濃厚であるため、断罪者として後者の選択を取ることになりそうではある。
同じ教会に属する同胞が相手であろうと、貴方の為すべきは変わらない。
断罪者として、貴方の目的は明確だからである。
すなわち、教皇からの勅による大規模犯罪首謀者の確保だ。
更に加えるなら、ここに貴方の師である司祭が訪れていた場合。合流した後に、監獄における報告の詳細を伝えたい。その上で貴方は、司祭がどのような目的を持って教会に属しているのか。改めて尋ねようとも考えている。
以上の二つ以外は些事であり、貴方の行動を阻害するには足りないだろう。
監獄の調査において、貴方は獄長が教会上層部に対する反旗の意思とその力を、少なからず有していることを知った。加えて司祭、或いは司祭に近しい者が教会の上層部となんらかの繋がりを有しており、監獄の地下にて奇怪な実験を行っていたことをも知ったのである。
獄長と司祭、そして教会上層部、これらがどのように関連しているのか、貴方は推測できるほどの知識も情報も有していない。ゆえに、司祭に直接問い質す。そう判断した矢先に、此度の大規模人災である。
教皇の勅使が訪れたという事実だけでも、此度の災害が生半可なものではないと判断できる。一部の星詠みたちによる暴走で引き起こされたなどと、然程に単純なものではない、と貴方は考えざるを得ない。
それこそ、監獄の地下実験場で垣間見た、教会全体の黒々と澱み濁った何者かの意志が根底に息づいているかのようだとも、貴方は感じ取っている。この地下街の大火災についても同様に、教会内部が何らかの形で関わっている可能性を、決して否定できないのだ。
むしろ、率先して教会側が起こした事件の可能性すらもある。しかし、もし仮にそうであるとしても、貴方には手を出せそうにない。首謀者たちが一体どのような目的をもって此度の事態を引き起こしたのか、貴方には全く見通せないままであるためだ。
だが、どちらにしても星詠みたちの住む街全体を業火で焼き打つなど、徹底的に建造物を壊滅させるなど、たとえ異端の人間が相手とはいえ、やりすぎだと貴方は考える。異端の思考を持っていても、相手は人間である。理知を持たない怪物とは根本的に異なるものだ。
――だが、本当に異なるものなのか。
貴方は自身の思考に引っ掛かりを覚えると同時に、その歩みを止めた。
前方数メートルほどの位置から、何やら耳に障る水音が響いてきたからだ。
それに加えて、嗅ぎ慣れた腐敗の臭いが水音の元から漂い流れてきているように思われ、貴方は不快を感じて眉を顰める。
その腐敗は獣や怪物といったものからではなく、人間の死体から発せられている種類のものだと知覚したからだ。となれば当然、腐敗臭の元で蹲っている存在は、人間を喰らう怪物ということになる。
貴方は思考を切り替え、右手に提げている鋸鉈を振るえるよう意識を研ぎ澄ませつつ、足音を殺さぬままに、ゆっくりと泥水を踏みつつ進んでゆく。進むにつれ、水音を立てている者の輪郭が見えてきた。
それは、犬の輪郭であった。
犬に近しい大型の白き輪郭が、腐臭の立つ肉塊を貪るように喰っている。喰っていく端から、その肉片は耳障りな鈍い音を立て、泥水へと落ちて沈んでゆく。
貴方が目を凝らしてみるに、その犬には幾つもの欠損がある。頬顎に、腹部に、各所に大きな穴が空いている。頭部も、胴も、その脚も、肉が腐敗して溶け落ちており、白い骨片が覗いている。
その犬もまた、腐敗している肉の塊であるのだろう。
いわゆる、食屍鬼という怪物である。
貴方が見ている中、食屍鬼はぴたりと動きを止めると、宙を嗅ぐように鼻を持ち上げ、水に浸っている肉塊を貪るのを止めた。どうやら、貴方の発する生者の気配に気が付いたらしい。犬は視線を貴方に向けると、喉を震わせて威嚇の声を出し、腐肉と白血を滴らせる。
どういう理屈で動いているのか知れないが、それまた怪物の一端には違いない。
貴方は食屍鬼がいつ飛び掛かってきても対応できるよう構えを取りつつ、左手に短銃を握り込み、その引き金を一回引いた。
その銃弾は食屍鬼の腐った頭部をあっさりと消し飛ばすに至ったものの、されど食屍鬼の動きに鈍りはない。依然として首の上に頭部が存在しているかのように、貴方が視えているかのように、食屍鬼は貴方に飛び掛かってゆく。
頭部を消し飛ばしたがゆえに牙は無い。が、その足先には爪がある。腐肉を引き裂くためとは思えぬほどの、強い脚力をも見せている。油断できぬと貴方は判じ、食屍鬼の飛び掛かりを見切って避け、それと同時に鋸鉈の刃を添えるように当てて走らせ、前足の二本ともを付け根から削ぎ落とした。
食屍鬼は着地に失敗して泥水に激しく飛び込み、そしてそのまま起き上がることはなかった。恐らく、身体の活動限界に達したのだろう。食屍鬼はそのまま身から白煙を立て、その身を構成していた腐肉を水中に緩々と解かせ、何も無かったかの如くに消滅したのである。
怪物にしては強くもないが、しかし気味の悪いことこの上ない。
とっくに死んでいるであろう身体が、得体の知れない力を以て動作を可能としていたのだ。もしかしたら腐った状態においても、それは生きていたのかも知れないが、どちらにせよ気分の良いものではなかった。
貴方は胸中になんとも言えない薄気味の悪さを感じながらも、刃についた白血と腐肉を水面で濯いで拭い取りつつ、一本道である路地裏の道を進んでゆく。
どうも先に屠った食屍鬼は、路地裏に棲まう者たちを象徴していたものらしい。
というのは、貴方が進みゆく路地裏の途上にて、腐敗した身体を有した怪物どもが行く手を阻んできたからである。
彼らとしては、ただ、そこに存在しているだけなのだろう。敵意も害意も個体によって異なり、殊更に貴方を狙って攻撃してきたものは少ない。とはいえ、死臭を纏う腐肉を喰らい、血水を啜り、自身の腐肉さえ喰らっているのは、この世のものとも思えぬ光景であった。
――救いがない。
とつくづく貴方が思うのは、食屍鬼が四つ足の動物だけに留らず、理知ある筈の人間もまた食屍鬼として現れたことにある。その形状は完全に人間のそれであり、しかし隠せぬ腐敗臭を漂わせていたのは記憶に新しい。
その服は鈍色の腐汁と白血によって斑に染められ、頭部の腐肉には蛆虫が湧き、羽虫が黒く集っている。眼球もまた腐り落ちたのだろう。その黒い眼窩と口腔からは、生者のものとは思えぬ深い嘆きの響きが伝わってくる。
――これもまた、救済しなければならないものだ。
そう強く思わなければ、貴方はどうにもやりきれなかった。
人間としての生を全うした筈の者が、どうしてこの残酷な世界から抜け出すことが叶わぬのか。朽ちた肉体を引き摺り、死臭に澱んだ路地裏を彷徨い、歩なければならぬのか、貴方は納得がいかなかった。
それほどまでに、遍く生者は罪業を背負っていると言うのであろうか。
胸から溢れ出さんばかりの嘆きと叫びの感情を理性で必死に抑えながら、貴方は人間の形をした食屍鬼に鋸鉈を振るう。
抵抗は、一切無かった。
腕と首が千切れて落ち、白き血を噴き上げ、胴体はそのまま水中へと没する。
血飛沫も腐肉も腐敗臭も、いずれも水の澱みに沈み、貴方の視界から消えた。
貴方の心身に鈍い疲労を重ねる路地裏の道は、しかしそろそろ終わりが見えた。
道の先に暖色の光が視えたからだ。
その光は現実に繋がる道へと続いているのを確信させる、暖かでありながらも、しかし同時に忌むべき明かりである。なにせ現実もまた路地裏の幻想と異なる地獄であることに疑いなく、火焔が今も猛威を振るっているに違いないからだ。
貴方は憂鬱を隠さぬままに足を動かし、そして再び構えを取った。
前方数メートル、その位置に敵対者を視認したからだ。
それは、巨大なドブネズミである。
巨大鼠は腐乱した肉片と血液で口の周りを汚しつつ、何かを煩く咀嚼しながら、貴方のことを見つめている。その目の光は敵を見つけたという警戒の色ではなく、活きの良い餌を見つけたという食欲の色であり、自身が捕食者であると疑わない、傲岸不遜の色であった。
実際、その鼠の肉体は全体的に筋肉質でがっちりとしており、全長は二メートルを優に超えているだろう。その尾と甲高い鳴き声、頭部の形などを考慮しなかったのなら、鼠だと分からぬほどの恵体であり、恐るべき潜在能力を秘めていることが窺い知れる。
貴方は即座に鋸鉈の機構を作動させ、大振りの刃として両手で確りと握り込む。対大型怪物用の断罪武器だ。これに鼠は劇的に反応し、警戒の態度を顕わにした。
貴方の持つ武器が大量の命を散らしてきたことを、死臭を纏わせていることを、鼠は恐らく見抜いたのであろう。そんな武器を有する貴方を、ただの餌ではないと判じたに違いない。
鼠は二本足で立つのを止め、前足を水につけて四つ足の突撃態勢となり、貴方に向けて威嚇の唸りを上げ始めている。それは恐らく、怯えの感情の発露に思える。かと言ってその場から退く様子を少しも見せない辺り、相応の意地も持っているに違いない。
鼠のそうした敵対的な態度は、正直なところ、貴方にとって戦い易いものだ。
ただでさえ敵は怪物化している害獣であり、駆除することに対して精神的痛痒を感じ難いという認識もある。抵抗の意思を見せていることについても同様であり、相手がこちらを狩る気でいるのなら、こちらも相手を狩らねばならぬという名目ができるためだ。
そうした名目は他者に提示すものではなく、己自身に示すものでしかない。が、人間の心を保つ上においては大切なことだ、と貴方は固く信じている。倫理や論理といった性質を内包する知性と理性は、人間としてあるべき重要なもので、理知の無い人間などは怪物や凶獣と変わるところのない害悪に過ぎない。という理屈が、貴方の思考にあるためだ。
ゆえに貴方は相手が敵対の意思を見せてくるまで、自分から攻撃を仕掛けることは基本的に無い。とはいえ、それは敵対者が理知を有する人間の場合のみであり、断罪すべき怪物や獣が相手である場合は、その限りでは無い。
ともあれ、戦闘である。
貴方が全身から殺気を放つと、釣られたように巨大鼠が飛び出した。
その巨躯による突撃は脅威だが、実験施設で戦った巨狼には及ぶべくもない。
咆哮を上げて突っ込んでくる巨大鼠の身体を飛び越えるように、貴方は頭上へと高く跳ぶ。敵が貴方を見失い、突撃の勢いを僅かに緩めた瞬間を見切った貴方は、中空に身を躍らせたまま、鼠の頭部に向けて大刃物を振るい抜いた。
命中と同時に硬質の響きが渡り、鼠は低い鳴き声を上げ、汚泥を跳ねさせ転げてのたうち回り、色濃い怨嗟を周囲に漏らす。白い血液と透明の髄液がその小ぶりな頭部から流れ出し、しかしすぐに治まってゆく。
着水と同時に貴方は再び大刃物を構えて追撃を加える姿勢を見せるが、鼠も敏に反応し、警戒態勢を即座に取り、貴方から距離をとって即座の追撃を許さない。
攻撃の機をずらされた貴方は、絶妙な間を開けた鼠と暫し睨み合う。
小さい割には頑丈な頭部だ、と貴方は胸中で舌を打つ。
予定としては先の頭部への一撃で勝負を決めるつもりだったのだが、頭蓋の骨が存外に硬く、両断には至らなかったのだ。恐らく首回りも、斬り落とすのは難しいと貴方は推測する。盛り上がっている高密度の筋繊維と、それを内部で支えている骨を断つには、生半可な攻撃力では到底足りない。
であるならば、眼球や口腔内部といった柔らかな部分に攻撃を通し、致命の一撃を与えるのが現実的な攻略法だろう。
そうした思考をしている間に、鼠は再び貴方に突進していた。
しかし先程と違うのは、愚直に進み、避けられても直進し続け、間合いを幾らか開けてから反転を行う点だ。それは頭部への一撃を警戒したがゆえのヒットアンドアウェイであり、鼠が貴方に対する警戒心を持っていることの証左である。
頭を下げて四つ足に力を込めた全力の弾丸疾駆は、泥濘の抵抗など無きが如しの勢いある突進となっており、なかなかどうして厄介な攻撃だ。顔面に配されている柔らかな部分を狙うことができず、加え、肉体の重量を頼んだ突進に対して貴方は正面から対抗する術を持たず、避ける以外の手段を取れない。
速く、重く、そして強いその突進は、単純な戦術であるだけあって嵌れば対処が難しい。泥濘の飛沫を上げての攻撃でもあるから、銃を撃っても威力が減衰され、鼠の肉体に掠り傷の一つも負わせることができないでいる。
――厄介だな。
とはいえ、勝機が無いというわけではない。
鼠は頭を低くし、視界に頼ることをせず、主に嗅覚と聴覚によって貴方の位置を探り当て、突進を敢行していると思われる。それゆえ、立ち回りを意識することによって位置の誘導が可能であると貴方は考える。
貴方は通過した鼠を視界に入れながら、その立ち位置を大きく調整した。ざぶりざぶりと泥水を蹴り分け、巨躯の突進を待ち構える。鼠は覚悟を決めているのか、或いは考え無しであるのか、ひたすら愚直に貴方の元へと突き進む。立ち止まっている間などほぼ無く、常に走り回っている状態だ。
だからこそ、鼠は貴方の策へと嵌り込む。
迫りくる巨躯と水飛沫に合わせて高く跳んだ貴方の下を鼠はそのまま突き進み、そして間もなく、道脇に積まれている瓦礫の山へと突っ込んだ。
されど鼠は勢いを維持したまましばらく止まらず、瓦礫を粉砕しながらも進み、粉微塵にした石による微粒の灰煙を立ち上げた辺りにようやくその動きを止めた。
そして鼠が転回するよりも速く、貴方はその巨躯へと疾駆している。
間合いは僅かに二歩余り。泥濘に足を取られることなく走った十数歩で、相応の速度が乗った推進力を纏っている。速度の力を活用すべく、駆けながら力を両手に集中させ、握り込んだ大刃物へと移動させるよう意識する。狙いを定め終えている貴方は、手に持つ得物を鼠に向けて力の限り突き放った。
急停止によって速度と体重の力を大きく乗せた大刃物の先端部は、巨躯の後背で最も脆い部位を、すなわち骨のない唯一の急所である肛門に、勢いを削ぐことなく鋭いままに貫いたのである。
当然、括約筋は強固に締まって閉じられていたが、しかし大刃物は貴方の体重と走行速度の力を受けた勢いを以て隙間を切り裂きながら圧し開き、瑞々しい灰色の肉を割いて進み、そして直腸を大いに蹂躙する。肉の裂け目から白い血の粒が丸く膨らみ、破裂して尚も数を増やして染み出し、湧き上がって流れを作り、瞬く間をも置かせず直腸内部を満たしてゆく。
そして直腸を満たす血流より早く引き起こされたのが、刃物によって断裂された神経系による痛覚の伝達である。秒にも満たぬ僅かな時間で、鼠は下半身の広範に及ぶ内臓の裂傷と大流血の重圧による不快感、それらを強制的に享受する。
鼠の脳は損傷部位からの信号を誠実に受諾し、痛覚の衝撃を和らぐための措置として反射的な麻酔の処方を以て、肉体に束縛を命じたのである。
しかし、麻酔であっても鼠の痛みを完全に和らげることは不可能であった。
麻酔による一瞬の痺れと僅かな秒後に襲いくる激しい痛みと重圧の往復を受け、喉が張り裂けんばかりの巨大な悲鳴を鼠に強く上げさせる。
鼠はもはや一個の巨大な音響装置であった。
攻撃することはおろか四つ足で歩くことすら頭の中から漂白されたことだろう。裂傷による鈍い激痛、裂傷部の治癒、内臓部に溜まる血液の重圧、発狂を防止する脳内麻薬による僅かな陶酔、それら混沌たる信号は鼠の思考と行動をその根底から奪い、悲痛極まる不協和の音を響かせ続ける哀れな生体楽器と化させたのである。
身動ぎすら満足にできぬ巨大鼠を、しかし貴方は放って置かない。
相手は尊厳ある死を迎えた者たちを無作為に貪り喰らう冒涜的な害獣であって、人類の敵だからである。容赦する理由を、貴方は持っていない。
貴方は大刃物を括約筋から無造作に引き抜くと、痛みの許容限界を超えたことによって完全に意識を手放している巨大鼠の正面に回り込む。そして巨躯に見合わぬ鼠の頭部、その眼球部に狙いを定めて大刃物を力の限りに突き入れた。
眼球を潰し、眼底を割断し、脳部位に容易く辿り着いた大刃物は鼠の肉体掌握を司る中枢神経を破壊し尽くし、鼠の生命活動を完全に停止させたのである。
――排除完了《HUNTED》――
貴方は大刃物を鼠の肉塊から抜き払うと、姿勢を正し、ゆっくりと目を閉じて、胸の前で十字を切った。
――安らかに、ありますよう。
食屍鬼によって荒らされたであろう人々の魂に対して、貴方は祈りを捧げる。
祈りの一端が、魂にとって僅かでも、救いになることを願って。
『死者流しの黒曜結界』
結界という名の異界が地上世界と繋がったとき、死者の魂に触れられる。
黒曜の創った結界内部を巡る昏き水の流れは、罪なき魂をゆるりと運ぶ。
魂の光は玄妙で、誘蛾灯のように、冒涜的な者たちを呼び寄せる。
お陰で、悍ましい怪物共は地上世界からその数を劇的に減少させた。
誰も知らぬ異界のどこかで、怪物共は死者の魂を貪っているのだろう。
黒曜は生者にこそ慈悲を与えるが、死者には慈悲を与えない。
罪業ある者に救いは必要だが、罪業無き者に救いは必要ないためだ。
【星詠みの聖堂街・大通り】
巨大鼠を屠り、裏路地を抜けた貴方は再び災禍の渦巻く街中へと戻ってきた。
石畳は粉々に砕かれ、その下から灰の土が剥き出し、紅蓮の火炎によって煌々と照らされる瓦礫の無秩序的な連なりは、どことなく終末的で幻想的な印象を貴方に齎してくる。されど全身を熱く灼いてくる感覚が、確かにこれこそが現実なのだと貴方に強く訴えかける。火焔の中に垣間見える罪業の昏き揺らめきも、使命を強く訴えかけてくるのだ。
貴方は血濡れた大刃物の機構を動かして鋸鉈へと戻しながら、街の中央へと続く大通りの方に歩みを進める。この道は幸いにして火の勢いはそれほど強くはなく、瓦礫の類もあまり散乱してはいない。
そこに人の手が入っていることを感じながら、貴方は慎重に歩を進めてゆく。
石畳が綺麗に保たれた幅の広い道を踏みしめ、然程の間もなく、十字に交差する通りへと出た。通りの大部分に簡易的な結界が張られていることを、貴方はすぐに知覚する。
それが証拠に交差路には火勢が遠巻きに取り巻いているのみで、四隅の建造物や中央の石畳は砕かれることなく、焼けてもいない。しかし結界はその交差路のみに展開されているらしく、進行できる道筋は定まっている。
進行方向である三方向の内、貴方が進めるのは右手側の大通りだけだ。
正面は結界から外れた途端に瓦礫の山々が壁のように高く聳えており、左手側は火焔が盛んに猛っていて進むことができない。
右手側の通りに誘導されていると思うのは、貴方の気の所為ではないだろう。
この街には多くの住人がいた筈であり、その人々は火の勢いと瓦礫による被害が比較的少ない通路を誘導され、避難したであろうからだ。その誘導者が星詠みたちを纏める指導者によるものなのか、或いは教会関係者によるものなのか、そこまでは判然としてはいないが。
貴方はその場を見渡して見るべきものが無いと判ずると、右手側の通りへと足を向ける。迷っていられる時間は、あまり無いだろう。そうして歩いている間にも、事態は駆けるように進んでいるのであろうから。
火の粉の舞い散る大通りを暫く進むと、貴方の耳に火の音以外の何かが響いた。
肉声による響きである。それも、人間が発しているものだ。陽炎による揺らぎの狭間に、貴方は濃密なる罪業の歪みを視た。右手に力が無意識のうちに込められ、鋸鉈の持ち手がぎしりと軋む。
貴方が視たのは、磔にされている人間である。
敗れた装束を身に纏ったその人間は、黒き血を全身から流して装束を染め上げているその人間は、紛れもなく境界に属する断罪者だ。
その周囲を取り囲むように立っている人々は、この街に住んでいた星詠みたちであろう。遠目からでも気が立って、怒りの様子が見て取れる。彼らの手にしている武器を見ても、心が憎悪に灼かれているだろうことは想像するに難くない。
とはいえ、教会に属している立場の貴方としては磔にされている断罪者の味方であり、怒りに震えている人々の敵である。如何なる事情があるにせよ、そのような現場を視認してしまったからには、貴方のやるべきことは決まっていた。
舌を打ちつつ、貴方は静かに前へと進む。
貴方の歩く大通りは徐々にその幅員を広げてゆき、円形の広場を構成してゆく。広場の中央には十字の木組みに鉄杭で四肢を打ち抜かれ、気を失っている断罪者がいる。そして、断罪者を取り囲む星詠みの人々が立っている。
星詠みたちはその手に長物や刃物、鈍器を持ち、獣の上げるような言語にならぬ叫びと雑言を磔にされている断罪者に向かって放っている。恐らくそれは、怒りと狂乱に心身を任せたがゆえの、感情の一端なのだろう。悲痛や憤激の色に塗れた、物悲しい人間の心の音だ。
しかしそれらの罵倒は星詠みの一人が貴方を視認し、動きを止めたことによって徐々に収まっていった。そして、杭のように鋭く突き立つ憎しみの視線が、貴方の全身に注がれてゆく。
立ち止まった貴方と星詠みたちが睨み合って数秒、互いに長く重く感じる対峙の後に、星詠みたちの中から一人、貴方に向かって歩みを進める者がいた。
左手に拳銃を握った、身なりの良い男である。背丈が高く、顔貌も姿勢も良く、相応の権威と発言力を有している様に窺える。男は貴方を見下ろすように立つと、拳銃を貴方の眉間に当てた。
貴方は緊張も恐怖も抱かぬまま、されどいつでも動けるよう、男の挙動に注意を向ける。男は怒りと憎しみの色を瞳に宿らせ、貴方をじっと見下ろしたまま、振り絞るような声音で言葉を喉から吐き出した。
「教会に魂を売った畜生風情が……人を人とも思わぬ化物どもが……! お前たちの所為で、どれだけの人間が――」
男の指が銃の引き金に触れるその寸前、僅かに漏れ出した殺気に反応した貴方は考える間もなく反射的に、右手の鋸鉈を振るって男の首を斬り払っていた。
一拍遅れて、男の頭部が地へと落ちる。指の筋肉が僅かに遅れて反応し、拳銃の引き金が指に引かれて銃声が響く。銃弾の行き先はどことも知れぬ方向で、貴方の眉間を撃ち抜くことなど叶いはしない。
貴方は仰向けに倒れゆく男の死体を置き去りにして、足を先へと進めている。
首を払った男を含め、星詠みたちから濃厚な殺意を向けられていた事実を貴方は確りと受け止めていた。敵意までなら見逃すことも考慮にあったが、殺意となれば話は変わる。
貴方の中で、この場にいる星詠みたちは話の通じる人間ではなく、言葉の通じぬ怪物であると見做されたのだ。相手の言葉に耳を傾けようともせず、敵意を向け、殺意を向け、己の事情のみを語り、問答も無用で殺しにかかる――それは理知無き蛮行であり、獣にも劣る愚昧であると貴方は断ずる。
この場を纏めていたのだろう先程の男は、貴方に対して理知無き暴威を示した。それは紛れもなく言葉の通じぬ怪物としての行動であり、その証明であると貴方は判じた。
暴威に対して暴威を返す、という考えに品位は無い。が、しかし怪物を断罪する上においては実直で重要な考え方であると貴方は飲み込んでいる。世界には、話し合いが通じない相手も多く存在しているのだ。
とはいえ、最低限の言葉は必要であろう。
貴方は黒曜の理念をもって、星詠みたちに意思を示した。
――これより、断罪を執り行う。
その言葉は貴方から星詠みたちに対する最後の避難勧告であった。
向かってくる者は断罪し、逃げる者は見逃すと、最後の慈悲のつもりであった。が、星詠みたちは貴方の言葉を皆殺しの宣告であると受け取った。
皆が皆、その手に武器を携え、雄叫びを上げながら貴方に向かって押し寄せる。
しかしそれも、無理はない。
なにせ彼らの目の前で、同胞の一人が無造作に殺されたのだ。それも、古来から敵と見做している教会の断罪者によって、である。
当然、彼らは貴方に対して殺意以外の意思を持てない。事実、持たなかった。
逃げてもいずれは殺される。逃げなくても殺される。ならば抵抗して死のうと、できるならば殺して生き残ろうと、そう決断したのだ。
ゆえにこの場は、悪鬼が悦ぶ殺戮場と化す。
貴方は向かってきた星詠みたちに、何らの躊躇も覚えなかった。断罪すべき対象としてのみ、貴方は彼らを取り扱った。その扱いは、人ならざる怪物に対するものと変わりはない。
警戒すべきは迂闊に接近してくる敵でなく、遠距離攻撃を有する敵だ。つまり、銃を持っている敵である。向かってくる人垣の向こうに四人から五人程か、長銃を持っている者たちを貴方は視認している。
至近にいる敵の首と手を断ち切った貴方は、即席の盾として長銃の射線上に敵が来るよう立ち位置を調整しながら、身を隠しながら移動する。
視線は常に全周を見つつ、意識は至近の敵と銃を持っている敵とを警戒する。
数十人ほどの敵がこの場にはいるが、一度に接敵するのは精々が三から四人だ。ましてや敵は異形にもなっていない、単なる異端の信仰者に過ぎない。身体能力の面においてはともかく、冷静さを保っている面においては、貴方は彼らより優位に立っている。ゆえに苦もなく、その命と罪業を断ち切ってゆける。
敵の視線を掻い潜り、意識の隙を突き、重要な臓腑を的確に割いて断つ。
攻撃する度に白い血が噴き出し、辺りに血と死の臭いを振り撒いて、敵の怒りと憎しみを、そして悲しみと憤りの悲鳴を響かせる。言葉にもならぬ殺意の色が響く中を、貴方は気配を消すように足を運び、着実に一人ひとりの首を切る。
断末魔すら上げさせないのは、彼らに対する慈悲などではない。そうして即死に至らせた方が手間も面倒も掛からぬためだ。貴方は極めて機械的に且つ作業的に、定められた工程を淡々とこなすように、星詠みたちの命を、その罪業を断ち切ってゆく。
彼らの犯した罪業は、街から速やかに避難することなくこの場に留まり、教会の断罪者を私刑にしたことだ。生きたまま苦痛を与え、苛み、死に追いやったことである。
私刑など、人間として倫理・道徳のある者が行う所業ではない。それゆえに貴方はこれらを以て名分と成し、星詠みたちに断罪を為す。如何なる事情があろうと、人は己の行動に対して責任を持たねばならない。仁義と慈悲を持ち、誇りある生を歩まねばならない。それらを有しない意思や行動などは、人としての誇りある生にそぐわぬからだ。
貴方は胸中にて黒曜の理念を思いながら、広場にいた星詠みたち数十人を残らず全て斬り殺した。
それらの死体は全て頭部を失い、首元から白き流れを生じさせる。広場の中央、磔の十字架に向かって流れてゆく。貴方はブーツを白き血によって濡らしながら、返り血に染まった装束を気にすることもなく、十字架に向かって歩を進めた。
そして断罪者の足元に立つ十字架の根元を鋸鉈で切り倒し、十字架を倒さぬように抱えると、ゆっくりと丁寧に地面へと下ろした。断罪者の両手首、両足首は太い鉄杭で貫かれており、十字架に深く食い込んでいる。ただでさえ血を多く流し過ぎているのに、鉄杭を抜くことでこれ以上の出血を強いるのは、即座に命を失わせる可能性があった。
そう、磔にされていた断罪者は、まだ息があったのだ。
とはいえ、断罪者の呼吸は小さくか細いもので、そう間もなく命の脈が絶たれるであろうことは明白でもあったが。
貴方は彼に対し、言い残しておきたい言葉がないか、静かに問うた。その問いに対して彼は薄っすらと目を開き、焦点の合わぬ瞳を貴方に向けると、ぽつりぽつりと言葉を零した。
「……裏切り者を、始末しなければならない。同胞よ、貴殿も奴の討伐に向かって欲しい。奴は、危険だ。星詠みに与し、その罪業を世に広めようとしている……。星詠みの研究は、黒曜の理念に弓引くものだ……。人間の平穏を、破壊し尽くさんとするものだ。決して、許しては……ならぬ……」
貴方は事切れた断罪者をその場に置いて立ち上がり、不浄と罪業が濃密に混ざり合っている場へと視線を向ける。それは広場より奥の丘に位置している、半球状の施設であった。
【星詠みの天象儀】
そこは、地上の暮らしを許されぬ星詠みたちが築き上げた第二の星空であった。
数多の星々が白く煌めき、空に無数の輝きをもって夜闇を彩っている。その様は宵闇を恐るべきものとはせず、大自然の有する神秘と生命とを華美に強調しているように思われた。
白く大きな月はなく、小さな星々のみで構成された作り物の星空である。
その紺碧に染められた丸い空の下にて、貴方は敵の背を見据えていた。
貴方も敵も、黒き断罪装束を身に纏い、音もなくその場に佇んでいる。
貴方は白き返り血を、敵たる断罪者は黒き返り血を全身に浴びている。
敵の周囲には断罪されたのだろう死体が、幾つも転がっている。恐らく、広場で磔にされていた断罪者の同胞であり、貴方の同胞でもあったはずのものだ。
「君は確か――監獄に向かった断罪者だったかな?」
背を向けていた敵たる彼女は、顔を貴方の方に向けると、確認するように静かに問うた。貴方が無言の首肯をもって答えると、彼女も一つ頷き返し、無機質な視線を貴方に注ぐ。
「そんな君が、どうしてこんな場所にいるんだ? それにその大量の返り血は……この街の人間を殺したのか。まったく、黒曜の狂信者ときたら、どいつもこいつも頭が凝り固まっていて救えないな……」
彼女は貴方を冷たく見据えつつ、その右手を自身の左腰に佩いている剣の持ち手へと伸ばし、ゆっくりと鞘から引き抜いてゆく。
「持っている知性を働かせず、理性を凝り固まらせる者は、等しく人間に有害だ。人間としての活動だと自覚していても、理知なき行いは怪物のそれと変わらない。自分たちと異なる思想を、行動原理を持つというだけで、人間と認めず命を断つ。それは、怪物の行動理念に等しいものだと私は考える。理知と慈悲を有する人間の為すべき所業ではない――」
その左手もまた、右腰に佩いている剣へと伸びる。ゆっくりと引き抜かれていく剣の音色は涼やか且つ流麗であり、とてもではないが、数多の血に穢れているとは思えぬ鮮やかさだ。
「――怪物は、断罪されなければならない。道理だね。黒曜の理念には一理ある。そして、だからこそ、理念に呑まれた君たちもまた、断罪されなければならない。人間が理念を用いるのであって、理念が人間を用いるべきではないためだ。けど、君もまた、理念に呑まれた怪物なのだろう? そうだとするなら、君もまた彼らのように、黒曜の理念に殉じるべきだね」
二振りの細剣を手にした断罪者は、貴方に対して濃密な殺意を放ち、隙の少ない構えを取った。それに応えるように、貴方もまた鋸鉈を構えて敵対を姿勢で示す。作り物の星空の下にて黒曜の理念を体現せんとする断罪者と、それに反する断罪者の戦いが行われようとしていた。
【叛逆の断罪者――ガウス】
貴方の構えを見るや否や、敵は構えを解いて歩み寄ってくる。
その佇まいに不自然な挙動は見られず、無駄な力の入らぬ自然体である。
しかしそれは決して貴方に対して油断を晒しているというわけではないだろう。攻めに寄せるのが有利であると判断したからこそ、敵はそのように行動していると見るべきだ。
貴方はゆっくりと近づいてくる敵に向かって短銃を引き抜き、即座に一発銃弾を放った。歩みと歩みの間における僅かな硬直を狙った、不意を突いた銃撃である。 が、敵はその弾道を正確に見極め、細剣を振って軌道を逸らす。
貴方が続けて二発目を撃った瞬間、敵は大きく踏み込んでいた。銃弾の軌道よりずっと低いその姿勢は地を滑るようであり、影に溶け込むようでもある。断罪者の有する接近戦闘技術の一つであるが、敵のそれは練度が高い。
間合いの機を制されたがゆえに、先手を取られたと言って良い。
貴方は咄嗟に横へと跳んだが、その間際、左手に持っていた短銃は細剣で的確に突き払われ、どことも知れぬ夜空の下へと落ちてゆく。短銃が地に落ちるより早く敵は貴方に追撃を仕掛けてくる。
影の中から放たれる細剣の連続攻撃は、右手に持つ鋸鉈だけでは対処しきれず、幾筋もの浅からぬ傷を刻ませ、大きく後ろに跳び退かせる。
しかしそこで、追撃を緩める敵ではない。
夜闇に潜むように音を黙して気配を消し、静かに速やかに忍び寄ると、隙を見て剣閃を多重に浴びせてくる。その動きの鋭さ、見切りの上手さ、紛れもなく断罪者のものに相違ない。
ゆえに貴方も断罪者として、生き残るための最善を模索する。
鋸鉈の機構を動かし、鉈と鋸剣の二本に分解させ、両手に持って敵を待つ。
「――!」
微かに敵の驚きを感じるも、しかし攻め手は緩まず止まらない。ときに低位置、ときに視界に届かぬ死角、多方向から無数に放たれる攻撃は脅威であり、熟練たる貴方ほどの断罪者であっても防ぎ切ることは困難である。
装束が裂かれ、肉が斬られて血が流れ、されど急所だけは外し、距離をとるべく退避する。とはいえ、この夜空の下たる影多き場においては、敵の追撃を振り切ることは不可能に近い。
――止むを得ない。
貴方は胸の中で詫びを入れつつ、右手に持った鋸刃を床に走らせて火花を散らし、床に濡れて広く行き渡る黒き血を、点火剤として利用した。
敵が殺した断罪者たちの黒き血は瞬く間もなく燃え上がり、死体もろとも夜空の下に、煌々とした朱色の火焔を芽吹かせる。
それはさながら篝火であり、闇夜を照らす灯りであった。
影に同化して動く敵の姿も、焔の揺らめきによって映し出されている。
不意を突いてきた細剣の連撃も、今は火焔でよく見える。鋭き刺突を全て弾いて躱し、ゆえに生じた隙を突き、敵の頭部へと鉈を走らせる――が、ぎりぎりで跳び退かれ、その頬に一筋の切れ目を入れるに留まった。
「へえ、驚いたな。ここまで意志の強い断罪者は君が初めてだ。だが――」
敵が貴方に視線を向けると同時に、貴方の身体に幾つもの穴が穿たれた。
細剣の衝撃を躱しきれていなかったのだろう。黒い血液が穿たれた孔から濁流のように溢れ出てゆく。多量の血液と共に生気が流出していく感覚を覚えた貴方は、その場に立っていることさえも難しい。
膝をつき、息も絶え絶えな貴方に対して、敵は言葉を投げかける。
「朦朧としているだろうが、聞いてくれ。人間は、神から与えられた血の呪縛から解き放たれなければならない。生まれながらに背負わされた血の呪いの宿命から、そして、黒曜の神による黒き血の加護からも、だ。我ら星詠みは古来より、人間という生命の進むべき道を追求し続けてきた。人間として生を全うするための研究を続けてきたんだ」
彼女は貴方に語り掛けながら、懐から一本の小さなガラス瓶を取り出した。
それには黒よりも明るく、白よりも色濃い、赤色の液体が入っている。
「この血液こそが、旧き時代から連綿と続けてきた研究の成果だよ。これを肉体に取り込みさえすれば、人間は神の呪縛から解放される。自由になれる。我ら星詠みの人間だけでなく、黒曜の神に支配されている君たちも、ね」
彼女は貴方に近づき、その端正な顔を側へと寄せた。その瞳の色には哀れみとも悲しみともつかぬ感情が湛えられ、貴方の瞳の底にある昏き記憶を覗き見ているかのようである。
「君も、此方側に来ないか? 我らのように、人間として自由に生きる選択肢が、君にもある。教会の捨て狗として、異端の人間を殺害する必要は無い。怪物たちを駆除する必要も無い。戦いに明け暮れることもなく、平穏に暮らせる。もし、君が望むのであれば、星詠みは君を受け入れるだろう。教会の連中から隠れ住めるだけの力を、協力者を、星詠みは既に有している。もう何も、心配は要らないんだ」
黒き血液が細剣に傷を塞いだ後にも、貴方はその場に膝をついたまま動けない。そして彼女は動きを見せぬ貴方をその傍で見守っている。
貴方は、彼女の提案を聞いて酷く戸惑っていた。
教会上層部による人間を人間とも思わぬ実験の非道を、その先に求める悍ましき気配を、貴方は強く感じていたからだ。実際にその目で見てきたからこそ、彼女の言葉に揺れ動く。
しかし同時に、彼女の持つ赤き液体は教会上層部による実験によって生み出された成果なのではないかと貴方は思うのである。そうであるなら、貴方は決してその代物を認めるわけにはいかない。黒曜の断罪者として、人間として、そして何より自身の在り方としても。
だがもし、それらの実験が無関係であるならどうであろうか、とも貴方は思う。 ここで彼女の言う通り、教会を抜け出すことができるのであれば、どうだろうか。
人間として何者にも脅かされることのない道を歩むことができるというのは、貴方にとってこれ以上ない幸福に思えるのは事実であった。
そう、貴方は現在置かれている自身の立場から逃げることを考えてしまった。
すなわち、自身の体内に流れる黒き血液の否定である。加護と生を授けてくれた黒曜の神を否定することに繋がる。
貴方が無意識の内に、自身の体内に脈打つ黒き血液――黒曜の神を否定しかけたその瞬間に、全身を大きな激震が襲った。
肉体の内側を、皮膚の表面を、絶え間なく走り続ける激痛は貴方の意識を容易く飛ばす。意識が落ちる寸前、夢と現の間、この世のものと思えぬ幻を貴方は見る。
そこは白く小さな花が咲き誇る花畑の丘であり、それらの花を守るようにして、一本の大樹が雄々しく聳えている。その大樹の根元に、どことなく懐かしい面影を宿した少女の姿が映る。静謐な微笑を浮かべていた少女は困ったように眉を下げると、貴方に小さなその手を伸ばす。
貴方はその手を取ろうとし、されど確かに触れる前に、完全に意識を手放した。
***
叛逆の断罪者ガウスは目の前で起きている現象を正確に把握し、すぐに貴方から跳び退いて距離を取った。
「タイミングが悪過ぎる……いや、これも奴の計算の内か……?」
ガウスの視線の先には、蹲って苦悶の声を上げる貴方の姿がある。
震えの止まらぬ全身は鼓動の刻みと共に膨れ上がり、明らかに人間という生物の枠組みを逸脱しようとしている。つまるところ、異形化の発露が生じていた。
如何なる理由を要因として貴方が異形と化してゆくことになったかは不明だが、黒曜の理念を当て嵌めるのであれば、要因はただの一つに帰結する。
すなわち――貴方は、罪業を抱え込み過ぎたのだ。
貴方は人間の身に抱えきれぬほどの罪業を背負い、黒曜にそれを捧げることなく行動し、遂には溺れるに至ったのだ。人間としての理性と知性とを手放し、獰猛な獣と変わりない怪物へと変じたのである。
身の丈は二メートルを優に超え、全身の筋肉量が遥かに向上し、身の内より外に向けて無秩序な力と暴虐が波動となって噴き上がっている。
動かずいるのも苦痛であり、貴方は突き上げてくる衝動のままに声を張り上げ、叫び、鳴き、人間には到底出し得ぬ甲高い音撃を天象儀内部に波及させ、作り物の星空を大いに揺るがした。
そんな叫び一つだけでも、貴方の内に快感が齎される。身の内に有り余っている力の解放が、それによって生じる破壊が、貴方の心に潤いを与え、涼やかな気分にさせてくれるのだ。
しかし、まだまだ足りないと貴方は思う。
この程度の解放では、貴方は少しも満足できない。
もっと大きな力の解放を、そして破壊を、貴方の心は望んでいる。
人間としての理知や使命など頭に無く、身につけていた技術も見られない。
純粋な暴威暴虐の衝動だけが、その飢餓感が、貴方の心身を突き動かしている。
この状態の貴方が地上に出たのなら、辺りは壊滅的な被害を被ることだろう。
星詠みも黒曜も見境なく、思うままに蹂躙していくに違いない。
それは誰もが、決して望むことではない。
暴力と破壊の権化となった貴方を止めるべく、ガウスは再び二振りの細剣を手に構え、貴方の前に立ち塞がった。
「残念だが、君をここから出すわけにはいかない。止めさせてもらう」
貴方は立ち塞がった存在に、大きな力と強さを感じて歓喜の咆哮を上げた。
その身に余る力と衝動を、目の前の存在に叩き込むことができるなら、どれだけの爽快を得られることだろう。どれだけ餓えが満たされるだろう。
貴方は衝動にその身を任せ、全身に有り余る力を注ぎ込むと同時、目の前にいる存在へと甘えるように飛び掛かった。
【理知を喪いし怪物――名称不明】
貴方の唐突な体当たりを、しかしガウスは完全に見切って回避する。
されどガウスが避けたにも関わらず、貴方はそのまま疾走を続け、天象儀の壁に突撃した。鈍い重低音とともに地面が揺れ、天象儀全体が震えるように大きな軋みを上げる。
貴方の走った後には、丈夫な石床であるにも関わらず、踏み込んだ足裏の跡がくっきりと深く、刻むようにして残されていた。
ガウスはそれを流し見ながら駆け続け、壁にぶつかった直後で大きな隙を晒している貴方に向かい、細剣を振るって突き立てる。が、どれだけ細剣を振るっても、その細く靭やかな刃などでは貴方の肉体にダメージが通らない。精々、引っ掻いたような薄い傷を付けられる程度だ。
「厄介だな……」
ガウスは貴方が振り返るよりも早く跳び退くと、細剣二本を重ね合わせて機構を作動させ、一振りの突撃槍へと変じさせる。
鋭い円錐の先端を有するその槍は、貴方の愛用する大刃物と同類の対大型怪物用の変形武装だ。当然、巨大なそれを十全に取り扱うには相応の筋力と敏捷が必要となり、黒き血の加護を拒絶したガウスには、少しばかり扱いづらい。
それに加えて。
「――」
貴方はその場から振り返ることなく、脚力と身のこなしをもって跳躍したのだ。
床を足場とし、壁をも足場とし、星空の天井すら足場として踏みしめ、その強靭極まりない脚力をもって縦横無尽に、天象儀全体を恐るべき速度で駆け跳び始めたのである。
縦を跳び、横を駆け、宙を通り、奥行きさえも行き来する、超速の三次元駆動を成している。この唐突な高速移動に、さしものガウスも焦燥を隠せない。槍の狙いを定めようにも、貴方の移動速度が早すぎて、なかなか的を絞れない。
貴方の残像を追い、行き先を推測し、されど見極められぬという限界の果てに、集中の乱れた一瞬の揺らぎを、ガウスは貴方に突かれることとなる。
「っ……!」
ガウスが背後に意識を向けるより先に、貴方はガウスへと突撃していた。
全身による強打はガウスを軽々と突き飛ばし、移動速度をそのまま彼女に移してゆく。防御を取らせる間も与えぬまま、天象儀の壁へと激突させた。
貴方はガウスを強打した後、徐々にその速度を緩めて床に二本足で確りと降り立つと、獲物たる彼女に向かってゆっくりと近づいてゆく。
ガウスは口の端から血を流し、背を丸めるようにしながら、それでも尚、諦めを見せずに槍を構えて立っていた。足を震わせず、恐怖に震える様もなく、凛とした精神の強さを表すように、貴方の前に立ち塞がる。
それを目の当たりにした貴方は胸の内になんとも言えぬ感情の波を感じながら、衝動のままに拳を振りかざし――そしてその瞬間、ガウスの放った突撃槍の投擲によって、身体の中心部を穿たれた。
ガウスの有する突撃槍は、刺突に特化した形状をしている。
刺すに容易で、引き抜くには困難な、それはさながら巨大な杭だ。
それを肉体の中心部に、的確に打ち込まれたのである。異形の怪物と化した貴方といえども無事では済まない。血反吐を吐き散らし、暴れ苦しみ、のたうち回り、拳による暴威を辺りに振りかざしながら、体内を巡る黒き血を体外へと流出させてゆく。治癒が働くよりも早く黒き血が流出し、貴方の力の源泉が失われてゆく。
肉体を貫く槍を力任せに叩き折ったのが、貴方の振るった最後の暴威であった。貴方は立つこともかなわずに、膝もつかずに床へと倒れる。
これにて、決着である。
ガウスは折られた槍に見向きもせぬまま、体内の血を流し尽くして死に逝きつつある貴方に、静かに歩み寄っていく。その手には赤い液体の入った硝子瓶が確りと握られている。先にも述べられた、全く新たなる血液だ。
そして彼女はその手を硝子瓶ごと貴方の口へと突っ込み、体内にて硝子瓶を割り砕いた。
「……これで君も、解放される。神の呪縛から、血の宿命から、そして私も……」
ガウスは大量の鮮血を吐いて膝をつき、貴方にもたれかかるように姿勢を崩し、大きく息をついた。その間にも、貴方の肉体と精神は微弱な変革を来しつつあり、変化を始めている。
肉体の筋肉が締め上げられるように収縮し、身の丈も、その姿も元の人間の姿に戻ってゆく。腹部に空いた傷も塞がり、喪われたはずの理性と知性が戻ってくる。生じてくる。
幸いにして装束もそれほど破れていない。傍から見たならば、貴方は紛れもなく断罪者だ。が、その身の内に流れる血液は、もはや黒き血液ではない。その事実を貴方は誰に言われるでもなく、実感として確かに認識していた。
「……なんとか、適応したようだな」
掠れた声に視線を向けると、白い顔をしたガウスの姿がある、赤く広がっている血溜まりの上に横たわり、目を瞑っていながらも、その声だけには確かな意志が宿っている。
「我が血を分けた同胞よ……無事に生き延びたいのなら、決して聖地には行くな。あの場には、君たちが、神と崇めている奴がいる……。だが君はもう、そんな奴に構う必要はない……。君は、旧き血の束縛から解き放たれたのだ。自由に、人間としての生を歩むが良いだろう。私は……少しばかり、眠らせてもらう…………」
――解放完了《EMANCIPATIONED》――
『色鮮やかなる赤き血液』
鮮烈なる赤き血液は神性と栄光の象徴である。
疎ましき白き血液は獣性と痴愚の象徴である。
夜の如き黒き血液は理性と知性の象徴である。
黒曜は人間に理知の象徴たる黒き血液を与えた。
悍ましき獣性たる痴愚から脱却すべしと願ったがゆえに。
神性たる栄光を掴むことの無きようにと願ったがゆえに。
処理場の奥に位置している壁の窪みに、上へと登る梯子が据え付けられていたのである。手を掛け、体重を乗せても倒壊する様子は見られず、問題なく登れそうであった。
貴方は全身に意識を向けて損傷の回復が済んだことを確認すると、大刃物の機構を作動させ、通常サイズの鋸鉈へと戻してこれを仕舞い、梯子をゆっくりと登ってゆく。
【セントルイス郊外・放棄された廃村跡地】
長い梯子を上りきって貴方が這い出た場所は、寂れた墓地跡であった。
見渡す限りの墓石群はその形を風化させ、半ば朽ち果て、名も知らぬ草を所々に生やさせ、時の流れの無常をこの上なく示唆している。生命の気配を感じさせず、乾いた風を音も無く流し、ここが既に人から見捨てられた土地であることを貴方に知らしめる。
そうして何も残っていない土地であっても、頭上の空には相も変わらず白い月が浮かび、滅びにも慈愛が与えられるるべきだとでもいうように、仄かな光を照らし続けている。
月明かりを背に受けながら、貴方は墓地跡から抜け出すべく足を動かす。
向かうのは家々の見える村落部だ。とはいえ、死者を弔うべき墓地が荒れている様相から察するに、村落部も滅んでいるだろうと貴方は半ば確信していた。
廃された家々の跡地を見るに、ここもまた村落という名の巨大な墓地跡と言って良かった。家の屋根には穴が開き、そもそも屋根が残っていれば良い方で、むしろ壁も屋根も形状さえも喪失した瓦礫の散乱が目に映る。
人は疎か鼠の一匹も気配を感じさせぬ辺り、そこは廃村になってから随分と長き月日を経ているのであろう。劣化の具合が顕著であり、砂や泥があちこちに散って少しずつ、荒廃の兆しが跡地に侵食していた。
貴方は砂埃に巻かれながら、廃墟の並び立つ中を無造作に歩いてゆく。
その行動自体にさしたる意味など無いが、されど貴方の心身を落ち着けて冷静な思考を促すには十分の休養となった。道端の瓦礫に座り、貴方はこれから取るべき行動を探る。
貴方の取るべき行動は依然として、都市セントルイスへと戻ることである。
しかし戻って何をするのか、という目的が明確に定まっていない。
黒曜教会上層部に対する不審はある。先の実験施設こそ、貴方の不審を決定的に形作る根拠となるのは間違いない。加えて、処刑場で断罪した怪物の存在もまた、貴方の教会に対する不審を一際強いものとしている。
されど教会によって守られている人々が存在していることもまた、現実の一部であることを貴方は理解しているのだ。
黒曜の神の加護がなければ、異形化した怪物によって多くの人々の血が流されていたことは間違いないであろうから。今よりも多くの血が、流されていたに相違はあるまいから。
教会から離れて自身の納得できる生き方を探すにしろ、教会に属したまま断罪を執行していくにしろ、どちらにせよ、都市セントルイスに戻らなければならない。と、現在すべき原点に貴方の思考は立ち戻る。
貴方は懐から月時計を取り出すと、夜空から降り注ぐ微光を集めて時計の機構を作動させ、セントルイスへの方角を割り出した。此処より北西、徒歩でも然程には掛からぬ位置にある様だ。都市の明かりは小さく、薄らとだが、貴方の視界に映り込んでいる。
その明かりは人々の営みによって作り出されている文明の灯火である。筈だが、しかしその光を見ていると、貴方はどうにも胸騒ぎがしてならない。心身の奥から湧き出す不安に駆られ、貴方はその場で身体の動作を確認した。
軽く身体を動かしてみるに、四肢は十全に動き、傷の修復も既に完治と言える。動かす度に多少の違和を感じこそするものの、じきに慣れるだろうし、移動を行うに当たって支障は無い。
断罪装束も所々に解れや破れがあった筈だが、黒き血の作用によるものか、そういった破損は欠片も見られない。休息を挟んだため、体力も気力も余裕がある。
貴方は軽く筋肉を伸ばして体調の良好を確認した後、その場から駆け出した。
向かうはセントルイス教区街の、自身の属する黒曜教会である。
【セントルイス教区街】
セントルイス教区街へと入る前に、貴方は街の異常を視認した。
空が常よりも赤く、紅く照らし出されているのである。それは教区街の何処かで火災の類が発生していることを貴方に認識させ、同時に嫌な予感を知覚させた。
貴方は街の正門を通ることなく側壁を乗り越え、裏の小さな街路に入る。明かりに照らされぬ闇に同化して侵入したため、目立ちはしない。建物の陰に潜みつつ、往来にて惑う人々を目にして、彼らの話を耳に入れた。
その内容はやはり、街の上空を赤く彩っている火災の原因に関するものである。複数の箇所において火元が見られるとのことであり、複数犯による放火の疑いさえあるという話であった。
放火か出火かの是非は置き、貴方は任務報告のためにも黒曜教会への道を急ぐ。 往来から路地裏に再び入り込み、影を縫うようにして疾駆する。音も気配も消して駆け、然程の間もなく教会に着いた貴方は、僅かな驚きをもってそれを見上げた。
天をも焦がさんとして、紅蓮の炎が燃え盛っている。教会の壁から、屋根から、火炎が上へと燃え上がり、空に昇らんと欲するかのように、黒き煙気を濛々と吐き上げ続けている。
どう見ても火の不始末などといった軽い出火の勢いではない。明らかに人の手が入っている悪意の焔であり、容易に消火しきれるとは思えぬ猛りを感じさせる火の勢いであった。
貴方は断罪装束の一部たる黒外套を裏返して着直すと、普段の神父姿に戻った。見た目に不審の点がないかを軽く確認した後、路地裏から表の往来に歩み出る。と同時に、ちらほらと貴方の姿を認めた人々が貴方の名を呼び、駆け寄ってきた。
いずれの人々も不安そうな表情を隠さず、動揺の色を見せている。
無理もないことだろう、と貴方は思う。駆け寄ってきた人々はこの周辺に住んでいる黒曜の信仰者たちである。黒曜の神に感謝の祈りと敬意を捧げるべく、熱心に教会へと通ってくれている信仰厚き者たちだ。
貴方とも少なからず親交があり、幾度も会話を交わしたことのある人々である。自然、貴方個人の感情としても放っておけず、貴方の方からも彼らに近寄り、労りの言葉を掛けてゆく。
住宅地の付近で激しい火災が起こっていることもそうだが、なによりも信仰するための場所たる教会そのものが燃え盛るという日常の否定とも取れる状況もまた、信仰者たちに動揺を与えているのだろう。
貴方は人々に安心を与えるべく、静かな、そして真面目な表情を湛えて、事態が収束に向かっていることを落ち着いて述べてゆく。推測と憶測を交えた根拠の無い詭弁であっても、信仰者の人々はその顔に安堵の色を見せていく。
「神父様……」
しかし一人、遅れて貴方に声を掛けた者があった。
それは年端もいかぬ少女である。周辺では見慣れぬ簡素な白のワンピースを着ており、されど不思議と風景に馴染んで溶け込んでいる。少女は辺りを気にする様も見せずに、貴方の瞳を覗くように、真っ直ぐに見上げてくる。
その黒い瞳には思わず惹き込まれるほどに強い意志が宿っており、言の葉よりも雄弁に、己の使命を伝えたいのだと、貴方に訴えかけていた。
貴方は少女の目線に合わせて膝を折り、丁寧な所作で以て少女の言葉を促した。
その途端、少女は厳かに頷いて、貴方に向かって言葉を与える。
「――私は、教皇猊下直属の使者でございます」
貴方は直感としてそれを信じて畏まり、頭を下げ、少女の次の言葉を待った。
黒曜教会においても、確かに教皇と呼ばれる最高権威者が存在している。そして彼女は年端もいかぬ賢き少女を直属の部下として幾人も置いている事実があると、司祭から伝え聞いていたからである。
「此度の火災は異端者たる星辰教徒の、星詠みの者たちの暴走によるものです」
使者たる少女の言うところ、セントルイス教区以外の街においても同様の放火や暴動、扇動が起きているのだという。それらは直ちに教会の主導で鎮圧が為されているものの、しかし首謀者が捕まったという報告は未だにされていないらしい。
「恐らく、首謀者は現場に出向いていません。そこで猊下は各地の断罪者に指令をお与えになりました。その内容は、放火に携わった星詠みたちの捕縛、及び首謀者の確保です。ただし、生死の如何は問いません」
貴方は頭を下げたまま、その指令を受諾した。
無論、思うところはある。あるのだが、しかしこれに真正面から抵抗を示すことは教会勢力に対する反乱分子と見做されるも同義だということを、貴方は理解している。
此度の件に関しては貴方だけでなく、星詠みという集団に同情的な意見を持っていた司祭もまた、思うところがあるのだろう。彼の姿が確認できていない現状に、貴方は多少の不安を覚える。
そんな思いを見越したのか、少女は一つ頷くと、継ぐようにして言葉を連ねた。
「どうやら、司祭様はご不在のようなのです。付近におられる住民の方々に尋ねてみても、確たる答えを得られませんでした。もしかすると、先に向かわれたのかも知れませんね」
司祭が軽率にそのような判断を下すだろうかと疑問に思いつつも、貴方は敢えて逆らうことなく、黙したまま頭を下げ続けることによって少女の言葉を肯定した。 現状、少女の言う通りに行動する他に、貴方の取り得る選択肢が無いためだ。
頭を下げ続ける貴方を見て、少女は然りと頷いた。
「貴方の働きには、期待しています」
少女は感情の伴わぬ、されど威厳ある声音でもって貴方に対する言葉を与えた。
その威厳はさながら、人間よりもずっと位格の高い存在であるかのような絶対の片鱗を漂わせていた。心身を奥底から震わせ、その場から一瞬にして跳び退らせる圧倒的とも言えよう程の較差を。
貴方は威に対する明確な警戒を示したことを不覚としたが、しかし少女は不思議そうに小首を傾げ、無垢なる表情を浮かべている。
「どうか、されました?」
その言葉には、先ほど感じた絶対的な圧威は見られない。少女の態度からは貴方を圧倒した覇気や意志といった要素が完全に失われており、それこそ、今はただの町娘にしか思われないのだ。
貴方は少女に対して緩々と首を横に振った後、柔らかな言葉をもって礼を言い、先の言葉を心に刻んだ。
今の無垢なる少女の態度も、先の威厳ある少女の表情も、どちらも確かに少女の正体であるのだろうと貴方は思う。そしてそれはつまるところ、貴方は教皇猊下の勅命を拝しなければならないということだ。此度の事件を企て、実行した首謀者を確保しなければならないということである。
セントルイス教区において、星詠みたちの居住は原則として認められていない。
何故なら彼らは黒曜の神を否定する異端者たちであり、黒曜教会の管理する教区の内外区域において排斥・迫害されている立場であるためだ。
されど、前人未到の地に追い立てられる、といった状況にまでは陥っていない。星詠みたちも人間であることに変わりはなく、生計を立てて暮らしているのに違いは無いという考えを持った善良なる者たちが、黒曜の信仰者の中に少なからず居るからである。
そういった信仰者たちは経済に関わることの多い者たちで、特に中下位に属する商人や被雇用労働者という、肉体労働を主とする職種の人々である。彼らは星詠みたちと手堅い交易を行い、或いは共に汗水を流して働き、互いに有益となる関係を築き上げているという。
貴方が星詠みたちが居住しているとされる場所を確認できたのも、出火の原因が星詠みたちの一部過激派による暴動であるという裏付けを得られたのも、彼らから進んで提供された情報のお蔭であると言って良い。
彼らの情報によれば、星詠みたちの居住区として認可を受けた地区でありつつ、それでもなお教会にとって利益が少なくないという理由で捕縛・確保の対象として見逃されている拠点は限られているという。都市周辺と範囲を狭めるのであれば、貴方の聞き知った一箇所しか存在していないとのことだ。
其処はセントルイス教区より北方に位置する天体観測所。当該施設の地下にて、暗黙の裡に秘されている居住区が一つ。地下聖堂街と称される空間こそが、星詠みたちの拠点であるとのことだった。
【天体観測所】
セントルイス教区より北方には、草木も生えない枯れた荒野が広がっている。
神から見捨てられ、大自然の恵みを永久に喪失したその一帯には、かつて世界の栄華を誇り、大陸の七割を手中に収めていたといわれる古代帝国の文明は見る影もない。
然れども一点、セントルイスより三十キロメートル程の地域にて、古代の帝国が使用していたものと推測される天体観測装置が一基、かつての誇りを遺している。 荒れ果てた地に咲く逆傘型の金属花は、古代文明が大陸だけでなく天すらも支配下に置かんとしていたことを伝え遺す、ライル地域唯一の文化遺構である。
人間の智慧と欲望の往く先を象徴している古代文明の忘れ形見は、同時に、神という存在の強大さを現代に語り継ぐ証明物としての価値を教会に見出され、公式に保存・管理されている。
隆盛を誇っていた帝国は跡形も残らず、豊かだったのだろう大地は荒廃して草の一本も生えぬ有様だ。天を手に収めんとした人類の愚かな増上により、神の怒りに触れた末路である。と、教会によって喧伝されているのである。
しかし一部の人々は、その天体装置の存在こそが人類の求めるべき道標であり、人類の増上を示したものではないと信じている。
神が帝国を滅ぼしたのは人類が増上したためではなく、人類が進化させていった力の大きさを恐れたのだ。それがために現代文明と古代文明の間における技術力の差が隔絶したものとなっている。と、論じている者もある。
星詠みの者たちにおいて、特にその論旨が顕著であった。
貴方は天体観測装置の足下にて、その巨大な傘を見上げている。
全長十メートルにもなるそれは、既に本来の用途を果たすことが適わなくなっている。今では星詠みの地下街へと潜入する隠し路の一つに過ぎず、文化財の保護という名目を与えられて、黒曜教会によって管理されているのが現状だ。
如何に高度文明の残り香といえど、残された人々の智慧と経験によっては本来の意図された用途とはかけ離れた使用が為されるということを示す、良い例である。
貴方は天体観測装置の側壁に取り付けられた金属扉を慎重に開くと、現代技術の遠く及ばぬ文明の遺構に足を踏み入れた。
天井からは硝子越しに月の明かりが白く差し込み、遺構内部の中央に開けられた無骨で粗野な破壊孔を黒くぼんやりと照らしている。星詠みたちが潜む地下街へと至るための、教会によって開けられた隠し路だ。
開けられた穴の下には長い鉄杭を壁に打ち付けられただけの、急造の螺旋階段がぐるりと巻いて地下の奥へと続いている。臆する素振りも見せることなく、貴方は靴底の中ほどに鉄杭を引っ掛け、螺旋階段を駆けるように降りてゆく。
頭上の硝子天井から注がれる仄かな光は、地下へと潜ってゆく貴方を見失う。
光無き完全な闇の中で、しかし貴方は月明かりが自身を導くような光の筋道が、闇の中心を突き抜けてゆくように視えている。断罪者にとって導きとされる白き月の光は、されど実態の無い幻影に過ぎぬことを、空虚そのものでしかないことを、貴方は理解している。
十五分ほど貴方は螺旋を降り続け、やがて底の奥深くから響いてくる喧騒を耳にする。星詠みたちの住まう地下聖堂街はその名の通り地下の深くに位置しており、常に照明を灯しているのが特徴だ。
貴方は幾度か聖堂街へと潜入した経験を有するため、その喧騒が平常のものとは異なる、殺気立ったものであることに気がついた。怒声に近い激しい感情の発露、獣性の叫びと臭気が響いている。まだ街に着いていないというのに、貴方の耳朶の奥をざらつかせ、神経を妙に逆撫でる。
貴方は鋸鉈を腰のベルトから引き抜くと同時に、階段の終わりに到達する。
目の前には金属製の大扉が鎮座しており、長いこと開けられていなかったためであるのか、閂扉が錆びついて腐食し、扉と酷く癒着している。腐食によって歪みが生じているからなのか、ピタリと閉まっている筈の扉の隙間から、聖堂街の空気と光、そして熱が漏れ出しているのを貴方は感じる。
大きな軋みが響くのも構わず、貴方は大扉を全力で、勢い良く開け放った。
【星詠みの地下聖堂街】
扉を開いた先の光景は、さながら地獄の様相を呈していた。
街並みを一望できる高台に立つ貴方の元にさえ届く熱の風は燃え盛っている街が吐き出す呼気に他ならない。高き天井の岩盤にまで赤き焔の色が映え渡り、生半可ではない灼熱の波動が街全体に、隅々まで押し寄せているのだろうと窺わせる。
逃げ惑う人々の悲鳴、怒号、異形の叫び、そして咆哮、銃声に建築物の崩壊音、混沌とした惨禍の音色が渾然となって貴方の知覚に地獄を訴える。セントルイスに放火をした存在が、この街の惨状を作り上げたのだと脳に訴えかけるのだ。
起こっている災害の規模を鑑みるなら、セントルイス教区のそれとは比較対象にすらならないだろう。それほどに、惨憺たる有様だ。
貴方はセントルイスにおける放火・暴動は星詠みたちによる仕業だと聞いていたが、どうも街の状況を見るに、星詠みたちの犯行ではないように思われた。
しばし街の様子を観察していた貴方は不意に、首筋の後ろを引き攣らせるような殺気の刺激を感知して、その場から即座に跳び退る。跳び退いた貴方と入れ替わるようにして上から降って来た者は落下の衝撃を拳打に乗せ、高台へと突き立てる。その衝撃は鋭く重いものであり、僅かに地揺れすらも起こす程に強烈なものだ。
それほどの一撃を放っても、その者は呼吸を毛ほども乱していない。不意打ちに失敗したことを気にする素振りも見せず、悠々と拳を引き抜きながら、その場から静かに立ち上がる。
それは貴方と異なる作りの、黒装束を着た人間だ。否、その拳を形成する筋肉が異常に膨れ上がっている様は、貴方の属する黒曜教会においては怪物と認定されるものである。人間としての存在規定を満たさず、怪物と判ぜられ、討伐される対象に他ならない。とはいえ、異形に変化しているのは肥大している右腕だけであり、他は普通の人間と変わらぬ相貌である。
黒装束の男は目元を細めて貴方を睨み、低い声で問い掛けた。
「貴様……教会の断罪者だな?」
それは問い掛けなどではなく、単なる確認だったのだろう。或いは貴方の惑いと隙を誘うつもりであったか。いずれにせよ、相手は貴方の答えを待たず、瞬息にて間合いを詰めてきた。
男の武器は振りかぶっている右拳で、その大きさは先よりも更に肥大しており、一メートルにも及ぶほどだ。それほど大きな右拳の重量を感じさせぬ疾走は、男もまた貴方のように、荒事に身を置いているからこそできる芸当だろう。
恐らくは怪物を、そして人間も、手にかけた経験があるに違いない。それほどに男の殺気は濃厚で、そして身のこなしに躊躇が見られない。
貴方はそんな手練れの敵を視界に入れつつ、機を見て一歩、後退した。そして、その一歩分を開けた間合いの時間は、貴方にとって十分すぎる猶予であった。腰のベルトから短銃を取り出すと同時に、貴方は二度、引き金を引いている。
二発の銃声が重なり、一発の重奏となって響く。
一発は男の眉間に向かい、もう一発は男の心臓に向かい、弾が飛ぶ。
彼我の間合いは、貴方の引いた一歩分に過ぎない至近の距離だ。並の怪物ならば避けられず、脳と心臓を砕かれて死んでいる。
しかし男は怪物ではなく、さりとて並の者でもない。銃弾を避けられぬと悟るや否や即座に両腕をもって盾とし、眉間と心臓を庇って受ける。銃弾はどちらも肉を穿って炸裂し、男の両腕に浅からぬ傷を残す。白煙が立ち上がり、白き血が飛んで散りゆき、されど男は歯を食い縛って呻きを飲み込み、痛みに耐える。
耐えてその場に踏み止まった男は、そして不意に瞠目し、僅かな硬直を生んだ。
貴方の姿が、その視界から消えたためだ。
そして強引に生み出した一瞬の間隙を突くというのが、貴方の戦闘方法である。
「がっ……?」
男は目の前で何が起こったのかも分からぬまま、一歩二歩と足を進め、ぐらりと傾き、地に倒れた。背中の中央より僅かに逸れた心臓部位、そこに空いた穴から、白き血が湧き水のように滾々と噴き出している。
それは男が、既に事切れていることを示していた。
口から吐き出されたのだろう血液もまた、ゆっくりと白き染みを広げてゆく。
貴方は襲撃してきた男の死体を無感動な目で見下ろした後、その背から抜き手によって抉り出した心臓を見遣りもせず、無造作に握り潰した。と同時にその場から即座に駆け出し、街中へと跳び降りていく。
貴方が思っていたよりも、聖堂街の状況は良くない方向に進んでいるらしい。
――来てすぐに襲われたのが、その証拠だ。
貴方の通ってきた隠し路は黒曜教会の断罪者、或いは上層部しか知らない通路である。長きに渡って封印されてきたその隠し路を通ってきたというのに、星詠みの戦力が待ち伏せしていたという事実は重い。
とはいえ、隠し路の内部で待ち伏せていなかったことから推測するに、隠し路のことを前々から知っていたとは考え難い。ずっと以前から知っていたなら、大扉を溶接して防ぐという手段も取れたであろう。そもそも隠し路に罠を設置していればそれで大抵は片が付く。
されど先の襲撃者は、隠し路に細工を施すような真似をしていなかった。確実を期すのなら、罠を仕掛けておいた方が良いのは子どもにも分かる道理だ。で、あるにも関わらず、どうして不意打ちのみだったのか。
無作為な事実がちぐはぐに繋がっていることが、貴方の思考を惑わせる。
思考を続ければ続けるほど事実が無駄に交錯し、重い徒労と疲労を覚える。
ゆえに、貴方は思考目的を単純なものへと切り替えた。
重要なのは、ただ一点。現時点で優先すべきこと。教皇からの勅命だ。
しかし気に掛かる事柄もまた、一点ある。
――教会上層部に、或いは断罪者の中に、星詠みと内応している者が存在する。
それらのみを認識していれば、気構えを置くには十分だ。
貴方の聖堂街における役割は、シンプルなのだから。
首謀者の確保、それのみに尽きる。
しかし個人的には、それでは足りない。
セントルイスでの暴動を実行した者たちの確保、そしてこの地下聖堂街を地獄に変えた者たちの確保、或いは情報を獲得したい。
如何なる目的を以て、此度の非道を為したのか。
道中において星詠みに接触しても、対処は素通りで構わない。一般の星読みに、用は無いのであるから。けれども助けを求められたなら、避難場所に誘導してやる必要は出てくるだろう。が、黒曜教会に属していると一目で分かる断罪装束を纏う貴方に、星読みが貴方に助けを求める可能性は極めて低いものではある。
貴方が高台から降りてすぐに、街の中央通りに続く幅の大きな道があった。
しかしそこにも、火災の被害が目に見える形で広がっている。焼け毀れた建物が並んで瓦礫が溢れ、道を敷く石畳は掘り返されたかの如く割り砕かれ、其処彼処に転がる死体の群れには蛆が湧き、身の丈を超える火焔の飛沫が視界を灼く。
ほんの一歩すら踏み出し難き災害の一端が目の前に迸っており、街の外れである此処ですらこの様相なら、中央の大通りに至ってはどれほど酷い光景になっているのか、貴方には想像もつかない。
そういった火災の被害に遭っていない部分は恐らく、脇手に小さく見える路地の裏道くらいのものだろう。家々の裏側に通っている小さく細き道には火に焼かれることなく、明かりの光も色も見えず、火焔地獄の中で奇妙な静けさを保っている。 その部分だけが火焔の海から切り離された、水底のように思われてならない。
ある意味においては、目に見える火焔の海を泳いでいくより危険かもしれないと貴方の勘が囁きかけてくる。が、立ち止まっている時間が惜しい。他に選べそうな道も無い。
貴方は頻りに鳴り響く警鐘を気に留めつつ、路地裏に足を踏み入れる。
【地下聖堂街・路地裏】
たった一歩、その黒い泥濘の道に足を踏み入れた途端、貴方は全身に感じていた火焔の熱が一瞬にして引いてゆく奇妙を感じた。足底に感じられる泥濘は浅いが、しかし強い粘性を感じさせる。
明かりによる照り返しが無いために分かり難いが、ただの泥濘とは思えない。
この泥濘が火災を遠ざけている要因の一つであろうと窺えるものの、これだけで火災の悉くを避けているとは考えにくい。
そもそも感覚的に、街全体を取り巻いている筈の火焔が微塵も感じられないことが極めて奇妙である。路地裏には熱波に温度、焦げる臭い、燃え盛る火焔の轟音、いずれの要素も届いて来ず、深き水の底に揺蕩っているような静謐のみ湛えられているのだ。
否、静謐に漂う空気の中で、貴方は何者かから視られているという知覚がある。
近くではないが、そう遠くでもない。敵意や殺気を感じられないことのみが救いであるが、妙に脳髄をざわつかせる、嫌な視線だ。
ともあれ、貴方は慎重に路地裏に広がる泥の道を進んでゆく。
直接的な殺意を向けられていないにせよ、ここには先の場とは違い噎せ返る程に多くの生物が居る気配を感じられるためだ。
それらは火災から避難してきた星詠みたちである可能性も否定はできない。が、貴方が自身の感覚を信頼するなら、これらは人間の気配ではない。もっと異質の、それこそ獣や怪物といった人外の気配だ。
貴方は右手に鋸鉈を提げ、黒革のブーツを濡らしながら、気負うことなく先へと進む。左手に並んでいる建物は崩壊の憂き目にあって瓦礫の積み場と化しており、人の気配が感じられない。にも関わらず、瓦礫を穿り返すように彷徨っている影が視える。
闇よりも深い漆黒の影の群れは貴方のことなど目に入らぬかのようで、ひたすら瓦礫の間を行き来するように、緩慢に揺蕩っている。その影に気配は無く、生気も無く、生きた物ではないのだと貴方に悟らせる。
――ここは恐らく、異界なのだろう。
聞き及ぶところによれば、黒曜に属する研究者の中には人間の感覚を誤魔化し、錯覚を生じさせることにより、この世のものとは思えぬ不可思議な光景を見せる。そういう技術を扱っている者がいるという。
その幻覚はあくまで現実の地形を反映させるだけに過ぎないとも言われており、未完成の技術であるとのことだ。が、現実の難所を越える際に有用ではあるとも、貴方は聞いた覚えがある。
仮にその技術が使われているとするなら、貴方が現在見ているこの光景も現実のものではなく、幻覚である可能性が浮上する。であるのならば、やはりこの街には貴方以外の断罪者が、教会の関係者が関わっているという証にもなるだろう。
その者たちの目的は不明だが、場合によっては共闘することも有り得る。或いは逆に、目的の競合が生じて戦闘が始まる可能性も否定できない。尤も、星詠みたちに裏で通じている可能性が濃厚であるため、断罪者として後者の選択を取ることになりそうではある。
同じ教会に属する同胞が相手であろうと、貴方の為すべきは変わらない。
断罪者として、貴方の目的は明確だからである。
すなわち、教皇からの勅による大規模犯罪首謀者の確保だ。
更に加えるなら、ここに貴方の師である司祭が訪れていた場合。合流した後に、監獄における報告の詳細を伝えたい。その上で貴方は、司祭がどのような目的を持って教会に属しているのか。改めて尋ねようとも考えている。
以上の二つ以外は些事であり、貴方の行動を阻害するには足りないだろう。
監獄の調査において、貴方は獄長が教会上層部に対する反旗の意思とその力を、少なからず有していることを知った。加えて司祭、或いは司祭に近しい者が教会の上層部となんらかの繋がりを有しており、監獄の地下にて奇怪な実験を行っていたことをも知ったのである。
獄長と司祭、そして教会上層部、これらがどのように関連しているのか、貴方は推測できるほどの知識も情報も有していない。ゆえに、司祭に直接問い質す。そう判断した矢先に、此度の大規模人災である。
教皇の勅使が訪れたという事実だけでも、此度の災害が生半可なものではないと判断できる。一部の星詠みたちによる暴走で引き起こされたなどと、然程に単純なものではない、と貴方は考えざるを得ない。
それこそ、監獄の地下実験場で垣間見た、教会全体の黒々と澱み濁った何者かの意志が根底に息づいているかのようだとも、貴方は感じ取っている。この地下街の大火災についても同様に、教会内部が何らかの形で関わっている可能性を、決して否定できないのだ。
むしろ、率先して教会側が起こした事件の可能性すらもある。しかし、もし仮にそうであるとしても、貴方には手を出せそうにない。首謀者たちが一体どのような目的をもって此度の事態を引き起こしたのか、貴方には全く見通せないままであるためだ。
だが、どちらにしても星詠みたちの住む街全体を業火で焼き打つなど、徹底的に建造物を壊滅させるなど、たとえ異端の人間が相手とはいえ、やりすぎだと貴方は考える。異端の思考を持っていても、相手は人間である。理知を持たない怪物とは根本的に異なるものだ。
――だが、本当に異なるものなのか。
貴方は自身の思考に引っ掛かりを覚えると同時に、その歩みを止めた。
前方数メートルほどの位置から、何やら耳に障る水音が響いてきたからだ。
それに加えて、嗅ぎ慣れた腐敗の臭いが水音の元から漂い流れてきているように思われ、貴方は不快を感じて眉を顰める。
その腐敗は獣や怪物といったものからではなく、人間の死体から発せられている種類のものだと知覚したからだ。となれば当然、腐敗臭の元で蹲っている存在は、人間を喰らう怪物ということになる。
貴方は思考を切り替え、右手に提げている鋸鉈を振るえるよう意識を研ぎ澄ませつつ、足音を殺さぬままに、ゆっくりと泥水を踏みつつ進んでゆく。進むにつれ、水音を立てている者の輪郭が見えてきた。
それは、犬の輪郭であった。
犬に近しい大型の白き輪郭が、腐臭の立つ肉塊を貪るように喰っている。喰っていく端から、その肉片は耳障りな鈍い音を立て、泥水へと落ちて沈んでゆく。
貴方が目を凝らしてみるに、その犬には幾つもの欠損がある。頬顎に、腹部に、各所に大きな穴が空いている。頭部も、胴も、その脚も、肉が腐敗して溶け落ちており、白い骨片が覗いている。
その犬もまた、腐敗している肉の塊であるのだろう。
いわゆる、食屍鬼という怪物である。
貴方が見ている中、食屍鬼はぴたりと動きを止めると、宙を嗅ぐように鼻を持ち上げ、水に浸っている肉塊を貪るのを止めた。どうやら、貴方の発する生者の気配に気が付いたらしい。犬は視線を貴方に向けると、喉を震わせて威嚇の声を出し、腐肉と白血を滴らせる。
どういう理屈で動いているのか知れないが、それまた怪物の一端には違いない。
貴方は食屍鬼がいつ飛び掛かってきても対応できるよう構えを取りつつ、左手に短銃を握り込み、その引き金を一回引いた。
その銃弾は食屍鬼の腐った頭部をあっさりと消し飛ばすに至ったものの、されど食屍鬼の動きに鈍りはない。依然として首の上に頭部が存在しているかのように、貴方が視えているかのように、食屍鬼は貴方に飛び掛かってゆく。
頭部を消し飛ばしたがゆえに牙は無い。が、その足先には爪がある。腐肉を引き裂くためとは思えぬほどの、強い脚力をも見せている。油断できぬと貴方は判じ、食屍鬼の飛び掛かりを見切って避け、それと同時に鋸鉈の刃を添えるように当てて走らせ、前足の二本ともを付け根から削ぎ落とした。
食屍鬼は着地に失敗して泥水に激しく飛び込み、そしてそのまま起き上がることはなかった。恐らく、身体の活動限界に達したのだろう。食屍鬼はそのまま身から白煙を立て、その身を構成していた腐肉を水中に緩々と解かせ、何も無かったかの如くに消滅したのである。
怪物にしては強くもないが、しかし気味の悪いことこの上ない。
とっくに死んでいるであろう身体が、得体の知れない力を以て動作を可能としていたのだ。もしかしたら腐った状態においても、それは生きていたのかも知れないが、どちらにせよ気分の良いものではなかった。
貴方は胸中になんとも言えない薄気味の悪さを感じながらも、刃についた白血と腐肉を水面で濯いで拭い取りつつ、一本道である路地裏の道を進んでゆく。
どうも先に屠った食屍鬼は、路地裏に棲まう者たちを象徴していたものらしい。
というのは、貴方が進みゆく路地裏の途上にて、腐敗した身体を有した怪物どもが行く手を阻んできたからである。
彼らとしては、ただ、そこに存在しているだけなのだろう。敵意も害意も個体によって異なり、殊更に貴方を狙って攻撃してきたものは少ない。とはいえ、死臭を纏う腐肉を喰らい、血水を啜り、自身の腐肉さえ喰らっているのは、この世のものとも思えぬ光景であった。
――救いがない。
とつくづく貴方が思うのは、食屍鬼が四つ足の動物だけに留らず、理知ある筈の人間もまた食屍鬼として現れたことにある。その形状は完全に人間のそれであり、しかし隠せぬ腐敗臭を漂わせていたのは記憶に新しい。
その服は鈍色の腐汁と白血によって斑に染められ、頭部の腐肉には蛆虫が湧き、羽虫が黒く集っている。眼球もまた腐り落ちたのだろう。その黒い眼窩と口腔からは、生者のものとは思えぬ深い嘆きの響きが伝わってくる。
――これもまた、救済しなければならないものだ。
そう強く思わなければ、貴方はどうにもやりきれなかった。
人間としての生を全うした筈の者が、どうしてこの残酷な世界から抜け出すことが叶わぬのか。朽ちた肉体を引き摺り、死臭に澱んだ路地裏を彷徨い、歩なければならぬのか、貴方は納得がいかなかった。
それほどまでに、遍く生者は罪業を背負っていると言うのであろうか。
胸から溢れ出さんばかりの嘆きと叫びの感情を理性で必死に抑えながら、貴方は人間の形をした食屍鬼に鋸鉈を振るう。
抵抗は、一切無かった。
腕と首が千切れて落ち、白き血を噴き上げ、胴体はそのまま水中へと没する。
血飛沫も腐肉も腐敗臭も、いずれも水の澱みに沈み、貴方の視界から消えた。
貴方の心身に鈍い疲労を重ねる路地裏の道は、しかしそろそろ終わりが見えた。
道の先に暖色の光が視えたからだ。
その光は現実に繋がる道へと続いているのを確信させる、暖かでありながらも、しかし同時に忌むべき明かりである。なにせ現実もまた路地裏の幻想と異なる地獄であることに疑いなく、火焔が今も猛威を振るっているに違いないからだ。
貴方は憂鬱を隠さぬままに足を動かし、そして再び構えを取った。
前方数メートル、その位置に敵対者を視認したからだ。
それは、巨大なドブネズミである。
巨大鼠は腐乱した肉片と血液で口の周りを汚しつつ、何かを煩く咀嚼しながら、貴方のことを見つめている。その目の光は敵を見つけたという警戒の色ではなく、活きの良い餌を見つけたという食欲の色であり、自身が捕食者であると疑わない、傲岸不遜の色であった。
実際、その鼠の肉体は全体的に筋肉質でがっちりとしており、全長は二メートルを優に超えているだろう。その尾と甲高い鳴き声、頭部の形などを考慮しなかったのなら、鼠だと分からぬほどの恵体であり、恐るべき潜在能力を秘めていることが窺い知れる。
貴方は即座に鋸鉈の機構を作動させ、大振りの刃として両手で確りと握り込む。対大型怪物用の断罪武器だ。これに鼠は劇的に反応し、警戒の態度を顕わにした。
貴方の持つ武器が大量の命を散らしてきたことを、死臭を纏わせていることを、鼠は恐らく見抜いたのであろう。そんな武器を有する貴方を、ただの餌ではないと判じたに違いない。
鼠は二本足で立つのを止め、前足を水につけて四つ足の突撃態勢となり、貴方に向けて威嚇の唸りを上げ始めている。それは恐らく、怯えの感情の発露に思える。かと言ってその場から退く様子を少しも見せない辺り、相応の意地も持っているに違いない。
鼠のそうした敵対的な態度は、正直なところ、貴方にとって戦い易いものだ。
ただでさえ敵は怪物化している害獣であり、駆除することに対して精神的痛痒を感じ難いという認識もある。抵抗の意思を見せていることについても同様であり、相手がこちらを狩る気でいるのなら、こちらも相手を狩らねばならぬという名目ができるためだ。
そうした名目は他者に提示すものではなく、己自身に示すものでしかない。が、人間の心を保つ上においては大切なことだ、と貴方は固く信じている。倫理や論理といった性質を内包する知性と理性は、人間としてあるべき重要なもので、理知の無い人間などは怪物や凶獣と変わるところのない害悪に過ぎない。という理屈が、貴方の思考にあるためだ。
ゆえに貴方は相手が敵対の意思を見せてくるまで、自分から攻撃を仕掛けることは基本的に無い。とはいえ、それは敵対者が理知を有する人間の場合のみであり、断罪すべき怪物や獣が相手である場合は、その限りでは無い。
ともあれ、戦闘である。
貴方が全身から殺気を放つと、釣られたように巨大鼠が飛び出した。
その巨躯による突撃は脅威だが、実験施設で戦った巨狼には及ぶべくもない。
咆哮を上げて突っ込んでくる巨大鼠の身体を飛び越えるように、貴方は頭上へと高く跳ぶ。敵が貴方を見失い、突撃の勢いを僅かに緩めた瞬間を見切った貴方は、中空に身を躍らせたまま、鼠の頭部に向けて大刃物を振るい抜いた。
命中と同時に硬質の響きが渡り、鼠は低い鳴き声を上げ、汚泥を跳ねさせ転げてのたうち回り、色濃い怨嗟を周囲に漏らす。白い血液と透明の髄液がその小ぶりな頭部から流れ出し、しかしすぐに治まってゆく。
着水と同時に貴方は再び大刃物を構えて追撃を加える姿勢を見せるが、鼠も敏に反応し、警戒態勢を即座に取り、貴方から距離をとって即座の追撃を許さない。
攻撃の機をずらされた貴方は、絶妙な間を開けた鼠と暫し睨み合う。
小さい割には頑丈な頭部だ、と貴方は胸中で舌を打つ。
予定としては先の頭部への一撃で勝負を決めるつもりだったのだが、頭蓋の骨が存外に硬く、両断には至らなかったのだ。恐らく首回りも、斬り落とすのは難しいと貴方は推測する。盛り上がっている高密度の筋繊維と、それを内部で支えている骨を断つには、生半可な攻撃力では到底足りない。
であるならば、眼球や口腔内部といった柔らかな部分に攻撃を通し、致命の一撃を与えるのが現実的な攻略法だろう。
そうした思考をしている間に、鼠は再び貴方に突進していた。
しかし先程と違うのは、愚直に進み、避けられても直進し続け、間合いを幾らか開けてから反転を行う点だ。それは頭部への一撃を警戒したがゆえのヒットアンドアウェイであり、鼠が貴方に対する警戒心を持っていることの証左である。
頭を下げて四つ足に力を込めた全力の弾丸疾駆は、泥濘の抵抗など無きが如しの勢いある突進となっており、なかなかどうして厄介な攻撃だ。顔面に配されている柔らかな部分を狙うことができず、加え、肉体の重量を頼んだ突進に対して貴方は正面から対抗する術を持たず、避ける以外の手段を取れない。
速く、重く、そして強いその突進は、単純な戦術であるだけあって嵌れば対処が難しい。泥濘の飛沫を上げての攻撃でもあるから、銃を撃っても威力が減衰され、鼠の肉体に掠り傷の一つも負わせることができないでいる。
――厄介だな。
とはいえ、勝機が無いというわけではない。
鼠は頭を低くし、視界に頼ることをせず、主に嗅覚と聴覚によって貴方の位置を探り当て、突進を敢行していると思われる。それゆえ、立ち回りを意識することによって位置の誘導が可能であると貴方は考える。
貴方は通過した鼠を視界に入れながら、その立ち位置を大きく調整した。ざぶりざぶりと泥水を蹴り分け、巨躯の突進を待ち構える。鼠は覚悟を決めているのか、或いは考え無しであるのか、ひたすら愚直に貴方の元へと突き進む。立ち止まっている間などほぼ無く、常に走り回っている状態だ。
だからこそ、鼠は貴方の策へと嵌り込む。
迫りくる巨躯と水飛沫に合わせて高く跳んだ貴方の下を鼠はそのまま突き進み、そして間もなく、道脇に積まれている瓦礫の山へと突っ込んだ。
されど鼠は勢いを維持したまましばらく止まらず、瓦礫を粉砕しながらも進み、粉微塵にした石による微粒の灰煙を立ち上げた辺りにようやくその動きを止めた。
そして鼠が転回するよりも速く、貴方はその巨躯へと疾駆している。
間合いは僅かに二歩余り。泥濘に足を取られることなく走った十数歩で、相応の速度が乗った推進力を纏っている。速度の力を活用すべく、駆けながら力を両手に集中させ、握り込んだ大刃物へと移動させるよう意識する。狙いを定め終えている貴方は、手に持つ得物を鼠に向けて力の限り突き放った。
急停止によって速度と体重の力を大きく乗せた大刃物の先端部は、巨躯の後背で最も脆い部位を、すなわち骨のない唯一の急所である肛門に、勢いを削ぐことなく鋭いままに貫いたのである。
当然、括約筋は強固に締まって閉じられていたが、しかし大刃物は貴方の体重と走行速度の力を受けた勢いを以て隙間を切り裂きながら圧し開き、瑞々しい灰色の肉を割いて進み、そして直腸を大いに蹂躙する。肉の裂け目から白い血の粒が丸く膨らみ、破裂して尚も数を増やして染み出し、湧き上がって流れを作り、瞬く間をも置かせず直腸内部を満たしてゆく。
そして直腸を満たす血流より早く引き起こされたのが、刃物によって断裂された神経系による痛覚の伝達である。秒にも満たぬ僅かな時間で、鼠は下半身の広範に及ぶ内臓の裂傷と大流血の重圧による不快感、それらを強制的に享受する。
鼠の脳は損傷部位からの信号を誠実に受諾し、痛覚の衝撃を和らぐための措置として反射的な麻酔の処方を以て、肉体に束縛を命じたのである。
しかし、麻酔であっても鼠の痛みを完全に和らげることは不可能であった。
麻酔による一瞬の痺れと僅かな秒後に襲いくる激しい痛みと重圧の往復を受け、喉が張り裂けんばかりの巨大な悲鳴を鼠に強く上げさせる。
鼠はもはや一個の巨大な音響装置であった。
攻撃することはおろか四つ足で歩くことすら頭の中から漂白されたことだろう。裂傷による鈍い激痛、裂傷部の治癒、内臓部に溜まる血液の重圧、発狂を防止する脳内麻薬による僅かな陶酔、それら混沌たる信号は鼠の思考と行動をその根底から奪い、悲痛極まる不協和の音を響かせ続ける哀れな生体楽器と化させたのである。
身動ぎすら満足にできぬ巨大鼠を、しかし貴方は放って置かない。
相手は尊厳ある死を迎えた者たちを無作為に貪り喰らう冒涜的な害獣であって、人類の敵だからである。容赦する理由を、貴方は持っていない。
貴方は大刃物を括約筋から無造作に引き抜くと、痛みの許容限界を超えたことによって完全に意識を手放している巨大鼠の正面に回り込む。そして巨躯に見合わぬ鼠の頭部、その眼球部に狙いを定めて大刃物を力の限りに突き入れた。
眼球を潰し、眼底を割断し、脳部位に容易く辿り着いた大刃物は鼠の肉体掌握を司る中枢神経を破壊し尽くし、鼠の生命活動を完全に停止させたのである。
――排除完了《HUNTED》――
貴方は大刃物を鼠の肉塊から抜き払うと、姿勢を正し、ゆっくりと目を閉じて、胸の前で十字を切った。
――安らかに、ありますよう。
食屍鬼によって荒らされたであろう人々の魂に対して、貴方は祈りを捧げる。
祈りの一端が、魂にとって僅かでも、救いになることを願って。
『死者流しの黒曜結界』
結界という名の異界が地上世界と繋がったとき、死者の魂に触れられる。
黒曜の創った結界内部を巡る昏き水の流れは、罪なき魂をゆるりと運ぶ。
魂の光は玄妙で、誘蛾灯のように、冒涜的な者たちを呼び寄せる。
お陰で、悍ましい怪物共は地上世界からその数を劇的に減少させた。
誰も知らぬ異界のどこかで、怪物共は死者の魂を貪っているのだろう。
黒曜は生者にこそ慈悲を与えるが、死者には慈悲を与えない。
罪業ある者に救いは必要だが、罪業無き者に救いは必要ないためだ。
【星詠みの聖堂街・大通り】
巨大鼠を屠り、裏路地を抜けた貴方は再び災禍の渦巻く街中へと戻ってきた。
石畳は粉々に砕かれ、その下から灰の土が剥き出し、紅蓮の火炎によって煌々と照らされる瓦礫の無秩序的な連なりは、どことなく終末的で幻想的な印象を貴方に齎してくる。されど全身を熱く灼いてくる感覚が、確かにこれこそが現実なのだと貴方に強く訴えかける。火焔の中に垣間見える罪業の昏き揺らめきも、使命を強く訴えかけてくるのだ。
貴方は血濡れた大刃物の機構を動かして鋸鉈へと戻しながら、街の中央へと続く大通りの方に歩みを進める。この道は幸いにして火の勢いはそれほど強くはなく、瓦礫の類もあまり散乱してはいない。
そこに人の手が入っていることを感じながら、貴方は慎重に歩を進めてゆく。
石畳が綺麗に保たれた幅の広い道を踏みしめ、然程の間もなく、十字に交差する通りへと出た。通りの大部分に簡易的な結界が張られていることを、貴方はすぐに知覚する。
それが証拠に交差路には火勢が遠巻きに取り巻いているのみで、四隅の建造物や中央の石畳は砕かれることなく、焼けてもいない。しかし結界はその交差路のみに展開されているらしく、進行できる道筋は定まっている。
進行方向である三方向の内、貴方が進めるのは右手側の大通りだけだ。
正面は結界から外れた途端に瓦礫の山々が壁のように高く聳えており、左手側は火焔が盛んに猛っていて進むことができない。
右手側の通りに誘導されていると思うのは、貴方の気の所為ではないだろう。
この街には多くの住人がいた筈であり、その人々は火の勢いと瓦礫による被害が比較的少ない通路を誘導され、避難したであろうからだ。その誘導者が星詠みたちを纏める指導者によるものなのか、或いは教会関係者によるものなのか、そこまでは判然としてはいないが。
貴方はその場を見渡して見るべきものが無いと判ずると、右手側の通りへと足を向ける。迷っていられる時間は、あまり無いだろう。そうして歩いている間にも、事態は駆けるように進んでいるのであろうから。
火の粉の舞い散る大通りを暫く進むと、貴方の耳に火の音以外の何かが響いた。
肉声による響きである。それも、人間が発しているものだ。陽炎による揺らぎの狭間に、貴方は濃密なる罪業の歪みを視た。右手に力が無意識のうちに込められ、鋸鉈の持ち手がぎしりと軋む。
貴方が視たのは、磔にされている人間である。
敗れた装束を身に纏ったその人間は、黒き血を全身から流して装束を染め上げているその人間は、紛れもなく境界に属する断罪者だ。
その周囲を取り囲むように立っている人々は、この街に住んでいた星詠みたちであろう。遠目からでも気が立って、怒りの様子が見て取れる。彼らの手にしている武器を見ても、心が憎悪に灼かれているだろうことは想像するに難くない。
とはいえ、教会に属している立場の貴方としては磔にされている断罪者の味方であり、怒りに震えている人々の敵である。如何なる事情があるにせよ、そのような現場を視認してしまったからには、貴方のやるべきことは決まっていた。
舌を打ちつつ、貴方は静かに前へと進む。
貴方の歩く大通りは徐々にその幅員を広げてゆき、円形の広場を構成してゆく。広場の中央には十字の木組みに鉄杭で四肢を打ち抜かれ、気を失っている断罪者がいる。そして、断罪者を取り囲む星詠みの人々が立っている。
星詠みたちはその手に長物や刃物、鈍器を持ち、獣の上げるような言語にならぬ叫びと雑言を磔にされている断罪者に向かって放っている。恐らくそれは、怒りと狂乱に心身を任せたがゆえの、感情の一端なのだろう。悲痛や憤激の色に塗れた、物悲しい人間の心の音だ。
しかしそれらの罵倒は星詠みの一人が貴方を視認し、動きを止めたことによって徐々に収まっていった。そして、杭のように鋭く突き立つ憎しみの視線が、貴方の全身に注がれてゆく。
立ち止まった貴方と星詠みたちが睨み合って数秒、互いに長く重く感じる対峙の後に、星詠みたちの中から一人、貴方に向かって歩みを進める者がいた。
左手に拳銃を握った、身なりの良い男である。背丈が高く、顔貌も姿勢も良く、相応の権威と発言力を有している様に窺える。男は貴方を見下ろすように立つと、拳銃を貴方の眉間に当てた。
貴方は緊張も恐怖も抱かぬまま、されどいつでも動けるよう、男の挙動に注意を向ける。男は怒りと憎しみの色を瞳に宿らせ、貴方をじっと見下ろしたまま、振り絞るような声音で言葉を喉から吐き出した。
「教会に魂を売った畜生風情が……人を人とも思わぬ化物どもが……! お前たちの所為で、どれだけの人間が――」
男の指が銃の引き金に触れるその寸前、僅かに漏れ出した殺気に反応した貴方は考える間もなく反射的に、右手の鋸鉈を振るって男の首を斬り払っていた。
一拍遅れて、男の頭部が地へと落ちる。指の筋肉が僅かに遅れて反応し、拳銃の引き金が指に引かれて銃声が響く。銃弾の行き先はどことも知れぬ方向で、貴方の眉間を撃ち抜くことなど叶いはしない。
貴方は仰向けに倒れゆく男の死体を置き去りにして、足を先へと進めている。
首を払った男を含め、星詠みたちから濃厚な殺意を向けられていた事実を貴方は確りと受け止めていた。敵意までなら見逃すことも考慮にあったが、殺意となれば話は変わる。
貴方の中で、この場にいる星詠みたちは話の通じる人間ではなく、言葉の通じぬ怪物であると見做されたのだ。相手の言葉に耳を傾けようともせず、敵意を向け、殺意を向け、己の事情のみを語り、問答も無用で殺しにかかる――それは理知無き蛮行であり、獣にも劣る愚昧であると貴方は断ずる。
この場を纏めていたのだろう先程の男は、貴方に対して理知無き暴威を示した。それは紛れもなく言葉の通じぬ怪物としての行動であり、その証明であると貴方は判じた。
暴威に対して暴威を返す、という考えに品位は無い。が、しかし怪物を断罪する上においては実直で重要な考え方であると貴方は飲み込んでいる。世界には、話し合いが通じない相手も多く存在しているのだ。
とはいえ、最低限の言葉は必要であろう。
貴方は黒曜の理念をもって、星詠みたちに意思を示した。
――これより、断罪を執り行う。
その言葉は貴方から星詠みたちに対する最後の避難勧告であった。
向かってくる者は断罪し、逃げる者は見逃すと、最後の慈悲のつもりであった。が、星詠みたちは貴方の言葉を皆殺しの宣告であると受け取った。
皆が皆、その手に武器を携え、雄叫びを上げながら貴方に向かって押し寄せる。
しかしそれも、無理はない。
なにせ彼らの目の前で、同胞の一人が無造作に殺されたのだ。それも、古来から敵と見做している教会の断罪者によって、である。
当然、彼らは貴方に対して殺意以外の意思を持てない。事実、持たなかった。
逃げてもいずれは殺される。逃げなくても殺される。ならば抵抗して死のうと、できるならば殺して生き残ろうと、そう決断したのだ。
ゆえにこの場は、悪鬼が悦ぶ殺戮場と化す。
貴方は向かってきた星詠みたちに、何らの躊躇も覚えなかった。断罪すべき対象としてのみ、貴方は彼らを取り扱った。その扱いは、人ならざる怪物に対するものと変わりはない。
警戒すべきは迂闊に接近してくる敵でなく、遠距離攻撃を有する敵だ。つまり、銃を持っている敵である。向かってくる人垣の向こうに四人から五人程か、長銃を持っている者たちを貴方は視認している。
至近にいる敵の首と手を断ち切った貴方は、即席の盾として長銃の射線上に敵が来るよう立ち位置を調整しながら、身を隠しながら移動する。
視線は常に全周を見つつ、意識は至近の敵と銃を持っている敵とを警戒する。
数十人ほどの敵がこの場にはいるが、一度に接敵するのは精々が三から四人だ。ましてや敵は異形にもなっていない、単なる異端の信仰者に過ぎない。身体能力の面においてはともかく、冷静さを保っている面においては、貴方は彼らより優位に立っている。ゆえに苦もなく、その命と罪業を断ち切ってゆける。
敵の視線を掻い潜り、意識の隙を突き、重要な臓腑を的確に割いて断つ。
攻撃する度に白い血が噴き出し、辺りに血と死の臭いを振り撒いて、敵の怒りと憎しみを、そして悲しみと憤りの悲鳴を響かせる。言葉にもならぬ殺意の色が響く中を、貴方は気配を消すように足を運び、着実に一人ひとりの首を切る。
断末魔すら上げさせないのは、彼らに対する慈悲などではない。そうして即死に至らせた方が手間も面倒も掛からぬためだ。貴方は極めて機械的に且つ作業的に、定められた工程を淡々とこなすように、星詠みたちの命を、その罪業を断ち切ってゆく。
彼らの犯した罪業は、街から速やかに避難することなくこの場に留まり、教会の断罪者を私刑にしたことだ。生きたまま苦痛を与え、苛み、死に追いやったことである。
私刑など、人間として倫理・道徳のある者が行う所業ではない。それゆえに貴方はこれらを以て名分と成し、星詠みたちに断罪を為す。如何なる事情があろうと、人は己の行動に対して責任を持たねばならない。仁義と慈悲を持ち、誇りある生を歩まねばならない。それらを有しない意思や行動などは、人としての誇りある生にそぐわぬからだ。
貴方は胸中にて黒曜の理念を思いながら、広場にいた星詠みたち数十人を残らず全て斬り殺した。
それらの死体は全て頭部を失い、首元から白き流れを生じさせる。広場の中央、磔の十字架に向かって流れてゆく。貴方はブーツを白き血によって濡らしながら、返り血に染まった装束を気にすることもなく、十字架に向かって歩を進めた。
そして断罪者の足元に立つ十字架の根元を鋸鉈で切り倒し、十字架を倒さぬように抱えると、ゆっくりと丁寧に地面へと下ろした。断罪者の両手首、両足首は太い鉄杭で貫かれており、十字架に深く食い込んでいる。ただでさえ血を多く流し過ぎているのに、鉄杭を抜くことでこれ以上の出血を強いるのは、即座に命を失わせる可能性があった。
そう、磔にされていた断罪者は、まだ息があったのだ。
とはいえ、断罪者の呼吸は小さくか細いもので、そう間もなく命の脈が絶たれるであろうことは明白でもあったが。
貴方は彼に対し、言い残しておきたい言葉がないか、静かに問うた。その問いに対して彼は薄っすらと目を開き、焦点の合わぬ瞳を貴方に向けると、ぽつりぽつりと言葉を零した。
「……裏切り者を、始末しなければならない。同胞よ、貴殿も奴の討伐に向かって欲しい。奴は、危険だ。星詠みに与し、その罪業を世に広めようとしている……。星詠みの研究は、黒曜の理念に弓引くものだ……。人間の平穏を、破壊し尽くさんとするものだ。決して、許しては……ならぬ……」
貴方は事切れた断罪者をその場に置いて立ち上がり、不浄と罪業が濃密に混ざり合っている場へと視線を向ける。それは広場より奥の丘に位置している、半球状の施設であった。
【星詠みの天象儀】
そこは、地上の暮らしを許されぬ星詠みたちが築き上げた第二の星空であった。
数多の星々が白く煌めき、空に無数の輝きをもって夜闇を彩っている。その様は宵闇を恐るべきものとはせず、大自然の有する神秘と生命とを華美に強調しているように思われた。
白く大きな月はなく、小さな星々のみで構成された作り物の星空である。
その紺碧に染められた丸い空の下にて、貴方は敵の背を見据えていた。
貴方も敵も、黒き断罪装束を身に纏い、音もなくその場に佇んでいる。
貴方は白き返り血を、敵たる断罪者は黒き返り血を全身に浴びている。
敵の周囲には断罪されたのだろう死体が、幾つも転がっている。恐らく、広場で磔にされていた断罪者の同胞であり、貴方の同胞でもあったはずのものだ。
「君は確か――監獄に向かった断罪者だったかな?」
背を向けていた敵たる彼女は、顔を貴方の方に向けると、確認するように静かに問うた。貴方が無言の首肯をもって答えると、彼女も一つ頷き返し、無機質な視線を貴方に注ぐ。
「そんな君が、どうしてこんな場所にいるんだ? それにその大量の返り血は……この街の人間を殺したのか。まったく、黒曜の狂信者ときたら、どいつもこいつも頭が凝り固まっていて救えないな……」
彼女は貴方を冷たく見据えつつ、その右手を自身の左腰に佩いている剣の持ち手へと伸ばし、ゆっくりと鞘から引き抜いてゆく。
「持っている知性を働かせず、理性を凝り固まらせる者は、等しく人間に有害だ。人間としての活動だと自覚していても、理知なき行いは怪物のそれと変わらない。自分たちと異なる思想を、行動原理を持つというだけで、人間と認めず命を断つ。それは、怪物の行動理念に等しいものだと私は考える。理知と慈悲を有する人間の為すべき所業ではない――」
その左手もまた、右腰に佩いている剣へと伸びる。ゆっくりと引き抜かれていく剣の音色は涼やか且つ流麗であり、とてもではないが、数多の血に穢れているとは思えぬ鮮やかさだ。
「――怪物は、断罪されなければならない。道理だね。黒曜の理念には一理ある。そして、だからこそ、理念に呑まれた君たちもまた、断罪されなければならない。人間が理念を用いるのであって、理念が人間を用いるべきではないためだ。けど、君もまた、理念に呑まれた怪物なのだろう? そうだとするなら、君もまた彼らのように、黒曜の理念に殉じるべきだね」
二振りの細剣を手にした断罪者は、貴方に対して濃密な殺意を放ち、隙の少ない構えを取った。それに応えるように、貴方もまた鋸鉈を構えて敵対を姿勢で示す。作り物の星空の下にて黒曜の理念を体現せんとする断罪者と、それに反する断罪者の戦いが行われようとしていた。
【叛逆の断罪者――ガウス】
貴方の構えを見るや否や、敵は構えを解いて歩み寄ってくる。
その佇まいに不自然な挙動は見られず、無駄な力の入らぬ自然体である。
しかしそれは決して貴方に対して油断を晒しているというわけではないだろう。攻めに寄せるのが有利であると判断したからこそ、敵はそのように行動していると見るべきだ。
貴方はゆっくりと近づいてくる敵に向かって短銃を引き抜き、即座に一発銃弾を放った。歩みと歩みの間における僅かな硬直を狙った、不意を突いた銃撃である。 が、敵はその弾道を正確に見極め、細剣を振って軌道を逸らす。
貴方が続けて二発目を撃った瞬間、敵は大きく踏み込んでいた。銃弾の軌道よりずっと低いその姿勢は地を滑るようであり、影に溶け込むようでもある。断罪者の有する接近戦闘技術の一つであるが、敵のそれは練度が高い。
間合いの機を制されたがゆえに、先手を取られたと言って良い。
貴方は咄嗟に横へと跳んだが、その間際、左手に持っていた短銃は細剣で的確に突き払われ、どことも知れぬ夜空の下へと落ちてゆく。短銃が地に落ちるより早く敵は貴方に追撃を仕掛けてくる。
影の中から放たれる細剣の連続攻撃は、右手に持つ鋸鉈だけでは対処しきれず、幾筋もの浅からぬ傷を刻ませ、大きく後ろに跳び退かせる。
しかしそこで、追撃を緩める敵ではない。
夜闇に潜むように音を黙して気配を消し、静かに速やかに忍び寄ると、隙を見て剣閃を多重に浴びせてくる。その動きの鋭さ、見切りの上手さ、紛れもなく断罪者のものに相違ない。
ゆえに貴方も断罪者として、生き残るための最善を模索する。
鋸鉈の機構を動かし、鉈と鋸剣の二本に分解させ、両手に持って敵を待つ。
「――!」
微かに敵の驚きを感じるも、しかし攻め手は緩まず止まらない。ときに低位置、ときに視界に届かぬ死角、多方向から無数に放たれる攻撃は脅威であり、熟練たる貴方ほどの断罪者であっても防ぎ切ることは困難である。
装束が裂かれ、肉が斬られて血が流れ、されど急所だけは外し、距離をとるべく退避する。とはいえ、この夜空の下たる影多き場においては、敵の追撃を振り切ることは不可能に近い。
――止むを得ない。
貴方は胸の中で詫びを入れつつ、右手に持った鋸刃を床に走らせて火花を散らし、床に濡れて広く行き渡る黒き血を、点火剤として利用した。
敵が殺した断罪者たちの黒き血は瞬く間もなく燃え上がり、死体もろとも夜空の下に、煌々とした朱色の火焔を芽吹かせる。
それはさながら篝火であり、闇夜を照らす灯りであった。
影に同化して動く敵の姿も、焔の揺らめきによって映し出されている。
不意を突いてきた細剣の連撃も、今は火焔でよく見える。鋭き刺突を全て弾いて躱し、ゆえに生じた隙を突き、敵の頭部へと鉈を走らせる――が、ぎりぎりで跳び退かれ、その頬に一筋の切れ目を入れるに留まった。
「へえ、驚いたな。ここまで意志の強い断罪者は君が初めてだ。だが――」
敵が貴方に視線を向けると同時に、貴方の身体に幾つもの穴が穿たれた。
細剣の衝撃を躱しきれていなかったのだろう。黒い血液が穿たれた孔から濁流のように溢れ出てゆく。多量の血液と共に生気が流出していく感覚を覚えた貴方は、その場に立っていることさえも難しい。
膝をつき、息も絶え絶えな貴方に対して、敵は言葉を投げかける。
「朦朧としているだろうが、聞いてくれ。人間は、神から与えられた血の呪縛から解き放たれなければならない。生まれながらに背負わされた血の呪いの宿命から、そして、黒曜の神による黒き血の加護からも、だ。我ら星詠みは古来より、人間という生命の進むべき道を追求し続けてきた。人間として生を全うするための研究を続けてきたんだ」
彼女は貴方に語り掛けながら、懐から一本の小さなガラス瓶を取り出した。
それには黒よりも明るく、白よりも色濃い、赤色の液体が入っている。
「この血液こそが、旧き時代から連綿と続けてきた研究の成果だよ。これを肉体に取り込みさえすれば、人間は神の呪縛から解放される。自由になれる。我ら星詠みの人間だけでなく、黒曜の神に支配されている君たちも、ね」
彼女は貴方に近づき、その端正な顔を側へと寄せた。その瞳の色には哀れみとも悲しみともつかぬ感情が湛えられ、貴方の瞳の底にある昏き記憶を覗き見ているかのようである。
「君も、此方側に来ないか? 我らのように、人間として自由に生きる選択肢が、君にもある。教会の捨て狗として、異端の人間を殺害する必要は無い。怪物たちを駆除する必要も無い。戦いに明け暮れることもなく、平穏に暮らせる。もし、君が望むのであれば、星詠みは君を受け入れるだろう。教会の連中から隠れ住めるだけの力を、協力者を、星詠みは既に有している。もう何も、心配は要らないんだ」
黒き血液が細剣に傷を塞いだ後にも、貴方はその場に膝をついたまま動けない。そして彼女は動きを見せぬ貴方をその傍で見守っている。
貴方は、彼女の提案を聞いて酷く戸惑っていた。
教会上層部による人間を人間とも思わぬ実験の非道を、その先に求める悍ましき気配を、貴方は強く感じていたからだ。実際にその目で見てきたからこそ、彼女の言葉に揺れ動く。
しかし同時に、彼女の持つ赤き液体は教会上層部による実験によって生み出された成果なのではないかと貴方は思うのである。そうであるなら、貴方は決してその代物を認めるわけにはいかない。黒曜の断罪者として、人間として、そして何より自身の在り方としても。
だがもし、それらの実験が無関係であるならどうであろうか、とも貴方は思う。 ここで彼女の言う通り、教会を抜け出すことができるのであれば、どうだろうか。
人間として何者にも脅かされることのない道を歩むことができるというのは、貴方にとってこれ以上ない幸福に思えるのは事実であった。
そう、貴方は現在置かれている自身の立場から逃げることを考えてしまった。
すなわち、自身の体内に流れる黒き血液の否定である。加護と生を授けてくれた黒曜の神を否定することに繋がる。
貴方が無意識の内に、自身の体内に脈打つ黒き血液――黒曜の神を否定しかけたその瞬間に、全身を大きな激震が襲った。
肉体の内側を、皮膚の表面を、絶え間なく走り続ける激痛は貴方の意識を容易く飛ばす。意識が落ちる寸前、夢と現の間、この世のものと思えぬ幻を貴方は見る。
そこは白く小さな花が咲き誇る花畑の丘であり、それらの花を守るようにして、一本の大樹が雄々しく聳えている。その大樹の根元に、どことなく懐かしい面影を宿した少女の姿が映る。静謐な微笑を浮かべていた少女は困ったように眉を下げると、貴方に小さなその手を伸ばす。
貴方はその手を取ろうとし、されど確かに触れる前に、完全に意識を手放した。
***
叛逆の断罪者ガウスは目の前で起きている現象を正確に把握し、すぐに貴方から跳び退いて距離を取った。
「タイミングが悪過ぎる……いや、これも奴の計算の内か……?」
ガウスの視線の先には、蹲って苦悶の声を上げる貴方の姿がある。
震えの止まらぬ全身は鼓動の刻みと共に膨れ上がり、明らかに人間という生物の枠組みを逸脱しようとしている。つまるところ、異形化の発露が生じていた。
如何なる理由を要因として貴方が異形と化してゆくことになったかは不明だが、黒曜の理念を当て嵌めるのであれば、要因はただの一つに帰結する。
すなわち――貴方は、罪業を抱え込み過ぎたのだ。
貴方は人間の身に抱えきれぬほどの罪業を背負い、黒曜にそれを捧げることなく行動し、遂には溺れるに至ったのだ。人間としての理性と知性とを手放し、獰猛な獣と変わりない怪物へと変じたのである。
身の丈は二メートルを優に超え、全身の筋肉量が遥かに向上し、身の内より外に向けて無秩序な力と暴虐が波動となって噴き上がっている。
動かずいるのも苦痛であり、貴方は突き上げてくる衝動のままに声を張り上げ、叫び、鳴き、人間には到底出し得ぬ甲高い音撃を天象儀内部に波及させ、作り物の星空を大いに揺るがした。
そんな叫び一つだけでも、貴方の内に快感が齎される。身の内に有り余っている力の解放が、それによって生じる破壊が、貴方の心に潤いを与え、涼やかな気分にさせてくれるのだ。
しかし、まだまだ足りないと貴方は思う。
この程度の解放では、貴方は少しも満足できない。
もっと大きな力の解放を、そして破壊を、貴方の心は望んでいる。
人間としての理知や使命など頭に無く、身につけていた技術も見られない。
純粋な暴威暴虐の衝動だけが、その飢餓感が、貴方の心身を突き動かしている。
この状態の貴方が地上に出たのなら、辺りは壊滅的な被害を被ることだろう。
星詠みも黒曜も見境なく、思うままに蹂躙していくに違いない。
それは誰もが、決して望むことではない。
暴力と破壊の権化となった貴方を止めるべく、ガウスは再び二振りの細剣を手に構え、貴方の前に立ち塞がった。
「残念だが、君をここから出すわけにはいかない。止めさせてもらう」
貴方は立ち塞がった存在に、大きな力と強さを感じて歓喜の咆哮を上げた。
その身に余る力と衝動を、目の前の存在に叩き込むことができるなら、どれだけの爽快を得られることだろう。どれだけ餓えが満たされるだろう。
貴方は衝動にその身を任せ、全身に有り余る力を注ぎ込むと同時、目の前にいる存在へと甘えるように飛び掛かった。
【理知を喪いし怪物――名称不明】
貴方の唐突な体当たりを、しかしガウスは完全に見切って回避する。
されどガウスが避けたにも関わらず、貴方はそのまま疾走を続け、天象儀の壁に突撃した。鈍い重低音とともに地面が揺れ、天象儀全体が震えるように大きな軋みを上げる。
貴方の走った後には、丈夫な石床であるにも関わらず、踏み込んだ足裏の跡がくっきりと深く、刻むようにして残されていた。
ガウスはそれを流し見ながら駆け続け、壁にぶつかった直後で大きな隙を晒している貴方に向かい、細剣を振るって突き立てる。が、どれだけ細剣を振るっても、その細く靭やかな刃などでは貴方の肉体にダメージが通らない。精々、引っ掻いたような薄い傷を付けられる程度だ。
「厄介だな……」
ガウスは貴方が振り返るよりも早く跳び退くと、細剣二本を重ね合わせて機構を作動させ、一振りの突撃槍へと変じさせる。
鋭い円錐の先端を有するその槍は、貴方の愛用する大刃物と同類の対大型怪物用の変形武装だ。当然、巨大なそれを十全に取り扱うには相応の筋力と敏捷が必要となり、黒き血の加護を拒絶したガウスには、少しばかり扱いづらい。
それに加えて。
「――」
貴方はその場から振り返ることなく、脚力と身のこなしをもって跳躍したのだ。
床を足場とし、壁をも足場とし、星空の天井すら足場として踏みしめ、その強靭極まりない脚力をもって縦横無尽に、天象儀全体を恐るべき速度で駆け跳び始めたのである。
縦を跳び、横を駆け、宙を通り、奥行きさえも行き来する、超速の三次元駆動を成している。この唐突な高速移動に、さしものガウスも焦燥を隠せない。槍の狙いを定めようにも、貴方の移動速度が早すぎて、なかなか的を絞れない。
貴方の残像を追い、行き先を推測し、されど見極められぬという限界の果てに、集中の乱れた一瞬の揺らぎを、ガウスは貴方に突かれることとなる。
「っ……!」
ガウスが背後に意識を向けるより先に、貴方はガウスへと突撃していた。
全身による強打はガウスを軽々と突き飛ばし、移動速度をそのまま彼女に移してゆく。防御を取らせる間も与えぬまま、天象儀の壁へと激突させた。
貴方はガウスを強打した後、徐々にその速度を緩めて床に二本足で確りと降り立つと、獲物たる彼女に向かってゆっくりと近づいてゆく。
ガウスは口の端から血を流し、背を丸めるようにしながら、それでも尚、諦めを見せずに槍を構えて立っていた。足を震わせず、恐怖に震える様もなく、凛とした精神の強さを表すように、貴方の前に立ち塞がる。
それを目の当たりにした貴方は胸の内になんとも言えぬ感情の波を感じながら、衝動のままに拳を振りかざし――そしてその瞬間、ガウスの放った突撃槍の投擲によって、身体の中心部を穿たれた。
ガウスの有する突撃槍は、刺突に特化した形状をしている。
刺すに容易で、引き抜くには困難な、それはさながら巨大な杭だ。
それを肉体の中心部に、的確に打ち込まれたのである。異形の怪物と化した貴方といえども無事では済まない。血反吐を吐き散らし、暴れ苦しみ、のたうち回り、拳による暴威を辺りに振りかざしながら、体内を巡る黒き血を体外へと流出させてゆく。治癒が働くよりも早く黒き血が流出し、貴方の力の源泉が失われてゆく。
肉体を貫く槍を力任せに叩き折ったのが、貴方の振るった最後の暴威であった。貴方は立つこともかなわずに、膝もつかずに床へと倒れる。
これにて、決着である。
ガウスは折られた槍に見向きもせぬまま、体内の血を流し尽くして死に逝きつつある貴方に、静かに歩み寄っていく。その手には赤い液体の入った硝子瓶が確りと握られている。先にも述べられた、全く新たなる血液だ。
そして彼女はその手を硝子瓶ごと貴方の口へと突っ込み、体内にて硝子瓶を割り砕いた。
「……これで君も、解放される。神の呪縛から、血の宿命から、そして私も……」
ガウスは大量の鮮血を吐いて膝をつき、貴方にもたれかかるように姿勢を崩し、大きく息をついた。その間にも、貴方の肉体と精神は微弱な変革を来しつつあり、変化を始めている。
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「我が血を分けた同胞よ……無事に生き延びたいのなら、決して聖地には行くな。あの場には、君たちが、神と崇めている奴がいる……。だが君はもう、そんな奴に構う必要はない……。君は、旧き血の束縛から解き放たれたのだ。自由に、人間としての生を歩むが良いだろう。私は……少しばかり、眠らせてもらう…………」
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黒曜は人間に理知の象徴たる黒き血液を与えた。
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過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
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