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21・困ったことになった

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午後、久し振りに専務室以外のフロアに降りた。
領収書やその他諸々の書類を提出しなくてはならず、経理部と総務部へ向かう途中、後ろから呼び止められた。
「るんちゃーん!」
「あ、猪上先輩。」
ふわふわした声が特徴的な、ゴシップ好きの可愛い先輩が、今日もぷりんぷりんと歩いている。
「久しぶりだねえ!元気?」
「…まぁ…って感じですかね。」
「あんまり元気じゃないじゃん!専務にいじめられてるの?」
いじめられてるかって言えば、めちゃくちゃいじめられてる!いろんな意味で!
「そんなことはないですけど、社内にいないことも多いので、一人で仕事してる感はありますね。」
「寂しくない?お昼こっちにおいでよ!るんちゃんいないから、ツッコミが足りなくて私が寂しいよ。」
なにそれ、可愛い。
猪上先輩って、こういうところが可愛くてずるいんだよな。私には無い部分。
「時間が合う時、遊びに行きますね。」
「うん、待ってるよお。あ、そうだ!専務と言えばなんだけど、婚約者がいるって噂立ってるよ!知ってる?」
「は?」
なにそれ。理解が追いつかなくて、猪上先輩が何を言ってるか分からない。
「あー、るんちゃんでも知らないのかあ。私もね、役職付きのおじさま達からほんのり聞いただけなんだけどね。でも今までの感じからすると、確定っぽいよ。」
「婚約者がですか。」
「そう、社長が漏らしたらしくてね!ずっと結婚する気がなかったから、これで会社も安泰だって喜んでたみたい。どんな人なんだろう、時期社長夫人でしょ?きっといいところのお嬢さんとか、社長令嬢とかだよね!経営に関わってくるのかなあ。絶対、面白い展開になってくるよお。」
猪上先輩が、きゅるんきゅるんとゴシップレーダーを発動させている。この人は、なぜゴシップ記者にならなかったんだろう。絶対に向いてるのに。
今のところ、社長も認める婚約者がいるのにも関わらず、私にプロポーズをしてきたってことだけは分かった。
「あ、ごめんね呼び止めちゃって!じゃ、またお昼食べようねえ。」
猪上先輩が猪突猛進で過ぎ去って行ったけれど、私は頭が真っ白でしばらく立ち尽くしていた。

無意識のうちに総務部と経理部での手続きを終わらせ、自席に戻って事務仕事をこなしていた。
別に専務のことなんて全然好きじゃないし、プロポーズも断ってるし、私には全く関係のないことだから。
婚約者がいるのに部下に手を出すような男だぞ。いくら地位とお金があってもクズはダメ。
きっと、昨日の高級ホテルだって、婚約者と利用してたに違いない。
ちょっと浮かれてた自分がバカみたい。いや、浮かれてないから。高級ディナーに興味があっただけだから。浮かれてません。
私はモフモフが好きなだけです。
羽毛、気持ちよかったな。
あの羽根の傷も、婚約者に見せたんだろうか。
可哀想だねって撫でられて、慈しまれて、あの羽根で包んで抱いたんだろうか。
いや、関係ない。私は一夜の過ちだから、考えるのはよそう。
無心で仕事をこなすことで午後を過ごし、定時に上がって帰宅することにした。

通い慣れた道、頭はパンクしていても、体はオートで動くものだ。
いつものスーパーで激安食材と日用品を買って、両手いっぱいの荷物と共に家にたどり着けば、リビングには獣が3人いた。
「…どういうこと?」
唖然として突っ立ったままの私の手から、大河が荷物を取り上げる。
「俺が聞きたい。」
荷物をキッチンに運んで、日用品と分けて所定の場所に仕舞い始めた雄虎を横目に、ソファでくつろぐ雌虎とその向かいに座る猛禽に問いかける。
「なんでいるの?意味わかんないんだけど。」
「私はいつも通り、仕事終わって遊びに来ただけー!」
がおーっとポーズを取っておどける波琉は、目がキラキラ光っている。
「僕も、仕事が終わったのでお伺いした次第です。朝言いましたよ、お伺いすると。」
何言ってんだこいつ、いけしゃあしゃあと。
っていうか、婚約者の家に帰れよ。うちに来なくていいよ。
「来て良いって言ってないです。」
荷物を片付け終わった大河が、私の横にピタリと立つ。普段は何とも思わないけど、今はほっとしている。
大河は私にとって、兄で父のような存在だ。不安な時にいてくれると、それだけで安心する。
待って、私は何が不安なんだ。
「鷹司さんは、今日は何用でいらしたんですか。」
ドスの効いた低い声で大河が問う。完全に威嚇してる。
いや待て、大河さんよ。君の会社の取引先相手だから、もうちょっと感情を抑えようよ。何で怒ってるか分かんないけど。
「昨日はご迷惑おかけしてしまったので、そのお詫びに。」
ちょっと!猛禽も何言ってんの!やめてよ!
専務が立ち上がって菓子折りを差し出してくるので、波琉が丁重にお預かりした。
「ちょっと波琉!」
「お詫びの品なんでしょ、いいじゃんもらえば。」
「そうですよ、どうぞ。みなさんでお召し上がりください。」
「あなたにご迷惑を掛けられた覚えはありませんが。」
ぴえー!大河の声がどんどん怖くなるよ。
私、この場にいたくない。安心したって言ったの嘘!今すぐみんな帰って!
「ええもう、ご迷惑とかありませんから。専務も気にせず帰ってもらって大丈夫なので。波琉、お菓子返して!」
「えー?これデパ地下で行列3時間は並ぶやつだよ?」
「いいから!」
波琉が嫌そうにお菓子を後ろに隠す。
「昨日は僕が渡辺さんを連れ回してしまいまして。」
「は?」
大河の顔怖い!牙出てる!
波琉は全部知ってるからニヤニヤ笑ってるし。フォローはどうしたのよ、フォローは!
「あ、ほら、ミーティングだよ。ミーティング。ね?だから連絡できなくて、心配かけてごめん!」
大河の腕をぎゅっと握って振り回すと、いくらかマシな顔に戻って私を見た。
「鷹司さんと二人で?」
「あー、うんまぁ。」
「どこに連れ回されたわけ?」
あー…何て言えば良いの?どう言えばこの場が丸く収まる?
「僕の贔屓にしているホテルですよ。」
ちょっとマジふざけんなよ猛禽!
ギロッと専務を睨み付けると、専務はジッと私と大河を見ていた。
その横の波琉が、修羅場ー!って口パクで言ってくるから、こいつはエネミーと断定した。
もう波琉の好きなおかず一生作ってやんない。
「ホテル?」
大河がギロリと専務を睨む。私の比じゃない怖さ。
「えっとー…ほら、ミーティング的なやつをね?ね?」
こっちを向けと、ギリギリ大河の腕に力を込めるけど、全く相手にしてもらえない。大河にとっては私の力なんて、アリに噛まれたようなものだ。
「プロポーズしたんです。」
「わー!わー!違う、違うから!」
大河の腕にしがみついて引っ張ると、頭上で大きな咆哮がした。

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